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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
普通って何?
「普通こうするでしょ」
「普通じゃないよね」

とか、無意識でよく使っているこの「普通」。
「普通」って自分の中の常識や物差しだったりして、相手の「普通」とは違ったりする。

きっとその人その人の「普通」があるんだと思う。

その「普通」って一般的な常識でしょって使いがちだけど、
地域や年齢や育った家族の影響や、自分の思い込みや枠なんかもあったりする。

だけど自分が正しいと思ってしまって、
他人がそうじゃないと、「普通しないでしょ」なんて言葉が出てしまう。

正義って言葉がある。
これって一つなのかな~って思う。

見方が違ったり、立場が違ったり、自分の立ち位置によって
その正義は変わってくるんじゃないかな~って・・・

自分の正義が誰もが一番って思って、相手にもその正義を教えて
その正義に沿わせようとするところから、喧嘩や争いや戦争が起こってる気がする。

きっとその正義は正解なのだろう。その人にとって・・・
でも、それを人に当てはめて変えさせようとするのは、傲慢なのかもしれない。

皆が同じだとこの世界はきっとつまらないものだと思う。
違う人がいるからこそ、この世界はできあがり、まわっているのだと思う。


例えば食について考えた時も

野菜を作る人
魚をとったり養殖したりする人
酪農をする人
調味料を作る人etc...がいて

それを調理するために
調理に必要なコンロやオーブンなどの調理器や
お鍋や包丁や色んな道具を作る人がいて

それらを運んでくれる人がいて

それらを売っている人がいて

調理してくれる人いて

提供してくれるお店があって、

料理に必要な水道やガスや電気を提供してくれる人がいて

料理の仕方を教えてくれる人がいて

それ以外にもいっぱいいっぱい必要な事をしてくれてる人がいて

私たちは食べている。

きっと一つの事がなくなっただけで滞ってしまって、とっても困ると思う。

他のことだってそう。
皆違うからこそ、お互いがお互いを補い合い、この世界は回っている。

色んな人がいるから、おもしろいし、
違う意見があるから、世界は広がるし、
色んな事を考えるから、進化していってるんだと思う。

だから「普通」はないんだと思う。
皆違って当たり前、普通じゃなくて当たり前。
それが家族だって、友達だって、違って当たり前


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人は自分の鏡の話
他人の事は分かるけど、自分のことは全然分からないっていう事はありませんか?

でも、実は自分の中にないものは人の中にも見えないんです。
その他人のことって思ってることが、実は自分のことなんです。
ただ、他人は自分の鏡となって、見せてくれているだけなんです。
人は現実の中に、自分が見たいものを見たいように見ているんです。


例えば、
「あの人って、上品で素敵だな~」
と思えば、あの人の中に自分の上品さを見ているんです。

「あの人って、本当に自分勝手で許せない」
と思えば、あの人の中に許せない自分の自分勝手さを見ているんです。

自分が他人に対して、どう思っているかは
相手の中に自分のどういう自分を見ているかって事につながります。


嫌ってる場合は、「絶対私にはそんな所ない!」って思います。
だって、そんな所あったら、自分ってすごく嫌な奴だと思うからです。
でも、そしたら他人の中にも見えないんですよね~。
いっぱい人の中に嫌な面を見る人は、
自分の中で認めてないかわいそうな自分がいるって事です。

相手からの言動や行動から自分がどう感じたかで、
自分がどんな物差しを持っているかが分かります。


例えば
「~見下された」
と思う人は、自分が人を見下しているのです。

「~批判された」
と思う人は、自分が人を批判しているのです。

「~おしつけられた」
と思う人は、自分も人におしつけていたり、
おしつけられて断れない人は、他人にも強引におしつけようとします。

などなど・・・

そんな所はないって自分で意識してない人ほど、無意識でやってしまっているのです。
知らぬは自分ばかり・・・

菅野泰蔵さんというカウンセラーの方がいます。
競馬大好き、タバコもお酒も大好きという(笑)変り種の方で、
著書を読んでいて、私はゆるーいあたっかーい感じの中で、
鋭く本質をついているイメージがあり、この菅野泰蔵さんがとても好きです。

菅野さんの言葉で
「人は正しいことを指摘されると、腹が立つものなのである」とあります。

腹が立つという時は、自分の心が動く事。
心が動くには、きっと理由があるはず。
何かが心にヒットしないと、スルーしてしまうはず。
この菅野さんの言葉は一理あると思う。
付属していうなら、
「自分の嫌な所を、相手に見る時も腹が立つものなのである」

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脳波のお話
脳波はガンマ波・ベータ波・アルファー波・シータ波・デルタ波などがあり、
前にいくほどイライラ状態で、後にいくほどリラックス状態といわれています。

私たちは日常状態の時は、ベータ波の状態だといわれています。

嫌な事や我慢したり、イライラしたり、緊張や心配の時はベータ波からガンマ波の状態にあり、
ノルアドレナリンやアドレナリンなどの毒性の強いホルモンが分泌され、脈拍や呼吸も増え、
筋肉のこりや活性酸素も増えるので、健康の為にはよくないと言われます。

楽しんだり、笑ったり、リラックスしたりしてる時は、脳波はアルファ波の状態になります。
脳波がアルファ波状態になると、β-エンドルフィンというホルモンが脳内に分泌され、
ストレスを低減・解消するのに重要な役割を果たし、脳を活性化させる働きもあり、
体の免疫力を高めて様々な病気を予防するといいます。

シータθ波には、学者たちの間では、主に記憶力に関連すると考えられ、
人間のインスピレーションやヒラメキを促進する効果があるそうです。

岡山の林原生物化学研究所に正木和三博士という方がいました。
約3000件の発明をされ、格安カラーテレビ、炊飯器、エレキギター、自動ドア、
CTスキャンなど約1000件の特許を取得しています。
が、特許取得後は権利を放棄し、何兆円ものお金を受け取らなかったという方です。
そして、その発明は全て脳波がシータ波の時に数秒で完成しているのだそうです。

天才イチローはバッターボックスに立った瞬間に、脳波がベータ波⇒アルファー波になり、
ピッチャーが球を投げた瞬間に、脳波がシータ波になると聞きます。
野球選手がボールが止まって見える時はこのシータ波の時とも言われています。

船井研究所で、うまくいっている社長とうまくいってない社長の脳波を
データを取って調べたところ・・・
うまくいっている社長は全員アルファー波だったそうです。
うまくいってない会社の社長は、ほとんどがガンマ波だったそうです。

自分をリラックスさせる方法を見つけましょう。
お笑いを見る、テレビを見る、動物と遊ぶ、お風呂に入る、ゴロ寝する、
ヨガをする、散歩をする、ドライブする、森林浴する、デートするetc...
楽しめば楽しむほど、リラックスすればするほど、脳波があがるんです。
心身ともに、免疫があがり元気になっていくんです。
普通の人が脳波をアルファー波に近づける「鍵」は「感謝」をすることにあるそうです。
「感謝」パワーはすごいですね。
さあさあ、「感謝」して脳波をあげようではありませんか(^^♪


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楽しいことを考えよう
笑いにストレス軽減や免疫力アップなどの癒し効果があるというのは、有名な話です。
笑いが心や体に良いということは医学的に実証されつつあり、
最近では病気の予防や治療においても注目を浴びています。

また、運転免許をお持ちの方はご存知だと思いますが、
ハンドルやブレーキペダルの操作において、幾らかの「遊び」が設定されています。
これはくしゃみなどの些細な動作が運転に直結して、事故につながらない為です。

柔能く剛を制す」ということわざがあります。
柔術の世界でよく使われる言葉で、しなやかなものは弱そうに見えても、
かたいものの矛先をうまくそらして、結局は勝つことになるという意味です。

また大人気漫画のワンピースのミホークの台詞で「柔なき剣に強さなどない」とあります。
これは海賊王を目指す「ルフィ」の麦わらの一味の剣士の「ゾロ」が、
世界最強の剣士である「鷹の目ミホーク」と対峙した時のミホークの台詞です。

自分の心にもこの「笑い」と「遊び」と「柔」を持ちましょう

硬い真っ直ぐな棒があるとします。
硬くて折れそうになくても、圧がかかれば、「ポキっ」と折れてしまいます。
ゴムの棒であれば、柔らかくて弱そうでも、圧がかかっても曲がって折れません。
これは人間でも同じ事ではないでしょうか?

しんどい時こそ「感謝」して、楽しい事を考えて笑いましょう。
楽しい事なんてないって人は、とりあえず声を出して笑ってみましょう。
笑ってたら、楽しくなります。
そして、本当に「笑う門には福がくる」んです。
こころに「遊び」と「柔軟さ」をもちましょう。
お笑い芸人さんみたいに、自分の辛い出来事をネタにして笑えたら100点です。


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言葉より波動が伝わる話
言動、行動、波動。
この世の中で、一番目立つし、作用の大きいのは言動かな~って思います。

でも、幸せの言葉を言っていても「しんどそうだな~」って人や、
不満を言ってるようでも「幸せそうだな~」って人がいます。

実際に人間は五感の全てを使ってコミュニケーションをしていると言われています。

M・アーガイルという人が行ったコミュニケーションの研究によると
ボディーランゲージ 約55%
声のトーンやリズム 約38%
言葉  約7%
何と6割がボディランゲージで、言葉自体は1割にも満たないという結果がでています。

