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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
自分の「正義」と相手の「正義」の話
20代、30代、40代、50代、60代・・・
やはりその年齢によって、やはり傾向というものがあるような気がする。

育った時代、教育、経済、流行etc...
その影響や、親の世代のしつけや考え方なども大きいのだろうか?

固定概念は誰もが持っているものだと思うが、
50代、60代の方はその自分の持っている固定概念への自信がすごい。

それがその人にとっての「正義」であり、正しいものという信念が強く、
相手にも善意からその「正義」を貫こうとしたり、
相手にもその「正義」を諭して、教え込もうとする傾向が強い気がする。

行き過ぎてしまうと、相手が違う意見だったり、
相手の「正義」と自分の考えが違うと、
自分を否定されたような気持ちになるのか、
一転攻撃にまわり、徹底的に相手が間違っていると怒ったりする人もいる。

もちろん、人類共通での「正義」もあれば、
人それぞれ「信念」は違ったものであり、
また同じ出来事でも、立場が違えば全く違う景色にも思える。

相手の「正義」がもしかしたら、自分の「正義」と反対の事もある。
人によっての「正義」は違うものがあって当たり前だと思う。

それを×としてしまい、相手に自分の「正義」を押し付けようとする所から
戦争や争いが起こるのではないかと思ってしまう。

臨機応変に対応できるのは、若年層が多く、
結構年を重ねる毎に、本当は心が豊かに広くなっていきたいものだが、
頑なに自分の「正義」「信念」「考え」を強く守り、
相手にそれを押し付けたり、怒ったりする人をみかけると
正直、狭い枠に自分を押し込めてしんどくないのかな?とか、
自分の世界を自分で狭めて、広くするチャンスを逃しているのでは?
と思ってしまう。

何歳になっても、
自分はまだ成長途中で、まだまだ伸びる可能性がある!
自分はまだまだ無知だ!
自分はまだまだ愚かだ!
という意識は必要だと思う。
でないと、そこで止まってしまう。
止まるだけならいいが、落ちていく可能性も出てきてしまう。

肉体年齢と、精神年齢、魂の年齢は違うが、
最近同じ60歳前後の人で、自分の考えのみが正しいというような、
相手の意見を全否定し、頑なに自分の「正義」の固執し、
相手にその考えを押し付ける人に何人も会ったので、
やはり年代によっても傾向があるのかなと思ってしまった。

自分の「正義」が大切なように、
相手の「正義」も大切で、
いくら自分とは違っていても、尊重すべきではないかと思うし、
尊重できずとも、自分が言うのと同じくらい、
相手の話を聞いてもいいのではないかと思う。

まぁ、その人の人生がその考えで順風満帆できたのであれば、
やはり自信を持って当然なんだろうか?

でもいつでも「上から目線」でいると、そのうち足元をすくわれて
大転びして、いやでも気付かされる日がくる気がしてしまう。
人間傲慢になると、天には愛されなくなってしまう。
実際に周りの人からも愛されなくなってしまい、裸の王様状態になってしまう。

「人のふり見て我がふり直せ」というが、
いつまでも、柔軟で柔らかい頭と精神を持って生きたいものである。

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夏の色は赤?の話
暑いですね~。

今日は私が住む町では、雨が降ってもう湿度が半端なく高く、
じとーーーっとした暑さがまとわりつくような感じです。

太陽は黄色で表現されますが、
私は夏は「赤」のイメージが強いです。

やはりこの暑さ、熱のせいでしょうか?
でも夏は赤の色のエネルギーもやはり強いと感じます。

夏になると、外出が増えたり、またアバンチュールの恋を求めたり、
また人によっては暑さからイライラしたり、疲れやすくなったり
する事はありませんか?

それこそ「赤」のエネルギーだな~と思うわけです。

基本的に本能と強く関わる色と言われ、
地(現実)に一番近いチャクラである赤は、
生理的な欲求も強く、エネルギッシュで活動的な色でもあります。

生理的な欲求は、肉体的な心地よさと満たしたいという衝動にもつながります。
下半身のエネルギーステーションと関わりがあるので、
性的な面でもエネルギッシュになります。ですから、
夏に性的犯罪が増えたり、開放的な気分になり
アバンチュールの恋を求めたりするのもうなづけます。

また喜怒哀楽をストレートに感情をあらわにしてしまう色でもあり、
夏は感情の起伏が激しくなるという人もいるのではないでしょうか?

赤の補色は緑色です。
赤はアドレナリン(攻撃・闘争心などを煽る)を出し、交感神経を活発にさせ
緑色はセロトニン(リラックス効果)を出し、
副交感神経を活発にさせるといわれます。

赤は体力・気力・生命力の色ですが、フルにその赤のエネルギーを使うと
やはり疲れも出てしまったり、興奮状態が続いて落ち着きがなくなる時は、
この緑色を上手に使うといいでしょう。

緑は心に安らぎやゆとりをもたらし、穏やかでくつろいだ気分にさせてくれます。
また、バランスをとってくれるので、不安や焦り、怒りや苛立ちにも効果的です。
疲れもどれるといわれ、心身をリラックスさせる色なのです。

まだ暑い日が続きます。
上手に緑色(グリーン)を用いながら、この暑い夏を乗り切りましょう。

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大雨の話
昨日は、中国地方で雨がすごかったですね。
亡くなられた方もいらっしゃる報道を見て、
本当に大変だったと思います。

雨も必要ですが、一気に降ると住民の方は本当に大変な被害に
おそわれ、本当に大変だと思います。

私も小学校の時、大雨が降り、川が氾濫し、
私が住んでいる町が、つかった事があります。

私の家は、山の中腹でちょっと高いところにあったので無事でしたが、
田畑も家も水に浸かって、湖のようになっていた事を覚えています。

ビニールボートで、大量におむすびとお茶を用意して、
お父さんが運びに行っていました。

その頃は親戚等の家に避難している人もいれば、
避難せず、2階のある家は2階で生活をしている人もいました。

でも、水がひいてからも大変だったと思います。
私の家は浸かっていなかったので、小学校の掃除だけでしたが、
それはそれは汚くて、道路には粗大ゴミの山が出来ていたと思います。

でも今回の大雨は本当にすごかったようで、
これから大変だと思いますが、
皆さんに頑張っていただきたいと心から祈るばかりです。

また、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

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不公平な人生???の話
人生は人と比較してみると、不公平だなぁとつい思ってしまう。
あまり苦労もなく、順風満帆に人生を謳歌している人もいれば、
自分の責任で苦労をしている人、
または自分の責任ではないのに、苦労をしょっている人もいる。

なんて不公平な理不尽な世界なんだ!!って思ってしまうわけだが、
年を重ねていくうちに、ある事に気付いていく。

順風満帆に過ごしてきた人は、人としての深みとか優しさとか、
物事を見る力などが、何とも浅く幼い精神の人が多い気がするのだ。
もちろん、出来事よりも、その人の感性や感受性などで、
平凡で幸せな生活の中からも、色んな事に気付き、それに感謝し、
人としての深みを増す人もいると思うのだが、
私の出会った人たちの中では、年齢の割に幼い事言うなっていう人が多いのだ。

じゃあ、苦労をしている人が、人として深みを増して、
優しい、出来た人間かというと、2パターンに分かれるのだ。

一つは、自分は悪くないのに何でこんな目に合わなきゃいけないんだと、
悪い事は自分以外の他人のせいにして、根性がねじまがり、歪んでしまい、
自分の殻に閉じこもったり、変に傲慢になったり、頑固になったりして、
自分を正当化するために相手を威圧したり、攻撃的になったりするパターン。

もう一つが、全て自分の糧として、その栄養によって自分の心を肥えさせ、
人の心や苦しみがわかる人となり、心が豊かに育っていっているパターン。
こういう人は、カラっと明るい人が多い。
自分の力だけではどうすることもできない事もあるという事を知っていて、
人生この先何があろうが自分の糧になる事を知っているため、
謙虚にその時その時の出来事を受け止め、動じない力が備わっているように思う。

そういう人は、エゴが少なく、「ねばならない」というようなとらわれや
こだわりも少なく、臨機応変にやる事はやって、なるがままに生きるような
覚悟や度胸がすわっている人が多い気がする。

昔は私は「我」が強い人間で、あるがままに生きている人を弱い人間と思っていた。
自分の意志はないのか!!!自分の意見を持たないのか!!と怒りさえ持っていた。
でも年を重ねるとともに、あるがままに生きていくということの方が、
どれだけの覚悟や度胸、そして受け入れる懐の深さが必要なのかがわかってきた。

全ての出来事や、状況が、自分の心を磨き、魂を高める事につながると
知っている人は、同じ人生であっても、その本質や真意をつかんでいて
有意義に人生を楽しみながら、過ごせるのかもしれない。

その観点で考えると、
苦労が少ない=○ 苦労が多い=× ではなく
苦労が多い=○ 苦労が少ない=× のようにも思える。
だって、自分を磨くチャンスが多くなるわけだから、
試練がくると「やった~」と魂レベルでは大喜びなのかもしれない。

私はいつも何か出来事があるたび、「ひえーーー」とあたふたして、
焦ったり、慌てたりして、一人大騒ぎして(苦笑)
自分かわいさで、「わたしは悪くない、悪いのはあの人だって~~」と
散々他人のせいにして、自分を納得させようとしては、もやもやが残り
かなり時間がかかりながらも、「私も悪いのかも・・・」と反省したり
迷走したり、失敗したり、自分の喜怒哀楽に振り回されながら、人生を送っている。

なかなか出来た人間になるまでには、長い道のりだが、
いい顔した、優しく、かっけ~、懐の深い、そして潔く底抜けに明るい
「おばあ」になりたいと野望を持っている私なのであった。

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人を喜ばす本能の話
夏まっさかり。
今日は花火をしている所も多いと思います。
花火はいいですね~。
空いっぱいに美しく色とりどりにパッと花開いて、
潔くぱっと消えていく。
人生のようでもあります。

地味に線香花火も私は好きです。
あのパチパチと真ん丸くなって、ポトンと落ちていくさまも
はかなげであり、その中にある可憐な美しさを感じます。

以前、ゴールデンレトリバー(犬)を飼っていた時、
一度花火を見せてあげようと、散歩がてら花火のみえる所まで
連れて行こうとしたら、花火を打ち上げるあの低音の音が怖いようで、
結局途中から完全に拒否して、一切歩かなくなり
花火を一緒には楽しめなかったことがありました。

一番楽しもうとしていたのは、結局自分の方だったのですが、
花火をよろこび、楽しんでくれる想像してただけに
ちょっとかなり残念だった記憶があります。

誰かを喜ばす楽しさ、人を楽しませる喜び。
そんなきらめきが満ちている所が誰もがあるのではないでしょうか?

