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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
本当の自分を知る話⑥
幸せと不幸の現実は、外側の条件が決定するのではなく、
自分の心の内で生み出されるものです。
幸不幸の現実は、自分の心と一つに結びついているもので、
現実は、自分の外側にある切り離されたものではないのです。

全ての結果には、必ず原因があります。
だから、結果を変えたければ、その原因を探り、
その原因を変えればいいということです。

自分に起こる出来事や、目の前の現実も、自分から原因を切り離して捉えます。
職場や家庭、学校の問題や、社会的な問題も、相手を原因として責めてしまいます。
それは、外を責めることで、自分の内が守れると思っているのかもしれません。

でも、その原因を自分以外の人としている限り、自分が関わっている問題でも
相手に変わってもらうまで「結果」は改善しないということになります。

自分の身の回りに起こる全ての問題に対して、その現実を変えたいと思うのなら
自分自身をその「原因」の中心に置き、その「結果」を引き起こしている
自分の中の真の「原因」を突き止め、その「原因」を変える事が必要なのです。

「ポジティブシンキング」という考え方があります。
自分を信じて、積極的に前向きに明るく生きていきましょうという考え方です。

辛い事や悲しい事があっても、否定的、悲観的(ネガティブ)な考えや行動はせず、
嫌な思いを無視して、その現実を見ず、気持ちを切り替えて、
自分の問題に向き合わず、問題解決できないまま、ポジティブに現実逃避する
「ポリアンナ症候群」にかかる人が増えているとも言われます。

問題解決することなく、現実逃避していても、いつかは現実と向き合う時がきます。
過度なポジティブシンキングは、一見明るく楽しそうにしていた人が、
ある日突然仕事に手がつかなくなり、時には鬱病になってしまう危険性もはらんでいます。

ポジティブがいいわけではありません。
ネガティブが悪いわけではありません。
どちらも自分の内の世界にあることを認めることが大切なのです。

また、自分の弱さや思い通りにいかない現実を受け入れて、保守的に無理せず
生きていこうという考え方もありますが、活力が失われ、
せっかくの自分の才能や可能性を閉ざし、自らの限界を創ることにもなります。

隣の芝生は青く見えるように、他人の状況と自分を比べてしまうこともあります。
でも一人ひとりの顔が違うように、それぞれの人生のテーマは違い、
自分に必要だからこその条件であり、その条件下だからこそ、
自分の学ぶべき事が学べ、気づける事もあるのだと思います。

自分の前の現実の中の出来事の全ての原因を自分のものとしてとらえた時、
結果は変化していきます。

自分がその出来事を、どう捉え、何を感じ、何を考え、そしてどのような行動をするか。
これを意識してみて、知っていくことで、自分の心が見えてきます。
いつも周りのせいにしていた事が、自分のいつものパターンと気づくこともあるでしょう。
また自分の心と思っていたものが、願望や理想像に過ぎないこともあるでしょう。
自分の考えと思っていたものが、幼いころに言われ続けた両親の考えの事もあるでしょう。
自分の心を知って、整えることは、とても大切なことだと思います。

それをしていくことで、自分の内の世界が広がり、深くなり
深い闇を抱えるからこそ、より純粋な光を見出せる事もできるでしょう。
不自由を抱えるからこそ、より深い自由を楽しむこともできるでしょう。
不信を抱くからこそ、本当の信を知ることができるのでしょう。

これを思う時に思い出す言葉があります。
NYのリハビリセンターの壁に書かれた言葉
本当に素晴らしい言葉だと思います。

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本当の自分を知る話⑤
私は「自我」が強い。
そして、負けず嫌いだ。

そんな私だから、思い通りにいかないと面白くない。

ほめられて伸びると自分では言っているものの、
本当は悔しいと思う時が、一番モチベーションがあがってしまう性分だ。

でも、大分頭を打ち、ちょっと違うなと年を重ねる毎にわかってきた。

人生において、苦しいことの大半はこの
「思い通りにならないこと」
だ。

そして、私の場合この負けず嫌いが、自分の道を決めてしまう事もある。
本当はその道に行きたかったわけでもないのに、
「できるわけないよね。」とか言われると、
「はーーーー。やってやろうじゃないのよ。」となり(笑)
無我夢中でやっていって、ある程度までどっぷり浸かったところで
「あれ???なんで私これしてるんだろう?」
なんてことになる。

そして「思い通りにしたい」ことだけが、自分の中心になってしまい、
「何のためにしたいか」「自分の信念なのか」という事はすっかり見えなくなり、
そして結果だけを追いかけ、視野がせまくなり、本末転倒なことになる。

心の勉強してる時に
「宇宙の流れや、宇宙の意志を、自分の好き嫌いで選ばない」と聞いた時も
「それは無理」と咄嗟に思った位だ。

でも、やはりこの「自我」を信念として生きていると、行き詰る。
やはり自分にとって必要な体験はするようになっているのだと思う。
私の場合、お知らせがやってくるが無視をしていると、パワーアップして
最後にはどうしても聞かざるを得ない状況になってしまう。
どれだけ、抗おうが、宇宙の流れというか、自分の人生のプログラムといおうか
神の意志といおうか、それには逆らえないのだ。

だからといって、何の努力もせず、ただ宇宙の意志を待つだけではない。
というか、動かないと宇宙の意志は発動してくれない。

じっと考えていたって、自分の事などわからないし、何も知ることはできない。
自分の事を知るには、自分を映す他人という鏡が必要だし、自分を知るためには
まず行動してみることが絶対必要である。


瞑想もしてみたことがあるが、邪心からか、幻想や幻聴などに惑わされるだけだった。

本当に必要なものは、この目の前の今の現実にすべてある。
しっかりと目を開いて、この現実を見て、そして感じて、映った鏡や出来事から
自分を知る作業をすること。

そして自分の感覚を信じることだ。
理屈ではなく、これをしたいと思うことがある。
それは自分の内側につながっている宇宙というか神からのメッセージの事も多い。
虫の知らせという言い方も日本ではするが、それに沿って生きる勇気も必要だと思う。

今も私は「自我」が強い方だと思う。
でも、昔ほど、力づくでどうしてもそれを押しとおすことはなくなった。
また、今は自分の今の現実の中、私が何を気づくべきなのかを考えるようになった。
もちろん主語は全て自分だ。

そしてどれだけ予想しようが、自分の思い通りの現実にはならないという現実を知った。
最近は時代のスピードも加速されていて、予想外な事や、考えられない事も毎日起きる。
その現実の中で、自分がそれを見て何を思い、何を感じるかにフォーカスしている。

私は「恰好つけしー」だ。
いい子ぶりたいし、皆からよく思われたい気持ちが強いし、ほめられると気持ちいい。
だから、自分で自分もごまかして、いい子ぶろうとしてしまう。
でもそれをすると、自分だけがわかっていない「裸の王様」になってしまう。
自分が意識している性質はコントロールできるが、自分で意識してない性質は
無意識に「だだもれ」になっていて、周り皆気づいていて、
自分一人だけが気づいていないことになる。


ごまかさずに、いい子でない自分も発見していくことで自分の世界は広がる。
それは決して楽しい作業ではないが、人に対して色々ジャッジをする人は
自分の中の性質をただ相手に映してみていて、認めてないだけなのだろうと思う。
その認めていない自分の中の性質を自分が見つけて認めると、
それは必ず自分に恩返しをしてくれる。救ってくれる。


また、私は誰かに拒否されたら、とっても腹が立てていた。
これは、私は皆に好かれると思っている思い上がりが強いからだともいえる。

心の勉強している時
「少なく見積もっても、半分の人からは自分は嫌われると思いなさい。
皆が皆、自分を好きになってくれるわけないじゃない。
そしたら、自分を好きになってくれるのが当たり前っていう幻想から抜けて
自分を好きになってくれる人を有難いと思えるようになるわよ」

といわれ「確かに!」と思ったことがある。

どれだけ自意識過剰の傲慢な奴なのかと思うが、この幻想の中で生きている人は
結構多いと思うし、私もいまだに拒否されると「カチン」とくるので、
根強くこの思考があるのだと思う。

これを強く思いすぎていると、相手の願望を叶えるために生きるようになり、
自分の願望を叶えるどころか、自分の願望さえ見失ってしまう。

だから、
思い通りにならないこともある
出会う半分の人は、自分を拒否する

という考え方は、人生の苦しさを半減させてくれるのではないかと思う。

そして、抗っても逆らえないなら、早めに宇宙の意志や流れに沿った方が
自分の好き嫌いよりも、自分に必要な体験を与えられる
のではないか思う。

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本当の自分を知る話④
「あの人さえいなかったらいいのに・・・」
「あの人のああいう所直してくれたらいいのに・・・」
って思った事はありませんか?