NLPのように人とのコミュニケーション能力を上げる事にそれが使われる事もあります。

例えば
①相手と同じような姿勢をする。
(相手が足を組むと自分も足を組むetc...)
②相手に合わせて呼吸をする。
③相手の言葉をオウム返しする。

皆知らず知らずに言葉だけではなく、その人の仕草や表情から色々な事を読み取ったり、
また、見えないけれど波動を感じているものだと思います。



一時期、私は高校の非常勤講師をしていた事があります。
色彩検定対策の授業とアロマセラピーの授業を担当して、
毎週2学年の複数のクラスに授業をしていました。

各クラスによって、雰囲気が違っていました。
いい子ちゃんクラスもあれば、反抗的なクラスや色々なクラスがありました。

集団になると反抗的でも、一人ひとり話すと、
寂しさを隠す為、不安を見透かされない為、皆に合わす為、甘えたい裏返しで
反抗的な仮面を顔に貼り付けているだけで、こっそり来て悩みを打明けてくれると、
優しさに感動する生徒もいました。
反対に、いい子ちゃんクラスの明るいリーダー的な生徒に、カラーセラピーをしてみると、
人間不信で悩んでいて、自分に自信がないと深い闇を抱えていて驚く事もありました。

そんな中、とても大人しいクラスがあり、そのクラスに一人
いつも宿題はしてこない。
授業中は私語をするか、寝てる。
反抗的でいくら注意しても言う事を聞かない。
という生徒がいました。

そのクラスは、他の生徒が大人しいので、その生徒が目立つのです。
一度テストをした時、その生徒が一人早々に答案用紙を裏返して突っ伏して寝ていました。
「こんなに早くできるわけがない。記入せずに寝てるに違いない。」
と思いながらも、それを悟られないように優しく、
「○○さん、もう全部できたの?」と言葉をかけたつもりでした。

が、しかし
「はーーー!!!全部書いたっつーの!!!ほら!!これ!!見たらどうよ!!
マジむかつく~!!ほんまありえんしー。マジでむかつくわ~!!」
と大声で騒ぎ出し、私が正直に疑った事を謝罪した後も、
授業終了のチャイムが鳴るまで、「むかつく!」と言い続けていました。

あーあーばれちゃった!というのが私の正直な気持ちでした。
言葉ではなく、その気持ちの波動がそのまま伝わり、言葉ではなく波動を感じ取られたのです。
つくづく子供は敏感ですごいな~と思いました。
なぜなら、以前バイトを含めると10年近く販売の仕事していた時は、
仕事用のそのつくり笑顔の影で、ばれることはなかったからです。

言葉ではなく、波動が伝わっているとリアルに感じた瞬間でした。

また、自分ではそんな所はないと拒否して、いい人ぶっていたけれど、
先入観を持っている自分、先入観で人を判断する自分、
今の現実を見ていない自分、フラットに見てない自分に気づかされました。

自分の中には色んな自分がいます。
そんな自分は自分の中にはないと拒否していると、
拒否されている自分が受け入れて欲しくて、色んな出来事や人を通して訴えてきます。
認めて受け入れたら、拒否されている自分の訴えが取り下げられるような気がします。
その拒否していた自分が、受け入れてくれたお礼にその後恩返しをしてくれます。
そしてその結果、自分の世界が広がり、楽に生きれる気がします。

色んな自分に気づくために、必要な出来事が起こっているのかもしれません。
嫌だと思っている人も、そのために出会っているのかもしれません。
早く気づきたいものです。
そして色んな自分を抱きしめて、色々な自分と仲良くしていきたいものです。


生かしていただいて感謝。
あなたの心の光が輝きますように。



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行動療法って?
認知行動療法の行動療法というものもあります。

認知行動療法のルーツである「論理療法」を開発した
アルバート・エリス博士も20代の時に、ひどい人見知りの悩みを
行動療法を活用して、人見知りを直そうと決意。
100人の女性を誘うという、行動の変化を起こし、
デートには誰も応じてくれなかったけれど、
「人の拒否されたらおしまいだ」という信念を捨て、
人見知りを直す事に成功したという話があります。

「論理療法」を知りたい人はこちらの本がおすすめです。
セルフセラピーもできるので、落ち込んでいる人は楽になるかも??

性格は変えられない、それでも人生は変えられる―エリス博士のセルフ・セラピー性格は変えられない、それでも人生は変えられる―エリス博士のセルフ・セラピー
(2000/07)
アルバート エリス

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例えば、
嫌な気分の時にカラオケに行ったら発散できてスッキリした。とか
落ち込んでいる時に友達に会っておしゃべりしたら、気持ちが晴れた。とか
そんな経験はありませんか?
この無意識にしている行動も私は行動療法の一つだと思います。

私も無意識にですが、アルバートエリス博士と同じように
行動を起こし、人見知りを克服したことがあります。

私は学生時代とても人見知りでした。
幼稚園から小学生にかけて、いじめっ子の標的にされ、
先生や親にばれないようにつねられたり、叩かれたり、
トイレに行きたいと言うとおもらしするまで離してもらえなかったり、
参観日に掃除道具入れに閉じ込められてた事もありました。

子供って大人以上に残酷な面がありますし、そのいじめっ子に
「親や先生に言ったら殺す」と言われ、本気で怯えていて
同級生や幼馴染で仲いい子もいましたが、そのいじめっ子の前では
怖くて見て見ぬふりだったり、一緒にいじめられる事になったりして、
人間って怖いな~という気持ちが根底にあったのかもしれません。

高校までは小中の同級生も一緒に進学している人が多かったのですが、
高校卒業し、進学するにあたり、仲良しの友達はもちろん
同じ高校から誰一人、その学校の同じ科に進学する人がいなくて、
この人見知りどうにかせねば困る!と思い、春休みに販売のバイトを始めたのです。

それはメンズの服屋さんで、こちらから声をかけ、色々話をして提案して洋服を買ってもらう。
というバイトです。

「いらっしゃいませ」が言えず怒られ、「声が小さい」と怒られ、
「話せ。」「商品をすすめろ。」「商品説明しろ。」と怒られ、
お客様がいない時にはずっと店長やスタッフをお客様に見立て
ロールプレイングをさせられました。
そのスパルタの男の店長のおかげで、私の人見知りは大幅に改善され、
短大では自分から声もかける事ができて、多くの友人とキャンパスライフを楽しみ、
もう20年位立ちますが、未だ心を許せる大切な友達もできました。
その店長さんとも年賀状のやり取りを未ださせてもらっています。

私はこの性格だから!と言う人がいますが、その性格は変えられないかもしれないけど、
本当に人生は変えられると思います。
行動を変化させることで、自分の問題を解決したり、
認知を見直し、新たな認知を実際に行動してみることで、確信や自信が得られます。
そしてその行動を習慣化すると、人生が変わります。

認知行動療法の本でもないですし、
カウンセラーでもない私がオススメする筋合いでないのですが、
こんなカウンセラーの方が増えたらいいな~って思う本です。

カウンセリング方法序説カウンセリング方法序説
(2006/07)
菅野 泰蔵

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認知療法って?
体罰問題が毎日報道されていますが、その体罰について
人それぞれ捉え方や意見があると思います。
実際のその学校の生徒さんでも、自殺されてしまった生徒さんと、
その後記者会見をされた生徒さんで、捉え方や思考もそれぞれで
違っている事が分かります。

このような、出来事や物事に対しての捉え方や考える事を認知といいます。

以前講座をしていて、その講座準備の場つなぎで、受講者の人に向かって
「今朝早起きしたら、すごく空気が気持ちよくて、本当に早起きは三文の得だと思った」
と話して、後の雑談で自分がどう感じたか聞いたことがあります。

Aさんは「早起きが苦手な私を責められてるように感じた」
Bさんは「その感覚分かるから、この人とは合うと思った」
Cさんは「へ~そう思ったんだ。私はゆっくり寝てる方がいいや。」
Dさんは「あなたも早起きしなさいと言われてる気がした」
と、皆さんそれぞれに違う事を思っていました。
このようにパッと浮かぶ思考を自動思考と言います。

そしてこの自動思考の根本には、その人の基本的な人生観や価値観、信念という
スキーマという考え方があります。

上記のセリフから傾向として考えた時、例えば
Aさんは「私はダメな人間だ」
Bさんは「人間関係では価値観が合うかどうかが重要」
Cさんは「人は人、自分は自分。考え方が違うのは当たり前」
Dさんは「人の意見や指示に従わなくてはいけない」
というスキーマがあるのかもしれません。

これらを認知と言います。

これは実際に相手がどのような意図で言ったかという事実ではなく
自分がその出来事や物事をどう捉え、何を考えたかという事です。

人によって同じ事を聞いても捉え方、認知のパターンは様々で、
それぞれに異なる感情や行動につながります。


例えば、
Aさんは、落ち込み、自責の念に悩み、その事に気をとられ、
    講座の内容は一切頭に入らない。
Bさんは、価値観が合うと共感し、講座に積極的に参加しますが、
    講座より価値観が合う講師と親しい人間関係を築こうとする
Cさんは、講師自身にも講師の意見にも興味がなく、講座の内容を理論的に
    自分が知る事が大切なので、真面目に受講する。
Dさんは、講座の内容をどのように活用するかの講師の意見やアドバイスを重要視して、
    自分もしなくてはならないと思う。
というように視点も変わり、その行動も変わる可能性があるのです。

認知療法とは、この人それぞれの認知を見つめ、
その思い込みによって辛くなるような非適応的な認知を、
客観的な見方の適応的な認知に変えていきます。

例えばAさんの場合
「早起きは苦手だけど、起こしてもらえれば起きることができる。
早起きは苦手な事はダメかもしれないが、自分がダメな人間なわけではない。」
といったように自動思考のゆがみや認知の誤りに気づき、変えていくのです。

私たちは多くの「よい」特性と「悪い」特性を誰もが持っていることを知る事です。
たった一つの失敗やたった一つの「悪い」行動で自分という人間を全面的に否定するような
「全体ダメ評価」をしないことです。

興味がある方は、私はこれらの本は分かりやすかったです。

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心には闇がある。でもその闇を照らす光もある。
願望が叶ったその後の物語のブログを書いていて、
最近ドラマで始まった「夜行観覧車」を思い出した。

湊かなえさんの著書は、きっと全部読んでいる。
賛否両論あると思うし、ある大手出版社の編集者が
「『告白』は反社会的な小説。湊かなえが今後どれだけ売れっ子になろうが、
自分は絶対に原稿依頼しない」と言っているという話も聞いた。