まぁ相手があることは、相手の反応はその人の心次第で
自分の思うとおりにはいかないけれど、
相手の反応だけではなく、人を喜ばす楽しさや、楽しませようとする事自体に
自分の中にキラキラときらめきが生まれるのかもしれません。

人は誰しもが、
誰かの役に立ちたい、
誰かを幸せにしたい
誰かを喜ばせたい
という本能が埋め込まれているような気がします。

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人生の舵取りの話
暑い日が続きますね~。
結構夏バテしている人も多いかもしれません。

友達が会社の後輩の事で今日ぼやいていました。
お嬢さん、お坊ちゃんが多いらしく、とても家族から愛され、
「蝶よ!花よ!」とかどうかはわかりませんが、
とても大切に育てられた方々が多いのだそうです。

その人曰く、その後輩達は
気が利かない、
気がつかない、
目の前の事を見ていないのだそうです。

一々言わないと(言っても)しなかったり、
自分が大将のように、周りから何かをしてもらうのが当たり前、
目の前で何か出来事があっても、自分には関係ない。
だれかがしてくれるだろうと、ずっと座っている。
という状態なのだそうです。

その人自身が、とても、気が利き、気付く人でよく動くので、
そう映るのかもしれませんが・・・

職人さんの修行の世界などで「技を盗む」という言葉を使います。
手取り足取り教えてもらうのではなく、
自分の目で見て自分のものにするからこそ
「盗む」という表現になるのだと思います。

また、師匠からすれば
「本音を言えばそこは持って行かれたくない秘密の技」など
「持っていかれてしまうかもしれない」という緊張感もあって、
「盗む」という表現が使われるのかも、と思えます。

「盗む」というと、相手が大切にしているものを奪ってしまう、
というイメージがあるのですが、
たとえば、相手が気づいていない相手の長所を鋭く見抜いて、
それをマネして自分のものにする、ということもあるのです。

仕事においては、決められた時間、その場所で決められた人たちと
一緒に仕事をすることになります。
ボーっとしていても1日、何か「盗む」のも一日。

たった1日が、積み重なっていき、1ヶ月、1年とたったとき、
きっと同じ状況であっても、その人の目線の高さ、目配り、意識の違いで
大きな差ができるのだろうと思います。

その結果、きっと自分の世界が広がり、できることが増え、
そのことが自分の自信につながり、雰囲気も変わっているかもしれません。

これは、主婦や主夫の人なら家事や家族を通じてでも同じだと思います。

出来事や状況そのものは意味がないものを、
何を見て、何を感じ、それについて何を思い、何をするか・・・
それが自分の人生なのだろうと思います。

人に指図された事だけをやっていくのであれば、
結局自分の人生を創っていくことを放棄して、
誰かに自分の人生の舵取りをおまかせしているのと同じでしょう。

でもその舵取りをおまかせしている人は、
自分の都合で、勝手に人の人生の舵をとっているだけで、
何も責任もとってくれませんし、
いくらその人のせいにしたり、責任にしようとしても
自分の人生の責任は、全て自分でしかとれない法則になっています。

おまかせするなら、その覚悟は必要ですよね~。

私は、人生の流れがどちらにどう流れるかはわからないけど、
自分の人生の舵はしっかり自分が握って生きたいな~って思います。

読んでいただいてありがとうございます。
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「出会い」の話
「出会い」は天からの授かり物のようなものです。
どんな人と「出会う」かで、その人の人生も変わってきます。

その「出会い」
目を大きく見開いていなければ、見過ごしてしまうこともあります。

誰もが、人から自分へのアプローチを探しますが、
本当に探すべきなのは、他人の中にある、
キラキラと光る美しい宝石ではないかと思うのです。

人の中にある長所や美しさや美徳などを見つけて、
その美しさに感動したとき初めて、相手が自分の顔を見つめてくれる、
ということも多いのだと思います。

自分を見つめてくれる目を探すよりも、自分が見たいものを探すほうが、
結果的にずっと、話が早かったりします。

自分の中にあるものしか、他人の中に見えません。

そのキラキラと光る輝きを他人の中に見つけたとき、
その人とのその部分での波長が合い、
自分自身のその部分が輝きを放ちだし、
相手も自分の輝きに引き寄せられるのかもしれません。

人は同じ状況、同じ出来事であっても、
千差万別の見方、捉え方をします。
それは、それぞれが自分の見たいものを、見たいように
見ているからだと思うのです。

だったら、自分が見たいものを探すと、それはずっと早く見つかる
可能性があるのだと思います。

他人の中に、嫌な面ばかりを見つけてしまう人は、
その嫌だ!と思っている、自分の中にある性質の部分が、
「そんなに嫌わずに受け入れてよ~。
そしたら、世界が広がって、楽になるし、私だって役に立つよ~」って
言ってるんだと思って、そこを見つめてみる機会にするのもいいと思います。
同じ性質でも、見方によって長所にもなれば、短所にだって見えるわけです。

でもただ自分の世界とは別と切り離して、他人ばかりを批判したり非難していると
きっとその波動や波長と合う人が、引き寄せられてくるかもしれません。

どんな人と巡り合うか・・・
人生はそれで決まるといっても、過言ではありません。

あなたにとって喜びがあふれる出会いに恵まれますように・・・

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波動の合う合わない話
人間波長が合う、合わないがある。

昨日のブログで、意識的には「不快」「嫌い」が強い人でもないのに、
その人と会うと頭痛がするという人に出会った話を書いた。

今日もその人と会う予定で、今後2ヶ月ほど、
その人と会うことが多くなる予定だったのだが・・・
彼女の都合で、もう会うことがなくなった。

やはりそういうものか!と思ってしまった。

波長や波動が違うと、お互い居心地が悪く感じたり、
やはり合わないので、自然と離れるようになるという事なのだと思う。

素敵なあの人と友達になりたいのに、なかなか距離が縮められないとか、
もう嫌なのに、何故か縁が切れずに友達関係が続くという人は
自分の波長や波動が原因かもしれない。

全く違う次元にいるもの同士は、出会ったとしても
意気投合もしないだろうし、距離感は縮まないだろうし、
何故かずっと自分と縁が強くて離れないのは、
その人を通して自分の魂を磨く人か、
もしくは同じ次元の波動を自分も発していて、
その波長が合っているのではないだろうか?

恋愛でもそうだと思う。
「気が合う」というが、その気はとても大きいのだと思う。
もちろん外見が美しいと目がひかれるが、
実際付き合ってみると「気が合わない」と
とても一緒にいて居心地が悪かったり、違和感を感じるのだと思う。

優しい友達が欲しければ、自分が優しくなる。
楽しい友達が欲しければ、自分が笑っている。
色んな話をしたければ、相手の話に耳を傾ける。
親友が欲しければ、自分から心を開いてみる。

そしていい友達がほしければ「波動を高くする」なんだと思う。

自分の波動がどうか確認したければ、今周りにいる人たちを見ればいい。
そしてその人たちに対しての、自分の感想が、自分の波動への感想なのだろう。

いつからでも、自分は変化できると思う。
今日この瞬間からでも、自分をクリエイトしていけるのだ。

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私の不思議な頭痛の話
私だけなのだろうか?
誰もがこういう体験をするのだろうか?

意識的には大きな嫌悪感があるわけでもなく、
話をしても、話しやすく、周りからみれば
盛り上がっているように見えるように会話している相手が
一緒にいると、何故かとても頭痛する人なのだ。
誰もがそういう相手というのは存在するのだろうか?

カウンセリングをしている時に、ズーンと空気が重くなって疲れるとか、
スイッチが入って、松果体(目と目の間)からおでこにかけてジンジンする
という事は今までにもあった。

そして過去一人、その人と会うと、文字通り頭痛がするという人がいた。
その人とは、意識的にも「合わない」と感じる人で、
本当に波長がズレていて、会話をしていて、
一応言葉ではキャッチボールができているようでも、
お互いの真意や、握り締めている信念が全くちがっているので、
チグハグという感が、自他共に感じる人だった。

でも誰かにあって、頭痛がするという経験はその人だけで、
その人は「ビンビン」「ギラギラ」って感じの、エネルギーの強い人だったし、
私以外の人も、その人のエネルギーに当てられて、その人と会った後は
ぐったりするような人だったのだ。

でも新たに出会ったその人は、全然そんな感じでもないのだ。
が、「ビンビン」の人以上に、一緒にいると、その人側だけがひどい頭痛になり、
また、肩もすごく痛くなり、長い間一緒にいた後は、その人側の半身が
正座した後のような「しびれ」のような感覚になってしまったのだ。

その人は新婚で「ルンルン」だし、愛想もよく、よく話す明るい人で、
周りからの印象もよく、そしてとても外見がきれいな人なのだ。

なぜだろう?
こんな体験は初めてだったので、かなりびっくりしてしまった。

意識ではなく、精神でもなく、魂レベルで、
肉体ではなく、元素レベルで
波長が違うということなのだろうか?

