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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
変化の話☆
最近カラーセラピーをしていて、変化の人が多いな~と感じます。
特にこの8月を機に、風が変わったという感じがあります。

実際に現実に仕事の変化、家庭の変化、
また自分の内側で押し込めていたものや我慢などが取っ払われて
「さぁこれからだ!!」と前に進んでいくような、
何だか自分の気持ちに正直にいくぞっていう元気で明るい感じ。

自分が我慢さえすればうまくいくと思ってたけど、
自分の好きなようにすればよかったのかって気づけるような、、、
自分の我慢で他人を幸せにできると思ってたけど
皆が好きなようにするのが本当の幸せなのか
我慢が美徳ってわけじゃなかったってわかるような、、、
そんな時期の気がします。

また、今までの自分の尺度に現実が合わなくなって
一生懸命押し込めようとしてたけど
何だ!自分の尺度を新しくする手があったか!って
明るく前向きなターニングポイントの時期到来!
って感じがします。

暑い日が続きますが、その熱が変化を後押ししてくれるかも?

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。

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愛②の話
先日、つたない言葉で自分が思う愛の事を書きました。
愛は、外にはなく心にあるものです。
相手の愛や心は見えませんし、手に取ることもできません。
自分の愛も感じることはできても、それを頭で気づいていない事もあります。

人は自分の見たいものだけを見たいように主観的に見ています。
客観的にみようと思っても、必ず残念ながら自分の色眼鏡が入っています。

同じ出来事を一緒に体験しても、人によって違う思い出になっている事もあります。
一方はとても楽しかった、一方はとても辛かったという事もあります。

「自分さえガマンすれば丸く収まるのだ」と考える人は
なにかのきっかけで反転すると
「相手さえガマンすれば丸く収まるのに」と考えがちなのだそうです。

謙虚で辛抱強く耐える事は美徳と捉えられがちですが、
このような性質の強い人は、無意識に周りの人にもこれを要求していて、
本人は気づいていないですが、見ているととても無神経で自分勝手にうつります。

私もあまり得意ではないですが、甘えるのが苦手な人は
人という字のように、甘え甘えられて成り立つ関係がつくれず
「人に迷惑をかけない」ばかりを見つめていて
相手の想いや努力や苦労が見えなくなります。

でも人は必ず誰かにお世話になって生きているもので
迷惑をかけず生きている人はいません。
私は誰にも迷惑をかけずに生きているという人こそ
本当はとても傲慢な利己主義なのではないかと思います。

恋愛でも家族関係、仕事や友人関係、、、
色んな場面でこのことは現れます。

愛や慈愛の発露は、
相手の強さや豊かさ、または成功や美しさに対してよりも
相手の悲しみや苦しみ、または孤独や辛さなどに対して
出るものではないかと思います。

手を差し伸べられた時に拒絶するのは謙虚なのでしょうか。

反対に、自分は迷惑をかけると思っていても、
自分が頼り甘えた事で相手が喜び、
相手が自分の価値を高める場合もあります。

幼い頃から私は母に、徹底的に次の事を言われていました。
「人に迷惑をかけるな」
「自分の事は自分でする。甘えてはいけない。」
「自分がどう思うかより、他人からどう思われるかを考えろ」

私の母は晩年うつ病でした。
ALSという難病という事が分かる数年前から毎日顔を合わせる度
「死にたい、こう思うのは〇〇(私の名前)のせいだ。
産まなければ良かった。」
と毎日毎日、何年も言われていました。

私自身が母がうつ病ということを受け入れることができず
何かに憑依されているのでは、認知症なのではと
拝み手にお祓いをしてもらったり、認知症の検査を受けたりと
うつ病ということに向き合えない時期が長く続きました。

母親に存在価値を毎日否定され続けているうちに
自己肯定感が持てず、その頃は予定を埋め、動き回り、
いつも誰かに評価される事を期待していました。
今から思うと目の前にお盆を置き、承認欲求を求める乞食でした(苦笑)