でも私は湊かなえさんの話は、決して明るい話ではないけど、
誰もがどこか心にもつダークサイドの部分を描く事がうまい人だな~と思う。
絶望の淵を描くのも、心の闇を描くのも、人間の欠陥を描くのもうまくて、
それを淡々と静かに綴られる事で、色んな事を問われている気にもなる。

「心には闇がある。でもその闇を照らす光もある」
というメッセージが秘められている気もするのだ。

一度、テレビでどこかのお寺の高僧と、作者不明という木彫りの仏像が出ていた。
私は仏像にあまり興味もないし、良し悪しも分からないが、
観音様だったと思うが、その仏像は凛とした荘厳さもあり、
また全てを受け入れ包み込んでくれるような優しさに満ちたようなお顔で
思わず見惚れてしまった。

この仏像を創った人はどのような人だと思うかという質問に、
好々爺のようなその高僧のおじいさんは
「こんなお顔を作れるのは、大罪を犯した極悪人でしょうな」
というような事をさらっと言っていた。
質問をした人は黙り込んでいたが、私は「おもしろいな~。なるほど!」と思い、
この高僧は大した人だな~と尊敬の念を抱いた。

私たちが住んでいる世界は相対性の世界で表裏あるように、
人間も片面だけでなく、両面あるのだ。
両面ともを自分の中に見つけ深めた時に、
その人の世界は完成に近づくのかもしれない。


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願望が叶ったその後の物語
先日「全ては自分の願望通りの人生」と題で、願望の叶う方法を書いたが、
私の叶った話の一つをしよう。

20年ほど前の短大時代、就職を考えた時「これからは必ずコンピューター社会になる」と
家政科の私は一切専門知識もないまま、コンピューター会社のSEになりたいと思い、
就職活動を始めた。

情報処理の授業を選択し、独学でワープロ検定資格をとった。
就職活動も積極的に説明会などに出席して、一社、この会社と決め、
短大は採用しないと言われ、学校側から推薦状を書いてもらえなくても
何度も会社訪問して、試験を受けさせてもらい内定をもらった。

その後、内定者を集めて一泊二日の研修があり、夜の宴会での
社長の言動や行動を見て、また社員の話を聞き、内定を断った。
あまりにも、説明会と実際の内容が違い、自分の会社の新入社員を
ホステスのように扱う社長の品性のなさに怒りさえ覚えたのだ。

他に一切就活をしていなかった私は、次の日から新たに探し始めたが、
どの会社も採用募集は終わり、他の職種で探す他ないかとあきらめかけた。

その時、遠距離恋愛してた彼のお母さんが高級割烹の小料理屋をしていて、
そのお客様からITサービスシェア国内首位、世界3位のコンピューターメーカー会社が
募集していると聞き、「受けてみたら?」と口を聞いてくれ、試験を受けて何と合格した。

何と国内のIT業界・就職人気企業ランキングのメーカー部門で首位の会社に
願望が叶ってSEとして入社したわけである。
ここで願望は自分の予想をはるかに超えた形で叶ったわけだ。

めでたし。めでたし。で物語はここで終わるのが常だ。


が、この話には続きがある。

県外に就職をすることを親に反対され、バイトで貯めたお金でアパートを借り、
その一流企業で働く事になったが、同期の女子社員は取引会社の重役の娘さんばかり。

そうでない人も有名私立大学卒業のお嬢様。
世界が違うのだ。
もちろん話も合わない。

大卒とそれ以外の学歴では給料も違う。
大卒の実家通いのお嬢様は給料はお小遣い、短大卒の一人暮らしの私は生活費。
救いは有名私立大学卒だが地方出身で一人暮らしをしてる同期が一人いた事だ。
唯一話の合う友達だった。

若かったなと思うが、皆が持っているようなブランドやきれいな服やバッグも欲しいし、
旅行や習い事もしたいし、遊びたかった。本当にお金がすごーーく欲しかった。

でも毎月の生活費で精一杯。
そんな我慢我慢の生活が続いている時に、
兄が「おいしい話があるから一緒にしよう」と誘ってきた。
断り続けて1年半位たった頃だろうか。
兄が勝手に私名義で手続きをして、地元の私の友人が兄のその話の仕事をはじめ、
私の口座にお金が振り込まれた。

とたんに金銭欲に火がつき、調子に乗ってその話にとびつき、
結果そのコンピューターメーカー会社を辞め、兄や友人とそのおいしい話の仕事をして、
世の中においしい話などない事に気付いた時には借金まみれだった(笑)

新たに仕事を見つけ勤めるが、昼の会社勤めだけでは生活費と借金返済はできず、
昼の仕事終わって、その後夜も働き、土日も働く生活が続いた。
一日3時間睡眠位であまり食べず働き尽くめだったある日、倒れて入院。
兄には絶対言うなと言われていたが、両親に正直に打ち明け、
借金を一旦親に肩代わりしてもらい、その後実家に戻って働き、
2年ほどかけて親に返済して、終わるとまた一人暮らしを始めた。

両親にはこっぴどく怒られ「ほら見た事か」「あんたは失敗した」と
言われ、本当にその通りだったのでかなり落ち込んだ。

願いは叶ったものの、その場所は分不相応で、見栄をはり、無理をして
周りのレベルに合わそうと焦り、結局背伸びしてすっころんだのだ。

当時は死にたいと思うほど辛かったが、本当にいい経験をさせてもらえたと思う。
本当にこの20代前半のこの経験は私の宝になり、この時の学びは人生の礎になっている。

あなたは今までの人生で試練だったと思うことはありますか?
その試練からあなたは何を学びましたか?


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全ては自分の願望通りの人生
全ては自分の思い通りになっている。

というとびっくりされるだろうか?

よく願望を叶える方法etc...というようなノウハウ本もあるが、
実際に自分の願望は全て叶えられて、自分の願望通りの人生を送っているのだ。

「そんな力が私にはない」と思う人は
「私には力がない」という現象を起こすだけの力があるのだ。


それを意識的に使って、現実を創ることもできる。

自我=顕在意識
自己=潜在意識

自我はいつも意識のある偽我ともいえる部分。
疑いや疑問、不安は膨らませるが、解決能力はない。
また創る能力もない。

自己は無意識(潜在意識)の、真我や神我の部分。
全ての真理や智慧の宝庫であり、本来の自分自身。
自分の中にある神の部分でもあり、解決能力もあり、
創りだす能力もある。


よく間違えられるパターンは
想念=変えられない
言葉=変える
行動=変える
それだけで満足しているパターンだ。
これでは何にもならない。

よく運転をしていて
「絶対にあちらに寄らないようにしないと・・・」と意識すればするほど、
そのあちらに近づいて行った経験はないだろうか?

また、学生の時、先生が皆に向かって質問をして
自分は「絶対あたりませんように。」と強く思えば思うほど
あたってしまった経験はないだろうか?

自分の意識では「あたりませんように」と願うのだが、
潜在意識には否定語が通用せず「あたる」現実を作り出してしまうのだ。

もし何かお願いするとしたら、
「~になりませんように」と言うよりは
「~になりますように」もっと言えば
「~になりました」と過去形で思った方がいい。
その上に「なってありがとうございます」とまで思えたらなおいい。

この願いについても
「~になりました」と意識しても、いや意識すればするほど、
無意識に「本当になるかな?」とか「なるわけない」と思うと、
その「本当にならない」「なるわけない」現実が訪れる。

気をつける事は、その願望が強ければ強いほど、その反面の心配や不安が大きくなり
その心配や不安の気持ちの方が有効となり、その現実が起こる事になるという事だ。

どっちでもいいと必死で思わないことの方が簡単に実現できるからくりは
この反作用の反応が少ないからだ。

自我は色んな事を考えてあなたを誘惑したり、あなたに疑問や疑いをふっかけ
不安を大きくしようとするが、物事や出来事は何も創れない。
それを創りだすのは、自己の潜在意識の部分。

注意しなければいけないのは、肯定しているのは自分のどの部分かと言う事。
自我が肯定していても、自己の潜在意識が否定していると、現実は創り出せない。
また、自我の自分がコロコロ変わると、潜在意識の自分も混乱し、混乱の現実を招く。

ではどうするか。
何か願望があるとする。
その願望を強く願う。(過去形でもう叶った状態で願うといい)
そして、そのために今できる事を思いつく限りする。
そして、「人知を尽くして天命を待つ」気持ちで預けて忘れる。


もし自分で願った現実が訪れない場合は、あなたの潜在意識が
その自我の願望に対して相反する疑いや不安が強いか、
あなたの自己(潜在意識)が判断してあなたに必要ではない事なのでしょう。

自分だけではなく、皆の幸せにつながるような事や、宇宙の真理に沿っている事は
うまくいきやすいのではないかと思います。

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すべてはつながっている話
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
そうして、あとで、さみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。


そう、金子みすずさんの詩です。
大震災の後に、テレビで何度もCMで流れたので、
聞いたことのある人も多いと思います。

ユング心理学では、心には
意識 = 顕在意識 = 自我
個人的無意識 =潜在意識 = 自己
集合的無意識
があり、深層の無意識には人類に共通の集合的無意識があると言われています。

手を人間関係を例えると、一本一本の指が一人ひとりで、
手のひらが集合的無意識で、深いところでつながっているということです。

私自身こんな事がありました。

(case1)
ある年の自分の誕生日に、仏壇に向かって
「生んでいただいてありがとうございます。
誕生日を無事迎え、今を生かしていただいてありがとうございます。
色んな出会いをありがとうございます。」
の言葉を伝えました。

すると、数日後思ってもみない知人から誕生日プレゼントが届き
誕生日を祝う言葉とともに
「生まれてくれてありがとう。
無事誕生日を迎え、元気に生きていてくれてありがとう。
素敵な出会いをありがとう。」
とメッセージカードに書かれていました。

(case2)
仕事上のある人との関係において、解消したい問題がありました。
相手が悪いと心の中で責め、自分ではどうしようもできないと思っていました。
立場的に相手が上位で、私の意見を一切聞いてもらえなかったのです。