それも半端なく、全く違う次元ほどの波長なのだろうか?
でも「ピリピリ」した感じなどはないんだよね~。
また、あまりにもきついと嘔吐がついたり、
ちょっと過呼吸っぽくなったりするのだが、
(あっそれは憑依だったり、場所の場合か・・・)
ちょっとそれとは違う。

意識的に「大っ嫌い」と思う人でもそんな経験はない。

最初顔見た瞬間「やばい」とちょっと考えがよぎったが、
そんな感覚は「気の強そうな人」「頑固そうな人」「怖そうな人」etc...
を見たときなど、今までもある感覚だったのだが・・・

まぁ一日だけだったので、これから慣れていくと
また変わってくるのかもしれない。

あまりの初体験に驚いてしまった私なのであります。
普段一切頭痛などしないので、ちょっとの頭痛でもキツく感じるのですが、
ちょっとレベルが違う頭痛の為、結構ダメージを受けている私であります。

今日はとりとめのない、私の頭痛話で失礼しました。

読んでいただいてありがとうございます。
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自然の話
こんなに暑いと海に行きたくなる。

小さい時からお盆の時は、水際に近づかないよう、きつく言われていた。
盂蘭盆絵は足を引っ張られて、水の中に引きずりこまれるからだと。

実際ニュースを見ていても、その頃の水難事故はとても多い。
最近は家庭であまり注意しなくなったのだろうか?

でも神様は親切だと思う。
海にはその頃になると、クラゲが出て痛い思いをするようにさせて、
きちんと入れないよう配慮してくださっている。

だから、海を満喫できるのは、夏休み始まって約2~3週間なわけだ。

南の島に行ってダイビングなどもしたが、
私はきれいな海でシュノーケリング、またはぷか~と浮いてるのが好きだ。

沖縄やインド洋などでは、エメラルドグリーンの浅瀬から、
一気に深くなりインディゴブルーになるグラデーションの美しい青の世界の中で、
水面から光が差し込み、キラキラと天井の水面が輝き、
珊瑚礁や魚の生きる世界を目にした時、本当にびっくりして、
「この世の世界を私は知らなすぎる。こんな美しい世界があるなんて!」と、
心底たまげたものだ。

人間が造り出す美も素晴らしいが、私は自然の美に心打たれる事がとても多い。
神が創り出すものには、息吹きが感じられ、そこに愛を感じるからかもしれない。
私は自然美に勝る芸術はないと思っている。

以前パステルアートの資格をとり、
その後他の先生にアートセラピーを習いに行ってた時、
その先生が
「あ~悔しい。空一つとっても本当に美しい。
夕焼けをよく見ると、変なとんでもない色が入ってるのよ~。
なのにあんなに美しく調和させ魅了させるなんて、本当に悔しい。」
って言ってて、神様に悔しいっていうなんて、
意識レベルが高いのか、張り合う気なのか、
どちらにしても「すげ~な」と思ったことがある。

私はそもそも下手っぴなので、自然を模写する事もなかったのだが、
それ以降空の色は見るようになった。

自然保護などの運動をされてる方には本当に頭が下がる。

私は何もしてないが、ゴミ捨ての分別や、自然に優しい洗剤を使うなど、
自分のできる事からやっていこうと思う。

神は自然の中に、宇宙の真理や法則を、
私たち人間に見える形で埋め込んでくださっている。
だから人間は自然の中に身をおくと、情緒や感受性が豊かになり、
感性のレベルもあがるのだと思う。

私の父は山、田畑をこよなく愛し、その中に身をおいて一生を終えた人だが、
晩年「自然が色んな事を教えてくれる」と言っていたし、
近所の人が植林の仕方を聞きに来たときには
「わからん事は木に聞きゃ~えんじゃ。教えてくれる。」
と言ったりしていた。

学校で習うような知識は乏しかったかもしれないが、
金儲けは下手で貧乏暮らしだったが、
人としての生き方は素晴らしかったし、
経験を通しての智恵がある人だった。

自然環境による影響は大人以上に子供時代はもっと大きいと思う。

次の世代にできるだけ、美しい自然を残せたら、
何にも変えがたい素晴らしい財産のような気がする。

読んでいただいてありがとうございます。
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ヒーリングカラーとしてのピンクの話
ピンクは、女性に味方の心強い色です。
ピンクは子宮内膜の色。
人間が原体験で見たり、感じたりする色です。
女性ポルモンの分泌を活発にさせ、性格もからだつきも女性らしくします。

これを上手に取り入れていくと、「彼氏いない歴何年」という人が、
突然彼氏が出来たり、バリバリキャリアウーマンの人が「出来ちゃった結婚」したり、
離婚の危機だった夫婦が、円満になったりという例もあります。

「ピンク」は「愛」のシンボルカラーであり、自分では無意識に出している
「近づきにくい」「イライラしている」「おっさん化している」という印象を、
ピンクのエネルギーが変えて、そのシンボルである愛で包みこんでしまうのです。

また、生理不順や更年期障害などの、女性特有の症状に役立つと言われています。

<<ピンクの効用>>
・ホルモン系、生殖器、心臓、目、頭、聴力などに影響。
・女性ホルモンを活発にさせ、性格も体も女らしくする。
・ホルモン系全体を調整。
・女性と男性の生殖器の疾患に非常に役に立ち、つわりの時期の吐き気に有効。
・体全体のバランスをとり、必要なものに応じてエネルギーの流れを刺激。
・攻撃的な行動の一因であるホルモンを抑制するノルエピネフリンを放出させる。
・鎮静効果と筋弛緩効果。
・感情のバランスをとる時に有効
・足りないと心身のアンバランスにつながる。
・ホルモンバランスの乱れた時や、愛されていないと不安に思った時などに効果

<<ヒーリングカラーとしての取り入れ方の例>>
・室内のインテリアや、寝具、またはアクセサリーや洋服などに取り入れる。
・全身、または胸や下腹部を中心にローズのものを。メイクにもおすすめ。
・ローズクオーツ・アメジストなどの石をつける。

また、ピンクに包まれているイメージや、
自分の中にピンクのエネルギーが満たされるイメージで、
深く深呼吸をするのもいいでしょう。

そうすることで、あなたの中の女性本来の優しさや、愛らしさ、
女らしさを刺激して、潜在的にあったものを引き出してくれます。
女性ホルモンが増えると、肌や髪も影響を受け、美しくなります。

さぁ、恋愛パワーもアップする「ピンク」を活用してみてはいかがでしょう?
あなたの女性らしさが輝き、光り輝く助けをしてくれますよ。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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溺れない方法の話
あ、暑い(-_-;)

やはり涼をとる為に、水辺に人は行くことが増えるのだろうか?
今日、水辺でもし服のままで流されても溺れない為の
ノウハウを教えている様子をテレビでしていた。

・仰向けになって、真上を向いて体の力を抜いて浮く。
・Tシャツなどの上着の中に空気を入れて、浮き袋状態にする。
・大声で助けを呼ぶと、体内の空気が減り沈むので、大きく息を吸い込み、
 ゆっくり呼吸をする。

などの説明をしていた。

もし、服のまま流されてしまったら、慌てて、パニック状態になり
バタバタを体を動かし、助かろうと自力で泳ごうとして体力を消耗し、
助けを求めようと大声で叫び、慌てているので呼吸が浅くなり、
結果、私なら沈んでしまう気がした。

これって、人生も一緒かも!!って思ってしまった。

何か予想外の事や、それこそ思いもかけない流れがきた場合、

・焦ったり、パニクってしまって、熟慮できない。
・どうにか自分で軌道修正してやろうと躍起になって、空回り疲れる。
・色んな人に相談して、勝手な色んな意見にもっと混乱してしまう。
・バタバタしてしまい、疲弊してしまう。

という事はないだろうか?

この溺れないための法則を、人生に適応させてみると、
自分の予想外の流れがきた時や、思いがけない事が起こった時こそ、

・ゆっくりと呼吸して、ちょっと流れに身を任せてみる。
・真上の代わりに、自分の心とか、天に視点を合わせて、リラックスしてみる。
・その状況を受け入れ、力を抜き、浮いてみる。

って事が必要なのではないかと思った。

焦ったときこそ、意識的に深呼吸。
思いがけない事が起こった時こそ、「リラックス、リラックス」

水にも、人生の流れにも溺れないようにしたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
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あるがままの自分の話
ポールマッカートニーさんが、11年ぶりに来日するという報道を見ていて、
ビートルズの「let it be」の曲がかかり、歌詞が和訳(超訳??)が出て、
その和訳がよかったんですよね~。
メモっとけばよかった。

大体「なすがまま」「あるがまま」という和訳だけなのですが、
「流れに身をまかせよう」
「そのままの自分を受け入れよう」
「自分を許そう」
「あなたはあなたのままで」
うろ覚えなので、違っているかもしれないけど、
このように色んな訳をしていた。

これを見て日本語は素晴らしいなと思ってしまった。
一つの英語を、色んな表現で日本語で現せるわけだ。

自分の感情や気持ちを、言葉にして相手に伝えるというのは
なかなか難しいものだ。
同じ意味でもニュアンスが違ったり、より自分の気持ちに忠実に
伝えたくても、なかなか言葉だけにのせる事は困難だったりする。

日本語はバリエーションが豊かである。
それでも、なかなか相手に自分の心を言葉で伝えるのは骨折る作業である。

最近「あまちゃん」を見ていると、つくづく「方言はいいなー」と
思ってしまう。
よく私まで「じぇ、じぇ、じぇ」と言っているが、私は仕事では方言は使わないが、
プライベート、特にパートナーと話す時や地元の年寄りと話す時は、私自身
すさまじく方言を使っている。

同じ事を伝えるにも、伝わりやすいような気もするし、
方言を使うと、本来の自分を出していて、親近感がわく場合もある。
どんどんのってきて、話に花が咲くこともある。

言語が分けられた「バベルの塔」も、別に悪い事ばっかじゃないじゃん!
って思ってしまう。

意外に格好つけてる自分がイケてると自分自身で思っていても、
素の自分の方が、周りから見たら「いい」って場合も多いんじゃないだろうか?

