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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
川の流れのように~♪の話
昨日はあまりに眠くて眠くて、早々に眠ってしまいました。
季節の変わり目には、それまでの疲れがでやすいのでしょうか?
また、その前の日に怖い夢を見てしまい、寝ながら疲れていたのかもしれません。

夢には、いろいろな深層心理が隠されているといいます。
ユングの著書を読んでいても、その夢に関しての事がよく出てきます。

私は夢に関しての知識がないので、夢の内容を書き込むと分析してくれる
夢占い診断書 ユメカルテ
というサイトを見つけました。

書き込んでみると、運勢やバイオリズム、分析結果が出てきて、
その分析結果を読むと
「結構当たってるかも~。そっか~心の奥底ではそう感じてるか~」
などと納得できる内容でした。

興味ある方はどうぞお試しあれ。

最近ご縁とは本当にありがたいものだと思います。
人間にしてもしかり、場所や仕事、すべてにおいてご縁があるものとしか
やはりつながらないのだろうと思ってしまいます。

その中では自分の望まないものがあったり、
反対に自分が望んでも、ご縁がつながらないものもあります。

昔、心についての勉強中、「好き嫌いで決めない」というセリフを聞いた時、
好き嫌いのはっきりしている私は、「それは無理」と速攻思いましたが(苦笑)
自分を磨くためには、成長させるためには、好き嫌い関係なく必要なことがあり、
どれだけ抗おうが、その中の体験でしか見つけることができないことがあり、
それが自分の糧になるのだということを知りました。

好きなだけの中でぬくぬくといると、ある一方の考えや感じ方しか体験できず
井の中の蛙のように、ある一部の世界でしか生きていない狭量の自分になるのでしょう。

でも、本当に自分の思い通りにならないな~と最近思うことが多かったです。
周りの環境や、周りの人などあっての自分だということをよく感じるとともに、
自分ではこうしたい!と思っても、自分のプログラムはそうなっていなくて、
水が流れるように、その方向へ行くようになるのだな~という感覚があります。

ただ、違うと思うものは断るし、こうしたいと思うことはチャレンジするのだけど、
後で考えると「なるようになる」というか「なるべきように流れたんだな~」というように
自分の思い通りにはいかず、自分では考えが及ばないことになったりします。

明日の事はわからない。
そのわからないことも含めて、自分の中を空っぽにして、その空っぽを楽しんでいると
その楽しいと思う波動と同じものが、自分の中に入ってくるといいます。
どんどん詰め込んでいたら、入ろうとしても入るスペースがなくて、もしかしたら
必要ないものを握りしめいていて、必要なものが入ってこれないこともあるから
「断・捨・離」はとても必要な作業だと思います。

でも空っぽだと不安になったり、「断・捨・離」には迷いが生じたり、悩んだりもします。
不安もあるけど、迷ったり、悩んだりしながら、そうしようと頑張ることが
きっと自分を豊かに成長させるのかもしれません。

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ウォーキングの話
日中は暑いですが、日が短くなってきました。
朝晩は、寒いほど涼しくなってもきました。
気温差が激しいので、体調を崩している人もいるのではないでしょうか?

心身ともに弱ったり、夏の疲れが出やすい時なのか、
最近メンタル的にも、考え込んだり、心のストレスや悩みが体に出たり、
症状に出たりする人の事をよく聞きます。

私は昨日はまた夜友人たちとウォーキングをしていました。
約2時間で12キロ位でしょうか?
ちょっと昨日は足が痛くなりました。

ただ、夜は涼しくて歩いているとちょうど気温が快適で、
体を動かすことで、気持ちがポジティブの方向にも向けて、
本当に気持ちがいいです。

うつ病や、心が疲れてしまう人は、家に中にこもりがちになります。
そして体を動かさなくなります。
そして体は使わず、頭ばかりフル回転で、自分のマインドに振り回されて
しまいます。

マイナススパイラルにはまっていく人も多いのではないでしょうか?
心が原因で体に出ることもありますし、
体の疲れが心に影響することもあります。

そんな中では、ウォーキングはおすすめです。
自分のペースで歩いているうちに、いろいろ頭は考えますが、不必要な
エネルギーをいい感じで「ガス抜き」できているのではないかと思います。

これからは紅葉や秋が深まり、木々の色も美しく染まります。
その実りの季節に、気持ちよくウォーキングや散歩は本当に
気持ちよく、自分をリフレッシュさせてくれるいい方法だと思います。

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受け入れると現実に変化がある話
昨日引き寄せの法則という言葉をブログに書いて、昔聞いた話を思い出しました。

ある人が自分の家を持ちたくて、色んな努力をしました。

反対のだんなさんに家を持とうと説得したり、
お金の工面をしようとしたり、
色んなパンフレットを集めたり、
住宅展示場を見に行ったり...etc...

でもだんなさんの反対はひどくなるし、
お金の工面はできないし、
パンフレットや住宅展示場に行くことで現実を思い知らされたりと
到底、自分の家を持つのは無理だと思います。

そして、ふと今の家に目を向けます。
今の住まいを片づけてきれいにしたくなり、大掃除を始めます。
今までしなかった所も丁寧にきれいに、どんどん磨き上げていきました。

すると、その自分の住んでいる家に、とても愛しい気持ちが出てきて、
「今までも今も住ませてくれてありがとう。」
という思いにいっぱいになったのだそうです。

すると、不思議なことが起こりました。
あんなに反対だっただんなさんが、なんといい物件を紹介されたと乗り気になり、
新しい家を買うことが決まり、お金の面も融資の話がトントン拍子に決まり
あれよあれよという間に、引っ越しをしたのだそうです。

また、こんな話も聞きました。
リタイアしたご夫妻が、誰がくるの?というような山奥の場所に
お宿をすることにしました。

今旬の言葉ですが「お・も・て・な・し」をしたいと、
そのご夫妻の理想を掲げて、用意をしてお待ちしていたのですが、
全然お客様がきません。

周りには場所が悪いとか、HPや雑誌などで募集をしないと誰もこないとか、
色々と言われたそうです。

でも、ご夫妻は喧噪を忘れて、ご縁でこられたお客様に故郷に戻ったような安らぎと
自分たちの心のこもったお料理と「おもてなし」味わっていただき、
心身共に本来の健康を取り戻す癒しと落ち着きのあるお宿をひっそりとしたい
という自分たちの理想に反することはしたくないと、宣伝は一切しなかったそうです。

ある日、奥様があることに気づいたのだそうです。
スリッパがないと・・・
お客様用のスリッパをあまり用意されていなかったのだそうです。

これからお客様を迎えるのに準備不足だったと
スリッパを揃えたら、お客様がどんどんお越しになるようになり、
そのスリッパの数がちょうど足りるお客様の数になったのだそうです。

これは、自分のエネルギーの受け入れの話なのだろうと思います。

欲しい欲しいと自我で思っていても、自分のエネルギーというか
魂というか、潜在意識というのか、言葉はよくわかりませんが、
その受け入れができていないと、現実は起こらないのだと思います。

大体、現実がこうなったから、自分がこうする。という図式を考えがちですが
本当は、自分の受け入れができるから、現実が起こるのだと思います。
心が現実より先なのです。