ついつい思ってしまいますよね~。
そして、相手を正してあげようと、自分の考えを押し付けたり、
一生懸命よかれと思いながらも、相手を変えようとしてしまいます。

でも、あなたが見ている他人はあなたを見せてくれているだけなのです。

他に変えたい人がいるとしたら、それはあなたに変わってほしいと思う
メッセージとして、天が映像を見せてくれているにすぎない。
あの人のここが困ったというのが見えたなら、それはあなたが困ったところを
天が教えてくれているだけだ。


わかっちゃいるけど、やめられない・・・
ついつい相手を裁いてしまい、善悪を決めてしまい、
相手を変えるのが自分の使命や役割と思ってしまいます。

皆違うから素晴らしいのにね。

相手の気持ち主体だと、人生は相手次第になり、相手の心はわからないので
不信感や不安感が膨らみ、一番損をするのは自分です。
全ては自分が因果を創っているので、その「因」を変えないと「果」も変わりません。
いくら相手のせいにしても、どうしようもないのです。

相手次第ということは、自分は「でくのぼう」と同じなんでしょうね~。

相手の事をどれだけ推測したところで、相手のことはわかりません。
自分の感情の答えは、自分の中にあります。
わかりたいと思う人は、わからない所にフォーカスしてしまいます。
わかるところから、自分の内を見ていくことでわかっていきます。
自他の差はありません。
自分を見ると分かると、他のこともわかっていきます。
自分がわかると、すべてわかっていくものです。

「人は自分の鏡」ということです。
あの人嫌いだから、もう離れたいと思っても離れられない人もいます。
またその人と離れたとしても、同じようなタイプの人とまた出会う事もあります。

鏡にうつった自分を見尽くした時に変化が起きます。
相手の非難するよりは、自分の鏡として、自分の中をみることが
変化への近道なのでしょう。

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本当の自分を知る話③
誰もが自分らしく生きたいと願っていると思います。
「自分らしさ」とはどういうものなのでしょう?

誰もが自分の事はわかっているようで、
なかなかわかっていないのが現状ではないでしょうか?

自分を知りえた上で生きることが、
本当の自分らしく生きることにつながるのかもしれません。

自分はもう自分を知っていると思う人もいるかもしれません。
そういう人はそこで成長がストップしてしまいます。

人間は無限の可能性を秘めていて、どれだけの天才と言われる人でも
その可能性の数パーセントしか使っていないとも言われています。

「自分は完成された存在ではなく、まだ向上できる余地がある」
という「謙虚」さはとても大切だと思います。
この世を去るその時まで、学びであり、成長途上なのです。

「自分を生きる」「自分を生かす」には

①したいと感じている「今」を大切にして、条件付けや先延ばしをせず「今」する。

 塾の人気講師の先生の「いつやるの?」「今でしょ~」という言葉が流行ってましたが、
 その通り、好きなこと、やりたいことを「今」するのです。
 
 私はこうしたいけど、無理だよな。私はこうしたいけど、今時期じゃない。
 というパターンに多くの人がはまりがちです。

 好き勝手ではなく、していて楽しいことや嬉しいこと、いいと感じることをすることで、
 自分を生きることができるのです。

②何か負担や重さを感じるようならやめる。
 責任は大切です。でも重たさは不必要です。
 
 「私はあなたの期待に応えるために、この世に生まれてきたわけではない」
 と決意する事。
 自分の人生は基本的に自分の味方なのです
 あなたがあなたらしく生きようと決意したとき、必ずそれを感じることができます。

③魂レベルで考えると、家族といえども皆違う。皆違うから一つになれる。
 皆、己の役目を持っていて、それぞれの役目を各自が果たした時に「みんなで」が実現するのです。
 同じ人は二人はいらないではないですか。
 赤の人は赤として、緑の人は緑として、自分の役割を果たす事を考えるのです。
 また、北の人は北で、南の人は南で、皆が一か所に集まる事もないのです。
 同じ家に住んでいても、心が離れている場合もあります。
 反対に、全く違う場所に離れて住んでいても、結びついている家族はいるのです。

普通は・・・とか、世間では・・・、○○さんちは・・・という現実はないのです。
現実は、自分が遭遇して、自分が感じて、体験したことだけです。

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本当の自分を知る話②
昨日久々に友達の話を聞いている中で、以前の職業病でしょうか(苦笑)
カウンセリングのように、掘り下げて色々質問をして、
その人のその感情の奥にある「心の声」に耳を傾けようとしてしまい、
今日久々に、以前していた時のカウンセリングシートや資料、
また、心の勉強をしていた時のノートなどを見返していたら、
何かスイッチが入ったのか、チャクラが開いたのか、
久々に頭が痛いというか、おでこがめちゃくちゃジンジンしています。

先日「毒親」のタイトルで、アラフォー世代の女性が苦しんでいる話をしましたが、
その苦しみって、親もありますが、その時代の常識や固定概念も関係あるのかも
しれないな~と思いながら、今日その資料などを見返していました。

幼いころに、毎日のように「しつけ」として言われた事は、
真っ白な紙に色づけられていくように、しっかりとその人のベースに
そのことが刷り込まれます。

先日、私の母のしつけの話も書きましたが、その頃のしつけの多くは
自分がどうしたいかというよりも、他人にどう見られるかが大切だったり、
自分の意見を言うことや自分が好きな事をすることは「わがまま」とされたり、
他人に迷惑をかけず、周りの期待に応える事ができる子が「いい子」で
全て「結果」のみで評価され、そのプロセスを重視することはなく
自分の個性を抑え、周りと同調することが求められた時代のような気がします。

ですから、無意識の中で、いつもいい人になって他人の期待に応えようとしたり、
学校での競争意識の中、人と比較して、自分の劣っている所を
克服しなければいけないという思考が当たり前となっていたり、
自分がどうしたいかというよりも、どうしたら評価されるかと考える癖が
ついているような気がしたのです。

人生の半分は選択で決まっていきます。
その選択基準が、自分ではなく、他人の意向を重視していたら、
きっと自分の本当に進みたい道とは違った方向へ行っている事もあります。
そうなると、きっと自分の魂が気づかせようと、色んな声を感情に乗せて
届けようとしてくるのだと思います。

でも、感情にだけ敏感になって、その奥にある声をずっと聴かずに無視しているため
聴き方も忘れてしまって、ただ感情に振り回されて苦しんでいる人も多いと思うのです。

本当の自分を知りたいのであれば、

①現在の状態を把握しましょう。

 今の自分はどういう自分なのか。
 自分は何をしたいのか。何を変えたいのか。
 どういう自分になりたいのか。
 何がわかっていて、何がわかっていないのか。

 「本当は・・・でも・・・」などの自分の陥りやすいパターンはないか。
 (本当は~言いたかったけど、本当は~したかったけど、)

 どんなお願いでも3つ叶うとしたら何をお願いする?

 人を変えてとお願いするのは、傲慢であり無礼なことです。
 自分がこれをお願いしたら、あの人が困るかもしれないというのは、
 自分の思い込みの型であって、相手は困らないかもしれないのです。
 自分が50%の権利と義務があるように、相手にもお願いする権利はあるのですから、
 自分が相手のことを決めつけてしまうのは、とても傲慢で失礼なことです。

②主語はすべて自分にする。
 主語が自分=これが自分の人生です。
 
 自分の人生を無意識に他の力に預けてしまっています。
 意識してそれを取り戻す練習をしましょう。
 他に自分を預けてしまっていると、自分の中のエネルギーはスッカスカです。
 そのエネルギーを自分に取り戻して100%にしましょう。

 そのエネルギーの使い方が、自分の人生だともいえます。
 使った通りに、人生は動くのです。
 お金も、意識も、時間も、体も・・・

 「~と言ったらあの人が困るかもしれない」
 どう言ったら、自分が困らないかを考えた時、
 自分のエネルギーを自分の為に使ったことになるのです。
 そして、相手は困らないかもしれないし、困ったとしたらそれは相手の問題なのです。

何もかもごっちゃになってしまっていることって多いです。
私と相手の事も切り離さずに、ひとまとめになっていたりします。
相手は相手の心があり、それを自分がコントロールできると信じている
無礼さと傲慢さを手放すことです。

また、自分の気持ちも観察していくと、どれだけ自分が「したくないことをする」の事に
慣れてしまっているかを自覚することができます。
ごっちゃになっているものを自覚していく作業をして、整理することで、
自分のやりたいことがはっきりと明確になってくるかもしれません。

自分で自分の人生を創っていくためには

「私は私、あなたはあなた」の構えを持ち、
「自分の人生の主人公は自分である」という自覚を持つこと。
「いい人になって人の期待に応えすぎるのをやめること」
「他人の目を気にするのをやめる決意をすること」