自分としてのコンプレックスが、周囲からは「個性」や「長所」として
見られてることも結構多いからね~。

「あーあまちゃん面白い。
明日も楽しみだ!!」

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面白きこともなき世を面白く・・・の話
雨の中に咲く紫陽花はきれいですね~。

今からの季節は私の好きな花が花開きます。

若かりし頃はひまわりが大好きでした。
母が家の前の畑に植えていて、夏の暑さを屁ともせず、
太陽に向かって顔をあげすくっと力強く立つ姿が好きでした。
そして、紫陽花が雨に濡れながら、生き生きとパステルカラーだったり、
何とも言えないアースカラーの自分の色をきれいに咲かせている姿に心惹かれ、
よく家にも切り花を飾っていました。

その後はお盆前に地元の年寄りに、大量に咲いている場所を教えてもらい、
蓮の葉を取りに行った時に、泥の中からすくっと伸び
ピンク色の花を咲かせる蓮の花の美しさに心打たれました。

星野富弘さんの詩に
「花は自分の美しさを 知らないから 美しいのだろうか
知っているから 美しく咲けるのだろうか」
というものがありましたが、どうなんでしょうね~。

ただただ全てを受け入れ、動じず、ただひたすらに、
ひたむきに、自分の花開かせてる姿に心打たれるのでしょうか?

コンクリートやアスファルトを突き抜け咲いてる花があります。
タンポポやスミレのようなポキッと折れそうなか弱く見える花に、
なぜあの固く強いコンクリートを突き破る強さがあるのだろうと
今でもいつも不思議に思います。

入院してた時に、その光景を目にし、
「私も負けるもんか!頑張るぞ!」と元気をもらった記憶があります。

体が弱く27歳で亡くなった長州藩の高杉晋作の辞世の句は
「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」
でしたね。

この人は天才ですよね~。

弱いからこそわかる事もあれば、自分の弱さを知っているからこそ
強さとは何かを見つめる事もできたり、
弱さの奥に隠れている強さを勇気を持って引っ張り出す時に、
その奥に眠る智恵に触れ、共に引っ張りあがってくることもあるのだと思う。

善悪が混濁し、理不尽が罷り通る世だからこそ、
そんな条件の整った世でしか、みつけれない事や気づけない事もあるでしょう。

私は仕事は嫌な事が大半で、思い通りにいく事なんてないし、
めんどくさい事ばかりのものだと思っているし、
プライベートだったらきっと一生話さないと思う人だっているし、
仕事なんてそんなもんだし、それが仕事だとも思ってる所がある。

でも、だからこそ、楽しんでやってやろうとも思うし、
その状況の中で何か達成できた喜びは半端なく大きなものになることもある。

状況や出来事なんてそれ自体は何の意味ももたない無色透明なもので、
皆それぞれの色眼鏡を通して見る事によって色付けられるのだと思う。

つまんないと思えば、その人には真実つまんない出来事として、
人生の1ページにおさまるし、
面白いと笑えれば面白い出来事として自分の中におさまるのだ。

つまんないのが悪いわけではない。
つまんないと思う自分の尺度にはきっと理由がある。
その理由がわかれば自分の面白いこともわかる。

私もおもしろきないこの世をおもしろく
自分らしい花を開けるように生きたいものである。

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人生は山登りの話
梅雨明けした後、私の住む街ではこの数日雷雨が降る。
ゲリラ豪雨なのだろうか?

雷が怖い同居猫のあやさんは椅子の下に隠れて気配をけしている。

昔、誰かに天国の天気は、晴れの日が何日間、
風がふく日が何日間、雨の日が何日間と
天気のスケジュールも決まっているのだと聞いた事がある。

洗濯するには便利なことだと思った。
まぁ他にも色んな事に便利だろうが、
それを聞いた時、全部決まって分かってる世界って、
退屈でつまんないだろうな~と思った。

我が家は皆我が強く、自分のしたい事は誰になにを言われようが
大喧嘩しようが、結局してしまう人達の集まりだったのだが、
同級生で一応反発する姿勢を見せるものの、結局親の描いた人生を歩み、
親の見つけた相手とする結婚式で「この結婚は親の為にする」と言った人がいた。

私の中にはない思考だったので、色んな考え方や選択の仕方があるものだと驚いた。

この世は天国のように決まった世界ではない。
自分の選択によって、自分の人生の景色は変える事ができる。
この選択の自由は素晴らしい贈り物だと私は思う。
最初は些細な選択により、次々と新たな選択肢が現れ、
それを選択していくうちに気がつけば全く違う場所に行き着いている事もある。

足下を見ながら進むのも大切だが、
俯瞰から自分の位置を確認するのも迷子にならない為に大切なことだと思える。

この連休は山開きがあり、富士山登山に行かれた人も多かったと報道していたが、
人生も登山のようなものかもしれない。

登山経験のあるガイドの人の言う通り登山を楽しむ人もいれば、
我が道を進むと自分を信じ登山する人、
家族や友達と笑ったり喧嘩したりしながらも一緒に登山する人。
色んな登山の方法があるのだろう。

ただ、一人一人でルートが違い、
その登山ルートの地図は誰も持ってないということが違うだろうか。

登山中、トラブルにもみまわられるだろう、
もう嫌になる事だってあるだろう、
何で登りたいなんて思ったのか自分を呪いたいほど辛い事だってあるだろう。
わけわからなくなって迷子になることも
独りぼっちで取り残される事もあるだろう。
荷物を強奪され、誰かに突き落とされる事もあるかもしれない。

でもリタイヤしてはいけないと私は思う。
リタイヤしなくてもどうせ制限時間はあるのだから。

中学生の男の子が自殺した事件が報道されているが、
谷に落とされ雷雨にあい、真っ暗で何も見えない状況にあっても、
必ず闇は明け日は昇り、周りには自分が見えてないだけで
広い世界がそこにはあり、雨の後の虹も空には広がり、
がむしゃらにでも這い上がろうとしていれば、
いつかは必ず出口と道は見つかるものだ。

そしてその道を歩いていくと、
想像もしてなかった美しい風景に感動するかもしれない。

必ず変化があるのがこの世の法則だ。
永遠に変わらない状況などない。

谷に落ちた所で終わったら、醜く怖く冷たい世界で終わるが、
あきらめなければ、美しく楽しく明るい世界もあることもわかる。

その時あきらめるかどうかの差はほんの少しの差の気がするが、
その後々は大きな差になる。

逃げたり休んだりするのはいいが、リタイヤはよろしくない。
もったいなさすぎる。

この世は相対の世界だ。
上があり、下がある。
男がいて、女がいる。
昼があり、夜がある。

表があり裏がある表裏一体の世界で生きているのに、
片面しか見ないのは、半分の人生の体験を捨てているもったいない話だ。
両面体験してこそ自分の世界が完結する事は多い。

頂上まで行けるかどうかはわからないが、
精一杯生き倒れるその日まで、リタイヤせずに、
頂上目指し自分のルートを探しながら山登りをしたいものである。

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今年は「変化」の年の話
「変化」なんでしょうか。
今日、何年も行っているカラーのお仕事があるのだが、前触れもなく電話で
「今月いっぱいで、一旦終了させてください。」
と言われた。

きっともう5年、それ以上かな?この仕事をしているのだが、
その間、私の都合で他の仕事を優先させたくて、相談させてもらった事や、
他の人に丸々このお仕事を引き継げないかとお願いしたこともあったのだが、
その時はなぜかうまくいかなくて、また人の紹介で受けたこの仕事を
おろそかにすることもできず、結局この仕事を優先してきた。

でも他に9月までの契約の仕事があり、それ以降の仕事を考えると
月2回、日曜日もしくは祝日にあるこのお仕事が、
毎月定期的にあるのでありがたい反面、
他の仕事を考える時に日程的に微妙に困っていた所もあったので、
今日その話を聞いた時、ショックよりホッとした気持ちだった。

そして、何かやはり今年は「変化」の年なのかな~と思ってしまった。

自分で動く事で「変化」が起きることもあれば、
状況的に「変化」が起こり、自分の意思と関係なく従うしかないこともある。
相手があることなら、自分の意に反する「変化」を受け入れることもあるだろう。
どうであろうと、その「変化」は自分に必要なのものと私は思っている。

「変化」は怖いものと思っている人は多いと思う。
自分の思い通りにはいかないので、不安にも思うだろうし、
どうなるかわからない=恐ろしいもの、という思いの強い人もいるだろうし、
今までの慣れた状況や環境から離れる事に対する「寂しさ」や「辛さ」
を感じる人もいるかもしれない。
それ以外にも人によって色々な不安や恐怖もあるだろう。

でも、この世に生きていると「変化」は毎日起きている。
この世は「変わる」ということだけか、
「変わらない(不変)」ことなのかもしれない。


きっと自分の人生で、だれもが無意識での変化を日々体験し、
また人生においてターニングポイントと思えるような、
大きな変化も体験しているのだと思う。

今私はわくわくしている。
次の扉を開けようと思った時にたくさんの荷物を持っていたら開けれない。
自分でその荷物を手放さなくても、荷物を取り上げられたわけだ。
「断・捨・離」が流行したが、自分で手放す時に心の弱い私はちょっと
後ろ髪をひかれるような思いが残ったりするので、取り上げられた方が
「仕方ない」って結構すっきりできるところもある。

9月になると私の両手は空っぽになる。
何がその両手に入ってくるのだろう。
扉を開けたら、そこにはどんな世界が広がっているのだろう。

私は友達には飽き性だといわれることがある。
何か目標に向かってやっている時はあんなに必死なのに、
目標達成するとせっかく手にしたそれを手放して、
他の目標を見つけて頑張ろうとする。
あんたは馬鹿だ!とも言われた事がある。

