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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
幸せって?愛って?の話
あけましておめでとうございます。
お正月も、旧正月も、全部含めて・・・(苦笑)

また、3月6日(奇しくも私の誕生日でした)に、
7年ぶりに天王星が移動して、新しい時代の幕開けです。

詳しくはこちら→筋トレ

同じ読みの天皇(天王星の天王ね)陛下も今年退位され
皇太子様が新天皇に即位され、元号も変わります。

今年は大きな時代の節目を迎えるのだな~と感じます。

個人的にも、仕事や人間関係も変わり、
無意識のうちに流れに沿ってた・・・と思っています。

昨日時間潰しに本屋さんに立ち寄り、パラパラっと
樹木希林さんの本を見ました。
 ↓↓↓
『樹木希林 120の遺言』(宝島社、2019年1月28日刊)

パラパラっとめくっただけですが、その感想は

結局は自分の事はしっかり自分が向き合い自分で考え決める事。

どうせしんどい思いするのであれば、その中から
自分が何か気が付かなきゃもったいない。

これは〇、これは×って決めつけずに、すべての感情や
出来事をそのまま受け止めて、俯瞰から自分を面白がれたらいいな。
って思いました。

それから年の重ね方について、考え方が似てるなって嬉しかったです。

先日誕生日を迎えたんですけど、体力は落ちるし
どんどん体もガタはくるし、外見も老けていくんだけど
年を重ねていく事が嬉しくて、どんどん楽になっていって
幸福感が年と共にどんどん増えていくって感覚なんです。

年とともに欲が減ってきて、在るものを有難いって思えて
周りの友達は皆結婚してる中で一人シングルなので
全然周りと比較もしなくなったら、自分を見つめるようになって
自分らしくいられるようになっていってるからかもしれません。

孤独って大切ですよ。
雑音がない中で自分と対峙できますから。

一人で寂しくないかって聞かれる事がありましたけど、
一人でも二人でも何人一緒にいようが寂しいものは寂しいですから。

それに幸せなんて人によってそれぞれですから。

昔カウンセリングしていた時、
お金持ちのご主人と可愛い子供、素敵なマイホームがあり
傍から見たら不自由もなく何が不満なんだろうと思っても、
本人は辛いと思っていたり、
反対に、親の事業失敗で生活が一変して、両親が離婚して
母親に問題があり、職場もひどく、さぞ辛かろうと思ったら
私の手料理を食べながら「美味しい。幸せ。」って
いい笑顔で自分の好きな事や夢を楽しそうに話していて
幸せって本当なんなんだろうって思いました。

私自身も、きっと周りの評価と、自分の内の幸せ感は全然違って、
違うどころか状況的には反比例してるんじゃないかと思います。

「幸せ」は他人に決めてもらうものじゃないって事ですね。
また見つけるものでもなく、感じるものなんですよね。

年を重ねると、自分の思い通りにできない事があっても
大きな力というか自分の魂の願いというか
そういうものに沿っていないんだな~と流れに逆らわないようになりました。

大きな力というか自分の魂にはいつもつながっているのに、
こちらの状況で、曇っていたら見えなかったり感じられなくて
こっちがクリアにしたら見えたり感じるようになるんだって思います。

今までの人生の中で、今から振り返ると回り道したなとか
本当何やってたんだって思う事もありますが、後悔はないんですよね。
だって、その時の自分が一生懸命考えて選択した事だから。
その経験や流れがあって、今の自分がいると思えば
全ての経験や、その時その時の自分を抱きしめて愛でたくなります。

でも一つ法則があるとすると、自分がアウトプットしたものが返ってきてる。
それは言葉や行動だけじゃなく、その時の想いや願いや全部。
その時の想いが、恐怖と愛のどちらから出たものかによっても
その後返ってくる事は違うって思います。