だから、引き寄せの法則も、頭だけでこうなったらいいな~と思っていても
心の奥底の部分で受け入れていなければ、現実は起こらないということでしょう。

好きだった「仁」のセリフに
「神は乗り越えられる試練しか与えない」
というセリフがありましたが、それは事実だと思います。

自分にとって都合いいことや、得すること、楽なことをいい事と思いがちですが、
自分の思い通りにならないこと、失敗すること、苦しいことなどの試練は
自分を磨く素晴らしい機会でもあり、それを乗り越えた時には、
自分の魂のステージがどんどん上がることができます。
そのようないいことと思えない時も、いいことの時と同じく、感謝の時なのでしょう。

両面どちらも必要なのです。
右を知るから、左がわかります。
昼を知るから、夜がわかります。
失敗するから、成功できるのです。
何かを知るには、もう一方を知ることが必要になります。

だから、無駄なことなど一切ないのです。
自分自身も、自分の過去もすべてを肯定して受け入れる事ができた時、
始まる何かがあるのかもしれません。

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折り返しの秋分の日の話
ランキング「癒し」でジャスト100位ありがとうございます。

今日は秋分の日です。
お彼岸の中日でもある日ですが、春分の日から半年。
一年の折り返し地点です。
どんな半年だったでしょうか?

私はこの半年は、新しいご縁があり、気の合う友達ができました。
色んな人を見る機会に恵まれ、本当にこの世は色んな波長の人が
一緒くたになって、生きている場所なんだな~と実感できました。

嫌だな~と思うこともあったり、めんどくさい人だな~という人もいたり、
今までにないパターンの人にあったり、不快な出来事があったと同時に
嬉しい!!!ってこともあり、楽しくて面白い人と友達になり、
笑いの絶えない時間を共有できたりと、嬉しいこともありました。

どちらも貴重な体験です。

また、嫌なことや不快な出来事に対しての私の受け取り方や対応をみて
パートナーから「本当強くなったな~!!」と言われたのも嬉しかったです。

ちょうど、今月で私の場合は状況が変わります。
この後半どうなるか一切決まっていませんが、どうなるか楽しみです。

先日ウォーキングをしながら、一緒に歩いていた友達が
「なるようになる」
と言ってましたが、本当にその通りだと思います。

だからといって、努力はしなくていいということではありません。
でもやはり自分に必要な体験と、不必要な体験があるのだと思います。

いくら願っても、自分に不必要な体験よりも必要な体験が優先されるし、
ある体験をするには、順序があってその前に違う体験が必要な場合も
あるのだとも思うのです。

またこの世は、相対の世界です。
ある一方だけの片面だけではなく、両面があって一つです。
表裏一体の世界です。

引き寄せの法則等ありますが、ある出来事を引き寄せたいと願う時は
きっと片面だけを望んでいるのですが、光を求めれば必ず闇もついてくるように
片面だけではなく、両面引き寄せることにもなるのを忘れてはいけません。

人生はバラバラにしたパズルを、一から創るゲームのようなものかもしれません。
ピース一つ一つは何かよくわからないし、一つだけを見ると汚く見えたりしても
全体像ができあがっていくと、あとになってその意味がわかったり、
その汚れたように見えたピースがあるからこそ、そのパズルが美しく見えることも
多いのだろうと思います。

また、インパクトのないこんなピース本当に必要か?と思えるような単調な色が、
そのパズルの絵のほとんどだったりします。
でもそのほとんどの色の部分が、そのパズルの背景などの大部分をしめていて、
その色がないとそのパズルは成り立たず、1ピースなくても出来上がりません。

その単調な色である、毎日の生活や当たり前と思える生活があるからこそ、
自分のパズルが成り立っているということですし、そこにこそ本当に色んなものが
隠されていることも多いのだろうと思います。

どんな絵になるか忘れて作っていくその過程の中で、色んな気づきやドキドキがあり
嬉しいこともあれば、悩むことも、うまくいかないことも、達成できた喜びも
苦しいことも、楽しいことも、色々体験できるのだと思います。
誰もが結果ばかりを求めますが、本当はその過程こそ自分にとって大切なのでしょう。

折り返し地点を迎えて、明日からまた新たな気持ちで今年の後半を過ごしたいと思います。

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髪を切る話
今日はまた、私の住む街は日中とてもいいお天気で暑かったです。
お彼岸のお墓参り日和、運動会日和の絶好のお天気だったと思います。

私は今日は髪を切りました。
今年の3月バッサリと切ってから、それまで長い時は半年に一度位しか
カットに行ってなかったのが、短くしたら2か月に一度位はいかないと
不揃いで伸び放題の感じになってしまいます。

でもかなり伸びてきたので、そろそろもう少しあいてもいいかな~。

髪って神とおなじ「かみ」と読みます。
私の中では、髪は依り代になるのではないかと思うところがあります。

ウィキペディアによると、
依り代、依代、憑り代、憑代(よりしろ)とは、
神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体や場合によっては神域をしめす。
とあります。

神や精霊の依り代は森羅万象で、那智の滝をはじめ、岩や石、木などがご神体として
祀られている所も多く存在します。

版画家の棟方志功さんの製作中の所を一度テレビで拝見したのですが、
子供のように無我夢中で、板画用の板に眼鏡がくっつくんじゃないかと
思える位近づけせっせと削っている時の姿は、そのはちまきが依り代となり
神が降臨しているような感じがしたのを覚えています。

私は髪も依り代となっていて、自分の波動と近い波動を持つものがつきやすかったり
また失恋したときなど、ばっさり髪を切るというのも、
髪にその時の自分や相手の波動が残っていて、それを言葉通り断ち切る方が
本当に心も断ち切れるのではないかと思います。

誰もが目に見える体の周りにも、いろんなエネルギーをまとっています。
それが見える人に言わせると「オーラ」というものなのでしょうが、
人によってそのエネルギーの強さや大きさは変わりますが、
体があたっていなくても、物理的に近づいている時は、それが重なります。

そうすると、どうしても相手の影響を受けやすくなりますし、
いくら顔でニコニコしていても、目に見えない心の部分がもし地獄のようであれば
その波動のエネルギーを受けることになります。
反対に、口調がきつい人でも、心が清んで美しいとその影響を受けます。

環境が変わったのに、前の時の辛い時の気持ちをひきずってしんどいとか
気持ちを切り替えて、新たな気持ちで何か始めたいという時、
前の彼の事は忘れて、新しいご縁を見つけたいという時などは
髪をきると、自分の今までのエネルギーや、相手から受けたエネルギーを
スッキリと言葉通り「きる」ことができるかもしれません。

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お彼岸ですね~の話
昼は暑いですが、朝晩涼しくなり、昨日の夜もウォーキングをしました。
三時間。
結構歩きました。
マメができました(苦笑)

そして、今日はお彼岸でお墓参りに行ってきました。
我が家は、先祖代々のお墓の数が多く、お供えを買いに行って
お墓掃除をして、お供えしてお線香をあげてという作業をすると
ほぼ半日かかってしまいます。