きっと結果よりプロセスが楽しいんだろう。
そして、色んな事に挑戦して、
色んな体験をしてみたい気持ちが強いのかもしれない。

全く違う分野の事であっても、結局その中にある真実は一つだったりするので、
他の所でも生かされる事は多い。
どんな分野でも、どんなツールを使っていても、突き詰めるときっと同じような所に
行き着くのではないだろうか?とも思ったりする。

自分を磨くためのツールを一つだけ使う人もいるが、
私はきっと色んなツールを使ってみたい欲張りな奴なのかもしれない(苦笑)

まぁ、今は今月最後になるそのお仕事を一生懸命すること。
そして9月までのお仕事を一生懸命すること。
これに尽きますが、なにがどうなるかわからないという楽しみができて
ちょっとわくわくな今日の私なのであります。

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センセーション10の色ざっくり説明の話
センセーション・カラーセラピーで用いる10色の色の説明を簡単にします。
自分の好きな色、または最近気になる色とか、洋服や小物、文房具とかで
ふと見るとよく購入している色などがあれば、今のあなたの心理をその色を通して
見つめることができるかもしれません。

参考にしてみてください。

■Red(レッド) 
第1チャクラ(ベース・チャクラ)(エネルギー・生命力)

肉体の物理的欲望の強く、物質主義の上位に立とうとする、競争心や支配欲が強い色
仲間意識、家族愛、兄弟愛が強く、義理人情に厚い、勇気と力のある色

○指導性を発揮する個人的強さと力(勇気)を持っていて、
 向きにエネルギッシュに行動する。
 男性的で情熱的。リーダーシップや指導力をもっている。
 物質や金銭の豊かさを目指す。

×お金や物、権力への執着心が強く、反抗的で衝動的になりやすい。
 支配的で暴力的な面がある。
 性的エネルギーが高く、がさつで大雑把。
 強引に考えず行動を起こす。オーバーワーク

■Orange(オレンジ) 
第2チャクラ(スプレーン・チャクラ)(交流、社交)

社交家で楽天家。外交的で遊び心があり、華やかな世界を好む外見の美意識が高い色
依存・相互依存しやすく、ショックとトラウマの意味をもつ色、食欲に関する色

○明るく楽しい、楽観的でまわりの人を楽しませる。食への関心、美意識が高い
 美意識が高く、ステイタス、ブランド好きで、名声や地位を得たい要求が強い

×他人への依存や甘えが強く、他人からの評価がないと自信を失い、
 一人になるとおとなしい。
 ショックやトラウマから恐怖心を抱いている。
 虚栄心に囚われがちで、エゴが強い。摂食障害。

■Yellow(イエロー) 
第3チャクラ(ソーラー・プレクサス・チャクラ)(個の確立)

サンシャインイエロー・喜劇の色ともよばれる、
明るくユーモアがあり楽しい陽気な幸福の色
情報収集し、分析し、吸収していく知性と、
自立した強い意志と、自分自身のコンセプトを持つ

○集中力や論理的な思考力、判断力を高め、ポジティブシンキングを導いてくれる色。
 頭脳明晰で知識欲、探究心、研究心が旺盛。理解力、
 冷静な判断力に優れ、勤勉で理知的。

×神経質でわがまま。自分に対する信頼または自信の欠如、
 臆病、神経過敏、落ち込み。
 不正や詐欺をはたらく。支離滅裂、自己意志のセンスがない、批判的で皮肉屋

■Green(グリーン) 
第4チャクラ(ハートチャクラ)(調和・バランス・ヒーリング)

自然(誕生、再誕生、成長)、調和、バランス、ヒーリングの色
和を大切にして、協調性と慈愛があり、前に向かって進む変化・ターニングポイントの色

○レッドとブルーの間の中間地点、イエローとブルーの間の色。
 バランス感覚に優れ、広い視野を持つ。
 自由で自然を愛する。自分のスペースが必要。
 家族など絆で結ばれた集団の中でのびのびする
 慈愛、協調性があり、寛大で心の豊かさを持つ。
 進むべき道のためにポジティブに努力し、成長する。

×他人を妬んだり、裏切る。変化に対して不安定になり迷う。 
 自分の感情を抑える。束縛されて萎縮する。 
 自分本位になったり、自ら課した制限で苦しむ。
 中途半端な発言や態度、責任逃れの言動をとる。
 ノーと言えず何でも引き受けてしまう。
 友人、家族、仲間の輪から外れたくないという強い欲求。

■Blue(ブルー) 
第5チャクラ(スロートチャクラ)(自己表現・コミュニケーション)

聖母マリアのローブの色でもあり、聖なる守護を与えることができる平和の色
自分の心の言葉を伝える喉のチャクラから、言葉でのコミュニケーションの色

○女性性の色でもあり、女性感覚や母性に満ちていたり、母親との関係が良好である。
 平和的で、包容力があり、誠実で正直。信頼される。内省的で落ち着きがある。
 自分が考えている事を率直に伝えることができ、
 他人の意見も楽な気持ちで聞くことができる。

×うつ(ブルー) と呼ばれるように憂鬱な孤独感を感じる。 
 権威を軽蔑し冷淡でよそよそしくなる。
 母親との関係に何か問題があったり、女性を軽視する父親や男性の問題を抱える。
 自分の言葉で相手に伝えることができず、偽りの表現をしたり、無口になる。

■Purple(パープル) 
第6チャクラ(アジナチャクラ)(「第三の目」道を探す)

「自分がここにいる理由を知っている」、「誰かまたは何かを通じて正しく解る」色
真の潜在能力と第六感の世界を開き、
透視能力、透聴能力、透感覚へのアクセスが可能になる色

○自分の内なる声への潜在可能性を目覚めさせ、
 鍛錬する事により潜在能力と第六感の感覚に到達できる。
 直感的に全体像を把握し、多くの異なる断片から完全な理解を生み出すことができる。
 どうして解かるのか解からないけど解かる。
 ISP(Intra Sensory Perception:内部感覚的知覚)

×厳しい孤独感や分離感で苦しみ、意気消沈し精神を悩ませ、
 優柔不断になり自己不信になる。
 非現実的な理想主義になり、孤立感を深め、良心の呵責、
 後悔などを生み、自惚れてしまう。

■Violet(ヴァイオレット) 
第7チャクラ(クラウンチャクラ)(生きる目標・自己実現)

霊的自己のブルーと身体的自己のレッドがまざった明と暗、
陰と陽、動と静の共存している色
自分が肉体に生まれたのかの理由(自分の人生の目的)を認識し、
実現しようとしている色

○ヒーリングのエネルギーを持つので、
 心の病んだ人を癒していく分野でも貢献できる。
 最も精神性に関わる色で、色自体の周波数が最も高く、
 精神性、癒しの力や直感的な能力が高い。
 豊かな想像性や発明性を持ち、芸術活動にも向いている。

×現実逃避の傾向が強くなり、自分の世界に固執する。
 空想、瞑想の世界で生きる。
 深く悩み。憂鬱に苦しみ、悲観的になる。
 物質的、世俗的問題で、困難な状況や不調にある。

■Rose(ローズ) 
すべてのチャクラ(無条件の愛・同情心)

無条件の愛と慈愛深さを象徴する、女性的な直感的なエネルギーの優しさの色
同情心が強く、思いやりがあり人のケアに喜びを見出す献身的な色

○子宮内壁の色。母性本能のような無条件の愛と、
 慈悲深さがあり、優しさにあふれている。
 先行投資などでの能力に長け、お金の使い方がうまく、 大きな収益を得る。

×愛されたい為に、自己犠牲を払う。無条件の愛の裏で、
 感謝や信頼を得たいという欲望。
 メサイアコンプレックスにはまりやすい

■Spring Green(スプリンググリーン)(
新たなる出発・古代の知恵、芸術)

芸術やその他のあらゆる種類の創造的表現によるコミュニケーションの色
インナーティーチャーとして、答えは自分の中と教えてくれ、正しい方向に進める色。

○子供のような純粋さと感受性を持ち、
 想像力や創造性が豊かで自己表現(文章、絵画、音楽)する。
 若々しく、今を楽しみ自由に行動する。過去と決別して、
 新たな目標に向かってスタートしている。

×自由に気ままになりやすく、成長のチャンスがつかめず伸び悩む。
 人間関係に問題があり、重荷を感じやすい。ダメージが体に出やすい。
 バランスを崩し、神経質、不安、心配に陥り、自分の方向が見出せず迷走する。
 
■Gold(ゴールド)
(神としての完全さ・神聖)

あらゆるレベルにおける豊かさ、知性の限界をはるかに超える知識をあらわす色
個性的な独自の価値観を持っているタイプで外に向かう色。

○知恵を持ち、自分の価値を高く評価している。豊かさを求める上昇志向。
 成功・名声・権力に喜びを見出し、賞賛を浴びたい。
 知性、知識欲が強く努力家で、それを応用して成功できる。
 本当の幸せについて考える時期、自分が持っているものを生かす方法を考える時期

×ぜいたくで無駄遣いをする浪費家。自己中心的なエゴイスト。うぬぼれる。独善的。
 深い混乱と自己不信に陥る。表面的で、他人やものに対して批判的。
 深い不安や恐怖を感じ、妄想を抱く。欲求不満。
 憎しみや妬みの感情を持つ。偽りの謙遜。

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「みっともない」の話
「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあるが、
(意味:能ある鷹は爪を隠すとは、才能や実力のある者は、軽々しくそれを見せつけるようなことはしないというたとえ。)
その反対は「能のない鷹は、ない爪を隠す為ごまかしまくる」と言ったところだろうか。

実際「能ある鷹は爪を隠す」の反対のことわざとして、
「口達者の仕事下手」
「能なし犬の高吠え」
「能無しの口叩き」
「吠える犬は噛みつかぬ」
「鳴く猫鼠捕らず」
などがある。

現在も昔も、人間の性質は変わらないものだと感心する。

今まで色々な職場で働いたが、口達者にもっともらしい事を言ったり、
人の事を批判、非難したり、高い自己評価をアピールしたり
自分の考えこそが正論と言わんばかりに、相手にその意見を押し付ける
といった人ほど、実際には仕事をしなかったり、
仕事が出来ない人が多かった。

あまりに行動と言動が違っていて、
「あれだけ仕事しないのに、よくあんなにえらそうに色々言えるな~。
恥ずかしくないのかな~?」
とよく思っていた。

本当に仕事ができる人や、本当に能力ある人は、
自分で過大にアピールすることもないし、
自分ができること=すごいこと、とも全然感じていない様子で
そんな無駄な時間があれば、効率よく仕事の方に使うという
合理的かつ、ポイントをついた時間やエネルギーの使い方を
していたような気がする。

でも未だにとても不思議に思うのだが、
「最も口達者な者が最も仕事をしない」ということを、
自分では達者な口でアピールすることで、仕事ができるように
思われたいのだろうが、本当に周りの人がその人のことを仕事ができると
その人の言葉通り評価していると思っているのだろうか?