人生を変えるのに、遅いということはありません。
今からでも、人生は変えられるのです。
そして、自分の心の声を聴くことで、自分の人生を豊かにできるのです。
 
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本当の自分を知る話
人によって痛みの感じ方はそれぞれ違うのだそうです。
以前テレビでしていたのですが、犯罪者の中に自分が痛みを感じない人がいて、
自分が殴られても刺されても痛くないので、傷害や殺人など
他人に対して暴力や犯罪を繰り返す人がいると言っていました。

体も人によって痛みの感じ方が違うように、
心の痛みも人それぞれ感じ方が違うのだと思います。

そのテレビでは、心と体はリンクしているので、体の痛みを感じにくい人は
心の痛みも感じにくい人もいるのではないか?という事も言っていました。

落ち込みやすい人は、痛みに敏感な人なのかもしれません。
でも、その痛みがわかるからこそ、人に優しくできますし、
苦しいから、人の苦しさもわかるのです。
何も辛いことがない人は、痛みがわからず、人を傷つけてしまいます。

人の顔にしてもすべて一人ひとり違うわけですから、
その痛みの感じ方の違いもあって当然だろうと思うのです。

心にしても、感受性の強い人もいれば、鈍感な人もいます。
捉え方や、受け取り方も人それぞれです。

そして、そのツボというべきものも人によって違います。

でも人は、予想してしまいます。
自分のものさしを使って、この世を見て、
そして自分のものさしが自分にとって正しいように
相手にとっても正しいと思い込んで、
その人の気持ちを慮り、推測して、きっとこうだろうと思います。

「これをすれば相手はこう思うだろうから、自分はこうしよう。」
と予知のような見方をしたり、
今と過去は違うのに、
「以前こうだったから、今もこうしたらこうなるだろう」
と現在を見ず、過去に戻ってしまったりします。

それを繰り返すうちに、自分がどうするか、どうしたいかという事や、
今の目の前の現実がどうなっているのかという事よりも
相手がどう思うかとか、過去がこうだったという幻想の中に自分の身を置き
真実からどんどん離れてしまう事があると思います。

何かの出来事があって、感情が動く(喜怒哀楽)時は、
その奥で自分の心の声が何かを訴えてきている時です。

でも感情に流されてしまい、心の声に耳を貸さず、無視してしまいます。
そしてずっと無視していると、心は自分の声が届かないと縮こまり、
そして心と自分がどんどん離れて、不安や寂しさが増幅してしまいます。

もし、今あなたの感情が動いているとします。
それが何に対して動いているのか、自分の心を掴めている人がどれだけいるでしょうか?

自分の中にあるものしか、相手の中に見えません。
というか、自分の色眼鏡を通して、自分の見たいように、
感じたいように、相手を見ているのです。

同じ状況でも、捉え方はそれぞれです。
その捉え方が、その人自身を表しているといってもいいのでしょう。

そしてその時、自分が思った事が自分の真実であり、
それを認める所から、自分の心が見えてくるのだと思います。

相手のことをどれだけ推測しても、実りはありませんが、
今自分はどんな気持ちで何をしているのかに照準をあてるようにすると
自分の心をつかめるようになります。

すると、自分の考え方の癖がわかったり、自分の考えと思っていたものが
誰かの刷り込みされたものだったりすることもわかってきます。

ちなみに私の考え方の癖の一つは、
「自分の思い通りに自分の人生をしきりたい。」です。

これを握りしめていると、結果の予測ばかりしてしまい
思い通りになれば安心、思い通りにならないことが不安になります。

これって結局は「自分には悪い事や対処できないことが起こるんだ。」
と潜在的に思っているので、この自分の想念が本当に
対処できないほどの不安を現実に連れてきてくれます(苦笑)

その意味では、自分の想念(無意識)が現実になっているので、
全て思い通りになってるんですよね。

自分に対処できないことはない。
もしそんな出来事があれば、自分のプログラムにすぎなくて
人生は大変な事はあっても、怖いこと、悪いことはないと
私の場合、何度も何度も思い通りにならない事が起きる度に思います。

何度も同じところでつまづき、「あっそうだった」と何度も思い返しながら
少しづつ少しづつ、深く深く、自分の中に埋め込んでいく作業を
ゆっくりゆっくりではありますが、している最中です。

よく「本当の自分を知りたい」という人がいます。
そのためには、本当でない自分というものを見つける必要があるわけで、
そのためには、自分を観察して、色んな自分というものを見つけて、
認めていくしかないのかなと思います。

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2011年弥生15日の立教新座中学・高等学校の校長先生のメッセージ
昨日、東日本大震災について書いていて、その当時とても感動した
校長先生の話があったので、ご紹介します。

「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」
立教新座中学・高等学校の渡辺憲司校長先生のメッセージです。

めちゃくちゃかっこよすぎる。
あまちゃん風に言うと「かっけーーーーー!!!」です。

この校長先生は、他の挨拶での話も美しく心を揺るがす言葉が多くて、心が動かされ、
背筋がピッと伸び、自分の心に強さとあたたかな優しさが広がる思いがします。

読んでいただいてありがとうございます。
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災害の話
W台風が日本にきてますね。
私の住む町も雨足が強くなってきました。

自然災害は、今までの経験以上の事が次々と起こっています。
防災意識を高めて、大丈夫と舐めてかからず、
注意しすぎ位でちょうどいいかもしれません。

自然は恵みを与えてくれ、私たち人間が勝手な事をしても耐えてくれていますが、
自然の力の強さを最近は思い知らされる事が多くなってきました。

ついつい「人間様」と思って、この地球での「長」のような気になりがちですが
自然の中の一部に過ぎず、大したことはなく、この地球に間借りさせてもらって
生かさせていただいているんだということを、災害がある度に気づかされます。

仁のドラマで「神は乗り越えられる試練しか与えない」という台詞がありましたが、
東日本大震災の時には、それを思わずにはいられませんでした。

東北の方たちの素晴らしさに感動の毎日でした。

大震災の後、家が流され、着の身着のままで食べ物も十分ない中、
「大丈夫だから、心配しないで。」
「こっちのことはいいから、○○ちゃん就職活動頑張ってね。」
「元気です。」
etc...
と自分の無事を、家族や親せきに伝える人たち。

「全然大丈夫じゃないじゃん。自分より相手の事をその状況でも考えるなんて
すごいな~。この人たち。本当に頭が下がるよ。すごいよ~。」
と感動しては泣き、

おにぎりを自分はいいから他の人にあげてと言ってる人を見て
本当に東北の人たちの強さと優しさに感動しては泣き、

番組内でお母さんに言われた言葉と紹介された
「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」という言葉を聞いては
何ていい言葉なんだと感動しては泣き、

救出された80歳過ぎ位のおじいさんが、笑顔で言った言葉。
「大丈夫!大丈夫!チリ津波も体験してるし、再建しましょう!」。
弱音や悲しみのコメントをもらおうとする報道陣に、また笑顔で
「そんなこと言っても仕方ないでしょ」。
そして隣にいた奥さんの「みっともない恰好を撮らないで」の一言
を聞いては、これまた「かっこよすぎる」と感動しては泣き、

色んな人の言葉や行動を見ては、私が泣いてどうすると思いながらも
朝の番組をみて涙がとまらず、困ることも多かったです。

なんでこんな素晴らしい人たちがこんな目に合わなければいけないの・・・
天はなぜこんなにひどい事をするの・・・

と思っては泣き、
という具合に、大地震の際には、驚き、悲しみの涙の上に、
東北の人たちを見ては感動の涙もよく流していました。

あーこの人たちは、耐える力と強さと優しさを持っていて、
乗り越えられるから、この苛酷な試練が与えられているのかとも思いました。
本当に魂のレベルの高い人たちなのだろうと思います。
人間危機を迎えた時に、本来の姿が現れますが、被災者の人たちを見て、
私は東日本大震災の被災者の方々を日本の誇りと思いました。

今も大変な状態で、頑張っている方が多くいらっしゃいます。

【美智子皇后様の復興の御歌です】

 今ひとたび立ちあがりゆく村むらよ失(う)せたるものの面影の上(へ)に

私たちは風化させることなく、復興に向けて日本人皆が力を合わせ、
東日本大震災の被災者の方をサポートする使命があるのだと思います。

また、今の台風に対しての備えをしっかりして、防災意識を高めて守りましょう。

読んでいただいてありがとうございます。
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毒親の話
「毒親」という言葉を聞いたことがありますか?
簡単にいえば、自分の子どもに対して支配や虐待、そして依存したりする
「子供を過度にコントロールしたがる親」のことだそうです。