何か問題があるときや、胸がざわつく時は私はそれを書き出します。
その問題や、何が嫌なのか、自分が何をして何をしていないのかなど、
思いつくことを次々に書き出していきます。
そして一人ソクラテス問答を繰り広げます。

自分の中にないものは、人の中にも見えないものです。
相手の中にある否定していたものを、自分の中に見つけたり、
被害者と思っていたけど、自分が傲慢な加害者でもある事に気づいたのです。
そこで本当に申し訳なかったと反省して心の中で謝罪しました。
そして、相手に対してのその気持ちを紙に綴りました。

そこで自分の気持ちの整理がついて、スッキリしてテレビを見ていると
その相手からおわびのメールが届きました。
そして、その問題自体解消してしまったのです。

私からは相手に対して、何のアクションも起こしていません。
自分の反省の気持ちは一切相手に伝えていないのに、
相手からおわびを言われ、どうしようもないと思っていた問題が
あっという間に解決してしまったのです。

この例以外にも、誰かに言った言葉を、そのまま違う人から言われたり
相手に対して思いを変えると、相手も変わるといった事は頻繁にあります。

これは誰にでも起こっていることです。
そんな事ないと思う人は、ただ気づいていないだけです。



私はこのケース以外でも、ユングの言う「シンクロニティ」も起こります。
例えば「ふとあの人元気かな?と思ったら、その人からメールがくる。」
「ずっと欲しいと思っていたものを、ふと立ち寄った店でみつけた。」
といった偶然、誰でも経験した事があるのではないでしょうか?

ユングは、この出来事はただの偶然ではなく、実は起こるべくして起こっていて、
世の中のあらゆる物事は互いに繋がりあい、連動していると考えています。
ちなみに、この原理を「縁起律」「非因果的連関の原理」と言います。

シンクロニティは意識するとするほど、起きやすくなると思います。

全てはつながっている。
その中で自分が出す波動によって、同じ波動の言葉や出来事が自分に起こってくる。

あなたはどのような波動を出しますか?
どのような言葉を言っていますか?
どのような気持ちで接していますか?


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幸せとは??
「~たら幸せになる」って考え方した事はありませんか?

例えば

「この仕事ができたら幸せになる
「結婚したら幸せになる」
「子供が出来たら幸せになる」
「子供が○○だったら幸せになる」
「お金があったら幸せになる」

これって裏を返すと「今幸せじゃない」ってことですよね。
だから「~たら幸せになる」とそれを追い求めているって事ですよね。


何か目的を持って、それに向かって頑張ることは素晴らしいことですが、
その目的を達成したら幸せになるというわけではないと思います。

友人で結婚願望が強く一生懸命婚活して、結婚して新婚旅行から帰ってきて会うと、
不妊で子供ができなかったらどうしようと悩んでいたり、
新生活に新たな心配事を見つけていて、忙しいものだなと思った事があります。

「結婚って夢が叶った幸せを堪能すればいいのに」って言っても、
幸せとは程遠く、もう次の心配をしている状態です(苦笑)

私もずっとこの「~たら幸せになれる」という法則を握り締め、
幸せを探し追い求めていました。

それが崩れたのは、家族を失ったことでした。
失くして初めて気づく愚かさを知りました。
私は既に幸せだったのです。

追い求めていた幸せは、既に私の毎日の生活の中にあったのです。

「神は小さきものに宿る」

と言いますが、決して非現実的なところではなく、毎日の現実の生活の
様々な面に神は存在していて、そこに幸せがあることに気づきました。

グッと握り締めて、幸せは空の上にあると信じ、空ばかり見上げていたけど、
その手のひらを開いたら、そこに幸せがあった。という感じです。


また、目標に向かって突っ走っていたその時にこそ、結果ではなくその途中にこそ
大変な反面、喜びや学び、また苦しいと思った中にも幸せがあったのです。

今は当たり前のことなどないと思っています。
この世に生まれてきたのも、また今生きている事自体当たり前ではありません。

他の動物と違って、人間は成人するまでにとても長い年月がかかります。
また、一人で自分のことができるようになるまでも、年月が必要です。
今大人になって生きているということは、たくさんの愛を受け、
自分を面倒を見てくれた、生かしてくれた人がいたという証拠です。

そして今ここに存在しているのは、ご先祖様が命のリレーを絶やすことなく
つなげてくれたからです。
そして守ってくれているからです。


既に今幸せを与えられているのです。
それに気づける人が幸せなのでしょう。

幸せは追い求めるものではなく、今感じるものです。
それに気づくと自然に「ありがとう」という感情がわくのだと思います。


今このブログを書いていて思いだした私の好きな曲の一つです。
ヒップホップ苦手な人はごめんなさい。

サンキュー!!HOME MADE 家族 PV

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後悔と見返しの違い
「もしあのとき、違う道を選択していたら、どうなってたかな?」
「学生時代つきあっていた彼と結婚してた方が幸せだったんじゃないかな?」

という友人がいます。

人生とは選択の連続で、それが連なって今に至っていると思います。

私自身の人生を振り返ってみても、大きな分岐点だったなと思う所があります。

若い時に失敗したと落ち込み、どうしようもないと思うし、他人に励まされても、
ぐずぐず、ぐずぐず、あの時何故この選択をしたのだろうと後悔した事があります。

1年位後悔していたと思います。
でも後悔しても、後悔しても、その時には戻れない事が分かりました。
そんな当たり前の事と思われるでしょうが、私はやっと分かったんです。
いくら後悔しても、どうしようもならないんだって。

それから、私は過去に対して後悔することはなくなりました。
今の自分から見ると、過去の自分の選択ややった事に対して、色々思う事はあります。
でも、その時の自分が一生懸命考えて選択した事だし、
その経験があったからこそ、今の自分に至ったのだと思うのです。

そして先に後悔しないように、自分がしたい事はしておこうとできる範囲でしています。
両親の死を見て、初めて死を近くに感じ、私もいずれ死ぬんだという事が分かりました。
死ぬ時に父のように「他人にどう思われようとも、自分にとっておもしろい人生だった」
と思いたいのです。

でも後悔はしなくとも、その経緯や結果がどうなったかは見直します。
そしてその中にあった問題点や原因を探って、
もし自分を変える事ができる事であれば、変える努力をしたり、
原因を分析してみて、その因果関係を考えたりします。

これはミステリーの謎解きのような面白さもあります。
全部相手や人のせいと思っていた事が、なぜか同じ事が人を変え
私に起こっていることもあります。
その中で、パターンが見えてきたり、自分の隠された考え癖も気づけたりします。
感情を伴なう事もあるので、その時は我慢せずに解放します、
泣くという行為はとても癒しの効果もあり、素晴らしい浄化効果だと思っています。
人間は我慢せず吐き出す事で、救われる事も多いのではないかと思います。
悔しいなどの怒りの感情は、何に対して怒ったり悔しいと思っているか
感情に振り回されて、その原因を自分自身よくわかっていない事が多いのですが、
冷静になって見直すと、新たな自分の面を発見できたりします。

このように私は後悔ではなく見返しをします。
この2つは大きな違いだと思います。
後悔が後ろ向きだとすれば、見返しは前向きな行為だと思うのです。

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言霊とすりこみ
私の愛するパートナーが禁煙をした。
未成年の時から(本当はそんな事はよくないが・・・)約20年間愛煙家だった。

TASPO導入の時も、度重なる値上げでも、親兄弟、会社の人が禁煙しようとも、
「俺はやめない。」と、一切やめる気配もなかった。
そして、禁煙失敗した人をあざ笑っていた(苦笑)

私はそんな彼に禁煙を勧めていた。
「百害あって一理なし。」
「体の不調の原因もその一端はタバコにある」
「やめたら、ニコチンの禁断症状でイライラしなくてすむよ。」
「やめたら、吸う場所や買う所含めた煩わしさを考えなくてすむよ」
などと、飽きることなく1年365日毎日毎日、約3年間言っていた。

「あーまたか。また始まった。」
と全然効いてもなく、挙句の果てには、笑いを交えた
毎日のやり取りのお約束みたいになっていた。(苦笑)

すると、今年に入り彼が急に禁煙をした。
きっかけは、年はじめに扁桃腺が腫れ、発熱した事だった。
そのまま、約1ヶ月禁煙が続いている。
それまでも発熱したり、体調を崩す事はあったが、タバコは吸っていた。

「急にどうしたの?」と聞くと、
「んー??自分でもよくわからない。ちょっとやめてみようかなと思って。」
と言って、体調が良くなるとタバコが欲しくなる時もあるらしいが、やめている。

私は内心、言霊+すりこみ作戦が成功したのではないかと思っている。
彼も「毎日の言霊作戦の効果かな~??」などと言っているが、
毎日の私の言葉の「すりこみ」の効果もあるのではないかと思っている。
一回でガッツーンと強く言うよりも、毎日毎日言って、
すりこんでいく方法は効果は高いのだと思う。

現在、教育心理学の世界で、「ほめて伸ばす」が今の主流になっているらしい。
ほめることで成績が伸びる事を「ピグマリオン効果」というそうだ。

毎日「お前はできない、ダメな子だ」と言われるのと、
毎日「よくできたわね。頑張ったね」と言われるのでは、
言われた本人のモチベーションや自己評価も変わるだろうし、
まして何年も言われ続けた結果は、大きくその人格は変わってくるのだろうと思う。

「ありがとう」や「ありがとうございます」という言葉には、
不思議な力が宿っていると言われている。
「ありがとう」の波動は粒子も細かくきれいな波動とも言われたり、
「ありがとう」を言い続ける事によって、色んな体験をされたという人もいる。

これも「ありがとう」と毎日言っているうちに、その言霊が心にすりこまれ、
感謝の心が芽生え、その感謝の念の波動に対応して、感謝するような現実が起こるのではないかと思う。