また、変化って蛹から蝶になるように
目に見えない世界や自分の中で、無意識にでも準備したり溜めたものが、
ある日突然パッと現実の変化として起こるって感じがします。

人生の変化も、人の成長も、出来事もすべて、坂道じゃなく階段方式(笑)
一生変わんないって思ってたら、ある日突然ヒョイって変わる。

だから、流れに沿って、目の前の事を一生懸命して、自然体で
他人じゃなく自分を見て、面白がりながら今を見て生きていこう。

またせっかくの人生だから、
自分のしたい事はした方がいい。
伝えたい事は伝えた方がいい。
何もなければ目の前にきた事はした方がいい。
って思います。

頭で考えるのとしてみるのは全然違うから。
体験することは大切。

失敗したら、「さぁこれからだ」ってまた始めればいいだけだし。
失敗した事ない人は魅力がないし。

好かれたい気持ちって誰でもあると思うけど、
私は愛されるより、自分が愛す方が絶対に幸せって思います。

よく女の人で「愛される方が幸せ」っていう人がいるけど、
それってどうやって感じるんだろ?
だって自分の中の「愛」はダイレクトに自分が感じれるわけでしょ。

感情を言葉に現すのは難しいから、
「愛」って言葉はひとくくりに色んな感情のワードとして使われるけど
きっと勘違いの「愛」も多いんじゃないかって思うんです。

基本「愛」って求めるものではなく、アウトプットだと私は思うんです。
「愛」って、ある意味自分という存在はなくなって、対象の幸せを願う事。

自己満足の世界でもあり、深ければ深いほど喜怒哀楽の感情も伴うもので
基本的に自分が対象の為に何ができるか、何を想うかということ。

対象の喜びを共に喜びたい。
辛い悲しい事があれば癒したい。
対象の為に出来ることをしたい。
でも出来る事って所詮限りがあるもので
できない無力感を感じながら、せめてその時は祈りたい。支えたい。
というような事だと思うんですよ。

綺麗事って思われるかもしれないけど、純粋に対象を愛すると、
自分の内が何ともいえない幸福感で満たされるんですよね。
あー感覚の事を言葉にできない事が辛い(苦笑)

その愛が相手に受け入れられなかったとしても、
そのアウトプットしたものは、巡りめぐって自分に返ってきます。

愛って崇高な所ばかりじゃなく、ドロドロしたもっと人間臭い
愛ゆえの色んな感情が蠢いて、愛憎入り交じる事もあると思うのですが、
押し付けたり、求めたり、束縛したり、見返りを期待したり
自分の思い通りにしたいって気持ちは、対象への愛ではなく、
きっと自分への愛だったり、承認欲求だったり
「愛」と勘違いしているだけの別の感情だと思います。

愛って頭で考えるものではなく、内から湧き上がるものですしね。

愛する対象がいる人は、それこそが幸せな事です。
もし、そのような対象がいなければ、他の事を一生懸命しながら
心をクリアにしていると「ときめき」と共に訪れると思います。

色んな意味で、スタートの今年。
新たなスタートをきる人も、変化がある人も
状況が変わらなくても、自分の中の変化がある人も、
色々だと思いますが、幸せで愛の溢れる年になればいいなと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。

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節分の話
今日は節分です。

1月1日のお正月より旧暦の節分が年明けという感じがします。

今年は菩提寺から「立春大吉」「鎮防火燭」のお札をいただき
玄関に貼るところから、始まりました。

氏神様への参拝に行くと、境内の木の剪定をして
隅々までお掃除をされていました。

私の今住む家の氏神様は八幡様で、こじんまりしているのですが
「凛」とした気が立ちこめ、すがすがしい神社です。

とても大切に祭られていて、いつも掃除が行き届いていて
お祭りのときは、ちびっ子神楽がねり歩いています。

遠くの有名な神社にたくさんのお願いをしに行くよりは、
自分の住む町の氏神様に、お願いではなく感謝の気持ちをお供えして
神様に愛される自分になる努力をする方が
自分にとって大切な体験を与えられて、
喜びや幸福感を味わうことができるのではないかと思います。

仕事上で苦手だな~と思う人がいます。

基本的に「馬鹿なやつほど偉っそう」と思っていますが
その中でも苦手なのが、仕事なのに感情的に汚い言葉も交えて
相手の責任ではなくても、大声で相手を非難、批判を攻撃的にする人です。

