色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
不幸の後には笑いありの話
私は、不幸に見舞われた時、人に話せなくなりました。
それを乗り越えた時、カラッと笑えるようになりました。

中途半端だったり、自業自得だったり、甘えがあった時は
「悲劇のヒロイン」ばりに、暗~く、うじうじ、メソメソと、
しつこく友人知人に聞いてもらってました。

私の場合、不幸に見舞われた時は、
息つく暇もない位、次々と色々な事が起こりました。

家族の問題や病気、金銭的な事や恋愛、
人間関係などのトラブルが立て続き、
当時は自分が原因ではないのに、
「なぜこんな目に合わないといけないのか。
こんなに辛い思いをするほど、今生で私は悪いことをしていない。」
と思っていました。

でも、自分の気持ちなど考えることより、
日々することが増えていき
目の前の出来事に対して、自分が何ができるか
家族の為に今自分が役立てることを考えるようになり
それにエネルギーを使っていくうちに、どんどん無私の状態になり、
自分ではどうしようもない事の中で、自分の無力さを痛感して、
自我や依存心もどんどん消えていったような気がします。

結果は自分の思い通りのハッピーエンドにはならず、
自分の愛する人や、家族が次々と此の世を去り、
金銭が自分の元から消え去り、仕事も辞め、
友達を含む人間関係は整理して、
プライベートで会う人の数は一気に減りました。

それらの出来事の時期から数年、
自分の中に飲み込んで、消化吸収して
経験値にするまでは時間も必要でしたし、
流した涙や、苦しみもありました。

自分から、色んなものがなくなって
さぁどうやって生きていこうかと思った時、
笑ってしまった事があります。

不幸の後はこんな風に笑えるんだと思いました。

自分ができることは全部やり切ったし、
こんなに努力をしたことないというほど頑張ったから
結果は自分の想い通りではなかったけど、悔いはなく
その時の経験から、自分の内側にどっしりとあった
「自己防衛」「私利私欲」「承認欲求」「自己顕示欲」etc..も
手放さざるを得ず、笑うしかなかったのかもしれません

人生は大変な事も多いし、辛いこともあるけど、
だからたまに起こるご褒美みたいな出来事に感動するし
目線を変えると、日々の小さな事でも笑えることが多いものです。

本当の不幸に直面すると、
その反対の幸せがわかって
それを感じやすい体質になり、
笑える事が増えるのかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
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自尊心の話
「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあります。
才能や実力のある優れた人は、ひけらかさず謙虚です。

反対に、「弱い犬ほどよく吠える」ということわざもあります。
虚勢をはったり、大声を出したり、威嚇をしたりします。
自分をよく見せようとすればするほど
劣等感が強い人なんだろうと思います。

自尊心は必要です。
自尊心:自分を尊ぶ心と書きます。
     自分を肯定する心、自分を信じる心、自分に価値があると思える心。

「自尊心」は、自分で自分をどう思うか、感じるかということで
他人から評価されることでも、
外に求めるものでも、
人に与える印象でもありません。

自尊心が強い人は、自分を受け入れているので
誰かに評価をされるために、必要以上に頑張ることもないし
比較や競争で自分を図り、一喜一憂することもありません。

自尊心が弱い人は、不安や鬱から、他人に補ってもらうべく
「かまってちゃん」になったり、高圧的になったりするか、依存症になるか、
どうせ私なんか・・・と、自分を卑下し軽く扱ったり、傷めることもあります。

私はきっと幼いころは、とても自尊心の低い子だったと思います。

周りの大人から否定されることも多かったし、
男尊女卑の強い家庭だったので、
女である自分の価値は低いと思ってました。

兄や近所の子と比較され、できない残念な子のレッテルを貼られ
「人と同じように生きていくためには、人の3倍やって一人前だ」と
よく言われていました。

私が自尊心を育めたのは、やはり色んな体験を通じて
自分で選択をして、その結果を自分で受け止めていき
何度も逃げ出したり、受け入れられない事もありながらも
現実や、自分の内面の色々な面を受け入れたからかなと思います。

他人や世間など関係ない、自分にとっての美徳とは何かを考え、
どういう行動や価値観が美しいのかという目標を決めて
それに沿って生きるようになってから、自尊心が強くなった気がします。