どの世代でもいるとは思いますが、団塊の世代に育てられたアラフォー世代に
苦しんでいる人が多いとテレビでしていました。

大まかに分けると、そのパターンとしては、

独裁型:自分の思い通りに子供をコントロールしたがるタイプ
嫉妬型:子供が脚光を浴びたり、幸せになることに嫉妬するタイプ
援助型:お金や物を与え続けて、依存させるタイプ
自己犠牲型:自分が家族の為に耐えていると、家族に罪悪感を与えるタイプ

があるということでした。

これは私の勝手な意見ですが、
戦争を体験した世代が、自分の子供には苦労かけたくないと思うと同時に
敗戦とともに、今までの日本人の考え方を否定され、教育内容も大きく変更され、
物質的に豊かになることを夢みて育った世代が団塊の世代だと思うのです。

そして高度成長の波にのり、経済的にどんどんと豊かになっていき、
今までの日本古来の考え方手放し、欧米に憧れを持ち、突き進む中、
貧富の差が生まれ、ステイタスがお金と物質や地位や名誉の時代だったのも
この団塊の世代だと思うのです。

女性のあり方も変化していき、恋愛結婚や仕事を持つ自由を与えられたものの、
金銭的に豊かにもなり、電化製品の普及で家事も楽になり、時間が生まれ
色んな選択肢がありながらも、いや色んな選択肢が広がったからこそ
混乱したり、迷ったりした世代なのかもしれないと思うのです。

その色んな選択肢があることで、自分にコンプレックスを抱いたり、
また反対に金銭的豊かさ=自分自身のステイタスが高いと勘違いをしたり
まぁ時代の狭間で、日本全国が成金になっていった時代の影の部分が
今になって出てきたような気もします。

以前セラピーの活動をしていた時は、20代、30代、40代の方が来られていましたが、
母親との確執が強く心に影を落としているのは40代の人が多かったように思います。
やはり親御さんが団塊の世代の方という人で、母親の影響を強く受けていました。

実際に、いろいろな方のお話を聞いていて、思わず吐き気がするような
驚くべき言動や行動を、幼少期からずっとされている人もいました。

大人になっても、幼少期に何回もすりこまれたことは奥深くまで浸透していて
頭でそうではないとわかっても、解放されていないことも多く、
母親は自分はいい親と思っていて、子供をコントロールする事をやめず
その人自身も「いい人」「いい子供」を演じてしまい、反抗もできず
周りに愚痴をこぼすことが精いっぱいという状態の人がいました。

「共依存」や「アダルトチルドレン」になっている人もいると思いますが、
私はとりあえずいつも母親から離れるようにと言っていました。

これは物理的な距離をとるということです。
一緒に暮らしている人は、引っ越す。
別々に住んでいる人は、連絡や会う頻度を減らす。

実際に知り合いのカウンセラーの方も「アダルトチルドレン」の治療をする場合
まずは物理的な距離をとってもらわないとできないと言っていましたし、
今日も毒親に対してのコメントをテレビで言っていた方も、
まず物理的な距離をとることと同じ事を言っていました。

数年前話を聞いた中に、20代後半の人(仮名:Aさん)がいました。
そのAさんの母親(当時60歳位)は、お金持ちの家に嫁ぎ、新興宗教に傾倒して、
実家との縁を切り、Aさんが幼いころから家事もせず宗教活動に時間とお金を使い、
晩年お父さんから離婚をされるのですが、慰謝料をもらおうと裁判を起こすものの
結局一銭ももらえず、大学を辞め働きだしたAさんに母親は依存したのです。

毎日母親からの脅しや押し付けや否定や罵声や、泣き落としを聞かされ、
母親から逃げるように引っ越しをしても、すぐに同じアパートに母親が引っ越してきて、
自分の思うがままにAさんをコントロールしようとして、最後には
「私が死ぬまであなたには自由はなく勝手な事はできない。
結婚せず、私の世話だけをして生きろ。でないと呪ってあんたを地獄に落とす。
でも私が死んだら、あんたは自由にしてもいい。」と言われていました。

幼いころから、母親とはそういうものと思って生きていたAさんでしたが、
色々な人の話を聞いて、違うということを知り、思い切って母親から離れ
県外に引っ越しをして一人での暮らしを満喫して、とても幸せです
というメールをいただいたことがあります。

「子供は母親を選んで生まれてくる」と聞いたことがあります。
それだけ縁が強く、そのご縁の中でしか、自分の学びや気づきを得られない事もあったり、
そのご縁の中でしか、自分の持って生まれた業をはらすことができないのかもしれません。

しかし、自分の状況を整えなければ、考えることができないこともあります。
また渦中のいる時は俯瞰から見ることができず、気づけないこともあります。
自分を振り返るために、整理してそれを糧にする作業をするために、
自分の場所の確保は必要だと思います。

「毒親」という言葉自体どうかと思いますが、ひどい親でなくても
親の影響は誰しもが強く受けています。
だからといって、すべて「親のせい」としていては自分の成長を妨げます。
でも、「親のせい」ではなく「自分の人生」とするための、時間と場所は必要です。

今日見つけた名言をご紹介します。

「幸福は自己満足 不幸は被害妄想」

「その通り!」と大笑いしてしまいました。
ちなみに江頭 2:50さんの名言の一つです。

エガちゃんは、新潟中越地震時に救援物資を届けたり、
東日本大震災の時には、放射能漏れ事故で物資の運搬の運転手が拒否する中、
すぐさま福島県いわき市の高齢者介護施設や避難所に、消費者金融で借金して
救援物資を運んでましたよね。
九州男児の男気と、すごく優しい心を持った人ですね~。

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皇后美智子様のお話
いいお天気ですね。
秋日和の、稲刈り日和ですね~。
パートナーも今日は稲刈りです。

春は花粉症がひどい人も、秋は気持ちいいのではないでしょうか?
私は秋の草木の花粉症ですが・・・(トホホ・・・)

でも色づく山々を見るのは好きです。
日本人は春は桜を、夏は新緑を、秋は紅葉を、冬は雪景色をと、
自然の四季折々の表情を見て感動する情緒を持ち合わせた民族だと思います。

「古池や、蛙飛び込む水の音」
この有名な松尾芭蕉の俳句を聞いて、日本人はその情景をすぐさま思い浮かべ、
その情景だけではなく、人によっては心がシンと落ち着くような感覚や
禅の境地にまで思いをはせる人もいるかもしれません。

でもこの句を聞いた、外国人は「???」という感じなのだそうです。
古池に蛙が飛び込んだ水の音が何なんだ?という事なのでしょう。

私はこの一つの事でも、日本人に生まれた事に感謝してしまいます。

皇后美智子様が昨日20日に、79歳になられました。
伊豆大島の被害に心を痛められ、お誕生日の祝賀を取りやめられ、
今日お言葉が報道されていました。
ご家族一人ひとりへの愛情にあふれた、そして東日本大震災の避難者、
台風被災者の方々に対しての慈愛深いお言葉でした。

美智子様のお言葉を聞き、知り合いのお友達が、マザーテレサが存命で活動していた時に、
ボランティアで海外のマザーテレサの元に出向き、手伝いたい旨を伝えた時、
「あなたは、あなたの住む国で、住む町で、そしてあなたの家族にするべき事をしなさい。
一人ひとりが自分の家族を愛し大切にすれば、この世は平和で幸せな世界になるのです。」
と言われてボランティアをせず帰国した話を思い出しました。

美智子様は、加齢のため手足に痛みやしびれが出るようになったと明かされてましたが
ご自分の体の事よりも、心配をかけた事に対する周りへのお心遣いの言葉を述べられ、
それを聞き、どうぞご無理をされず、ご自愛くださいませと心から思いました。

今までも度重なる根拠のない中傷に対して一切非難することなく、沈黙を守られ、
そして精神的な苦痛から失声症となった美智子皇后様です。
ご苦労の多い中でも、周囲を気遣う節度と気品と威厳ある態度をくずさず、
その上で、この慈愛と愛情深いお心を育まれているお姿には、頭が下がるばかりです。

私などの凡人は、落ち込む大半の事柄が「自分の思った通りにいかないこと」です。
こうなるであろうと思っていたことが、予想通りにいかなかったとか、
自分の思いに対して、相手が受け入れてくれなかったり、想像と違う反応をしたとか、
自分が努力して頑張った結果が、思いがけない結果になったとか、
どれもこれも自分のした行為や思いに反した結果になった時に、落ち込みます。

美智子皇后様の、いわれもない非難や批判をされる苦しみは
さぞ深いものだったろうと思います。

「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、
事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」
一度発表されたコメントにその苦しみの片鱗が出ているような気がします。

その中において、ハンセン病療養所をお訪ねになり、一人ひとりの手を握られている姿や、
児童養護施設や、東日本大震災の時の被災者の方の避難所で膝をつきながら
激励されているお姿は慈愛があふれ、神々しくもあります。