大声でワーワーと騒ぎ、誰もが辟易する人の中で
メンタルヘルスの不調で長期休暇を取られる人がいます。

病気なのであればしっかりと病院で治療してほしいと思いますが
やはりこの世は鏡なんだろうと思ってしまいました。

自分が苦しいからといって、自分の問題を他者に転嫁して責めたり
自分が優越感味わうために、人を落としたりすると
他者の評価にすがり、思い通りいかないことに悲観して攻撃すると
結果それが回りまわって自分に降りかかってきて苦しみが増加する・・・
そんなカラクリなのではないかと思うのです。

いじめの問題は子供の世界だけではなく、いろんな所であると思いますが
「いじめられっこ」より、加害者である「いじめっこ」の方が
魂レベルでは大きく傷ついていると聞いたことがあります。

業というマイナス要因を増やしていることもあると思いますが、
それだけでなく、自分のマイナスの思いや行動が
そのまま、いや膨れ上がり、時空を超えて自分に返ってくるのだと思います。

それが相手も違い、返ってくる内容が違うのでわかりにくいだけで
しっかりと因果応報の法則は息づいているのだと思います。

例えば、他者に暴力をふるい、金銭をとった行動に対して
健康面での病気という形で返ってくるといったように・・・

また、最近では仮想通貨の流出問題が取り立たされていますが
お金というものも自分のエネルギーの一部であり、
楽をして儲けたお金というのはどうなんだろうと思います。

もっともっとと欲をかいたが為に、結局大損することもあり
お金も自分のエネルギーの一部と見れば
自分の器が大きくなれば、そのまま受けることもできるでしょうが、
器の大きさがそのままで、たくさんのお金のエネルギーを入れると
自分の器以上にキャパを越えた分は、他のエネルギーが
自分の思いとは別に、出て行かざるを得ない状況になると思うのです。

あぶく銭ということで、そのまま銭が出ていけばいいですが、
それ以外の健康や、仕事や家族、友人、恋人等のご縁などなど
お金にかえがたい大切なものが失われるのは辛いことです。

宮本武蔵の名言「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」の気持ちで
今年一年、神様に愛される自分になれるよう、
また後悔のないよう、自分に素直に真面目に生きようと思います。
精一杯の努力の後は「人事を尽くして天命を待つ」 の気持ちで
どんな結果であっても受け止めて、笑顔で過ごす一年にしたいです。

皆さま方も、悔いのない一年になりますように☆彡

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。

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どの視点でどう生きる?話
「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」
平家物語に出てくる一説です。

地位や財力を誇り、思いあがった行動や言動をすると
栄えることは長く続かず、滅びるという意味ですが、
昔も今もこのことは変わらないのだなと思います。

今までに、自分自身も経験しましたし、
色んな人を見てきて、この法則は本当にあると実感しています。

仕事で、無能でありながら地位があり、その器がないのに
はき違えて「みっともない」行動を繰り返す人がいて、
周りにいる優秀な人が次々と辞職していくところがあります。

周りが辞める度に悪口を誰かれ構わず言いまくり、
その人自身反省は一切せず、溜まりにたまったその「業」が、
現実その人に降りかかる時は、どうなるのだろうと思いますが、
きっと本人だけは気づくことはないのだろうと思ってみています。

地位や財力などで、他人を図ることは此の世では多いですし、
それらを多く持つ人達が、この世の中の大きな局面を
目に見えて決定して、動かしているような局面もあります。

もちろん、そのような人達で素晴らしい人柄の人もいるでしょうが、
あまりに稚拙で、品性や人間性が欠けているような人もいます。

どこの視点で何を見るかが、その人自身を表すのかもしれません。

此の世には、ひどい事をする人や、鬼畜生のような人がいます。
また、弱くて依存が強く、自分の為に人を傷つける人もいます。
反対に、どんな状況であっても「神聖」な人もいます。

色んな人や波動が入り交じったこの世の中だからこそ
気づけることも多かったり、自分の内に葛藤が生まれ
その中で何を選択して、どう行動するか・・・
そして、自分をどういう生き方をするかを決めていくのかもしれません。