でも、行き帰りに、色んな所に彼岸花が咲いていて、
あーお彼岸だな~という気持ちになるとともに、
あー色んな魂が帰ってきて宿ってるような気持ちになります。

我が家のお墓は山の中にあるのですが、いつも蜘蛛がたくさんいます。
蜘蛛の巣を見ると、きれいによく作ってるな~!いつも感心します。

できるだけ崩さないようにするのですが、そうもいかない場合は
「ごめんね~。また頑張って作ってね~」
と言ってしまいます。

お供えしていると「カー!カー!」とカラスの声が聞こえだします。
早くやって帰れよ!お供え食べるから!と思ってるのかな~と思いながら
お供えを供えていると、あっという間に蟻がまぶりついています。

今日は蜂も多かったです。

お墓に行くと、色んな生命体に出会えます(笑)
ついつい、人間世界で生きていると、人間中心にこの世界が回っていると
思ってしまいますし、人間様が一番偉いと思ってしまいます。
でも人間もこの世の一つの生命体にすぎず、色んな生命体で
この世は成り立っているということを気づかされます。

皆がそれぞれの役割を果たし、自然のサイクルを崩さず、
共存できる世になればいいな~と思います。

お彼岸が過ぎると、秋が深くなるんでしょうか。
大好きな「あまちゃん」もとうとう最終週に突入しますし、
夏の終わりは少しさみしさを感じます。
とともに、秋の到来でわくわくさも感じます。

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中秋の名月
今日は中秋の名月ですね。
真ん丸お月様を見ながら、おだんごを食べるお月見に最適な日です。

イベントをする所もあると思います。

昨日はまたお友達と夜ウォーキングをしていました。
昨日は10キロ近く歩きました。

しかし、私はどうも自分に甘いのか、気が緩むのか、
歩いているから大丈夫!ときっと食べ過ぎているのでしょう。
なぜかウォーキングしだして、ちょっと太り気味という本末転倒な
事態に陥っています(苦笑)

今「エネゴり」君もしていますが、私も「カーヴィーダンス」が
負荷もあまりかからないし、心拍数もそんなにあがらない
(だからそんなにしんどくない)のに、効果てきめんで、
ウェストからヒップ、太ももまではすっきりします。

夏は汗びしょになるからと、ちょっとやめていたので今はすっかり
元通りですが、すると引き締まるので、そろそろしようかなと思います。

最近、パートナーも、そしてウォーキング仲間も食事も意識して
痩せてきているので、私も少しはすっきりしようかなと思ってしまいます。

といいながら、今日は「お月見だから」とだんごを食べてしまう私なのです(苦笑)
とほほ・・・・

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「陰徳」と「感謝」のパワーの話
人ってつくづく、それぞれの価値観や考え方、自分のものさしを
持っているな~と思います。
同じ風景、同じ話、同じ食べ物、同じ空間を共有していても、感じ方や
とらえ方はそれぞれです。

でも、その中でも、なぜか皆から敬遠される人や、苦手と思われる人がいます。
反対に、皆から好かれたり、かわいがられたりする人もいます。

それは受け取り側ではなく、その人自身が発しているものにやはり原因があるのでしょうね。
言動、行動、そして波動。
全て「動」がついてる!!!

自分では他人に好かれたい、評価されたいと頑張っているのに、
頑張る方法を間違えていて、どんどん嫌われる人がいます。

その人のやり方は、自分の損得の対象を決め、得だと思う人の前では
とても愛想よく、派手に大声を出したり、オーバーアクションで、
自分がとても働いていることをアピールします。
自分にメリットがないと思う人に対しては、とても高圧的な態度をしたり
きつい口調で命令したり、手柄を横取りしたり、意地悪したりします。

気の毒なことに、数年前までは、この方法が功をそうし、上司に評価されたり
かわいがられていたりしたのだそうです。
その成功体験があるからか、何度注意してもやめず、やり通しているらしく、
今は皆から嫌われ、言っても聞かないからと相手にされず、陰口をたたかれ、
本人はそんなこととは露知らず「裸の王様」状態で、評価されるどころか
白い眼で見られているのに、点稼ぎのつもりで一人で頑張ってるのだそうです。

これも時代の変化なのかな?と思ったりします。
表裏の裏が今まで隠れていたのに、今や表面化して皆にバレバレなのです。

「陰徳」
「陽徳」
という言葉があります。

「陰徳」とは、人に知られないようにひそかにする徳行です。
「陽徳」とは、世間の人に知られるようにあらわに行う徳行です。

この徳をお金に例えると、陰徳の方はどんどん貯金がたまっていきます。
陽徳は、陰徳に比べてなかなか貯金がたまらず、「ありがとう」などと
感謝されたら、±0になってしまいます。

この徳の貯金が増えると、自分の心が軽くなり、生きるのが楽しくなります。
そして、大難が小難に、小難が無難になるイメージがあります。

この「徳」の反対が「業」ですが、この「業」(カルマとも言います)が、
「徳」を積むと「業」が軽くなり、業によって果報(むくい)を受ける事が
軽減される気がします。

「業」を晴らすのは、苦しい思いをするか、徳を積んで相殺するかだという話を
昔に聞いたことがあります。

この世は、因果関係によって基づいている世界だと聞きました。
自分に起こることは、昔自分が蒔いた種という「因」が「果」として現実になり、
因果応報で、人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば
悪い報いがあるのだと思います。

それを、軽減できるのが、「徳積み」と「先祖供養」だと私は思っています。
その徳積みも「陰徳」の方が効率がいいのだと思うのです。
ですから、上記の人のやり方は、かなり効率が悪いし、それで周りを不快にさせたり
相手に故意に意地悪をしていると、「徳」どころか「業」が増えて、今後その蒔いた種を
自分が刈り取らなければいけない状況が訪れるのだろうと思います。
それこそ「ご愁傷様」です。

「先祖供養」は木に例えると、自分は目に見えている木の部分とすると、
ご先祖様は土の中の根だと思うのです。
いくら大きな木であっても、根が張って根付いてないと、ひっくり返ってしまいます。
また、しっかり根をはってもらうために、水やりをする必要があります。
水やりをしないと、根が細り、根が枯れてしまえば、自分も枯れてしまうのです。

私はこの水やりは、ご先祖様に対しての「感謝」の心を持つことと、
毎月とはまではいかなくても、今月はお彼岸ですが、このお彼岸やお盆、
また生前一緒のこの世に暮らした故人がいる場合は、その個人の命日位は
お墓参りをされると喜ばれるのではないかと思います。
また家にお仏壇があれば、たまにはお線香(3本)をあげて、手を合わせ
生かしていただいている事や、御護りいただいている感謝を述べるのもいいでしょう。

また、木には「光」が必要です。
その「光」が「天照大御神様」であり、「氏神様」なのです。

自分がきちんと生きて立っていられるのは、先祖様と天照大御神様、氏神様
また八百万の神様たちのおかげなのです。
どうしても、目に見えないものはおろそかにしてしまいがちですが、
自分は一人では生きてはおらず、このようにたくさんの愛に支えられて
生かされているという事に気づき、「感謝」することはとても大切で、
「感謝」をすればするほど、結局自分に回りまわって返ってくると思います。