ハンセン病療養施設で皇后様が詠まれた御歌

「めしひつつ住む人多きこの園に風運びこよ木の香(か)花の香(か)」

「めしひ」とは、目が見えないこと。
目がほとんど見えない人が多く住むこの園に、
木の香りや花の香りを、風よ、運んできてください。という意味です。

美智子様の優しいお心が沁みてくるような御歌ですね~。
私たち日本人は、このような皇后様がいらっしゃる国で生まれて、
今を生きることができ、本当にありがたく幸せなことです。

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お金と浄化と徳積みの話
昨日今日と、私の住んでいる町は雨です。
ちょうど「稲刈り」の時期で、今週末稲を刈ろうと思っていた家もあると思います。
これだけ雨が降れば、稲が乾くのを待つ必要もあるだろうし、延期でしょうね~。

誰もがご先祖さまがいます。
突き詰めてDNAをたどれば、「ミトコンドリア・イブ」と名付けられた
「現生人類の最も近い共通女系祖先」にいきつき、アフリカの古代女性という説があります。
そういう意味では、本当に人類皆兄弟なのです。

また、近いご先祖様もいて、それぞれの家で先祖供養している方々もいます。

以前雑談で聞いた話ですが、
今生きている私たちの家族の中で、どの家庭も一人は「困ったちゃん」がいたりします。

例えば、人間関係のトラブルを抱えているケースや、家庭不和のケースもあれば、
お金がからんでいるようなケースもあります。

ギャンブルが好きでお金をそれで使いまくったり、
保証人になって借金を抱えてしまったり、
家のお金を持ち出してしまって、異性や自分の趣味につぎこんでしまったり・・・
というようなケースです。

そういう人がいる家庭には、結構しっかり者で働き者で倹約家の家族がいたりします。

私は、そのお金遣いが荒い人が「悪い人」で、働き者の人が「いい人」と思っていました。
でも、ご先祖からいえば、その家系の浄化をしてくれるお金遣いの悪い人の方が
よかったりするのだそうです。

家系に業がたまり、その業によって流れが悪くなっているとしたら、
その膿のような業を取り除かなくてはなりません。
その膿だしは、子孫で今生きている人の中で誰かが、ものすごく「徳積み」をしてくれるか
もしくはその業をはらす「浄化」をしてくれる事が必要だというのです。

お金を湯水のように使ったり、誰かにだまされてとられるような事も無駄ではないという事です。

まぁそれは、家系での話であり、個人レベルの話ではありません。
どういう生き方をするかは、自分で選択できるということです。
そして、その選択により、神に近づくことも、鬼畜生に近づくこともできるのです。

私も含めて「お金」は、生きていくために大切なツールです。
「お金」がなければ、この肉体を維持していく事ができません。
だから、皆「お金」を欲しがります。
「お金」も自分のエネルギーの一部ですが、「お金」だけは別格と考えます。
そしていつの間にか「お金」がただのツールという事を忘れてしまい、
「お金」を儲けて、「お金」をたくさん持つ事が目標になりがちです。

あるインディアンの言葉を思い出しました。

「最後の木が切り倒されたあとになってはじめて
 最後の魚がつりあげられたあとになってはじめて
 最後の河が汚染されたあとになってはじめて
 そのときになってはじめて あなたがたは知る
 お金は食べられないものであることを」


お金は自分の生活を維持するために不可欠ですが、自分の人生を豊かに過ごすツールで、
皆が価値があると信じているだけで、それ自体はただの紙なわけです。

その「お金」とどう付き合い、その「お金」をどう使うかで
その人自身が現れるのかもしれません。

不安があると、お金を皆使わず貯めこみ、握りしめて離したくありません。
1円でも多く自分の元にくることを望み(得したい)、
1円でも自分から出すときは少なくしたい(損したくない)と思います。
その皆の集合的意識が、今のこの世を創っています。

雑談でそのご先祖様の話を聞いた人に言われました。
「お金を使う時は、気持ちよく使いなさい。
 喜んで手放すと、今度喜んで入ってきてくれるから。
 そして、お金と引き換えに自分の元に来てくれるものを、喜びで迎えなさい。」

「人間の「そんとく」と神の世界の「そんとく」は違うのよ。
 人間は「損得」、神は「尊徳」で、同じ事でも反対になることがあるのよ。
 損得は目に見えるからわかりやすいけど、
 尊徳は目に見えないからわかりにくいわね。」

家系の先祖が喜んでもらうために、「浄化」をすることもできますが、
「徳積み」をすることもできます。

そして、ご先祖様が残した宿題を「浄化」で終わらすこともできますが、
時間がかかっても「徳積み」を行い、その行為自体ご先祖様に見ていただき、
「なるほど!そういう生き方もあるか!そういうやり方があるか!」と
思ってもらえる事もできるのだと思います。
そしてその方法は、自分で選べるのだと思います。

あなたはどちらの方法を選びますか?

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大きな人間になりたい話
今日は満月ですね。
中秋の名月からもう一か月たったわけです。

先月は暑かったですよね~。
というか、我が家では、ちょっと前までクーラーに扇風機が活躍していたのに、
今週になって、ストーブと加湿器が変わって登場しました。

急に秋がきたって感じです。
寒い季節になると、人恋しいと思う人もいるのではないでしょうか?

あなたが会いたくなる人ってどんな人ですか?

もちろん、恋をしている人は、恋をしている相手でしょうし、
気の合う友達に会いたくなる人もいるでしょう。
あと、夏の疲れが出たり、夏忙しくて自分を少し見失いがちな人は、
相談にのってくれる人や、一緒にいたら元気になる人、
または、一緒にいてホッとする人に会いたくなるかもしれません。

では、一緒にいてホッとする人、
一緒にいて元気になる人
ってどんな人かな~って考えました。

その相手自身が元気で楽しい人かもしれません。
何か一緒にいて楽だと思う人かもしれません。
自分の話に耳を傾けてくれる人かもしれません。
また、何にも動じず、受け入れてくれるような雰囲気をもった
人を切り分けたり、型にはめたりしない人かもしれません。

人は否定されたり「NO」と言われるのは怖いものです。
まぁそれは否定される側の人ではなく、否定する人の方に問題がある場合もあります。
その否定する部分は、相手にうつった否定している自分の一部の事もあるからです。

人それぞれの「正義」があります。
人それぞれの「価値観」があります。
人それぞれの「信念」があります。

でも人によってそれぞれであり、いくら仲良くても違うでしょう。
それでも、人は自分の型に相手をはめこんで考えてしまいますし、
色んなカテゴリに分けてしまったり、自分と違う意見は受け入れられなかったりします。

そして、ご丁寧に自分の正義や価値観や考え方を相手に諭して、
相手を変えようと一生懸命になってしまう人がいます。

もちろん、相談された時は自分の意見はいうのはいいと思います。
それで「違う」と言われて、初めて気づくこともあるでしょうし、
他の意見を聞くことで違う切り口からの見方ができたり、
そこでもし反対された時に、自分がどれくらいやる気があるかも
分かったりすることもあります。

でも押し付けたり、自分の言う通りにさせようとする事は違いますよね。
友達が欲しいけれど、なぜかなかなか自分の周りには人が寄ってこないという人は
一度自分がそういう事をしていないのかを注意してみてください。
意外に相手の話を聞かず、自分の意見の押し付けをしているかもしれません。
それ以上に非難や批判をしている場合もあるかもしれません。

そういう風に、もし非難や批判をするときは、その非難する内容の核となっている部分に
自分自身の中にもある何かに気づき受け入れるタイミングのきっかけなのかもしれません。
また、あまりに他人の意見が受け入れられなく、「自分は○○だ」という人は
とても狭い中で自分が生きているということです。

大きな海の中に自分はいるのに、半径5メートルの中でしか泳いでいないようなものです。
そこには柵もなく、自由にいくらでも泳げるのに、自分で決めてしまって、
もしくは思い込んでしまって、その狭い世界に自分を閉じ込めていることもあります。

人との付き合いの中で「イエスマン」になれという話ではありません。
人との付き合いの中で、自分が立てている柵に気づき、自分の世界を広げようという話です。
そしてそれに気づき、どんどん自分の世界が広がると、
自分の型にはめこむ癖があるとしてもその型は大きくなり、
自分の「正義」「価値観」「信念」は変わらずとも、
相手の事を大きく受け入れる人間になれると思うのです。

きっとそれがこの世に生まれ、生きている私たちが体験を通して
学ぶべき大切な事の一つなのだと私は思います。

私が会いたくなるような人は・・・
ユーモアがあり、優しく包み込んでくれる雰囲気があり、
何事にも動じず、何事も呑み込んでしまえる、大きな人です。

私もそんな人間になりたいものです。
それには、心の傷の痛みを知り、悲しみも苦しみも味わい、
また小さなことでバタつき、動揺する、小さな自分に気づく事が不可欠なのかもしれません。