そのような美しい世界、醜い世界を見て、
自分はどのような人として生きていきたいのか、

「強くなければ生きていけない、
 優しくなければ生きていく資格がない」
レイモンド・チャンドラーの小説の一説です。

自分にとっての「強さ」とは何でしょう。
自分にとっての「優しさ」とは何でしょう。

弱さを知って、初めて自分の強さを知ることもあります。
自分の弱さが、優しさに結びついていることもあります。
悔しさの中に、愛を見つけることもあります。
悲しい出来事を体験して、初めて自分の内の愛に気づくこともあります。

私が出会った人の中で、本当に優しい人だと感じた人は
壮絶な過去の体験や、辛さや悲しさを味わいつくした人が多いです。

反対に、他人に対してひどい態度をとったり、傲慢で苦手と思う人は
恵まれていて、苦難にも合わず順風満帆な人生を送る人もいます。
いつも自分の尻ぬぐいを家族にしてもらっている人もいます。

だから、不遇な環境や、恵まれない人や、辛い思いをしている人を見ると
私は、とても大きな可能性をもって生まれてきた人なんだと思ってしまいます。
潜在的にそれを受け止める強さを持ち、大きな挑戦してるチャレンジャーだから。
それを超えたところに、たくさんの気づきと喜びがあるから。

幼少期は、不遇な環境の友達に嫉妬心を持っていました(苦笑)
無意識にその環境の中で、与えられることが多いと感じていたのかもしれません。

一日、一日、感謝の気持ちを心に持ち、
今の目の前のことを真摯に受けとめ、真面目に生きたいと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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自尊心の話
「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあります。
才能や実力のある優れた人は、ひけらかさず謙虚です。

反対に、「弱い犬ほどよく吠える」ということわざもあります。
虚勢をはったり、大声を出したり、威嚇をしたりします。
自分をよく見せようとすればするほど
劣等感が強い人なんだろうと思います。

自尊心は必要です。
自尊心:自分を尊ぶ心と書きます。
     自分を肯定する心、自分を信じる心、自分に価値があると思える心。

「自尊心」は、自分で自分をどう思うか、感じるかということで
他人から評価されることでも、
外に求めるものでも、
人に与える印象でもありません。

自尊心が強い人は、自分を受け入れているので
誰かに評価をされるために、必要以上に頑張ることもないし
比較や競争で自分を図り、一喜一憂することもありません。

自尊心が弱い人は、不安や鬱から、他人に補ってもらうべく
「かまってちゃん」になったり、高圧的になったりするか、依存症になるか、
どうせ私なんか・・・と、自分を卑下し軽く扱ったり、傷めることもあります。

私はきっと幼いころは、とても自尊心の低い子だったと思います。

周りの大人から否定されることも多かったし、
男尊女卑の強い家庭だったので、
女である自分の価値は低いと思ってました。

兄や近所の子と比較され、できない残念な子のレッテルを貼られ
「人と同じように生きていくためには、人の3倍やって一人前だ」と
よく言われていました。

私が自尊心を育めたのは、やはり色んな体験を通じて
自分で選択をして、その結果を自分で受け止めていき
何度も逃げ出したり、受け入れられない事もありながらも
現実や、自分の内面の色々な面を受け入れたからかなと思います。

他人や世間など関係ない、自分にとっての美徳とは何かを考え、
どういう行動や価値観が美しいのかという目標を決めて
それに沿って生きるようになってから、自尊心が強くなった気がします。

私のパートナーも、幼少期すさまじい虐待を受けていて
お父さんの気分で、ボコボコに殴られ、蹴られ、
車で事故にあい、大けがをしています。

自尊心を育むには、幼少期の体験が大きいとも言います。
「大人から尊重され、価値を認められ、励まされる」

そんな体験は、私も彼もしていませんが、
私は彼ほど自尊心の強い人を知りません。

ありのままの自分を受け入れていて、
目の前の現実も受け入れていて、
芯が強く、どんな状態でも「ブレ」が少ないのです。

話を聞くと、自分自身で育んできた人でした。
青年期までは本当に苦労が多い状況で、
よく一人で耐え、その上に自信と自尊を生み出したと思います。

他人の噂や評価は気にせず、
自分のことは自分で決め、どんな結果も負う覚悟で
どんな状況でも、声を荒げることや威嚇することなく
ものすごい殺気を出していることはありますが(苦笑)
自分が何をしてあげれるかという心遣いが強く
弱い立場の人、特にお年寄りには本当に優しくて、
聞いても名前が憶えれないほど、
色んなおばあちゃんから電話があります。