「天」に愛される人は、生きている人間からももちろん愛されます。
この「愛」も目に見えないものです。
この世には「目に見えない」大切なものが多いですね。

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今に自分を置く話
今日ランキングが過去最高の順位になっていました。
昨日の記事を書いたあと、あまりよくなかったな~と
ちょっと思っていたので、この順位にびっくりしました。
わかんないものですね。

みなさんの周りにも、結構押し付けの強い自称親切で優しい人がいるんだな~!
と思ってしまいました。(苦笑)

今日、意外な人から、意外な方向の仕事の提案がありました。
かなり意外だったわりに、イケるかも?と思える感触があり、
今は構想だけの絵空事なのですが、具現化したら面白いなと思えるものでした。

人生って本当に明日は何があるかわかりませんね~。
色々心配したり、妄想したりしてることが本当に無駄なことのように思えます。
自分の想像通りにいかないし、また、自分の想像以上のことも起こります。
また、色んな巡りあわせとタイミングがありますね。

この瞬間の今が、自分の人生なんでしょうね。
そしてこの今こそが唯一の現実なんだと思います。
そしてこの今にエネルギーを注入することで、
その結果が明日につながるのでしょう。

以前の私は、過去を振り返り後悔したり反省したり、
そしてそれが終わると将来のことを心配したり不安に思ったりしてました。
そして自分で物語をつくり、そうなればいいな~と期待して妄想し、
そうならないと落ち込み、自己嫌悪に陥ったり、自信喪失したり・・・
一切その瞬間や、今に自分がない状態で生きていました。

特にそれがひどかったのは20代でしょうか。
心と魂、そして体がバラバラだったのか、入退院をよく繰り返していました。
でも、少しよくなると、体の声を無視して遊びまくっていて、
中庸という言葉がありますが、それにはほど遠く、気持ちの浮き沈みがとても
激しい時代だったと思います。

今から振り返ると、一人でじっとしている時間が怖かったような気がします。
自分がないから、人といることでその不安を解消しようとしてたんでしょうね。

本当の意味で、人生を生きていなくて、文字通り空っぽだったのでしょう。
今を生きること。
今のこの瞬間に自分を置くこと。
それを意識するようになって、(といっても過去や未来にとびまくりますが)
大分自分らしくいられるようになったと思います。

三位一体といいますが、意識、精神、魂が近づくと、安定するのだろうと思います。
体もじょうぶになりました。
私は体との対話ができないので、頭では気づかず、気づいた時は体が動かないという
状態に昔はよくなっていましたが、最近はそういうことにはなりません。

昔、今に自分を置くことを意識するように教えてくださった方が
「静の動」
「動の静」
言葉は忘れましたが、体が静になっていると、心が動きやすくなる。
体を動かしているときの方が、心が静かになる。

皆、自分に近づこうとする時、瞑想をしようとするが、心は実際には動きが
激しくなり、色んなところに飛びまくる。
体を動かしながらする方が、心は静かになり、今に自分を置きやすいと
コツを教えてもらったことがあります。

何か熱中できることをしている時って「無」の状態になりますよね。
たとえばゲームとかスポーツとか、何かを作るとか、何かを書くとか
必死で何かしている「動」の時って、心は「静」になってるものです。

でも必死になってる時ってあまり生活の中の時間配分の中では少なく、私は
その時はかなり意識してやろうと、ずっと自分がすることを実況中継してました(笑)
今歩いています。止まりました。蛇口をひねりました。手を水に濡らしました。
という具合で、何も動いていない時は、息を吐いて吸ってと呼吸を意識してました。

これしてみると、不思議なことに今しか意識していないのに、
次にすべき事が自然にわかり、家事でもなんでもとっとと終わり
流れるようにできて、時間を見ると短時間で終わっていました。

どれだけ、いつもはエネルギーの無駄使いや時間の無駄使いをしてるのかを
痛感したのを覚えています。
すっかすかでダダ漏れだった自分のエネルギーを、チャージして留めている感じも
ありました。

あー最近またすっかすかのダダ漏れになってるな~。
また意識しよー。

心配とか不安って、すごいエネルギーを使っていて、消耗してると思います。
また、考えても仕方ないこと、相手の気持ちや、将来のことをよく考えてると
思いますが、本当にそれはわからないことで、重要なのは、相手の気持ちより
自分の今の気持ち、なぜそれをそう思うのか、何が不安なのかが重要であり、
将来は今の延長線であり、因果関係があるとすれば、
今の「因」が将来の「果」になるのだろうと思います。
人は「わからないこと」につい目を向けがちですが、今の目の前や、自分など
「わかること」に目を向ける方が大切なのだろうと思います。

さぁ、今から、今この瞬間に自分を置いて、今を生きましょう。

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「優しさ」「思いやり」の話
台風の影響で雨が降っています。
よく降りますね~。

最近雨が降るたびに、秋めいていっているので、この雨でも
涼しくなるのでしょうか?
今はとても蒸し暑いですが・・・

「優しさ」とか「思いやり」の形は、人それぞれ違うと思いますし、
それって、結局は自己満足が占めている割合って結構あると思うんですよね。

でも、人は「優しい」人が好きだと言いますし、
「思いやりのある人」と仲良くなりたいと思います。

この「優しさ」「思いやり」の形って一体何なんだろうって思うんですよね。

意外に「優しさ」「思いやり」の押し売りしている人が多い気がするんですよね。
自分では、相手を思ってやっているのでしょうが、相手が迷惑していたり
困っていたりするケースもあると思うのです。

でもそういうケースを引き起こす人を観察してみると、自己顕示欲が強かったり
承認欲求:相手に認めてもらったり、感謝されることで自信がもてるタイプだったり
自分のコンプレックスの裏返しで、自分の意見を押し付けたりする人が
とても多い気がするのです。

自分の意見を相手に押し付けるということは、相手を否定していることだとは
本人は全然気づかず、自分が親切に相手を修正してあげたと思っている人もいます。
また、あの人を私が守ってあげないといけないと、その人が動けば動くほど
話せば話すほど、事態が複雑に絡み合い、周りが疲弊することもあります。

誰かを守らなければ!という対象が子供だったり、弱い立場の人の場合は
分かりますが、大人で自分と同等の立場の人の場合は、裏を返せば、
自分は優秀で守ることができるが、あの人はできないと言っているようなもので
まして当人に頼まれてもいないのに、勝手にするのはただの自己顕示欲だと思うのです。

あるテレビで女社長が、頑張った社員に高級車の「ベンツ」をボーナスであげていましたが
相談もせず、ベンツを贈られて本当にその社員の人はうれしいのだろうか?と思いました。

女社長には、賛辞の声があがってもいましたし、社員に対しての報酬としては
とても高額のものだということはまぎれもない事実です。
ただ、自分が好きだからといっても、それが相手も好きとは限らないし、
ましてベンツは駐車スペースの問題や、維持費や車検代など
その後にかかる経費を考えれば、皆が皆本当に喜ぶのだろうか?と思ってしまいました。

相手の声や話を一切聞かず、自分の意志や好みを相手に押し付けて
自分が「優しい」「思いやり」のある人物だと思っている人をよく見かけます。

誰も、その人に対して本音を言わないので、それこそ「裸の王様」状態で
どんどんエスカレートしていき、どんどん押し付けがひどくなるという人を
一人ではなく何人も最近見かけます。