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食のありがたさの話
以前「無知は罪だ」と言われたことがあります。
「無知は恥」とは思ってたけど、そっか~罪か~!!と思ったことがあります。

最近はとても便利な時代になりました。
私はガラ携ですが、周りを見ればスマホばかりで、皆それぞれ楽しんで使っているようです。
LINEもツイッターもfacebookもしていない私なので、よく詳細はわからないですが
コミュニケーションツールとして、そして色々アプリを使ったりと、
本当に活用して楽しんでいる友達もいます。

何でもそうですが、色々なツールや技術の進化や、それを開発されたクリエイターの方は
素晴らしいと思いますが、そのツール自体は良くも悪くもないのだろうと思います。
それをどう使うかで、それが善にもなれば、悪にもなるのではないかと思います。

最近では、以前はなかった色々な事件などが報道されています。
その中でも、飲食物の上に裸で乗ったり、バイト先でのおふざけの写真が
問題になっている事も多く、あれだけ報道されていて罪を問われている人もいるのに
次々と同じような事があり、とても驚いていました。

特に飲食物に関しては、よく親や年寄りから
「もったいない」
「こりゃ!食べ物で遊ぶような真似をするもんか。」
「食べ物を粗末に扱うもんじゃない。」
と、物心ついた時からしつこく言われていたので、
食べ物の上で寝そべっていたりする写真を見ると、
今は飽食の時代なんだな~と思ったりします。

私も学生時代は、友達同士でふざけあったりすることはありました。
それでも、人様に迷惑をかけない節度を重んじていた所はあると思います。

最近では会社でもコンプライアンスが厳しく言われる時代であり、
個人情報しかり、商品の記載方法しかり、色んな面が昔に比べて厳しくなり、
その上で皆が安心を得られる時代になりました。

そんな時代を背景に、色々な写真を撮り、色んな人と共有することは自由ですが
その写真やその内容によって、どれだけの反響や問題提示することになるか
想像できない人が多く、実際に無知によって罪に問われている人もいます。

学校教育とか、ゆとり教育とか言われますが、私自身は学校ではなく
そのような事は家庭で親や祖父母から教わりました。
教わったというか、注意され、よく怒られて、
身についたという方が正しいかもしれません。

アメリカの財政破綻が避けられました。
アベノミクスで経済政策をしていても、やはり大国のアメリカの財政問題の余波は
日本に大きな影響を与えます。経済問題、食糧問題...etc...

1945年の終戦まで、戦争中は日本中で食べるものがなかったのです。
戦没者の半分は餓死という報道もありますし、
1945年11月1日には、東京の日比谷公園で、餓死対策国民大会が開催されています。

当たり前と思っている生活は決して当たり前ではなく、
まだ70年もたっていない時代に、私たちの国の人が餓死していたのです。
食べ物があるということは、恵みであり、本当にありがたいことなのです。

伊勢神宮での毎日の行事も、この「神の食事」の行事だといってもいい位に
それはそれは食に関しての事は重要なのです。
食べ物を粗末に扱ったり、食べる場所を汚す行為は、本当に罪なのです。

私も戦争の時は生まれていませんし、本当に飢えた体験をしたことはありません。
ただ、今の時代の恵まれた状態が当たり前ではないという知識があります。

私もこの世の中の事は知らないことばかりです。
でもどんな事柄も奥底で、結局「真理」につながっているのだと思います。

アーミッシュという民族は何か行う時に
「この行為は、神に近づくか?神から離れるか?」
が判断基準だと聞いたことがあります。

知識は必要です。
でも、もしそれに関して知識がない場合は、シンプルにその問いを
自分の心にしてみて、決める事も一つの方法かもしれません。

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秋の過ごし方と注意する事の話
伊豆大島で台風26号の被害が報道されています。
被害に合われた方々、心よりお悔やみ申し上げます。

今年はとても台風が多いですね。
次々と台風が発生して、日本に向かってきます。

今年から特別警報も始まりましたが、防災意識を各個人が高めて、
「備えあれば憂いなし」という言葉通り、危機管理の意識も必要なのかもしれません。

昨日からぐっと寒くなり、今日は冬準備で、ホットカーペットやストーブを出しました。
一時期はファンヒーターも使っていましたが、物心ついた時に既に我が家にあった
「アラジン」が一番暖かく、灯油も持つので今年はこのストーブで乗り切ります。

とても乾燥する季節にもなったので、火の元には気を付けようと思います。
以前勤めていた所で、お線香から火がついて、家が全焼した方がいました。
これからの季節本当に気を付けようと思います。

今年は暑い日が続きましたが、秋がやってきました。
秋の夜長には「紅茶」のイメージが強く、私はこの季節は紅茶や
ハーブティーを色々試しては楽しんでいます。
「ルピシア」がおいしくて購入したり、ネットで色々試してみたりします。

紅茶以外のフレーバーティーも今年は楽しんでいます。
私はルピシアの白桃烏龍や、
ネットで見つけた黒蜜と黒豆きな粉のほうじ茶
がお気に入りです。

私は秋冬の寒いのが苦手な方です。
が、その季節だからこそ楽しめる事を、思い切り楽しんでいます。
今は秋の味覚も満載ですから、栗ごはんや枝豆、カボチャスープなど
またフルーツも梨、柿、いちじく、ブドウなどなど色々いただいています。

旬のものは、その季節に必要なエネルギーを私たちの体に与えてくれる気がします。
また、おいしいものを食べたり、飲んだりすると幸せな気分になれます。

自然は厳しい一面を見せることもありますが、本当に私たちに恵みを与えてくれます。
今は私の住む町は稲刈りの季節で、黄金に光る稲が太陽の光を浴びて
キラキラと光っています。
その光景を見ると、思わず神がここにいると思わず感じてしまいます。
稲のように頭をたれたい気持ちになります。

昔の人たちが、恵みをいただいた秋に神に感謝の気持ちを捧げて、
お祭りをした気持ちがよくわかるような気がします。

私たちは、私たち先祖がしてきたように、もっと意識的に
自然を壊さない努力と守る努力と、自然への感謝をするべきなのかもしれません。

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鬱病の人へ☆の話
最近テレビで、鬱病のCMを見ます。
今の季節、ちょっと鬱傾向の人も、症状が出てくるのかもしれませんね。
一人で悩まず、周りに相談したり、病院に行ってほしいと思います。

辛い事があると、自分だけが不幸のように思えたり、
自分だけがおかしいのではないかとか、
人に言うのが恥ずかしい、どう思われるか不安とか
生きる事がもうイヤだと思ったりするような
いっぱいいっぱい色んな考えが広がりますが、
7人に1人は生涯で鬱病を発症すると言われています。

自分に合う先生や、相談できる人を探すのは大変かもしれませんし、
もしかしたら最初に出会う先生が、自分に合う先生じゃないかもしれません。

それでも一人で悩まず、早めに対処することで、
自分の為にも、そして周りの幸せにもつながります。
そして、行動すれば絶対自分と合う先生や、わかってくれる人や
そういうことかという解決法や考え方などと出会えるはずです。

人間は一人で生きてはいけないし、
一人で生きているつもりでも、あなたを愛してくれている人がいます。
自分の命は自分だけのものと考えがちですが、実はそうではないのです。
だからこそ、自分を大切にすることが必要なのです。

実際に日照時間が短くなるこの季節は、夏の疲れも出やすく
体の疲れとともに心の疲れも出やすい季節です。
早め早めに自分のケアをして欲しいと思います。

やなせたかしさんが亡くなりました。
有名な「アンパンマンのマーチ」です。

作詞:やなせたかし/作曲:三木たかし/編曲:大谷和夫/歌:ドリーミング

「そうだ うれしいんだ  生きるよろこび  
 たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!