私も含め人間は、ダメな面、足りない面などマイナス面に気づきやすく、
またその事を修正しようとする傾向が強いように思うが、
いい所や足りている面などプラス面を見つけて、
誉めたり感謝する言葉も使いたいものだ。

今、私は禁煙できた彼を毎日誉めまくっている(笑)

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外見にこだわりすぎるあなたへ
20代の頃、私はとても外見を気にしていた。
アパレル業界にいて、仕事柄求められた事や、周りの人が皆きれいな上に
おしゃれで、その影響を受けたこともあると思う。

だから、生活費以外のお給料のほとんどが洋服やファッション関係、
また化粧品やエステ代にとんでいた。
その時は正社員で働いていて、ボーナスもきっちりいただき、
毎月の給料以外に報奨金などももらっていたので、
収入は多かったのに、いつも足りないと思っていた。

それで、流行のファッションに身を包み、ダイエットして、
エステで体を磨き、顔に化粧品を塗りたくっていたものの、
自分に自信がなかった。

自分よりもきれいな人を見つけては、比較して
「あー自分は不細工だ。」と思うのだ。
自分よりスタイルのいい人を見つけては、比較して
「あーもっと痩せなければ。」と思っていた。

人に「細いですね~」とか「かわいいですね~」と言われても、
この人は私を馬鹿にしているのかと思ったこともある(苦笑)
なんとも自分でも歪んでいたな~とつくづく思う。

その反面、自分の方が優れていると、
見た目で判断して、人を見下していた自分もいた。

そして、よく職場のきれいな人達と出歩いていたので出会いは多いし、
付き合う事になった人もいたが、浅い関係のままで続かなかった。

好きな人が出来て、その恋が成就しても、
もっときれいな人がでてきたら、ふられるんじゃないか?と心配し、
彼に「好きな人ができた」と言われてふられると、
「やっぱり。私の勘があたった」
とまた美容に力を入れるといった具合だったからだ。

相手が外見ではなく、そんな私の内面に嫌気がさしていることに
その時は気づかなかった。

その後、自分が体調を崩したり、両親が病気になったりして、
美容どころではなくなり、出歩くことも少なくなった。
恋愛よりも、両親のことの方が私には一大事になった。

そして両親を見送り、外見より自分の内の心に、興味の矛先が変わった。
仕事も変わった。

健康第一と思って好きなものを食べるようになった。
外見は、その当時よりも太って、お化粧も薄くなり、年も重ねた。
ファッションも流行も気になるが、自分が好きで心地いいものを着るようになった。
誰かと外見を比較することも少なくなった。
自然体の自分自身を少し認める事ができるようになった。

そしたら、全部含めて私を愛してくれる人に出会った。

知り合って8年になるが、その間にいっぱい嫌な面を見せた。
泣きながら自分勝手な意見をぶつけた事もある。
自分の問題を、相手のせいにして責めたこともある。
うまくいかず、八つ当たりした事もある。
失敗して落ち込んでメソメソしている面も見せた。
アレルギーで真っ赤に腫れ上がったひどい顔も見せた。

それでも、そんな私を全部受け入れて、その上で包み込んでくれる。

私はその人に育てられている。
色んな自分を一つ一つ許していくことができる。
色んな自分を好きになっていくことができる。

自分ひとりで全てを抱えこんでしまう癖が治ってきて
頼ることを教えてもらえた。

そうすることで感謝する事が増え、感謝が深くなった。
自分の小ささや弱さを認めることができた。
そしたら、もっと人に優しくできるようになった。

人間のさまざまな「真理」の根源は「真・善・美」といいます。
もちろん外見の美も大切だと思います。でも、

外見の美にこだわりすぎると、自分で自分を苦しめるばかりか、
本当に大事なものを見逃すことになるかもしれません。

自分を向上させる努力は必要ですが、
そこにある自分の心の闇に光をあてることも必要かもしれません。

あなたが本来のあなた自身を認めたときに、そのあなたを認めてくれる人を
引き寄せるのかもしれません。


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攻撃することは攻撃されること
アルジェリア人質事件で、現在外国人の犠牲者は8カ国37名と発表されていて、
日本人7名も犠牲になっている。
心からご冥福をお祈りいたします。

本当にとても悲しいことだと思う。

この地球を人間の体、私達一人ひとりを一つの細胞と例えると、
同じ体の一部である細胞がその他の細胞を攻撃してるように思える。

そして攻撃すればするほど、その体は弱っていき、
回りまわって自分まで被害を受け弱ってしまう。

それでもやめずに攻撃をし続けると、その体は死んでしまうかもしれない。
そうなると、必然的に自分も死んでしまうわけだ。

人を攻撃するという事は、そう考えると結局は自分自身を
攻撃することになるのかもしれない。
その原因が何であれ、誰かを攻撃することは、
自分を攻撃し、傷つけていることになるのだ。

こういう報道が出ると、私はブルーハーツの「青空」を思い出す。

THE BLUE HEARTS 青空(you tube)

「生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」
という言葉には、大きくうなずかされる。
本当にいい唄だと思う。

またブルーハーツの「チェインギャング」も好きな唄の一つだ。

THE BLUE HEARTS チェインギャング(you tube)

「・・・世界が歪んでいるのは僕のしわざかもしれない
・・・・キリストを殺したのはそんな僕の罪のせいだ」
という歌詞がある。

それを傲慢ととる人がいるかもしれない。
でも、私は体の一部である細胞の自分が、その体に影響を与えているという意味だと思う。
一人ひとりが、その体を創り上げいる大切な一部なのだと。

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マザーテレサの話
以前友人から聞いた話だが、

友人の知人がマザーテレサの生前、その活動に参加しようと行った時、
マザーテレサから家族、友人、故郷があるかと聞かれ、あると答えたら、

「ここでなければ活動ができないわけではありません。
あなたはあなたの場所で行いなさい。
まず、あなたの家族、友人、故郷の為に活動しなさい。
そこから広げていきなさい。」


というような事を言われたらしい。

私はクリスチャンでもなく、真言宗の檀家だが、宗派は違えど、
マザーテレサという人物は、本当に素晴らしいと思う。

ついつい、足元を見ずに周りばかりを見てしまう事や、
日々の細々した目立たない事より、目立つ大きなものに
目はいきやすくなる。

そして、日常の事はつまらない事のように思えて、非日常のことが
特別な事のようにキラキラ光って見えることもある。

でも、その日常にも色んな素晴らしいことが隠されている。
当たり前なんてことは本当はないのだと思う。
その日常の中でキラキラを見つけるようになりたいものだ。

「天下を平定したければ、まず国を治めよ。
国を治めたければ、まず家を整えよ。
家を整えたければ、まず身を修めよ。」

という言葉がある。

遠い人の事も気になるが、それよりも近い人。
近い人も気になるが、まず整えるのは自分自身なのかもしれない。

もちろん、ボランティア活動を海外でされている方は
素晴らしい活動をされていると思う。
また、大震災の後、風化させないようにと、
支援をされている方も素晴らしいと思う。
原発反対の運動をされている方も素晴らしいと思う。

また、家族の為に頑張っている人も素晴らしい。

そして、自分の為に頑張っている人も素晴らしいのだと思う。

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自分を殺さないでほしい話
自殺した学生の報道が続いている。
とても悲しい事だ。

あなたが生きているだけで、存在しているだけで、
友人や家族の為になっているのに・・・

報道されていなくても、自殺をしている人は意外に多い。
警察庁統計資料では、平成10年以降毎年3万人以上の人が
自殺で亡くなっている。
実際には、ご家族が隠されるケースもあるのでもっと多いと思う。

私の母もうつ病が激しくなって、自殺未遂をしようとした事がある。
私自身も死にたいと思った事はある。
その理由はお金の問題だった。
思ったものの、怖くて死ぬ事なんてできなかった。
今になって、振り返ってみると人生なんとかなるもんだと思う。

死ぬ勇気のある人は、本当にすごい勇気だと思う。
あんな怖い事ができる人なんだもん。

色んな理由があるんだと思う。
その人によって、皆それぞれの物語があって、そして
選択肢が死しかないと思ってしまうんだと思う。

それでも、やはり自分を殺すのはもったいない。
せっかく、自分が望んで望んで、頼んで頼んで、やっと手に入れた人生だもん。
自分で計画したその人生の旅は、最初は苦難の障害コースにしておいて、
その先にはパラダイスのようなお楽しみを用意しているかもしれない。

永遠に続く事は、楽しいこともないが、苦しいこともない。

それにそこで終わると×な出来事かもしれないが、その後時間を経てみると
オセロのようにひっくり返って○な出来事に変化していることもある。

だから、途中止めなんて、そんなもったいないことはしない方がいいと思う。
忘れてるだけで、自分が望んできた所なのだ。
そして、その体験も自分に必要な体験なのかもしれない。

私もいじめられた経験があるから、家族に言えない恥ずかしさとか、
情けなさとか、どうしようもできず悩んでいる自分のふがいなさとか、
どうせ言ったって誰も分かってくれない。って思いは何となく分かる。
毎日続くと想像するだけで、絶望的になる気持ちもあると思う。
でも自分を殺すよりは、そんなかっこ悪い自分を見せた方がいい。
できる事をした方がいい。もがいた方がいい。逃げた方がいい。
人間格好悪い所見せないように頑張ってるけど、そんな皆格好いいもんでもない。

母が亡くなった時、母の弟をはじめ色んな人に、
ずっと母にかかりっきりで看病をしていた私へのねぎらいの言葉として
「良かったな。これでお前も自由になって、自分の人生が歩けるな~。」
と言われた。
その時は「ありがとうございます」なんて言ってたが、
「全然いいわけない。お母さん、生きているだけでいい。
生きているだけでいいからこの世にいて欲しかった」
と思っていた。(これは完全な私のエゴだが・・・)