別にその行動や言動自体はその人の自由だと思いますが、それを「優しさ」「親切」と
思っている所は問題のような気がします。
そういう人こそ「感謝の言葉」や、「お礼」を期待して、要求します。

本当の優しさや思いやりって、相手の声を聴くところから始まると思うんですよね。
そして、他人は自分とは違って当たり前ですから、自分とは違う意見や考えに対しても
寛大に受け入れることって必要だと思うんです。
相手が自分と意見が違うことで、自分が否定されたと思うのか、攻撃にでたり
相手の意見を真っ向から全否定する人もいますが、別に違うだけで、否定ではないのです。
意見や考え方なんて、違って当たり前なのです。

そしてその上で、相手が必要としていることに対して、手を差し伸べることが
きっと「優しさ」であり「思いやり」なのではないかなと思います。

もちろんその行為の中には「優しい自分」に酔っている所もあるでしょうし、
どこかで感謝してほしい、喜んでほしいという気持ちはあって当然だと思うのです。
誰もが絶対そういう所があるのです。でもそれでいいと私は思うのです。

「相手の為」「みんなの為」という人の方がよっぽど自分勝手な事を押し付けてる人が
多いような気がします。
であれば、「自分がしたいから」としてくれた方がよっぽど押し付けがましくなくて
いいのにな~と思うこともあります。

まぁ「優しさ」「思いやり」って言葉では短いですが、いろんな形があると思います。
上記だけではなく、もっと人それぞれの表現の仕方があり、そして人それぞれの感じ方
受け取り方があるのだと思います。

あなたにとっての「優しさ」「思いやり」はどのようなものですか?

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霊気と神気と参拝の話
数日、ブログをお休みしてしまいました。

秋になって、夜ウォーキングを始めました。
一人ではなく、チーム(といっても3人)で、公園を歩いています。
思い切り、腕をふって、かかとからついて、蹴るという歩き方を意識しながら、
といってもついついおしゃべりが中心になってしまいますが、
一日7キロ近く歩きました。

もう少し涼しくなった方が、歩きやすいのかもしれませんが、
夜は今の季節も気持ちいいですね。

今月はお彼岸ですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、それまでは
やはり暑気が残りますね~。

お彼岸というと、「彼岸花」が咲いているのをよく見ます。
不思議な位、お彼岸の時に咲くあの赤い花が私は幼いころは怖くて、
あの赤の花に、魂というか霊というかが宿っている気がして、
絶対摘むことができませんでした。

最近は白の彼岸花もありますね。
それはそれで、白装束のようなイメージが出てしまい、
ちょっと他の花とは違った感覚を彼岸花には持ってしまいます。

お彼岸を過ぎると、どんどん夜長になり、風景が黄金色になっていきます。
秋の風景が私はとても好きです。
稲が黄金にキラキラ光り、風になびいている姿を見ると、感動して
毎年泣きそうになります。
あー日本人だな~と思える瞬間です。

また、道にも黄色の花が咲き誇り、山々もどんどんと色が変わっていきます。
アースカラーに移りゆく中、実りの秋を迎える山を見るのも好きです。

昔の人が、豊作を感謝して奉納したり、祭りをし始めた気持ちがわかるほど、
やはり秋には、ありがたみが感じられる季節だと思います。

9月に伊勢神宮に行かせていただこうと知人と話していたのですが、
今月はお参りさせていただけず、まだ未定ですが、
来月行かせていただけたらと思っています。

来月であれば、遷宮のあとで、新しいお宮にお引越し後になります。
よく神社で写真を撮られている方がいらっしゃいますが、
まぁ神様が祀られている正面からでなければ、いいのかもしれませんが、
「すごいな~、失礼と思わないのかな~?」とよく思います。

「触らぬ神にたたりなし」ということわざがありますが、
触らなくても、近くに寄っても、やはり神気にあたります。

これは個人的な意見ですが、以前出雲大社で御開帳の時に行った時は
不機嫌でイラっとした波長「神の域に人間が立ち入るな」という感じを受け、
恐ろしくて、御開帳はもちろん見ず、逃げるように早々にお暇しました。

屋久島で縄文杉を見に歩いて行った時も、「もののけ姫」のように?
人間が立ち入って荒すべきではない神聖な所を、人間が汚してる怒りを感じて
あまりに怒りが強くて、殺されるのではないかと思う位で、無事家についた時は
ほっとして泣いてしまったことがあります。
屋久島は神の住む島だと私は思います。

神気がそれほどに強いということだったのだと今になって思います。
伊勢神宮は一度しか行ったことがないですし、上記の所とは波動が全く違い
凛とした中に柔らかさがありましたが、やはりスケールが違う神気だったと思います。
天照大御神様をお祀りされているところには、シャンパンゴールドの光の筒が
立っていて、本当に感動したことを覚えています。

ちなみに天橋立の「元伊勢籠神社」や出雲の「佐太神社」の神気は私は好きです。

大小それぞれあり、また神気の強弱はあるでしょうが、
やはり、神に対して、敬い、礼儀礼節を保つことは必須だと思います。
また、自分勝手な願いをお金を投げて叶えろ!という行為は、実際に
自分が誰かにされたと想像してみても、決して気持ちいいものではありません。

感謝の心をもち真剣にする参拝がいいのではないかと思います。
以前NHKを見ていた時に、伊勢神宮の神官の方(だと思います)が
昔の祝詞は感謝の言葉しかなかったというような事を言われていました。

それでも、やはり「神頼み」したいことは、ご祈祷をしていただいたり、
丁寧に礼を尽くして、感謝とともにされるべきことだと思います。

来月、行かせていただくことになれば、身だしなみを整え、
真剣に感謝の気持ちを胸に参拝させていただこうと思います。

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「縁」についての話
2020年夏季五輪の東京開催が決定しましたね~。
うれしいことです。

すっかり空気も秋めいてきました。
空梅雨のかわりに秋雨がよく降り、降るたびに秋が深くなってくる気がします。
夏はちょっと暑すぎて無理だったけれど、秋になってスポーツを始める人も
いるのではないかと思います。
私も友人たちと、ウォーキングをそろそろ始めようと話しています。

縁という不思議さを感じたことがありますか?
たまたまという偶然が重なり、出逢った人が誰もがいると思います。
というか、この世の出会いは全て偶然の重なりのような気もします。

学校が同じだった。
同級生だった。
会社が一緒だった。

という出会いは多いと思いますが、成長するに従って選択肢は増え
その中から自分が選んだ所での出会いも、やはり奇跡のような要素は
含まれていると思うのです。

それと反面、
「袖振り合うも他生の縁」ということわざが示すように
(意味:道のいきすがりに、袖が振れ合うというような、
偶然でほんのささやかな出会いであっても、人との絆は
前世からの深い緑で起こるというもの。)

と、自分の意識はなくとも、自分で今生での出会うようにプログラムしている
出会いもあると思います。
その縁や絆をどう扱うかは、その時のその人にかかってくるのかもしれませんが、
ちょっとタイミングがずれたら、出会わなかったということもあることを思うと
この「縁」というものについて、やはり考えざるを得ない所があります。