そうやって逃げていた私に、とうとう向き合わざる負えない時がきて
母のうつ病を受け入れ、また自分自身の心と対峙しました。

体でも傷付いた所を修復するには、治療と時間とリハビリが必要なように
心も同じように時間と努力と繰り返しが必要です。

「自分から逃げてばかりいる人は 一人でじっとしていることができない」

先日、本を読んでいた時にこの言葉を見つけ、本当にそうだなと思いました。
逃げずに本質的な問題と向き合ってから、一人でじっとするようになりましたから、、、
また、その当時動き回っていた時は、とても多くの出会いがありましたが
一切彼氏はできず、反対にじっとしていても彼氏はできました。

逃げているときはきっと心の蓋を無意識に閉めているのでしょう。
それは怖いから。
傷付くことや、否定している自分の性質を認める事や
傷付いた心が大声で助けを呼び感情を揺さぶられる事などなど、、
人は分からない事に恐怖を覚えます。
どうなるかわからないと思って恐怖を覚えていても
意外にやってみたら大したことなかったってことは多いもんです。

大した事あっても(苦笑)向き合った後は驚くほど楽になります。

人はないもの探しが得意です。
自分の事も人と比較して、ないものばかりを探します。
それをやめて自分にあるものを探し、
毎日自分を好きになる努力をしているうちに
唯一無二の存在になり、輝きが増すのだと思います。

物でも何でも、自分が想いをかけたものはエネルギーが増すと言います。
自分自身にそれをすれば、おのずとエネルギーが増し、
それに呼応して人や物事を呼び込むだろうと思えるのです。

自分への愛がない時には、人からの愛も受け入れられないのかもしれません。

喜怒哀楽、すべては心の中にあります。
怒や哀を怖がって、喜や楽を感じられない、
また心にある愛も感じられないのは、もったいない事です。

また、人を好きになるということは、自分の心の蓋を開けて
その中にあるものを外に出し、相手に差し出す行為です。
相手も心を開かないとそれは受け取れません。
反対に相手に好きになってもらっても、同じです。

誰かを好きな時、それを伝えるかどうか悩む場面はあります。
拒否された時の恐怖や、今の良い関係さえ壊れる恐怖、
または相手が断る際の罪悪感を持たせる事への抵抗感など。

でも、誰でも自分を好きと言ってくれた人は、
受け入れる受け入れないは別として、覚えているのではないかと思います。
自分を好きになってくれた、評価してくれた特別な人として記憶に残り、
辛い事があった時や自分の価値が一切ないと思える時など
好きと言われた事実に救われるような気持ちになることもあります。

拒否されたり、もしかしたら皆に言われて恥ずかしい思いをしたり、
相手が困るのではと思っていても、伝えた方がいいと思います。
どう対応するかは人それぞれでも、
心の中では誰でも好きと言われる事は素直に嬉しく、
自分を好きになってくれた特別な人になれるのですから。
その人が傷付いた時に心の拠り所になる可能性だってあります。

本当に相手の事を好きなら、
その「好き」の贈り物は、その時にどんな対応されようとも、
きっと相手にとって人生の「宝物」になると思います。

人は自分の姿を自分で見る事はできません。
相手という鏡に映った自分を見ています。
その体験の中で、色んな自分を発見し、色んな感情を味わい
色んな想いや考えに至ります。
実際には相手を見ているようで、
相手に映った自分を見ている場合もあります。

きっと天はその時その時の自分に見合った体験を用意し
与えてくれています。
本当は潜在的には、その時に向き合えて気づく事はでき、
受け入れたり、乗り越えたりできる能力はあるのだと思います。

タイムラグがあったとしても、その時の体験を通して感じたものは
無駄な事は一つもなく、自分自身の糧になります。
深い悲しみを知った人は、深い喜びを感じる心が出来上がります。
深い苦しみを知った人は、深い慈愛を持てる人になります。