大体、一緒に仕事している周り皆はその人が仕事がしない(できない)事を知っている。
それを分かっていて、言うのだろうか?
それとも、分からず言うのだろうか?
もしかして、本当に自分ができると思っているのだろうか?

これは昔からかなり不思議に思っている。

実際に仕事しない(できない)から、リストラされたり、左遷のような異動に
なったりする人もよく見たが、その後は恨み節が追加された上で
また自分のご自慢のような事だったり、他人の批判を声高に話しているのを
聞くと、言えば言うほど自分を落としているように見えて不憫に思えたものだ。

またそれ以上に不思議なのは、たまたま私だけかもしれないが、
どんな職場にも必ず一人はこういうタイプの人がいるということだ。

職場のエッセンスとして、一人はこういうタイプが必要なのだろうか?

私の場合、できた人ばかりの中で、ぬくぬくとしていたら、
そのぬるま湯にまったり浸かって、甘えてしまい、
人間として向上するどころか、下落してしまうから、
ピリっとしたこういうタイプの人がいる中に身を置くことで
反面教師となり、自分を磨く事ができたり、
あんなみっともない事だけはしまい!と自分を律する事が
できるのかもしれない。

一時期「もったいない」という日本語が世界で注目を浴びていたが、
私は日本語の「みっともない」もいい言葉だと思う。

「みっともない」は英語でなんというのだろう?

自分の中で、「みっともない」事をしない自分でありたいと思っている。
「みっともない」事をしたと思った時は、反省している。

「みっともない」という言葉の尺度を突き詰めていくと、
神(真・善・美)の意に沿わない事のような気がする。
ということは「みっともない」事をしないということは、
神の意に沿う自分でいられるという事につながるような気がする。

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血液型の話
昨日、仕事で知り合ったかなり年下になる20代の人と、プライベートで会っていた。
何だか気が合うな~と思って、血液型を聞くとO型との事。
私もO型だ。

今年入って「面白いな~。この人。」と思い、
プライベートで会って血液型を聞くと、皆O型なのだ。

プライベートで仲のいい友達は、B型かO型が多いというと、
その彼女も一緒だと言っていた。

色々その彼女は資格を持っていて、
習いにいく?
独学する?
と聞くと、即座に独学と答えられ、
私も基本的に(講座を受講しなければ資格取得できない条件以外)は
完全に独学派なので、そこでも盛り上がった。

講師業をしていた時、カラー以外にもネイルだったり、メイクだったり、
エステだったりといった先生にも色々お会いしたが、
私の周りだけかもしれないが、A型の人が多かった。

また、悩まれてカウンセリングを受けに来られる人もA型が多く、
私の母もA型だった。

資格取得の講座はというと、O型やB型が結構多くて、
その中でも、自宅サロンだったり、独立を目指しているという人が
とても多かった。

友達でAB型の人と知り合い、仲良くなったら、
その人の友達がAB型だらけで、驚いたこともある。

全ての人を血液型の4つで分類などは出来ないが、
その血液型の傾向というものはあるのではないかと思う。

大分前だが、雑誌を見ていたら、科学的な研究の結果、
血液型別の脳の働きの違いがわかったという記事が載っていたので
少し紹介しようと思う。

A型:海馬-記憶の収納と引きだしを司る
   記憶や知識をもとに考える思考パターン
   記憶連鎖型

   何か事を起こす時に過去の失敗例や成功例を、
   即座に引っぱり出せると言う事。
   何かの拍子に「過去の記憶」が芋づる式に引っ張り出されてくる。

B型:前頭葉-一つのことに考えを集中させ、
   論理的にまとめる事が得意な学者タイプ。
   思考パターンは一転集中型

   つまり常に一歩先のことを考える「未来型」の部分が優勢。
   ひらめきに強く行動的なのもこのためとも考えられますが、
   問題は、この「前頭葉」は「感情の動き」にも深く関わっているという事。
   もし「前頭葉」が真っ先に働けばその分「感情」も左右される傾向。

O型:後頭葉と頭頂葉-見聞きした情報を管理する部位。
   瞬時に情報を分析、分類することが得意。
   自分は自分、人は人と分ける城壁思考型

   後頭葉は「視覚」。頭頂葉は「聴覚」。
   今、目の前にある状況をしっかり把握したがる現在進行形タイプ。
   一緒にいる人の、表情や仕草を敏感に捉えられればまとめ役がそつなくこなせる。

AB型:時にはA型が使いやすい「海馬・側頭葉」で過去の経験を照らし合わせ
    時にはB型が使いやすい「前頭葉」で先行きを考える。
    ということで昔から言われてる二面性と言うか
    つかみ所の無い性格というのは一理あるようです。
    たぶん自分で無意識の間に脳の働きが切り替わるのでしょう。

たかが血液型、されど血液型。
あなたは何型ですか?

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無難と波乱万丈の話
いいことないな~!とか、
毎日つまんない!とか、
サマージャンボ当たらないかな~!とか
言ってる時って、無難な生活を送ってるってことだよな~と思います。
そんな無難な生活を送れることって、きっとすごい幸せな事で、
その事に感謝できる事なんだと思うんですよね~。

でも、刺激って欲しいですよね。
何か目に見えた変化だったり、
いいアクシデントだったり、
パンチにある出来事だったりが、
自分の身に起こらないかな~と期待してしまいます。

でもそこで、自分の心の内にある幸不幸と思っている「不幸」な方の
アクシデントとか起こると、「あーーーついてない」とか思うわけです。

「アクシデント」が起こると、新たな自分の一面を発見できたり、
初体験をする事ができたり、不幸と思えるということは、その「不幸」を
体験できた事で、「幸せ」に気付ける機会を与えられた事だったり、
人から聞いた話よりも、自分が体験する事で魂が揺さぶられたり、
感動したりもできるので、いい悪いと自分が判断する事でマインドは
揺れ動くけど、いいも一つなら、悪いも一つの体験であり、
どちらも自分にとっては、貴重な宝物なのだと思うのです。

例えば
自分の性質で、明るい自分と思っていた時に
何かのアクシデントが起こり「ガーン」と落ち込み、
暗くグジグジしたとします。

「明るい」性質も性質の一つなら、
「暗い」性質も性質の一つであり、
両方、性質の一つに変わりないのです。

この世に昼が来た後、夜が来るように、
「明るい」だけの人もいなければ、
「暗い」だけの人もいないのだから、
その片面ではなく、両面気付けたことは、
悲しむべきことではなく、喜ぶべき事なのだと思うのです。

だって、自分の性質一つを認識できたわけですから。
自分の性質を知る世界が広がったわけです。
ということは、自分の世界が必然的に広がったわけです。

自分が認めようが、認めまいが、
その人の性質は表面に出ています。
認識があればコントロールできるけど、
認識がないとコントロールできず、
「裸の王様」状態になるだけです。


そこにあって見えてなかったものが、見ることができるということは、
やはり自分の世界が広がることと結局一緒だと思います。

何もなくてそれに気づける人は素晴らしいです。
きっとそんな能力の人は無難な日が多いのかもしれません。

色んな出来事の中で気付いていく人もいます。
そんな人は、毎日色んな出来事が散りばめられているのでしょう。

「何もない毎日より、どんな事であっても
何かあった方が、面白いし、それがいい事だと思っている。」
という人がいる。
そんな人は後者の選択を選んだ人で、
自分に色んな出来事を提供するようにプログラムを組んで
この世にやってきたのだろう。

私はどっちだろう?
どっちもだな。
無難な時があり、その後めまぐるしく状況が変わるときがあり、
また静かな無難な時が訪れ・・・・・etc...

これもまた偏る事なく、人生の中でいい感じに散りばめられているのだろう。

さああなたはどうだろう?