また、だれでも、やはり出会った相手によって少なからず影響を与えたり
与えられたりします。

アフラックのCMで白い「アフラックダック」に対抗して、「ブラックスワン」が
登場して、文字通り前向きな考えに対してブラックな意見をいうのですが、
誰の中にも、この両方がいて、付き合う相手によって影響を受けて
どちらかが増強され、前面に出てくるような感じがします。

誰もが、少なからずそういうところはあると思います。

そう思うとやはり、この「縁」というものの重要さを感じてしまいます。

この「縁」を考える時、いつも思い出す言葉があります。
大好きな宮本輝さんの「命の器」の

「抗っても抗っても、自分という人間の核を成すものを
共有している人間としか結びついていかない。
その恐ろしさ、その不思議さ。」

の一説です。

なんとなく、年を重ねるとともにちょっとわかる気がするのです。
そのわかるというのが、その不思議さがわかるという意味ですが・・・

その時の自分の波長によっても合う人が変わってきますが、根本的に持って生まれた
自分の波長の範囲、自分の立ち位置、自分の魂の階層とでもいうのでしょうか。

その階層を建物に例えると、10階建ての建物があったとして、
自分が5階にいるとしたら、その5階の人としか結びついていかないのではないかと
思えるところがあるのです。

この世は、この10階建ての建物にいる人が、ごちゃまぜになって暮らしている世界
なのですが、実際に自分と結びつくのは、同じ階にいる人だけのような気がするのです。

6階の人と仲良くなろうとすると、それは大変です。
自分が6階にいくしかないのですから。
生半端なことではいけないかもしれません。

またこの階層は目に見えないものですし、魂である自分ってわからないので、
かなり自分が意識して、自分の心を見張ることになります。
どれだけ、自分でない自分に気づき、受け入れ、そして本当の自分に近づくかは、
地位を獲得したり、目に見える状態で何かが手に入ったり見返りがあるわけでもなく
誰かにほめられるわけでもないので、わかりにくさは半端ないと思います。

この世の貧富と、この建物の階層とは決して比例していませんし、
お金持ちだったり、有名だったりするから、魂の階層が高いわけではありません。
無名で誰も知らないひっそりと生きている人で、とても階層が高い人もいるのです。

最後にはやはり他人ではなく、「自分と向き合う」
「他人の中に映る自分を見つめる」ということでしか、
この「縁」についても説明できないことがあるのかもしれません。

そう考えると、自分に理不尽なことをする人も人生に登場するでしょうが、
なんでも磨かないと光らないように、自分も試練に合わないと向上もせず
深い人間にはなれないわけで、その自分に対して理不尽で嫌な人こそ、
自分の砥石になってくれる、ありがたい「縁」の人かもしれません。

それを相手のせいにして終わったら、それでおしまいですが、
自分を見つめて一つでも何か気づけたら、自分の光が増したということ
なのでしょう。
まぁ嫌なもんは嫌で、そこは無理して「大丈夫」なんて言う必要はないですけどね。

今日、友達と「自分は陽か、陰か」という話をしていて、
お互いに自分は陰で、相手を陽だと思うと言っていて、
「面白いもんだね~。自分で思うのと、他人が見てる自分ってこんなに違うんだね~」
と笑ったんですが、結局友達は自分という人間の核を成すものを共有している人間で
お互いを映しあってみているに過ぎないんだな~とも思ったんですよね~。

あなたの周りの「縁」ある人はどんな人ですか?

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贈り物選びは楽しい話
9月、10月は私の周りにお誕生日の人が多い。
リクエストを聞けそうな人には、さりげなく聞いてみるが、
大体は、何が喜ぶかな~?と相手を思いながら誕生日プレゼントを
選ぶ事が多いのが、この季節だ。

この何が喜ぶかな~?これ好きそうかな~?なんて思いながら
悩みながら考える時間がわたしは好きだ。

結局は、やはり本人の好みがあるので、本人はお愛想はしてくれるものの
あまり気に入ってもらえなかったな!と思うことがほとんどだが、
ドンピシャでかなり気に入ってもらえることもあったりするので、
なかなかこのプレゼント選びは楽しいものだ。

自分のものは好みがはっきりしているからか、選ぶのが早い。
が、このプレゼント選びは、とても時間がかかるのだ。

私は以前デパートで長いこと販売の仕事をしていた割に、
ウィンドウショッピングとか、歩き回って買い物するのは
めちゃくちゃ面倒な方で、目的がある場合以外は買い物に行かない。
パートナーと買い物に行くと、パートナーの方が色々見ているのを
私が待つという、男女反対のような図になっている。

でもプレゼント選びは好きだ。
最近はネットで色々探せるし、見ることができたりするし、
好きではないけれど、プレゼント探しの旅にショッピングに出て
あれにしようか、これにしようかと、選択肢が広がってしまい
本当にプレゼント選びは悩んで時間を使ってしまう。
でも、その時間が私はとても楽しい。

友達の趣味や好みなどを思い出しながら、またその友達が私にくれたものを
思い出しながら、これは似合うのでは?いやこっちの方が喜ぶかも・・・
と、時間を忘れてしてしまうのだ。

先日パートナーが5年以上、いやもう8年位欲しい欲しいと
欲しがっていた時計を購入した。

それはそれは嬉しそうに毎日しているのだが、
買った時に、お金持ちの人ってつまんないだろうね!という話をした。
だって、欲しいと思ったらすぐに買えちゃうわけだから。

彼は手に入って嬉しいのだが、手にしてみて、何か欲しいものがあって
「欲しいな~」と言っている時間って楽しいもんなんだな~ってつくづく感じたらしい。

そしてその気持ちが強いほど、やはり手に入った時の喜びも大きくなるわけだ。

気に入ってもらえるかどうかわからないけれど、
稀にあるドンピシャのお気に入りをセレクトできたら、うれしいな~と思いつつ、
相手のことを思いながら、また今年大切な友達の誕生日を祝える喜びをかみしめながら
私はルンルンと楽しみながら、今年も誕生日プレゼントを選ぶのである。

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タイガーマスクかっこよすぎの話
台風が去って、今日はいいお天気で、
久々に洗濯物が気持ちよく乾いてくれています。

竜巻被害にあわれた方たちは、大変な思いをされていると思います。
心よりお見舞い申し上げます。

そんな中、竜巻で窓ガラスが割れるなどの被害が出た千葉県野田市立北部小学校に
「タイガーマスク」のマスクとマントを身に着けた男性が、早朝自転車で来て
「心よりお見舞い申し上げます。10万円あります。学校のために使ってください」と、
500円玉200枚を本に収めて貯金する「10万円貯まる本」に入った10万円を
手渡して、「名前は言えない」と言い走り去ったという話を報道していました。

感動してしまいました。
一万円札10枚ではなく、「10万円貯まる本」にきれいに収まった500円を
見た時に、同じ10万円という金額でも、本当に心がこもった10万円の気がしました。

私の父が死んだ時に、地元の役場の所長が、
「いつも全国ニュースで、地震や災害の被害が報道されると絶対次の日の朝一番に、
お父さんが10万円をもって寄付にきた。」
という話を思い出しました。