今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君はいくんだほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび  
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい君は  
いけ! みんなの夢まもるため

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ!
忘れないで夢を こぼさないで涙  だから君はとぶんだどこまでも

そうだ おそれないで みんなのために  
愛と勇気だけがともだちさ
ああ アンパンマンやさしい君は  
いけ! みんなの夢まもるため

時ははやくすぎる 光る星は消える  
だから君はいくんだほほえんで

そうだ うれしいんだ生きるよろこび  
たとえ どんな敵があいてでも
ああ アンパンマンやさしい君は  
いけ! みんなの夢まもるため」

やなせたかし先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

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おじいちゃんの話
先日のブログにも書きましたが、伊勢神宮への参拝の帰りに歯が折れました。
連休あけた今日歯医者に行ってきました。

あっという間に仮歯を入れてくれたのですが、医師曰く歯の中が虫歯になっていて
今も少し歯茎までその影響が出ていたのだそうです。
このままだと、もっとひどくなっていて、治療も難しくなったのかもしれません。

今日は15日でした。
朝、近所の氏神様に行き、伊勢神宮に参拝させていただいたお礼を言いました。
氏神様に行き、鈴の紐をふって、お賽銭をお賽銭入れに入れて正面を見ると
そのちょうど奥の上側に丸い鏡がこちらに向かって祀られています。

私の心がその鏡に映るようで、八幡様に手を合わせていると同時に、
自分の中の神に手を合わせている気持ちになります。

以前カラーセラピーを習いに行った時の講師に、
「神様はいると思う?」と問われ
「いると思います。」と答えたら、
「どこにいると思う?」とまた質問され、
「ここにいます。」と自分の心臓のあたりを指すと
「皆上を指すのに、そんな事言った人はじめて」と言われました。

私は、誰もが自分の心の奥底で神とつながっていると思っています。
自分の意志で神に近づく人間にもなれれば、獣のような人間にもなれるのだと思います。

17日がおじいちゃんの命日なのですが、早いのはOKですし、
今日はちょうど15日なので、お墓参りに行ってきました。
行くときは雨が降っていなかったですが、着いた頃はすっかり雨でしたが、
ちょうど墓石がみがけていいや!とおもって、たわしで磨き、
そのあと拝んで帰ってきました。

私は幼いころ、「おじいちゃん子」でした。
一度も怒られたこともないし、本当に私のすべてを受け入れ愛してくれた人です。
いつも微笑みをたたえ、いつでも私の味方になってくれ、いたずらをしても
笑って許してくれ、将棋でも何でもわざと負けてくれる、本当に私には優しい人でした。

町会議員などを何期もしたこともあり、晩年やめてからも、
おじいちゃんが後ろ盾すると当選するという噂が広がり、選挙の頃になると
色んな人が家に訪れるので、小学校の頃から門の所に
「選挙関係の方ご遠慮ください。」という札が立っていました。

だから外では口もたち、人の心をつかんだり、根回しも上手な人だったのかも
しれませんが、私にはただただニコニコしていて、大切に大切にしてくれた
優しいおじいちゃんで、小学校低学年まではおじいちゃんにべったりでした。

そんなおじいちゃんと一緒に過ごしていたので、夏は蚊帳、そして冬は火鉢で
寒くなると夕飯が終わると布団にもぐりこんで温まっていました。
本当に居心地のいい柔らかい波動で、おじいちゃんの布団にもぐりこんでいると
まゆに包まれたような安心感があり、ほっとできる空間でした。

全てを受け入れてくれるという人が私にいた事が、その後の人生において
私のとても大きな力になっています。
無条件に愛されているということを実感させてくれたおじいちゃんには
ただただ感謝です。

豪快な所もあり、物を見る目があり、何か買う時はその店で一番高いものを出せと
言って買っていたらしいですが、その後の支払いは家族任せで知らんぷりだったり、
人の面倒を、自分にお金がないのに見て、その後は家族の丸投げだったりと、
家族にとっては「困ったちゃん」だったらしいですが、母も言っていましたが、
母も私もおじいちゃんが声を荒げて怒っている姿を一度も見たことがありませんし、
本当に賢く、人が集まってくる不思議な魅力を持った人でした。

筆まめで、色んな人によく手紙を書いていましたし、毎日日記をつけていました。
仲人もしていて、何組もの結婚を取り結んでもいました。
人間が好きだったのだろうと思います。

自分の父親が早く亡くなり、8人兄弟の長男として年の離れた妹などはおじいちゃんが
育てたようなものだったらしいですが、本当は東京でバリバリ仕事をしたかったのだろうと
思います。

今兄が半分以上東京にいて、東京を中心に仕事をしているのを見ると、おじいちゃんが
兄についているのだろうと思ってしまいます。
兄の仕事を通して、おじいちゃんも自分が今生で果たせなかった夢を味わえていたら
それはそれでうれしいことだなと思います。

皆、知らない神様にお金を投げてお願いしますが、見返りを求めず自分の為に
力を惜しまず頑張ってくれるのは御先祖様です。
親が子供にすることを、他人にしろと言われたらきっとできないでしょうし、
するとしたらお金などの見返りを要求すると思います。
その親が子を愛しみ育ててくれるように、先祖様は子孫を無償で応援してくれます。

ですから、先祖様に対しては供養をしっかりすることで、先祖様のパワーは強くなり
そしてその先祖様にお願いすると、見返りも求めず動いてくれるのです。

色んなパワースポットに行くより、自分の先祖のお墓参りする方が、
自分という木の根っこに水を撒くようなものですから、
自分が強く豊かになる事にもつながります。

宮本輝さんの本の中で
「わしは親孝行の人間が不幸になったのを見たことはあらせん。
 お前はきっと幸せになるぞ。」
というセリフがあって大好きなのですが、

「わしは先祖供養をする人間が不幸になったのを見たことはあらせん。
 お前はきっと幸せになるぞ。」
とも言いたい私であります。

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お母さんの話
先日友達と色々と話をしていて、久しぶりに両親の話をしていて、
今になり、母の事で思い出したことがあるので、書きます。

晩年は心の病やALS(筋委縮硬化側索症)の難病などに苦しんだ母であり、
そして天然で面白く、少女のようなかわいらしい母でもあり、
動物や植物に愛情深く、野良猫を家に連れ帰って世話をしていた母でもあり、
学生時代、友人によくうらやましがられるほど優しく、
いつも穏やかな微笑をたたえた心根の優しい、芯の強い母でした。

子育てについての話は、それぞれの家庭や、それぞれの両親によっての考え方など
これが正解というものはなく、それぞれの教育方針があると思います。

私の母は愛情たっぷりに私を育てる反面、幼少期から学生時代はとても厳しい人でした。
勉強や習い事についても色々言われたけれど、それよりももっと基本的な事
一番は挨拶、二番は整理整頓、三番は身だしなみについての方がうるさく言われました。

幼い時だけではなく、大人になっても、家を一歩でも出るときには必ず
「会った人に大きな声で笑顔であいさつをしなさい」と言われました。

片づけについてはいつも注意されていて、部屋の整理整頓はもちろん、
何度注意されても、靴を揃えなかったり、服を脱ぎっぱなしにしていると、
全て捨てたと言って隠されていて、大泣きして謝りまくって、
やっと出してもらった事もあります。

言葉についても、流行り言葉であろうと、男っぽい話し方や品のない話し方など
女性らしからぬ話し方をするとものすごく怒られたし、食事の仕方などの作法や
姿勢についてとてもうるさく注意されました。

友達との間でイヤな事があったり、仕事を始めて理不尽なことがあり
母に話すと、すべて話を聞いてくれた後で、いつもこんな風に言われていました。

「それはあなたからの見方でその出来事を見て、感じた事であり、
 相手側の立場からの見方や感じ方もあるだろうから、
 相手の話を聞いてみないことには、お母さんは何とも言ってあげれないわ。」

ただ、「かわいそうね~。」「あんたは全然悪くないよ。」と甘えたかっただけの私は
その当時は不満でしたが、今になると何と聡明な母だった事かと思います。

「人への親切は、相手が困っている時や何かしてほしいと思っている時に
 そっと目立たないように、自分のできることがあればしてあげることであり、
 あなたがしているのは、相手が何も求めていないのに、
 勝手に自分が相手に何かをして自分がご満悦なだけで、それは親切でもなく、
 みっともないただの押し付けで、相手はありがたい所か迷惑なだけ。」

「偉そうに色々と自分の自慢を言う人に限って、他人に対しての思いやりもなく、
 自分の事ばかりで、他人に対して何もしない人がとても多い。
 本当に親切な人は絶対に表立って目立ったことは言ったりしたりはしないけど
 裏でそっと手を貸してくれて、そのことは絶対に自分で言わないものよ。」

「自分が何かしたり、言ったりするとき、相手の気持ちも想像しなさい。
 言葉というものは、同じことを伝えるとしても、どんな言葉でどういう言い方をするかで、
 まったく変わってくるものなのだから、相手の心まで配慮した言葉を使いなさい。」

「他人様に迷惑をかけるような事をしてはいけません。」

「人が見てみっともないような事はしてはいけません。」

当時というかまだ10代、20代の頃は、他人の目線や相手の事ばかりを気にして
「自分の言葉で話せなかったり、自分のしたい事ができない事は違うのではないか。
それじゃあ誰のための人生かわからないではないか。
自分の人生は自分のものなのだから、他人の為に生きるわけではない。」
と、母にかなり反抗した事もあったけれど、(若くてとがっていたな~(苦笑))
今になってみて母が言いたかった事がよくわかるな~と思います。