今の現実の問題を、自分で受け止めず
幼少期のせいにするのは簡単な逃げ道だけど、、、

きっと、自分で自分は育てられる。

というか、他人ではなく、
自分でしか自分は育てることも、救うこともできない。

それはいつからでも、始めれる。
善悪ではなく、事実を事実として、
自分の感情もわけることなくすべてを受け入れ
肯定していき、理由を自分の内から見つけ、
もうしないと決意していく・・・

その時は受け入れられないことも、今だと受け入れられて
当時の自分はそれが精一杯だったと肯定して
その出来事を経験値として昇華させてあげることも
自分しかできないこと・・・

そうすることを繰り返すことで、
自分で自分を安定して生きていけるようになり、
他者からの評価に頼ることが必要なくなるかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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人間万事塞翁が馬の話
「人間万事塞翁が馬」(にんげんばんじさいおうがうま)

意味:人生における幸不幸は予測しがたいということ。
幸せだと思っていたものが不幸の原因になったり、
禍(わざわい)の種だと思っていたのが、幸運を呼び込むことがある。

その時は不幸だと嘆いても、後になって振り返ると
その出来事があったからこそ、好転して今の状況があるという
そんなこともあります。

また、自分の願いがその時には全然叶わない時、
そのお陰で、いろいろなことに気づいたり、
自分に対峙するきっかけになったりもします。

でも自分の想いよりも、結局はその時の自分にとって
自分の魂レベルで最善の状況になっているのだと思います。

一見は百聞にしかずとも言いますが、
聞いた話や想像したことよりも、
結局体験したことしかわからないというか、身に染みないんですよね。

浄化や昇華など、結局は魂レベルでの最善で最適な環境と体験を
その時与えられるようにできているのだろうと思います。

簡単にできることは、心にも残りませんし、
当たり前のように思いがちです。

だからこそ、自分が願ってもなかなかできない事や
うまくいかないことが、自分の今生のテーマのこともあります。

私も、周りの人にしたらなかなか出来ないということは
簡単にスルっとできるのに、
周りの皆が当たり前にできることが、全然できず
願っても願っても手にできないということがあります。

誰もがその人それぞれのテーマをもって生まれてくるといいます。
一つクリアしても、また一つお題が出て、それに向かって頑張ることで
ステージがクリアされ、次のステージに立つのだと思います、

その時の自分の幸福度とは別にステージのクリアはあると思います。
無理に自分の想いを遂げて、自分は幸福度マックスでルンルンでも
ステージダウンしていて、そのツケが後でくることもありますし、
なかなか願いが叶わなくても、着実に魂のプラス貯金、
または借金返済できていることもあります。

自分の想いより遥かに大きく広い想像だにできないレベルで
結局は自分にとって最善のお題が今目の前に出されていて、
そのお題にクリアすることで、その時の自分の幸福度は関係なく
ステージアップもしくはステージダウンしていくのだろうと思います。

私自身、願いがあります。
びっくりする位叶っていません(笑)

でもすぐ願っていたらきっと見えなかっただろう景色や
きっと気づけなかっただろう事や想いや
自分自身を反省したり、顧みる機会を与えてもらっています。

そして、飽き性であきらめも早い、そしてブレやすい私が
10年以上も一切変わらず願い続けている事にふと気づいて
自分で感動さえ覚えることもあります。

すぐ叶っていたら気づけなかった自分の一部分であり、感動です。

できる事=良い事
できない事=悪い事
という法則が自分の中にありましたが、実際はそうでもないんだなと
気づくきっかけにもなっています。

順風満帆に、人生を送ってきた人より
紆余曲折しながら人生を送っている人に感じる魅力や奥深さも
思い通りにいかない人生の中で得たものにあるのかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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