それは家族誰も知らなかった父の秘密でした。
死んでから、たくさんの領収書が出てきて、役所以外の「ユニセフ」などにも
寄付をしていたことを知りました。

東日本大震災があった時は、寄付したり、色々物資を送ったものの、
自分の中で風化していたり、自分の毎日の生活にかまけて、
そういう気持ちを忘れがちになっている自分がいるのを見つけてしまいました。

今、健康に生きていて、そして災害にも縁遠い有難い土地に住んでいる私が
それが「当たり前」と思ってしまいがちになり、そのような被害にあっている人を
どこか遠い世界の自分とは関係ない所で起こっている、それこそ「他人事」と
感じてしまっているのです。

同じ日本に住んでいる仲間として、その痛みを分かち合い、
私なりにできる範囲での事をしていこうと思いました。
「思い」の力も馬鹿にはできません。
まずは、他人事ではなく、意識して相手の立場にたって物事を見て、
その痛みや悲しみを感じ、そして祈ることはすぐできます。

その上で自分をしっかりと根を張らせて、精いっぱい働き、
そして自分に与えられた恵みをありがたくいただいた上で、
感謝とともに「タイガーマスク」さんや「父」のような行いが
できれば、本当に幸せだなと思います。

私もがんばんなきゃな!!
あーがんばろ!!

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眠くて頭痛い話
台風が温帯低気圧に変わったものの、私の街では昨日はずっと警報が出ていて、
今日の報道で、被害にあった方も多いということを知りました。

全国的にも、台風の被害もあれば、竜巻の被害もあればと、
天候によっての被害が多く報道されていて、
本当に被害にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。

今年は猛暑から、猛暑に伴いゲリラ豪雨、そして台風、竜巻と、
日本列島に次々襲いかかってきました。
最近では、予想できないことも多いですが、それでも「備えあれば憂いなし」で、
自分が予想してできる限りの準備だったり、備えは、
今後していた方がいいかな~と思いました。

そして今日は昨日書きましたが、おとめ座での新月です。

新月は一からこれから満月にむかっていくスタートな時です。
今日から、また新たに月が満ちていくそのスタートを切るわけです。
月の影響は人間にもあります。
そう考えると、人間も今日から空気が変わるという事もあるかもしれませんし
意識的にスタートきるというきっかけにするのもいいと思います。

今日は私はとても眠いし、頭痛がすごかったです。
パートナーも今日は朝から
「あー今日は久々チャクラ(きっと第6チャクラのアジナチャクラ)が
 パカって開いてて、すっげージンジンする~!」
と言ってました。

それを聞いて私も、目とおでこの間の奥がしぼられるような痛みだったので、
そっか。これってチャクラか。と思ったのですが、なぜかはわからず
あー新月だから?と思いながら、そのままです。

先ほど、新月を迎えたので、少しはマシになるかと思いましたが、
そんなにすぐ変わるわけもなく、睡魔様にすっかり覆われ、
そしておでこのジンジンもおさまらないので、
今日のブログはこれでおしまいです(苦笑)

みなさんも、もしよければ昨日のブログを見て、今日の新月を
感じてください。

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新月(おとめ座)の話
とりあえず、昨日の「今日のわたしの話」で、舞い込んできた話(仕事)がきて
どうしようか迷っているという話ですが、今日一応お断りしました。
その前に、知人と会って話してたら
「すごくいい話じゃない。そんな話なかなかないよ。」
と言われ・・・「そっか、そんなもんか。」とも思ったのですが、
やはり「ピン」とこなかったので、お断りしちゃいました。

あー最近よく断ってるな~。
先日のブログでも書きましたが、舞い降りてきたツキを意識的にキャッチしなければ
それは貯金できるのでしょうかね~?

なんか「そうそう、これ!」ってピンとくるものがあるようなものが訪れるような
そんな気がしてならない私なのですが、我ながら自我が強いやつだと思います(苦笑)。

とそんな中、
明日はおとめ座の新月です。

2013年09月05日 20:31 

キーワード:体の健康/食生活・運動/仕事・ライフワーク/眼識/
助けてあげること/秩序/リラックス/完ぺき主義

★体の健康
  食生活/運動(エクササイズ)/健全な食生活/ダイエット/癒し/
  ヒーラー(看護婦・栄養士・介護福祉士など)

★仕事
  仕事/プロジェクト/作業/同僚

★創造的な組織
  秩序正しい環境/詳細を詰める/効率性と計画性/事務/時間を決める

★眼識
  分析/批評家的論理性/焦点/洞察力

★サービス
  順応性/実用的なサポート/純粋な動機/良心

★統合
  統合能力/加工/混沌から秩序を生む/細部から大局を見る

★過度な完璧主義
  心配/批判/非難と酷評/仕事中毒

★身体部分・症状
  大腸・腸/便秘・下痢/消化吸収/みぞおち(太陽神経叢)

大地へと、しっかり根付く時なので「地に足をつける」つもりで、
自分をしっかりと根付かせて日常を歩むようぬ心がけると
いろんな巡りがよくなっていきます。

そのために、「願いを具体的な形」にしてみることもおすすめです。

乙女座の新月に叶いやすい願いは次のようなものです。  

〔願い事の例〕
・私は早寝早起きの習慣を身につけ、健規則正しく健康な生活をしています。
・私はきちんと自己管理をして理想の体重を維持しています。
・私は仕事で自分の能力を最大限に発揮しています。
・私は整理整頓を上手にして部屋はいつもすっきりしています。
・私は、時間管理がきちんとできて、有効に動くことができています。
・私は取り越し苦労をしてしまう傾向を完全に手放しています。
・私は必要以上に完全主義にこだわる癖を手放しています。
・私は他人を批評や非難せず、自分にも他人にも寛容さを持てています。
・私は自分の細かくチェックする所を長所とした仕事についています。
・私はダイエットに成功して、体重管理と健康改善ができています。。
・私は自分の仕事を自信を持って最後までやり遂げることができます。
・私は自分の人生にとって何が重要なのかはっきりとわかっています。

<<新月の活用の仕方>>

★{願いごとの書き方の例}
・新月に入った瞬間から8時間以内に願い事リストを作る。
 (48時間以内有効。8時間以内のほうが効果大。
  ボイドタイムは極力避けて書く方がよい)
・手書きで書く。
・願い事は2件以上10件以内で書く。
・主語は自分で書く。
・自分を信じる。
・願いは1件につき1文にする。
・現在形、または完了形で書く。
・肯定文で書く。

※新月から48時間以内のボイドタイム
9月6日 19:05 から 9月7日 04:08

興味ある方はご活用あれ。

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今日のわたしの話
あーーーーどうしよっかな~??