いつもえらっそーに怒ったり文句言ったりしていても、家族はあなたを必要としている。
どんな状態であろうとも、あなたが生きてくれているだけで喜ぶ人がいるのだ。

役に立つという事を抜きにして、必要としてくれる人はいるのだ。

このブログも役に立たなくてもいいから、必要な人に届けばいいな~。

読んでいただいてありがとうございます。
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忘れられない言葉
誰でも忘れられない言葉があると思う。

私の忘れられない言葉は、両親の死後、友人が言ってくれた言葉だ。

その友達は学生時代の友人で、卒業後、
県外に就職した私の所に遊びに来ているうちに、
転職が決まって一緒に住むことになり、約半年位一緒に暮らしていた。

仲良い分、言いたいこともお互いに言い合い、思い切り喧嘩できたのは、
前にも後にもこの友達だけだと思う。
一時期は大喧嘩して、数年音信不通だった時期もある。

両親の死の時、その友人は結婚し県外に住んでいて子供も小さかった。

その当時、私は一人の時はよく泣いていたが、外ではいつも笑顔でいた。
誰もがどう言葉をかけたらいいかと戸惑うような、
困ったような顔をするのを、かき消したかった。
同情されるのも嫌だった。
だから心は辛くても、顔は笑っていた。

兄は自己中心的な子供のような人で、
生前、両親からは「兄とは関わるな」と言われていた。

「人間死んだら終わりだから、供養なんか必要ない。
そんな事に使うお金があれば出せ。」
「長男だから、土地は全て相続する」
とお金は全部持って帰るが、細々した雑用や手続き、お金にならない事、
反対に費用が必要な事は一切やらないといった徹底振りだった(苦笑)

でも大きな悲しみや辛さを兄も感じていて、私に当り散らしていた。
ちょっとした一言で怒鳴られ、殴られるかと思った事も何度もある。
なぜ怒るのかと聞くと「言い方が気に入らない」とか、
「お前がいらん事言う」とか、はっきりした理由は分からなかった。
相当苦しかったんだろうと思うが、その当時悲しい上に
私も残った唯一の家族に理由も分からず、怒鳴られまくるのだから辛かった。

父が死に、その後母が死んで、兄もそんな風だったから、
悲しみと寂しさからその友人に弱音のメールをしてしまった。

「独りぼっちになっちゃった。
これからどうやって独りで生きていけばいいんだろう。
悲しくて、寂しくて、涙がとまらない。」
といった内容だったと思う。

その返信が
「何言ってんの。
皆がどれだけ心配してると思ってるの。
一人で全部抱え込んで、なぜ友達を頼ってくれないの?

そりゃ、私たちは頼りないかもしれない。
仕事があったり、子育てがあったり、県外に住んでいたりして、
すぐにかけつけれないかもしれない。
でも、本当に○○ちゃんが困ってたら、どんな事があってもかけつけるよ。
頼りないけど、私たちにできることがあったらする。

だから二度と独りぼっちになったなんて言うな!
独りぼっちなんかない。
絶対独りぼっちなんかじゃない!」

それを読んで、悲し涙が嬉し涙に変わった。
本当にその気持ちが嬉しかった。

山は山を必要としない。しかし、人は人を必要とする。

今年ひいたおみくじに書いてあった言葉だ。

読んでいただいてありがとうございます。
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フランクル心理学
フランクルという心理学者をご存知ですか?
「夜と霧」の作者です。
アメリカで「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテン入りし、
皇室の紀子様が推薦図書としてご紹介されていました。
「神様のカルテ」の主人公の妻のハルの好きな本としても出てきました。

ユダヤ人のフランクル自身の強制収容所での実体験に基づいた話です。

「冷静な心理学者の眼でみられた、限界状況における人間の姿の記録である。
そしてそこには、人間の精神の高さと人間の善意への限りない信仰があふれている。」
と、あとがきにはありますが、
人間の精神の高さも描かれていれば、人間の欲や卑劣な行為や悲惨な状況も描かれているし、人間の善意も描かれていれば、悪意も描かれている作品だと思います。

有名な本ですが、知らない方はこちらから
「夜と霧」 新版 ヴィクトール・E・フランクル

フランクル心理学では

「人生が人間へ問いを発してきている。
したがって、人間は人生の意味を問い求める必要はないのである。
人間はむしろ、人生から問い求められている者なのであって、
人生に答えなくてはならない。
人生に責任を持って答えなければならない。」

私達は人生からの問いを聴き取り,それに答えることに全力を尽くさなければならない。
人生からの問いは、各人の足下に絶えず送り届けられていて、
その人に見出され実現されるのを待っている。というのです。

どんな時も人生には意味がある。
なすべきこと,充たすべき意味が与えられている。


自分の夢は何か?
自分のしたいことは何か?
私の人生の使命は何か?
の自己実現をめざすやり方では、慢性の欲求不満を避けられません。
自己実現できない時に、自分を責めたり、自信喪失してしまうこともあるでしょう。

「私は、この人生で、今、何をすることを求められているのか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人はどこにいるのか」
「その誰かや何かのために、私にできることには何があるのか」
 

この3つの問いを絶えず念頭に置いて、毎日生きることで「なすべきこと」の手がかりになるとフランクルは言っています。

私の人生を、この考え方で振り返ってみた時、あてはまることがあります。
自分の想いとは別に、人生の流れや出会いを感じずにはいられない事が
とても多いのです。

その時には「なぜ、こんな目に私だけが合うんだろう」ともがく事もありますが、
後で考えると「なるようにしてなった」とか「あの経験が今の自分に必要だった」と
思うことも多いのです。

私は自我が強く、したい事を見つけるとやってみないと気がすまない性格でもあります。
何か目標を見つけると、それに向かって全力でやっていく所があります。

そしてその目標を達成したり、結果を残した事もあるのですが、
「私何してるんだろう?」というむなしさを覚えた事があります。
自分は何のためにしてるんだろう?と、いつの間にか焦点がずれて
結果ばかりを追い求めていた事もあります。

だからこそ、このフランクル心理学の考え方に共感する事があります。

その時、その時に自分に投げかけられる人生からの問いに、
「これは自分に何を気づけということなんだろう?」と
自問自答しながら答えを見つけたいものです。

この間、録画していた「自虐の詩」の映画を見ました。

「幸や不幸はもういい。どちらにも等しく価値がある。
人生には明らかに意味がある。」


といったセリフがあったのですが、いい言葉だな~と思いました。
思わず、いっぱい泣いてしまった映画でした。

自虐の詩

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自分の波動
色の勉強をして、色には波動があり、人間にも波動があるということを知った。
という事はすべてのものに波動があるのだ。

波動は目に見えない。
でも、きっと皆感じて知っているものだと思う。

人間関係においても、この波動はとても関係している。
波動の合う者同士は引きあい、合わないものは反発しあう。
「共通の趣味もないけど、一緒にいるとほっとする」人や
「別に何が嫌って訳ではないけど、会いたくない」人などいると思う。

それは理屈ではなく、感覚だ。

自分の波動が高ければ、波動の高い人や物事を引き寄せる。
自分の波動が低ければ、波動の低い人や物事を引き寄せる。

全て自分の波動が問題になる。

自分の波動は一定でいつも一緒ではない。
変化する。

私の人生を振り返ってみると、

お金を稼ぎたいと思っていた時には、お金を稼ぎたい人とたくさん知り合った。
相手にのって得したいと思っていると、私を利用して得したいと思っている人が集まってきて、結局損をした(笑)
人に対して依存心が強い時には、私に依存しようとする人が寄ってきた。

無心に誰かの健康と幸福を願っていた時には、見返りを求めず私の力になってくれる人が現れた。
自分より相手を想い必死に看病をしていた時には、私を支えようとする手が何本も差し伸べられた。
与えられる事より与える事のみを選んだときに、結果たくさんのものが与えられた。

「自分の波動に反応した同じ波動の人と出会う」
「与えるものが、与えられる。」

この2つは私はこの世の法則なのではないかと思う。

いい友人がいないと嘆くなら、自分もいい友人でないかもしれない。
楽しい事がないと嘆くなら、自分が楽しんでいないのかもしれない。

「いい友人」が欲しいなら、自分が望む「いい友人」に自分がなればいい。
「楽しい」事によってきてもらうなら、「楽しんでいる」とやってくる。

その自分の波動が、同じ波動の人や物事を呼び込むのだ。

現実が○○だから、自分はその現実に対応して○○している。のではなく、
自分が○○だから、現実がその自分に対応して○○になっている。のだと思う。

でも、自分は悪い想念も邪心もなく、よかれと思ってしているのに報われない。という人がいるだろう。
この世で、ここまで苦しい現実を引き寄せるほど悪い事はしていないという人は、それは浄化しているのだ。(もしくは陰徳

魂にたまった汚れ落としをしているのだ。魂のデトックスだ。
覚えていないだけで、自分でこの世に生まれてくる時にきれいにしたいと思って決めてきた浄化だ。

お金を騙し取られた。
相手のためを思ってした事を怒られた。
何も悪い事をしていないのに、いじめられた。etc...
それはよかった。
相手はあなたの浄化や陰徳のために悪役として一役かってくれたのだ。

だから心配することはない。
デトックスが終わると、それからは、自分の創った因に対しての結果が自分に訪れる。
デトックスではなく陰徳が目的の人は、魂の貯金が貯まっている。

喜怒哀楽の感情全てが○なのだ。その全てを体験したくて、私たちはここにいる。
だから、変化が訪れ、これらの感情全てを体験できるプログラムを自分で組んできている。


サスペンスでも手品でも、種明かしされて見るほどつまらないものはない。
知らないからこそ、楽しめたり、ドキドキしながら見つけていくことの中に喜びがあるのだ。
この世の人生も一緒。知らないから、気づける事や分かることも多いのだ。
だから自分で書いた青写真やプログラムを忘れて、この世に生まれてくる。

そのプログラムは、生きている間にカスタマイズ可能だ。
ゲームのように自分の頑張り次第で、次のステージに早くいくことも可能だろう。
いくつかの選択肢の中から、道を選ぶ事もできるだろう。
ただ、自分の決めたテーマは自分が気づくまで、いくら逃げても手を変え品を変えやってくる。
それなら覚悟を決めて、早めに取り掛かった方が身のためかもしれない。

今のあなたはどうだろう。
いくら取り繕ったり、偽っても、あなたの本当の気分、気持ち、想い、感覚、感じ....
それがあなたの波動に大きく関わっている。

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天国と地獄の食事
天国の人は満たされていて、ふくよか。
地獄の人は満たされず、ガリガリで、痩せこけている。

そんなイメージはないですか?