焦る事はありません。
もう行き止まりと思っていた所に、実は抜け穴があって
抜け穴を出たら、太陽が降り注ぐ広い草原があるかもしれません。

または行き止まりと思っていた場所をよく見ると、
快適で居心地のいい自分の居場所と思えるかもしれません。

終わりと思った所が、後からふりかえると始まりの時もあります。

自分の弱さを認めた時に強くなれる事や、
状況に変化がないように見えても、
自分の心が変わった時から変化は始まってることもあります。

明日新しい元号が発表されます。
明日から現実的な変化の時を迎える人もいると思います。

さあ一歩前へ。
新しい「スタート」です。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。

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春は突然やってくる?の話
3月に入って、急に春が訪れた陽気になっています。
梅の花が咲き、桜の季節も近いと感じます。

人生の変わり目も、急に訪れるような気がします。

緩やかな坂道ではなく、階段のような・・・
徐々に、徐々に変化していくのではなく
ある日突然変化が起こる・・・

実際には、水面下ではずっとその変化の種が育っていて
自分のエネルギーがを養分となり、
それが満ちた時に現実が変わると思います。

自分の言動、行動、エネルギーによって、
その「因」に対しての「果」が現実になる。

タイムラグもあり、内容も違うから分かりにくいけど
結局は全ては自分の撒いた種に、
自分自身がエネルギーを与えて育たせ
色んな現実という花が咲くのだと思います。

その現実の裏には、その人自身のテーマなども含まれていて
他人と比べても意味がないことであり、
変化したいのであれば、自分自身を見つめて気づくこと
それが一番の近道であり、それしかないとも思えます。

先日テレビを見ていて、5~6年ほど前から
失恋の歌がどんどん売れなくなっているそうです。

その時期というのは、SNSが出てきた時期と重なっていて
一人で悲しい、辛いという気持ちを味わうことで
失恋の歌に、それぞれの経験から共感を得て売れていたのに、
SNSによって逃げ道が多くなり 、
一人で失恋の辛さや悲しさを味わう事がなくなり
失恋ソングが売れなくなったそうです。

喜怒哀楽という「感情」を味わうというのは
とても大切な事だと思います。
それが、失われていくというのは残念なことと思いました。

どんな感情であっても、それを存分に味わうことで
また立ち止まって自問自答したり、振り返ることで
色んな気づきがあり、それが自分の心の血となり肉となり
成長していけるのだろうと思うのです。

でも以前カウンセリングをしていた時
女性でメンタルヘルスを病んで、
相談に来られるほとんどの方がSNSをしていました。

自分の人生の舵取りを、自分自身の手から
自分以外のその他大勢の他人にまかせてしまい
中には面識もない赤の他人に認めてもらう事に躍起になり
自分自身を見失ってしまう人を多く見ました。

SNS自体は素晴らしいツールです。
それをどう活用するか、どう自分の生活に生かすか
それがとても大切なのだと思います。

私はLINEもSNSもしていないのですが、
それを通じて縮こまるのではなく、拡がるならいいなと思います。

人それぞれ考え方や感じ方は違うものです。
同じことでも違う方向から見ると全く違って見え
全く違うそれぞれの言い分両方がどちらも正義!!と
思えることだってあります。

隣の芝生は青く見えますが、それぞれに悩みはあり
色んな人が色んなことを言ってくれたり
時には手を差し出してくれることもありますが、
とどのつまり、自分の悩みは自分で解決するしかないのです。

自分の悩みを相手に託すこともできなければ
相手の悩みを自分が解決することもできないのです。

そこをはき違えて、相手や自分以外の存在に依存していくと
依存すればするほど、自分自身と離れていき暗闇に落ちていきます。

もちろん相談したり、自分の心の内を吐露することで楽になったり
自分で自分の言葉にはっと気づかされることもあるでしょう。
全部一人でと気負わず、他人に頼ることがダメということではありません。
ただ、結局自分の目の前の壁を越えるのは自分しかいないということです。

でも超える力があるから、その経験ができるのだと思います。

いくら努力しても現実は変わらず、一生このまま変わらないと思っても
実は水面下ではどんどん蓄積されていて、ある日花開く日を待っている
それが明日かもしれない、明後日かもしれない。