私のパートナーも、幼少期すさまじい虐待を受けていて
お父さんの気分で、ボコボコに殴られ、蹴られ、
車で事故にあい、大けがをしています。

自尊心を育むには、幼少期の体験が大きいとも言います。
「大人から尊重され、価値を認められ、励まされる」

そんな体験は、私も彼もしていませんが、
私は彼ほど自尊心の強い人を知りません。

ありのままの自分を受け入れていて、
目の前の現実も受け入れていて、
芯が強く、どんな状態でも「ブレ」が少ないのです。

話を聞くと、自分自身で育んできた人でした。
青年期までは本当に苦労が多い状況で、
よく一人で耐え、その上に自信と自尊を生み出したと思います。

他人の噂や評価は気にせず、
自分のことは自分で決め、どんな結果も負う覚悟で
どんな状況でも、声を荒げることや威嚇することなく
ものすごい殺気を出していることはありますが(苦笑)
自分が何をしてあげれるかという心遣いが強く
弱い立場の人、特にお年寄りには本当に優しくて、
聞いても名前が憶えれないほど、
色んなおばあちゃんから電話があります。

今の現実の問題を、自分で受け止めず
幼少期のせいにするのは簡単な逃げ道だけど、、、

きっと、自分で自分は育てられる。

というか、他人ではなく、
自分でしか自分は育てることも、救うこともできない。

それはいつからでも、始めれる。
善悪ではなく、事実を事実として、
自分の感情もわけることなくすべてを受け入れ
肯定していき、理由を自分の内から見つけ、
もうしないと決意していく・・・

その時は受け入れられないことも、今だと受け入れられて
当時の自分はそれが精一杯だったと肯定して
その出来事を経験値として昇華させてあげることも
自分しかできないこと・・・

そうすることを繰り返すことで、
自分で自分を安定して生きていけるようになり、
他者からの評価に頼ることが必要なくなるかもしれません。

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「人の振り見て我が振り直せ」の話
「クソッ」「ちくしょ~」というのが口癖の人がいる。

自分の思い通りにいかないと、
意識的か、無意識かは不明だけど、
「くそっ」
「ちくしょー」
を連発している。

私から見るとその人の仕事を始め全てがとても「雑」で
良かれと思って言うと、逆切れするか、笑ってごまかすか、
場合によってはセクハラ発言をされるので、言わなくなった。

50代のいわゆる「バブル世代」の男性だけど、
自分の能力以上に、とてもプライドが高く
基本的に短気で、人を追い込むような話し方をしたり
イライラと相手を責めるような話し方をするので、
誰もその人に対して注意や指摘をしなくなった。

実際に、叱責や指摘をされても、他人のせいにしたり
裏で、ずっとその人の悪口を言いまわったりするので
周りは完全に見放しているという状態なのだが、
本人一人そのことに気づいていない。

その人を見ると「裸の王様」を思い出す。

自分を振り返らず、反省せず、
自分の問題を相手の問題にすり替えて
自分の気持ちのコントロールもできず、
周りに見放されていることにも気づかず
運が離れていき、苦労が続く・・・

「気づきなさい」というメッセージに気づかないから
気づくまで、出来事は色んな方向からやってくるけど
気づかず「クソっ」「ちくしょ~」が続く・・・

関わりあいたくはないが、
かわいそうな人だな~とつくづく思う。

大した壁にもぶつかることなく、
無能でも、仕事に困ることなく、
大きく注意されることもなく、
成長せずとも、誰かのせいにして
今までの人生送れてきたのだな。

自分の人生の責任は結局自分が負うもの
今までのマイナスが、自分に跳ね返ってきてないなら
それはそれは怖いこと。

結局はすべて自分と思わないと
前には進まないし、成長もないんだな~と
その人に教えてもらっている気がする。

肉体の年齢で、人を測る人がいるけれど。
実際は肉体より、精神年齢や、内面の成長の度合いと思う。

その人をみるたびに
「みっともない」
「恥ずかしい」
と思えることで
自分は
「みっともなくないか」
「恥ずかしくないか」
と振り返るきっかけをくれるので、
それはそれで「感謝」なのかもしれない。

こんな「愚かな人」にはなりたくないと
心の底から思える(笑)反面教師。

「人の振り見て我が振り直せ」
昔の人はいい事言う。

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運の話
運がいい、悪いといいますが、
一生運がいいことばかりの人はいないわけで、
そのときは運が悪いと嘆いた出来事が
後になって振り返ったときに、
その後の人生の幸福につながる転機のこともあります。

いいこと
悪いこと

自分のものさしで計って決め付けているだけで
どちらも、同じ1つの出来事に過ぎません。

人生は、自分に色々な課題を与えてくれます。

その時の自分に合った課題を与えてくれるのですが、
楽しかったり、うれしいことばかりではありません。

その課題には、面倒くさいことや、辛いこと、悔しいこと
そんな気持ちになることが圧倒的に多いと思います。

ただ、自分を押し殺して、何もせず放置したり、
逃げ出したり、抗ったりしても、
結局その課題を受け入れるまでは、
人を変え、出来事を変え、自分に同じ課題が与えられます。