こんな話を聞いた事があります。

天国も地獄も食事方法は一緒なのだそうです。

その食事方法とは、
丸い大きなお釜にたくさんのご飯があり、その周りに長い長いしゃもじが何本も置いてあります。

天国の人は誰かがご飯を食べたそうにしてると、その長いしゃもじでご飯をすくって、その人の口元に持っていき食べさせるのです。
その人がお腹いっぱいになるまで、繰り返すのです。
今度自分が食べたいときは、誰かがその長いしゃもじで自分の口元にご飯を持ってきてくれます。
だから、皆いつもお腹いっぱいで、ふくよかなのです。

地獄の人は、そのお釜に入っているご飯を、誰にもあげずに独り占めしたいと思います。
だから、その置いてある長いしゃもじを使って、自分の口にご飯を入れようと試みます。
でも、しゃもじが長すぎて、自分の口元にはご飯は持っていけず、結局食べる事ができません。
皆が皆、自分だけ食べようとして食べれないので、痩せこけているのです。

私たちが住んでいるこの世界は、どちらの世界でしょう?
どちらの世界に住みたいですか?
私は天国に住みたいと思います。

私は今天国の人だろうか?
地獄の人になっていないだろうか?
いつも自問自答です。

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うつ病について
うつ病というと、特殊な人がなるというイメージがある人もいるかもしれません。

でも誰もが何かの出来事で気分が沈んだり、悩んだりすることはあります。

現在うつ病である人は約20人に1人。
一生のうちにうつ病になったことがある人は約7人に1人。

と言われています。
実際に病院に行っていない人の人数も含まれている数です。

これは誰もが、何かのきっかけでなる可能性があるという数字だと思います。

また、うつ病になりやすい人の性質として

・真面目で几帳面
・勤勉・すごい頑張り屋さん
・責任感か強く、律儀
・秩序を重んじる

などが挙げられています。

これは日本人の美徳とされている面でもあります。
「人に迷惑をかけてはいけません」と小さい時から教育されている私たちの大半は、資質があると言う事です。

空気を読んで気遣いが出来、頼みごとをしたらNOと言えず引き受けてくれたり、自分以外の皆の事も考えてくれたり、不平不満も言わず頑張る「いい人」がうつ病になったりします。

今の社会は「まっとう」な人が生きにくい社会なのかもしれません。

あの世は天国から地獄まで、たくさんの段階に分かれているといいます。
この世はその天国から地獄までの色んな段階の人が、交ざりあって暮らしているといいます。

地獄の人は、力で人を支配しようとするでしょう。
強欲で人が損しようとも自分が得をしたいと思うでしょう。

天国の人は、優しさや愛が強く、力に頼らないのでしょう。
自分より相手のために尽くしたいという気持ちがあるでしょう。

この世は地獄からきた人が力で支配して、天国からきた人は生きにくい世界なのかもしれません。

でも皆、この世に生まれ、色んな体験をしたいと思って、自分で望んできています。
プログラムも自分で計画して生まれてくるといいます。
生まれる家と親を選び、そのご先祖にお願いして生まれてきます。
そしてこの世で自分が学ぶテーマも、自分で決めます。
この世で自分に起こる事は、すべて自分が計画した事なのです。
なぜ、生まれてくるかというと、体験を通して、自分の魂を磨くためなのです。

だから、うつ病になっている人は
頑張りすぎたなら、休みましょう。
言えなくてたまった思いがあるのであれば、少しずつでいいから吐き出しましょう。
憶測で終えずに、気になる事は相手に聞いてみましょう。
決断は先延ばしにして、自分のペースですごしましょう。
一人で抱え込まず、人に相談してみましょう。
できることから片付けましょう。
ポジティブ信仰を捨てましょう。ポジティブも○ネガティブも○なのです。
何事も完全は不可能です。完璧主義を手放しましょう。

後で振り返ったとき、
うつ病になったからこそ、本来の自分に気づけた。
うつ病になったからこそ、教えられる事があった。
うつ病になったからこそ、人の優しさを感じれた。
うつ病になったからこそ、家族の絆が強くなった。

という事もたくさんあります。

うつになることは悪い事、無駄な経験では決してないのです。

この世に無駄な経験など一つもないのです。

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夢がないあなたへ
夢がないあなたへ


何をしたいかわからない

何が自分にむいているかわからない

どうしたらいいのかわからない

自分の夢がわからない


そう思っている人って、実はいっぱいいっぱいいる。

でもわからないのってそんなに悪いこと?

それは自分を決め付けず、色んな可能性の窓を広げてるってこと。

夢までの途中ってこと


したいことは分からなくても

これはしたくない。

これには興味はない。

ってことはわかるはず。


じゃ、それ以外のことで身近なことをしてみればいい。

できる範囲でゆっくりでいい。

大きなことでなくてもいい。小さいことでいい。


やってみなきゃ、わからないことっていっぱいいっぱいある。

「よし!するぞ!」って気合いいれなくても

ちょっとやってみよっかな~ってはじめてみればいい。


どこに何が隠されているかわかんない。

それは考えても考えてもわかんない。

考えるのではなく、感じるもの。


もしやってみて「おもしろくない」と思えば、それは違うってわかっただけ。

自分のしたい事じゃないってわかって、一歩前進。


動いて、動いて、自分になる。

そうやって止まっていたエネルギーが風となり、それはある日やってくる。


あなたに見つけてもらいに、やりたい事はやってくる。

時間を忘れてできること。わくわくしながらできること。

それを一生懸命してるうちに・・・

気づくと、それが夢になっている。


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夢について
テレビで「夢を語る人に対して、そんなの無理だとか甘くないとか言う人はやめてほしい」という投稿に対して、今人気のある二人がコメントするのを見た。

コメントの内容は
「そりゃ言うよ。近ければ近い人ほど心配して言う。」
「でも実際に夢に向かっていっていて、現実と刷り合わせしながら変わって行く」
「メダリスト達の夢は叶うって言葉を鵜呑みにしてるのかもしれないけど、メダリストの言葉の裏には過酷で想像を絶する努力がある」
と、他にもあるがこういったことだった。
まことにそうだと思う。

それを聞いて知人の娘さんを思い出した。
幼い時、近所の子がしていたのを見て習いたいと言い出し「クラシックバレエ」を習いだし、その後大人になり東京のバレエ団のプリマ・バレリーナとして踊っていたのだそうだ。
私はその世界には疎いので、よく知らないが、そのプリマ・バレリーナになるのはすごい事なのだそうだ。

その知人は天然で、適当なゆるーい人で(笑)聞くと娘に練習しろと言った事はなく反対に
「そんなにバレエばっかりしないの。」
「バレエの練習ばかりせずに、友達と遊びなさい」
「おいしいスイーツ買ってきたから、食べましょう」
「バレエばかりせず、恋愛しなさい。好きな人いないの?」
と、小さい時から大人になるまで言っていたらしい。

そしていつも娘に
「いや、バレエ以外の他のことは興味がないからいい」
と言われ、学校以外の時間は全てバレエの練習をして、食事も、母親がそんなだから(笑)自分で管理していたそうだ。

「好きこそものの上手なれとも言うが、まあわが子ながらよくやる」と知人はあきれていた。
その子の夢はプリマ・バレリーナだったらしいから、夢は叶ったわけである。
夢を叶えるためには、誰に何を言われようが折れない心(信念)と、それに与えるエネルギーが必要なのだなと思う。

それでも最後の最後は才能の違いが出る事もあるだろう。
決して自分の思い通りに叶うとは限らない。
でも、それだけ頑張ることができた過去の自分は、その後の人生において、何かあったとき必ず助けてくれると思う。自分に自信をあたえてくれたり、心の支えになってくれたり、後押しもしてくれるだろう。
以前武田鉄也さんが「自分を励ましてくれるのは、過去の自分だけだ」と言っていたが、それはあるな~と思った事がある。

私は夢のある人はいいな~と思う。
本気の分、悩んだり、壁があったり、それを乗り越えるためのエネルギーはいるだろうが、それでも夢のある人はいいな~と思う。
期待と失望は1セットなので、期待した気持ちの分、そうならないと失望するが、そんな経験を経て達成した時の喜びは人一倍だろうと思う。

また、小学校、中学校、高校、大学、就職、就職後・・・と夢が変わっていくのは当たり前だと思う。
最初は井の中の蛙で、世界がとても狭いので、職種にしても知らない事が多い。
今、ネット社会になって色んな情報が入るようになっても、身近な事と遠い世界の事では感じ方も違うと思う。
成長と共に世界が広がり、色々な事を知るようになるのだから、変化するのは当然だと思う。
また、これが夢と思っていたことが、実際にしてみると「ん?何か違う」と思うこともあるだろう。
また、その夢を叶えたくてチャレンジしても届かない事もあるだろう。
それでも、夢があるのはすばらしい事だ。

今私たちの見ている全てのものは、誰かの夢から始まっているのだと思う。
あふれている物についても誰かが「こんなのがあればいいな」と思ったところからスタートしているし、この世界は全て私たちの思いでできている。
だったら、一人ひとり、いい思いでつくりたいものである。

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悲しみの5段階
私は海外テレビドラマが大好きです。
捜査系では「メンタリスト」「フリンジ」「BONES」「lie to me」「CSI」「クリミナル・マインド」「NCIS」「ホワイトカラー」「キャッスル/ミステリー作家のNY事件簿」「NIKITA」など
コメディ系では「gree」「アグリベティ」「デスパレートな妻たち」「SEX AND THE CITY」「ブラザーズ&シスターズ」「私はラブリーガル」など
医療系では「Dr.HOUSE」「グレイズ・アナトミー」などなど・・・