反対にうまくいってる時に、調子にのり、傲慢になったり
相手を貶めたり、罵声を浴びせたり、馬鹿にしたりしていると
それが溜まり、ある日突然不幸に見舞われることがあります。

毎日毎瞬が、自分の人生の創造中ということですね。
自分らしい花を咲かせるために、今日も精一杯生きたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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終戦の日の話
今日は終戦の日ですね。

72年前に、戦争していたなんて・・・・
戦後50年の時も思いましたが、実感がわきません。

それでも、それが事実であり、多くの方が亡くなりました。
心よりご冥福をお祈り致します。

12日に全日空の羽田発、伊丹行きの飛行機が
緊急で引き返すという事態が起きました。

奇しくも1985年8月12日に起きた
日本航空123便墜落事故と同じ時間、同じルートで
その時間、遺族や関係者が33回忌の法要をされていたそうです。
「上を向いて歩こう」の坂本九さんも123便に搭乗されていました。

お盆は霊が帰ってくる時期です。
また霊界だけでなく、地獄の釜の蓋開けで、
お盆の時だけ地獄に落ちた亡者も帰ることを許されます。

此の世とあの世の距離が近くなる特殊な時期ともいえます。

毎年、海や川での事故やの報道もよくでますが、
水の近くにいくことや、交通に関しては注意が必要と思います。

終戦の日、戦争について考えます。
今世界情勢を見ると、危機を感じます。

72年前に戦争の中、多くの貴重な命を亡くし、
そして大きな犠牲を払い、大きな傷を受けたことを
経験していない平和ボケしている私たちは
もう一度真剣に考えて、平和が続くように、
この終戦の日に心より祈りたいと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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幸福も不幸も「気」のせいの話
「幸福は自己満足。不幸は被害妄想。」

エガちゃんこと「江頭2:50」さんの言葉らしいです。
いいですね~。エガちゃん好きだわ~。

先日テレビを見ていたら、大御所のお笑い芸人さんが出ていて
病院には一切行かないと言われていました。

何も考えずに「無」になってスーパーに行くと、
その時に自分に必要な食物に手が伸びるそうです。
手に取って「あー今トマトが必要やねんや。」と思うそうです。

もしかしたら今まで病気になってるんかもしれんけど
自然治癒力で治ってると思うとも言っていました。

病は気からとも言います。

父が末期がんで入院していた際、6人部屋だったのですが、
手術が成功して退院日が決まっても、自分を「ダメダメ病気人間」と思い込んで、
「自分は癌でもうダメだ~」
「医師はベッドを開けるために、良いように言って退院させる気では?」
とグジグジ言っている人は、医師も理解不能な発熱や症状が出ることがありました。

反対に、膵臓の末期がんの父と、仲良しの肺から転移した末期癌のおじさんは
いつも冗談を言って笑って、「大したことね~」「大丈夫じゃ~」と言ってて
医師は、もう何も治療することはなく、癌痛も凄まじいはずで、
このような状態でいることを説明できないし、正直わからないと言っていました。

毎日「今日が最後になるかもしれません。覚悟をしてください。」と
数か月言われていました(笑)

傍から見ると、絵にかいたような幸せな環境の中で経済的にも家族に恵まれてても
実際に話を聞くと、地獄の中にいるような不幸感の中で生活していたり、
反対に、周りから同情されるような悲惨な状況の中でも、
にこにこ楽しんで毎日を過ごしている人もいます。

結局は、病気も、幸福感も、不幸感も、人生も
「気」のせい、「気」のもちようなのかもしれません。

そうだったら、幸せと思うもん勝ち、楽しんだもん勝ち
良い「気」のせいになったもん勝ちなのかもしれないですね。

ゴールデンウィークは、この太陽の元
この風に吹かれて、ここにいるだけで
本当に「幸せ~」と思える幸福感が体感できます。

あー気持ちいい~!!!生きててよかった~。

皆さんも楽しいG.W.を~

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
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