だったら、後回しにせず、覚悟を決めて受けた方がいい。
自分に必要なことなのだから。

不安や心配って、何もせず考えるばかりするから
膨れ上がり、それが恐怖に変貌を遂げるから・・・・

とりあえず、やってみる。行動してみる。
そこで失敗しても、それは経験値になるだけ。
自分の成長の糧になるだけ。

だから、思い切り自分が出来ることを全部してみて
後は「人事を尽くして天命を待つ」がいい。

最近、有名なプロゴルファーが引退を表明されていましたが
凡人には分からない努力をして、
色んな葛藤などを経験されたんだろうと会見を見ました。

素晴らしいアスリートの方の引退の会見を見ていると
そこにはやり切ったすがすがしい笑顔と
周りへの感謝の深さをいつも感じます。

周囲の人は色々と勝手なことを言いますが、
思い切りやり切った人は、どんな結果になったとしても、
誰に何を言われようとも、カラッとしていて
悔いなど感じさせない強さと明るさがあります。

「隣の芝生は青く見える」
いつも運がよくて幸せそうに見える他人がいても
その人はその人の課題があり、苦労もあるわけです。

人はそれぞれの顔形が違うように、
一人ひとりの課題は違います。

他人がよく見えても、自分には分からないその人の苦悩や
課題に対してのその人なりの努力があります。

自分の問題を、他人の問題にすりかえて批判する人がいますが、
いくら相手を批判をしたり、責めても、仕方なく
自分に起こることはすべて自分の事と素直に受け入れて、
自分は自分の課題に向かってチャレンジするしかありません。

見えていなかったものが見えたり、
新たな自分に出会えたり、
自信につながる経験になるかもしれません。

人生なんて、自分の思い通りにいくことの方が稀です。
大体うまくいかなかったり、失敗したり、
あーなんてダメなんだろうって自己嫌悪に陥ったり、
面倒なことや、悔しいことが多いです。

だからこそ、うまくいった時は嬉しいし、
いいことがあると、幸せを感じることができます。

運がいい、悪いは自分が決めることです。
もちろんその人の捉え方もあるでしょうし、
運が悪いと思う人は、そこで立ち止まったままかもしれません。

「終」ではなく、ずっと「続く」なのです。
オセロのように、次の一手で
黒があっという間に、白に変わることもあります。

だからやってみましょう。
無駄なことなど何もないし、失敗も一つの経験。
課題があるのは、自分がまだまだ伸び代がある証拠。
やれるだけやってみたら、結果がどうであれスッキリします。

自分の経験ほど、自信をつけさせてくれるものはありません。
誰かに承認してもらわなくても、自分で承認できます。
誰かに寄りかからなくても、自分で立てます。

怖いことなど何もないのです。
経験こそが宝です。

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幸福も不幸も「気」のせいの話
「幸福は自己満足。不幸は被害妄想。」

エガちゃんこと「江頭2:50」さんの言葉らしいです。
いいですね~。エガちゃん好きだわ~。

先日テレビを見ていたら、大御所のお笑い芸人さんが出ていて
病院には一切行かないと言われていました。

何も考えずに「無」になってスーパーに行くと、
その時に自分に必要な食物に手が伸びるそうです。
手に取って「あー今トマトが必要やねんや。」と思うそうです。

もしかしたら今まで病気になってるんかもしれんけど
自然治癒力で治ってると思うとも言っていました。

病は気からとも言います。

父が末期がんで入院していた際、6人部屋だったのですが、
手術が成功して退院日が決まっても、自分を「ダメダメ病気人間」と思い込んで、
「自分は癌でもうダメだ~」
「医師はベッドを開けるために、良いように言って退院させる気では?」
とグジグジ言っている人は、医師も理解不能な発熱や症状が出ることがありました。

反対に、膵臓の末期がんの父と、仲良しの肺から転移した末期癌のおじさんは
いつも冗談を言って笑って、「大したことね~」「大丈夫じゃ~」と言ってて
医師は、もう何も治療することはなく、癌痛も凄まじいはずで、
このような状態でいることを説明できないし、正直わからないと言っていました。

毎日「今日が最後になるかもしれません。覚悟をしてください。」と
数か月言われていました(笑)

傍から見ると、絵にかいたような幸せな環境の中で経済的にも家族に恵まれてても
実際に話を聞くと、地獄の中にいるような不幸感の中で生活していたり、
反対に、周りから同情されるような悲惨な状況の中でも、
にこにこ楽しんで毎日を過ごしている人もいます。

結局は、病気も、幸福感も、不幸感も、人生も
「気」のせい、「気」のもちようなのかもしれません。

そうだったら、幸せと思うもん勝ち、楽しんだもん勝ち
良い「気」のせいになったもん勝ちなのかもしれないですね。

ゴールデンウィークは、この太陽の元
この風に吹かれて、ここにいるだけで
本当に「幸せ~」と思える幸福感が体感できます。

あー気持ちいい~!!!生きててよかった~。

皆さんも楽しいG.W.を~

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