それらのドラマを見ているときに、悲しみの5段階を言っていました。
一つはフィアンセを事故で亡くしたお葬儀の場面。
もう一つは本人が原因不明の病気にかかった時。

「悲しみの5段階」

①否定・拒否
②怒り
③あがき
④絶望
⑤受容

これを聞いてなるほど!ととても納得しました。
今までの人生で、悲しみを受けたとき、照らし合わせると、実際この段階を経たからです。

例えば、両親の死や、自分の病気、失恋や仕事での移動、人間関係など・・・

悲しみを忘れるためには、ある程度の時間が必要です。
家族や親しい人が亡くなったり、失恋・離婚などの悲しみを経験すると、この精神的プロセス(段階)を誰もが経験することになります。

この段階をトントントンと進める人もいれば、一歩進んで二歩戻る人や、そのスピードは違うでしょうが、最後にはこの5段階を全て体験すると思います。

最後の「受容」は「受け入れる」ことで「あきらめる」こととは違います。
全てを認識した上で、我慢せず受け入れるということです。

そうすると今までは自分ひとりで抱え込んでいた苦しみや悲しみも、表面に出していけるようになり、自分を苦しめていた枠が解き放たれ、癒されるのではないかと思います。

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こころの元気をなくしてる人へ
ちょっとこころの元気がなくなることって、ありますよね。
人間関係(会社・家族・友人)・失恋・離婚・転職・病気・近親者の死や病気・これからだと卒業や入学・引越し・就職など、ストレスによって、心身が疲れたり、ショックを受けることって、誰にでもあります。

ストレスは誰にでもあり、少々のストレスはチャレンジを続ける人にとってやる気を増し、パワーを高める事にもなります。
それでも、ストレスが強いと、元気がなくなってしまうこともあります。

認知行動療法というものを知っていますか?
認知とは「現実の受け取り方」や「ものの見方」です。
この認知に働きかけて、こころのストレスを軽くしていく治療法を「認知療法・認知行動療法」といいます。

何かの出来事があった時、自動的にうかぶ頭に浮かんでくる考えを「自動思考」と呼びます。
「自動思考」が生まれるとそれによって、いろいろ気持ちが動いたり行動が起こります。
ストレスに対して強いこころを育てるために「自動思考」に気づき、それに働きかける療法です。

元気がなくなったり、うつっぽくなると自分を責めたり、自信がなくなったりしますが、自分が悪いわけではなく、自分の考えの中に問題があります。
「人」は変えられませんが、「考え」は変えられます。
自分のストレスを軽くするために。自分の考えを柔らかくします。

私の母のうつ病を考えると、最初はちょっとこころの元気がなくなってる位なんです。
それから、本格的にうつ病になっていくのと、元気になっていくのは、ほんのちょっとの差のような気がします。
母が生きている時にはカウンセリングを探したのですが見つからず、認知療法も知らなかったのですが、もし今母が生きていたら病院でこの認知療法を受けていると思います。

また、うつ病などの病気ではない健康な人でもこの考え方を身につけることで、物事の見方や考え方が変わり、その後の人生に活用して楽に生きていける人も多いです。

家で一人でできる大野裕先生のこころのスキルアップ・トレーニングというサイトがあります。
実は私は活用はしたことがないのですが、この大野裕先生は認知療法で有名な方で、著書も色々出ています。
最初は無料体験もできますし、うつ度(こころの落ち込み度)チェックなどもできるので、興味ある人はどうぞ。

こころのスキルアップ・トレーニング

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色んな自分を発見しよう
人間って、とても多面性な生き物だなと思う。
明るいだけの人や、暗いだけの人もいない。

テレビでお笑い芸人さんのフリートークを聞いていても、仕事でとてもおもしろい人が、プライベートではとても暗いという話をしていたりする。
また、学生の時イケてない、いじめられてたとか、紆余曲折あった芸人さんで面白い人もとても多い。
あのお笑い怪獣と言われている明石家さんまさんも、実母を幼い時に亡くされ、継母との間にできた弟もその後亡くされていると聞いて、座右の銘にしている「生きてるだけで丸儲け」の言葉の重みを感じた。

役所勤めの頭が固く真面目な知人のおじさんで、実は心や魂に興味があったと言って、定年後真言宗の修行に行き、今菩提寺のお手伝いをしたり、八十八箇所の先達などをしている人がいる。

自分の中にも色んな自分がいて、どれだけの自分を探して生かしていくかが、人生の目的ではないかと思うこともある。

一つの性質があると思うと、必ずその反対の性質も自分の中にある。
例えば、
明るい所もあれば、暗い所もある。
おしゃべりの所もあれば、無口の所もある。
社交的な所もあれば、孤独を楽しむ所もある。
女性的な所もあれば、男性的な所もある。

片面だけを自分と認めて、もう片方を認めていなくても、その人の言動や行動には出ている。

光をあてて、自分で認めている所はコントロールできるが、
自分の中にあっても、光をあてず認めていない所は無意識にしぐさや言動、行動の端々にダダ漏れしていて、知らぬは自分ばかりとなる。正に裸の王様状態だ。

例えば、何故か一時は仲良くなっても、人が離れていくという人がいたとする。
その原因は相手にあると当人は思っているが、周りはその理由が本人にあることが見えている。
といった状態だ。
周りでその事を教えてくれる人がいたとしても、自分は意識がないので気がつけず、勘違いされていると思う。
そして、また人を求め、一時的には仲良くなるが、また離れていくという同じ事が繰り返される。

興味ある人は、自分で気づいている性質を紙に書き出し、その反対の性質も書き出してみるといい。
(例)熱い    --- クール
   諦めが早い --- 粘り強い
   おおざっぱ --- 細かい
   現実的   --- 精神的
そこで気づいて、否定していた部分の性質を認めてやれば、恩返ししてくれますよ。

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自分を知る
ジョハリの窓をご存知ですか?

自分の心に4つの窓があるというものです。

A:自分と他人に分かっている部分
B:自分には分かっていないが他人に分かっている部分
C:自分は分かっているが他人には分かっていない部分
D:自分にも他人にも分かっていない部分

ジョハリの窓-Wikipedia

自分が分かっていなくて、他人が分かっている部分が大きいと正に「裸の王様」になります。
人のことは客観的に見えるが、自分のことは主観的なのでわからない事も多いのです。
癖もあります。
実際のクセ(貧乏ゆすり、髪をいじる、鉛筆をまわすetc...)もあれば、考え癖もあります。
癖なのだから、自分では気づきにくいのです。

自分の人生を創っているのは、他人ではありません。自分です。

仏陀は
「他人の過失を見る必要はありません。
他人がした事としなかった事を見るのではなく、
自分のした事としなかった事をみなさい。」
と言っています。

因果応報という言葉があります。
それは自分が創った因に対してその結果が返ってくることです。
自分がどのような因を創っているか、意識していないと、その結果が返ってきているだけなのに、自分がその現実を創っているとは気づかず、繰り返してしまう可能性があります。

よく他人のことばかり言う人がいますが、他人のことは他人にまかせて、自分は自分のことを気にした方がいいのです。

何か出来事が起こって感情がわくと、それを相手のせいだと批判したり責めたりすることがありませんか。
また苦しくなり、落ち込むこともあるでしょう。
その感情は自分の中で創り上げられたものであり、相手が創ったものではありません。
同じ状況でも、人によって反応は違うでしょう。
自分の心が何に反応して、どのような思考を通り、その感情を引き起こしたかが判明すれば、自分の考え癖を知る事になります。

マザーテレサは
「結局は全てが、あなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人との間であったことは一度もないのです」
と言っています。
いい言葉だと思います。

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自分の心を助けるのは自分だけ
苦しいときや、辛いとき、誰かに助けてもらいたいと思った事はないだろうか?
人に話を聞いてもらい、吐き出す事で楽になる事もある
他人の意見や考え方を聞き、気持ちが軽くなる事もある
「がんばれ」と叱咤激励され、元気になることもある
苦しい時、人の手が差し伸べられて、それに救われた事は誰にでもあるのではないだろうか?

私の実家は田舎だ。
近所には年寄りも多く、おばあちゃんやおじいちゃんで体が動く人は大体畑や田んぼをしている。
自然の森羅万象の中に毎日身を置いているその年寄り達は、学歴などないがいいことを言う。
特におばあちゃんはいい事を言う気がする。

父が亡くなった時に、色んなおばあちゃんが励ましの言葉をくれた。
「何でかな~。昔からええ事がある前には悪い事があるんじゃ」
「なげーこと生きとるがな、やまん雨は見たことがない」
などなど・・・

幸せを知る前には、その前に不幸を体験するし、
その時はこの悲しみが永久に続くと思うが、永久には何も続かない。

小さい時に悪いことして隠そうとすると、よく「おてんとさまは見ている」と怒られていた。
いくら上手に他人に隠せても、お天道様には丸見えなんだと。
きっとそのお天道様は自分の心の良心なんだろうと思う。

自分の心の辛さや悲しみは、自分のものだ。
人に言って、他人が理解してくれようとしても100%は理解してもらえないし、感じてももらえない。
また同じ状況であっても、その感じ方は十人十色だ。

色んな人の優しさや思いやりは、ありがたくいただけばいいし、感謝すればいい。
でも、自分の心を助ける事ができるのは自分自身だと思う。
他人に、自分の肩代わりしてもらおうと思っても、それだけはできないのだ。

同じ事をするにしても、自分で自分を助けようと思ってするのと、他人に助けてもらおうと思ってするのでは全く違ってくる。

アートセラピーをしていて、自分を癒すエネルギーは結局自分だと思う事がある。
いくら他人がきれいに上手に書いたアートでも、自分が自分のために癒そうとして描いたアートには勝てないのだ。

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