昨日「心配するな!」とかっこよく書いた私でありますが、
今日想像もしなかったことが起きて、
「はてさてどうしようか?」というところであります。

その大まかな内容は先日のブログで
「今後の仕事について新たなアクションを起こした」事を書きましたが、
その結果が出る前に、全然思いがけない所から、全く違う話がきたのです。

自我で起こした行動の仕事より、舞い込んできたこの仕事が私の流れなのだろうか?
と思ってみたり、両方をとることは無理なので、自分で起こした結果を待ちたいのですが、
今日突然舞い込んできた話は「急ぎ」らしいのです。
またこれが全く予想してない所からの、波動の優しい方たちからのいいお話なんですよね~。

本当にこのように、予想だにしない出来事があるから、この世は面白いと思うのです。

仕事に関して振り返ってみると、最初の就職の時からずっと、私は誰かの紹介ということで
仕事をしているんですよね~。

就職活動はもちろんしたことはありますし、それで働きに行ったこともあるのですが、
長くは続かず、結局紹介とか、人の縁で、働き口が決まり、そこで働いている場合が
とっても多いのです。

というか、今回のように私が就活をすると、全く違う方向から「うちにこない?」とか
「○○に就職しない?」とかいう話が浮上して、天の方から私のこの世の行程を見ながら
「お前違うって。そっちじゃないんだって。お前の行先はこっちだって。」と
言わんばかりの状況になるのです。

この法則に当てはめれば、今日突然舞い込んだ話が、私の行くべき方向のようにも
思えるのですが、あまり「ピン」とこないんですよね。
「あー楽しそう」とか「やってみたい!」とかいう感じが薄いというか・・・

内容というより、その感覚だけというのも、我ながらいかがなもんかという感じですが、
結構これって私にとっては大切なんですよね。
今まで行った仕事は、そういうのがあったんですよね~。

まぁ今日はビシっと決断ができず、考えてみましたが結論がでないので、
一度頭から出します。
といってもきれいさっぱり忘れきってしまうわけにはいかないけど、他のことをします。

私がこういう時に一番するのは掃除です。
その次が洗濯。
その次が運動です。

運動といっても、家の中でできるストレッチとか、簡単なダンスとかです。

ずっと考えていてもどうしようもない時は、どうしようもないし、
考えれば考えるほど、訳わかんなくなることも多いです。

「メリット、デメリットを書いてみる。」
「自分のポジティブファクター、ネガティブファクターを書いてみる。」
などと、気持ちの整理をするためや、頭の中でだけでは気づけないことも多いので
実際に紙に書きだすことで、色んな事が整理され、気づいたり、わかったりすることも
あるので、自問自答しながら書くこともあるのですが、
今回のケースは、データも少なくわからないことだらけなので、これもしません。

そうこうしているうちに、その話が流れてしまったり、さぁやろうと決めた時が
遅くてタイミングが合わなかったらどうするのか?と思う方もいるかもしれませんが、
それは縁がなかったのです。そうすると次がやってくるのです。

「ピン」と来たときは、電光石火のごとくすぐさま行動に移すので、
その行動のスピードとパワーに、周りの友達らはびっくりしていますが
そうでないときは、焦らず、ちょっと自分を傍観していると、自分から動かなくても
何等かの動きが見えたり、もし動きがなくても、自分の心が変化することがあるものです。

考え考え、悩んで悩んで、悩みぬいたけれど結論がでず、ちょっとそこから一歩でて
リフレッシュした時にふと「○○にしよ。」とか「やーめた。」とか「いこう。」とか
決心がつくことが私にはあります。
明確な答えが、自分の中から湧き上がってくる感じです。
考えぬいている時の脳波からは、それはきっと湧き上がってこれないのでしょうね~。

とりとめのない私の話になりました。
なんだか、「あーやっちゃったー」って失敗もしたりするし、嫌な目にあったり
悔しいことだってあったりするけど、それでも自分なりに一生懸命やっていると、
(いただいたお話を承諾するかどうかは別として)
きちんと見ていてくれてる人がいるんだな~ってことがわかって、
そのことがとっても嬉しい一日でした。

それと、自分が先週言った言葉が、今週そのまま別の人から私に返ってきました。
その言葉とは「いらんことすな。」です(笑)
冗談で笑いながら言った言葉さえ、返ってくるの~?と驚きでした。

やっぱりエネルギーは循環して、自分が与えたものが返ってくるんですね~。
あーいいエネルギーと言葉を出していこ~!!って本当思いましたよ。

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「心配」よりも「行動」の話
急に涼しくなりましたね~。
台風がまた来ています。
今年は猛暑にゲリラ豪雨に雷、そして今は台風と忙しい夏でしたね。

さて、涼しくなってきて、この夏の疲れが出ている人もいるのでは?
人間の心には、日照時間が関係しているので、これからの季節は
ちょっと気分がふさいだり、ちょっと元気がなくなる人もいるかもしれません。

「心配性」の人は、その「心配」が増えて、自分の中で膨らんでしまいやすい時期
かもしれませんね。

「心配」する人の傾向として、頭ばかり使って体を使わないという傾向があります。
実際に「行動」してみないとわからないことは、この世には多いです。
「石橋を叩いて渡る」人はまだいいですが、「石橋を叩いて割ってしまう」人もいます。

見ている人にしかわからないですが、今人気の「あまちゃん」NHK朝ドラの中で、
宮本信子さん扮する海女さんの夏ばっぱが、孫の天野あき(能年玲奈さん)を
海に文字どおり背中を押して飛び込ませた時のセリフが私は好きです。

「しゃっこい(冷たい)とが、足がつくとかつかねぇとが、考える暇なかったべ?
そんなもんさ。飛び込む前にあれこれ考えたってや、どうせそのとおりにはなんね。
だったら,なんも考えずに飛び込め。
なんとかなるもんだびゃ。
死にたくねぇがらな。」

これは人生においても、置き換えれる言葉だと思います。

きっと心配ばかりしても、やってみないとわかんないことは山ほどあるし、
自分の思い通りなんて一切ならないことの方が、断然多いのです。

それに関しての行動ができなければ、他のことでいいので行動した方がいいです。

瞑想などが、自分を見つけれる方法ということを言いますが、私はそうは思いません。
「動いて 動いて 自分になる」のだと思います。

その中で、いつもこうなっちゃうんだよな~ということなども体験して、
自分の法則みたいなものも見つけることができるかもしれません。

自分で思ったり気づいたりしている自分など少しだけなのです。
それだけで終わるのはもったいない話です。
無限の可能性を秘めている自分というものを、色んな試みを試してみて
色んな自分を発見するのは苦しい事もあると思いますが、きっと魂としては
うれしい作業なのだろうと思います。

なかなか行動できないという人もいるでしょう。
自分のペースでいいと思います。
また、停止して少し自分を見直す時期の人もいるかもしれません。
自分にはだれでも甘いものですが、心配する自分を俯瞰から、
または他人からの見方のような意識で見ると、何か発見できるかもしれません。
欠点を発見することで、それが長所に変えることができるのです。

ただ、「心配」で自分をいっぱいにするのは、自分の波動が落ちるだけで、
その波動によって引き寄せるものも、あまりよくありません。
だったら、行動したり、何か夢中になれるようなことに没頭する方が
断然いい方向に向かうと思うのです。

「心配」はすごいエネルギーを消耗しますからね。
「心配」を停止すると、エネルギーチャージができるということです。、
「心配」をする人は「自我」が強いということを自覚しましょう。
裏を返せば、自分の思い通りに状況や相手をしたい心が潜んでいます。
自分の思い通りにならなかったらどうしようという所から「心配」は発生します。
人生、自分の思い通りになどなりません。

結果は自分が決めることはできません。
それは天が決めることです。
自分は行動するのみなのです。

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