読んでいただいてありがとうございます。
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あなたとの出会いにありがとうございます。



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今できることを精一杯するの話
暑いですね~。
熱中症もすごい人数の方がなってますから、気をつけましょう。

私は暑いとどうも集中力が欠けるし、夜寝苦しいからか眠くて仕方ありません。
でも夏バテしらずで、私は夏になると夏野菜が美味しすぎて食欲が出ます。
痩せたい時期に却って太ってしまうので、本当に困ります。トホホ。

「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉がありますが、
(意味は心の持ち方ひとつで、いかなる苦痛も苦痛とは感じられなくなること。)
ですが、私は火はやっぱり暑いよ~。暑いものは暑いよ~とぼやく凡人なのであります。

今週に入り、いきなり言葉通り「熱」を帯びてきた感じです。
熱といえば、情熱だったり、欲望だったり、
そのまま・・・熱い思いを想像します。
何かが突然起こる事もありますが、
ずっとそれを目指して進んできたという思いが強まったり、
思い切って行動するタイミングの到来の人もいるかもしれません。

最近おんなじ事ばっか書いてると思われそうですが、
瞬間的に変化したり、起こることもありますが、
時間をかけて進んでいく場面もあります。

長期的な長ーい目でみた時に、
本当はずっと長い間心の奥にあったものが、
ふっと意識まで浮かんできたり、
ずっとしたかったけど、腰があがらなかったのに、
いきなりやってみたいと思う事もあったり、
考えうる全ての方法をためしてダメだったものが、
気がつけばあれ?できてる?っていう体験があったり、
(失敗し尽すという体験を経ないと、
次のステージにあがれない事もあるのではないかと思うのです)
長い目でみたら壁と思っていたものが、
あなたを磨くあなたにとっての味方であり、
大切なツールのこともあると思うのです。

結果は私たちには分かりません。
その時点には、本当の意味で何のためにしているのか
本質に気付いている人はいないのではないでしょうか。

ではどうするか?
今できることを精一杯やる。
それに尽きるのだと思います。

明日の事は分からない。
だから今日を一生懸命生きる。

父の最期の入院中、約最後1ヶ月間「明日はダメかもしれません」と
毎日医師に言われていました。
明日がきて父と暮らせるのが当たり前と思っていた私は、
明日はもう父と別れなければならないかもしれないと思うと
毎日、その父との時間の瞬間瞬間を愛おしく思い、
一緒に過ごせる時を純粋にとても幸せに感じました。

普段の生活に戻ると、またもや凡人の私は明日くるのが当たり前、
パートナーが私に優しくしてくれて当たり前位に思っていますが(苦笑)
本当は明日の事は誰もが分からないですし、
この世に当たり前のことなどないんですよね~。

そう思うと、この世の一瞬一瞬の時間の中に、自分が生かされている事が、
キラキラととても尊い幸せな事と気付きます。

そして、誰かに喜ばれる事が自分がしたい、
誰かの役に立つことがしたいという欲望が出てきます。

そしてそれが自分にそれができたらどれだけ幸せだろうと思うのです。
それはきっと自己満足の世界のことだろうと思います。
でもそれでもいいのです。
自分の心の奥の善意を引っ張り出して、それを形にできたら、
そしてそれを誰かの為にそれを使えたら、
きっと自分の心は豊かにふくよかになるのではないかと思うのです。

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気付く事の大切さの話
あ、暑い・・・^_^;
梅雨でも全然降らないな~と思ってたら、バーーーーっと降って、
その後はこのお日様!!

もう梅雨明けしたと同時に、この暑さ!!
や、やばい。

夏はやはり体力使ってたり、夜寝づらかったりするからか、
お腹がいっぱいになって、涼しい所にいると、
睡魔様が降りてきて、ものすごく眠たくなるので、
運転中は気をつけなければ・・・。

今日は、すいか、きゅうり、茄子、トマトをいただきました。
あー夏ですね、
夏野菜大好きです。

きちんとその季節にできるものは、理にかなってますよね。
夏野菜は体を冷やしてくれる作用があります。

水分補充もしっかりしながら、熱中症にならないように、
皆さんもお気をつけください。

昨日の七夕、今日の新月、そして例年より早い梅雨明けの猛暑。
「出会い」「変化」「シフト」っていう流れを感じてしまいます。

流れってありますよね。
世界情勢の流れ、
世間の流れ、
流行、

その中で、自分にもその流れがきたり、
その中で、自分が何を選択するか、
その中で、自分が何を好むか、
その中で、自分の真実は何か、
正直に選ぶことによって、一時的に傷ついたり、
あるいは周りを傷つけることになるかもしれない。
誤った選択をしたからこそ、気付けることもあるのかもしれない。

「気付く」ということは本当に貴重なことで、
誰もが「結果」ばかりを重視しますが、
その途中のプロセスの中に、本当は貴重な事が散りばめられていて、
それに気付けるか、気付けないかの方が、私はとても大切だと思います。

タイヤのCMで、福山雅治さんが、
「僕の中ではゴールとは通過点であって、そのゴールも、向こうにゴールがあって」
というセリフを言っていますが、これは誰もが当てはまることだと思います。

ゴールと思ってそれに向かっていき、そこに到達すると今度はそこがスタート地点になり、またそこからゴールに向かっていく。そして到達すると次のゴール・・・・・

だから結果しか見ていないと、そこにしか照準を当てていないと、
大切な事を全て捨てているかもしれないのです。

結果は自分の思い通りになるにこしたことはありませんし、
そうなるために努力を重ねていく事はとても素晴らしいことです。

研究者や自営業している人の中で、何度もうまくいかないと失敗しながら、
あきらめず作業と努力の「継続」をしている中で、
ふと新しい現象に「気付く」「ひらめく」「思いつく」と言います。

極致の所まで自分を追い詰めた人にしか分からない域があるのかもしれませんし、
その人が結果だけに執着せず、心を自由にしているかもしれませんが、
そういう時に、自分の中の神とつながり、神からのメッセージをキャッチできるのでしょう。

ついつい私達は外に神を探そうとしてしまいます。
幸せも外の世界にあると思い、探し求めます。
そして自分を知りたいと言いながら、他人の声に耳を傾け、
自分の心の声を聴こうとしない傾向もあります。
自然にふっとわいてくる思いや、ひらめきなどを無視したりします。
感情にふりまわされてしまい、自分の心と離れてしまうこともあります。
自分が思い描く結果に執着し、その他のものを遮断してしまいます。

それをするからこそ、その段階を経るからこそ、分かることもあるし、
誰かの言葉ではなく、自分の体験を通して腑に落ちる事もあるでしょう。
でもその生き方を続けると、もしかしたら、本当のあなたの人生の半分を
見ずにシャットアウトして捨ててしまっているかもしれません。
それはもったいないことです。

私も自我が強く、すぐ外へ外へと目線が向きますが、
外へ向いた後は内の心の観察をしていこうと心がけています。

外も必要(自分を映す鏡は必要です)
そして内も必要(鏡に映った自分をチェックすることも必要)
だと思う私であります。

と言いながら、
夏はだらだらして転寝ばかりしまう私であります・・・(笑)

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今日は七夕、明日は新月の話
今朝テレビで、堤幸彦監督と広末涼子さんと、小池栄子さんと対談をされていて、
小池栄子さんから色々な仕事をしてきたという話を聞き、堤監督が
「全く関係ない違う仕事でも、無駄な事はなく、その経験が他の所に生きてくる。
全てがつながって形づくっていく。」
というような事を言っていた。

本当にその通りだと思う。無駄な事はない。

私も違う仕事でしていた経験が、その後他で生きたり、
プライベートでも、あの経験があったから、今があるという事もある。

今日は七夕だ。
私の実家は旧暦でしていたので、8月だったが、今の時代は全国統一の今日
きっと七夕してるのだろう。

そして、明日は新月だ。

今月の新月は
7月8日  16:14 蟹座

蟹座は母性や家庭、家族を司る星座です。
★キーワードは
「家庭・家族」「安定」「成長」「帰属意識」「記憶力」「献身的」
「親密さ・慈愛」「無条件の愛」「感受性の豊かさ」「母性愛」
「感情・気分」「優しさやいたわり」「育成」「解放」「不安感」

★経済的な安定や、新たな成長を見守る、といった面も持ちます

★蟹座が影響をおよぼす身体の部位や症状★
「乳房、胸腔」「胃」「膵臓」「潰瘍、腫瘍」

★新月から48時間以内のボイドタイム
7月8日 20:43 から 7月9日 19:46

蟹座の新月に叶いやすい願いは次のようなものです。

★〔願い事の例〕
・私は家族と心を通わせて幸せな家庭を維持しています。
・私は愛する人と家庭を築き、愛情あふれる生活を送っています。
・私はいつでも安心感を持ち、安定しています。
・私は色々な経験から、自分を成長させていっています。
・私は安心して生活を送る十分な経済力を持っています。
・私はすぐに拒絶されたと思い怒る癖を完全に手放しています。
・私はありのままの自分が皆に受け入れられることを知っています。
・私は不安から他人に依存したり独占したい気持ちを完全に克服しました。
・私は健康な食生活を維持し健康です。
・私は両親(子供)と互いにいたわりあう関係にあります。

★{願いごとの書き方の例}
・新月に入った瞬間から8時間以内に願い事リストを作る。
 (48時間以内有効。8時間以内のほうが効果大。
  ボイドタイムは極力避けて書く方がよい)
・手書きで書く。
・願い事は2件以上10件以内で書く。
・主語は自分で書く。
・自分を信じる。
・願いは1件につき1文にする。
・現在形、または完了形で書く。
・肯定文で書く。

私は今回の新月に「変化」や「リセット」を感じています。
変化と聞くと、急にある日突然変わるイメージを持つ人もいますが、
水面下で徐々に、徐々に変わっていっていたものが、水面上に出てくる
ポイントのような気が私はします。

「感極まって」という言葉がありますが、
(感動が極致に至った様。感極まることで何がしかの行動に移る様子を表す表現。)
潜在意識下で極致に至ると、その現象が現実として現れるのではないかと思うのです。

今回の新月は、無条件の愛と包容力に包まれる日でもあります。
その愛と包容力をあなたも感じれますように・・・

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泣いて過ごすも一生、笑って過ごすも一生の話
生きてたら色々辛い事が誰にでもあると思います。

私は今までの人生で一番辛かったのは、家族、特に両親が死んだ時。
次に辛かったのは、自分が病気になった時。
次に辛かったのは、借金を抱えて昼夜ずっと働きづくめだった時。

まぁ他にも、幼少期はいじめられてた時や、思春期には失恋や、
友達関係でも辛い事はあったり、社会に出てからは仕事の事で
その後は母親が精神を病んだ時など、色々と辛かったことはあります。

その時は、どーん!!!と気持ちが落ち込み、もう這い上がれないんじゃないか、
一生永遠にこの気持ちのまま、ずっと苦しみと悲しみの中に
閉じ込められるのではないかと思うわけです。

泣いても泣いても、よく涙はつきないものだと感心するほど
涙は出てくるし、いくら泣いても気持ちの切り替えなんて出来ないし
ってまだグジグジ思うわけです。

でも悲しいかな・・・
喉は渇くし、おなかはすくわけです。

それで、飲んだり、食べたりしたら、おいしいわけです。
そしてちょっと幸せを感じたりもするわけです。

夏の暑い日は、シャワー浴びるとスッキリして気持ちいいし、
冬の寒い日は、布団入ってあったかくなるとちょっと幸せなわけです。

そしてこんなに私が苦しくて辛い思いをしてるのに~・・・と思っても、
次の日の朝は訪れるわけです。

明けない夜はないのです。

私は結構泣いて過ごした日が、今までの人生で多いような気がします。
怒るというよりは、悲しくなって泣いてしまう傾向が強いのかもしれません。

本当に悲しい時は、私は他人の前では泣けなかったりします。
笑って頑張ってしまうのです。
でもその頑張った分、その無理したしわ寄せは自分が一人の時間に
襲ってきます。

自分でも、あきれる位に、グジグジと泣いていた時があります。
「もう死んでしまいたい!」と思ったこともあります。
でもそんな勇気のない私は、死ぬこともできませんでしたが・・・

でもそんなある日気付いたのです。
誰もが、絶対に死ぬのだと・・・
今の人生は無限ではなく、有限なのだ。
限られた時間の中で、どうせ生きなければいけないのなら、
泣いてグジグジと生きるより、笑って明るく生きた方が楽しいと。

まぁ泣くことにもあきてしまったのかもしれませんが、
この世は予想外の出来事の連続で、
自分の思い通りに物事がいくことなど、あまりありません。
思い通りにいったところで、それがいい結果につながるわけでもありません。

昔のことわざのように「一寸先は闇」なわけです。
いくら怖がったところで、そこへは進むわけですし、
いくら後悔して嘆いたところで、過去に戻るわけにはいかないし、
だったら、今泣いたって笑ってたって一緒だったら、
笑ってた方が心も楽だし、楽しく生きれるだろうな~って。

それを気付いて、決めたといっても、
嫌なことがあった日は「悶々」とする日はあるし、
腹が立つことだってあるし、
「もーーーいやーー!!」ってクタクタの日もあるけど、
「まっそういう日もあるか。どうなろうが大したことない、ない。」
って数日後には、結構笑って過ごせるようになってきてると思う。

泣いて過ごすも一生なら、笑って過ごすも一生。
空元気でも笑ってたら、何だか楽しい気持ちになってきて、
本当に笑える出来事にも会えたりするし、
「笑う門には福来る」で笑ってると、天国の波長に近づく気がする。

隣の芝生は青く見えるけど、誰もが100%辛かったり悲しいことはあるし、
誰もが100%死ぬという現実の法則は変わらないわけで、
幸不幸の比率は同じで、その人によっての条件だったり状況が違うから
傍から見てると不公平に思えるが、誰もが変わらないのではないかと思う。

そんな中、辛い出来事があっても、へこたれず笑って生きられることが
本当の幸せのような気がするのは私だけだろうか。

あなたが笑って生きられますように。


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導かれている感覚の話
人生において、何か大きな力によって、導かれているような感覚を覚えた事はないだろうか?

「自分が絶対これをしたい!」とか、
「これ!といった願望があって、それに向かっていく」というのとは反対に、
誰かにたまたま誘われていった所での出会いが、それからの人生を大きく変えたとか、
ふとつけたテレビでしていた事に興味をもち、調べていくうちに、
自分の生涯にわたってしていくような仕事になったとか、
何となくネットでみつけた所に足を運んでみたら、予想外の出来事が重なり、
想像できない展開になり、生活が一変してしまったとか・・・

自分の思いもよらない状況が、前もって決まっていた脚本のように、
すらすらと流れていくといった状況だ。

きっと誰にでもあるのではないか?と思うのだが、
今年入って、私も何かに導かれているのだろうか?と思うような出来事が
それも何ともいえないタイミングで起こり続けているような感じなのだ。

また、その時は「えーーー?」と困ったな~と思えるようなことが、
その数日後には「あーなるほど。これに続くためだったんだ。」と思えたり、
ある情報を私に教えるためだけに現れるような人の出会いがあって、
その情報が1度では私がキャッチできなかったら、何度もその人が与えてくれて
「えっ!こんな事になっているわけ?」と現実を知ると同時に
その人が私の前から消えていくという事があったりするのだ。

(ちなみに情報提供してくれた人は、体調を崩して、
仕事を休んで入院した後、長期休暇に入り、皆にお見舞いは無用!と言い、
誰もこの数ヶ月会っていない。)

あと、ある人について、先入観に囚われて見えていないことを、
これまた新たに出会った第三者を通して、見せられ気付かされたり、
偶然というものはない!と思っている私だが、あまりのタイミングのよさだったり、
本当に次々と、これが終了ね。じゃ次これ。と繰り広げられる状況に
何らかの導きのような力を感じずにはいられない思いが、最近強い。

去年まではあまり動きたくなかった私が、今年からは動きたくなり、
動き出したのだが、どんどん現実的に色んな変化が起こり、
それに伴ないゆっくりではあるが、心の変化も起こっている。

理屈では説明できない、気持ちの変化だったり、
情熱というか何か熱を帯びた気持ちなど、この数年忘れていた感情も出てきたり、
美しい道徳倫理や客観的見方ではなく、自分の喜怒哀楽や自分の思いなどに焦点が合い
周りを取り巻く環境や、人なども変化してきて、
なにやら解放された気分を味わったりもしている。

それを「何故か?」と問われても、きっと答えられないし、
今の現状も、たまたま思いつきでしてみた事から、広がった結果
思いがけない出会いがあったり、それに伴ない自分の変化があったりしている。

自分の表面的な意識など、本当に氷山の一角であり、
潜在的な無意識の世界だったり、言葉では表現できない、
目に見えない大きな力の存在こそが、現実を創っていて、
それに沿っている生き方をしている時って、
きっと心軽く、理屈では説明できないが「うん。合ってる。」という
変な自信を伴ない、何の心配もせず楽しんで生きられるのだな~と思う。

本当に感謝を感じずにはいられない。
ありがたいことであります。

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メンタルの強い弱いの話
今日「自分はメンタルが強い」と豪語している人を見た。
よくそう言われるとも自慢気に言っていた。

でも私はいつもその人は
「無理してるな~。無理しないと立ってられないんかな?」
「弱い人だな~。だから虚勢を張るんだろうな~。」
「自分の意見や正義が正しい、他の人の意見や正義は誤っていると批難して、鎧を纏っていないと、自分を守れないと思っているんだろうな~」
と見ていたし、そう聞いた後の今でもそう思っている。

人間一番強い人は、自分の弱さを分かっている人であり、
もっといえば強い、弱いという尺度を越えた所に自分を置いている人だと思う。

正義は一つではない。
自分の正義があるように、相手は相手の正義があるわけで、
見方や立場を変えれば、正反対の正義が見えてくることだってある。

よく怒ったり、批難したり、高圧的な態度をしたりしている人は
決して強いわけではなく、弱いからこそそういう態度をとるのだと思う。

強い人は別に怖いものもないから、自然体であり、全てを受け入れ動じず
全てを受け入れ、人を感心させるのではなく、笑わせ、幸福にさせたり、
穏やかな笑みの中ほっとさせたりするものだ。

鎧など着ずとも、素っ裸(心の中での話)で不安はなく、感謝があり、
穏やかな微笑みを持った、品性とユーモアと持ち合わせた謙虚に見える人
といったイメージが私は強い。

強がっているうちは、きっと弱いのだろう。

弱さを受容し、自分の全てを肯定し、懐の深い、
自分が苦しんだ分だけ他人に優しくなれて、笑っていられて
どうせ生きるのであればせいぜい楽しく元気に笑って生きて、
手痛い失敗したら泣いても、その失敗の痛みから学び成長でき、
そしてその経験全てをさせてもらえる事自体に感謝できる
そんな人間に私はなりたいな~と思うのである。

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今日から7月、新しい時間の話
今日から7月です。
今年半分が過ぎたという事です。

何だか、今日を境に「変化」が起こり、
今までと違った時間が始まったような気がします。

私の周りにも、色々な変化が起こった一日でした。
私の思いとは一切関係なく、周りの人やものが変わっていく様を目にしたり、
自分が思い切って動くという行動を起こした日でもありました。

「相手が変わる」
「時間と運命が変えてくれる」
という事に期待せず、待たずに、自分で動きました。

ある問題に対して、私が思い切り石を投げ込みました。
予想外に、その石によって出来た波紋は広がり、
私が想像していた以上、というかはるかにその想像の域を超えていきました。

私はその投げた石により、責任を問われるような事があれば取る覚悟もありましたが、状況は私の思っていたものとは全く違う方向へ、大きな波紋となって動いていき、その状況を想像していなかった私は、その現実についていくのが必死という状態でした。

これは嬉しい悲鳴といったものです。

まだプロセスの途中ですが、これからどういう結果になろうとも、受け入れようと思い、動いた事で心がスキッと晴れ渡りました。

「何がどうなろうが、大したことじゃありゃあせん」
父の言葉ですが、本当に明日の事は分かりませんし、どんなに心配しても、叶えたい夢をイメージしても、現実は自分の思い通りにならない事がほとんどで、自分が投げた球がどこにどんな状態で飛んでいくかは、投げてみないと分からないということも多いです・

でもどんな結果になろうとも、自分で受け入れる受け皿さえつくっておけば、本当に何も大したことじゃないと思えます。

自分に必要な出来事が、自分に必要な時に起こっている。
そして、自分の感情が自分の学びのヒントを与えてくれている。
のだと思います。

人生は無限ではなく、有限であり、
誰もが、今生の人生を終えなければいけません。

その人生を与えられている事こそに喜びがあり、
感謝することであり、
色んな悩みや出来事などは、形を変えた自分に与えられた愛の証と
いうべきものなのかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
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