他人に思いやりや気遣いを持ちながら、自分自身を表現することはできるのです。
そして、自分から出た思いやりや気遣いは、回りまわって返ってくるのです。

相談せず県外に就職を決めて、バイトで貯めたお金で部屋を借りた後報告した私に、
最初は反対したものの途中から応援してくれ、父や親戚も説得してくれた母から、
引っ越しをした時に現物はもうなくしてしまいましたが、渡された手紙がありました。

「働いていると、どこでも絶対に嫌な人がいます。
 そしてとても辛いことや、悲しいことも仕事をしているとあるでしょう。
 はじめての一人暮らしで寂しい思いもしたり、初めての就職で大変なこともあるでしょう。
 でも、これはあなた自身が決めたことです。
 すぐに辞めて帰ってくるようなみっともない事はせず、精一杯がんばりなさい。」

その頃、県外に就職する友達は親から
「辛かったらいつでも帰ってきなさい。」という言葉をかけられていたので、
うちのお母さんは本当に冷たいとその時は思いましたが、
今から振り返ると本当にいい親だったと思います。

結局父が倒れ、私も過労で入院してしまったのを機に、数年後実家に帰ったのですが、
その時は笑顔で優しく迎えてくれて、本当に母の愛を感じて号泣したことを覚えています。

人間はいろいろな面を持っている多面性の奥深いものです。
一つの面だけ見てわかったつもりでいたら、もったいないかもしれないです。
全く違う面が一人の人間には含まれています。

以前私の尊敬する人は母でした。
一時期、体と心の病気になり、その時の変わり果てた母を私が受け入れることが
できなかったのですが、時間はかかったけれどそれを受け入れることができ、
その上で私はやはり自分の母親を尊敬しています。

死に顔が生き様を現すのであれば、母という人は少女のようなかわいらしさと純粋さを持ち
泥水のようなこの世を、精いっぱい生ききった人生だったのだろうと思います。
蓮の花のように泥水の中で、精いっぱい自分の花を咲かそうとした人だと思います。

幸薄く苛酷な状況の中で、何年も何年も笑顔でよく頑張った母でした。
何かあっても、次の日にはカラッとした笑顔で朝ごはんを出してくれました。

晩年、そのストレスや悲しみや心の傷が一気に吹き出し、
母が自分の中にたまった泥を吐く作業を間近で見るのは辛い事もありましたが
その時の母も含めて、私は母が好きで好きで仕方ありませんし、
母の娘として生まれ、育ててくれた事に心より感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとう。
お母さん。

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伊勢神宮への参拝の話
昨日伊勢神宮へ参拝してきました。
外宮にまず参拝して、その後内宮に行かせていただいたのですが、
やはり遷宮後の初めての土曜日ということで、人は多かったです。

外宮に行った時も豊受大神様の正宮のあとに、多賀宮にも参拝をと思ったものの
長蛇の列ができていて、内宮への参拝の時間を考えるとあきらめました。

その後内宮へのご参拝をさせていただきましたが、正宮の前の階段の下から
もう人・人・人の行列ができていました。
撮影禁止であろうが、パシャパシャ写真を撮ったり、帽子やサングラスを
取ることなく身に着けたままの人がいたりで、ちょっと驚きました。

やっとお賽銭箱の前にたどり着いた時にも、中央に人が群れている中、
端の方から手を合わせて参拝をさせていただきました。
木の香りがとてもいい香りで、藁葺屋根がとても美しく、
光を浴びている新しいお宮がとても気持ちよさそうで、
これからの20年間の天照大御神様の新宮に、お参りさせていただけて
とてもうれしい気持ちでいっぱいでした。

その後、荒祭宮に行かせていただいたのですが、そこでも正宮まででは
なかったですがやはり行列ができていました。
その列を無視して横から前に出て参拝される方や、後ろから
お賽銭を投げつけている人もいました。

昨日はとてもいいお天気で、少し気温も下がっていたので暑さもあまり感じず
特に伊勢神宮内は神木が豊かに満ちているので、とても気持ちよかったのですが、
その荒祭宮の列に並んでいるときに、パラパラっと何か霧のような、
本当に微細なしずくのようなものが、体全身に降りかかるように落ちてきて、
一緒に参拝していた友人や、周りの人を見まわしたけれど、
皆は何もそんな事はないようだったので、あれは一体なんだったのかな?と
今でも思っています。

無事、その後荒祭宮にもご参拝させていただいて、伊勢神宮を後にしました。

以前行かせていただいた時は、寒い冬の日だったのですが、
気候のいい季節での参拝で、とても気持ちよかったです。
また、内宮では正宮から吹き抜けてくる風が何とも気持ちよく、正宮の階段で
待っている時に空を見上げると、雲一つない青空が広がっていて、
私たちのいる階段は暗いけれど、正宮へは日の光が柔らかく広がっていて
その光景を、列に並んだからこそゆっくり感じられた気もします。

その後帰途で、前歯で食べ物を噛んだ時に、一本の歯に亀裂が入りました。
何か障りの出来事だろうか?と
何か無礼をしたのだろうか?と
もしそうであれば、私は何をしたのだろうか。申し訳ない。と思い、
色々振り返り考えてみたものの、思い当たる事がない中、ショックだったのですが、
その歯は以前から気持ち悪くて、どうにかならないかと思っていて、
歯医者に行くたびに相談してみるものの、異常がないから治療はできないと
言われていた歯だったので、これで治療してもらえることになった事に気づきました。

意味を考えてみたところで、自分のものさしでの身勝手な解釈にしかならないので、
とりあえず、連休明けに歯医者に行きます。
自分に必要だから起こる出来事であり、そのタイミングだったのだろうとも思います。

天照大御神様はやはりとても素晴らしい神様であり、伊勢神宮へ今参拝させていただき
心より感謝でいっぱいです。
「ありがたい」という神恩感謝の気持ちを直接捧げる機会を与えていただいて、
本当にうれしくとても素晴らしい一日でした。

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神様と私の話
明日はいよいよ伊勢神宮へのご参拝です。
わくわくうれしい気持ちと、少しばかりの緊張をしています。

新札をもらいに行き、封筒にいれてお賽銭の用意もしました。

あーまた伊勢神宮に行かせてもらえる~。うれしい~。

伊勢神宮はやはり別格です。
内宮のご祭神でもある天照大御神様は皇祖神でもあらせられます。
以前行かせていただいた時も、鳥居をくぐったところから、規模もすごいですが
気も変わり、神の域だ~という感覚があったのを覚えています。
とても寒く曇っていたのですが、正宮にはシャンパンゴールドの光の筒が
立っていて、その鎮座されていらっしゃる天照大御神様のエネルギーの
素晴らしさに感動しました。

普段は近所の氏神様の八幡様におまいりに行かせてもらうくらいで、
後はお正月に生まれ氏神様と、県内にある少し大きめの神社に行かせてもらう位で
あまり神社には行きません。

旅行の時などに、ふらっと立ち寄ることはありますが、
テレビで「スピリチュアルスポット」と言って、ご利益があると言われている神社を
紹介していたり、そのような本なども出ていたりして、そういうのを好きな友達に
誘われたことがありますが、行ったことはありません。

日本人は、活字に弱かったり、だれかが「いい」と言ったりするとすぐとびつくな~と思います。

以前アロマセラピーの資格をとり、ある先生の講義を聴きに行ったことがあったのですが、
その先生は面白くて、こんな事を言ってました。
「日本人はどうしてあんなに効能の文章や、人気の精油に振り回されるのかしら。
人に合うからって、自分に合うとは限らないし、
自分に合うものは香ってみたらわかるし、必要なものは自分が一番よくわかるじゃない。
自分の五感をそんなに信じられないのかしら?」

アロマだけではなく、すべてにおいて私もその考え方には賛成です。

神様だってそれぞれの波動がありますし、戦いの神様や商売繁盛の神様や
色んな神様がいるわけで、神社も合う合わないがあると思うのです。
私は女の神様の方が好きです。男の強い神様はやはり荒々しい気がします。

それでも「いい」と聞くと(その「いい」は大概願いが叶うというものですが・・・)
その神社に行って、本殿にお祀りされている神様に向かって、小銭を投げつけて
「私の願いを叶えてよ」と自分本位の身勝手な願いを、その神様を小間使いのように
使って叶えろと要求するわけです。

小さい人間の私はお金を投げつけられ「やれよ!」と言われたら、ムッとしてしまって
「自分で勝手に頑張れよ」と思ってしまいます(苦笑)

基本的には私は良寛さんの

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
 死ぬ時節には死ぬがよく候。
 これはこれ災難をのがるる妙法にて候」

の考え方が好きで、他は

「天は自ら助くる者を助く」
「人事を尽くして天命を待つ」

の考え方が根強くあったりするんですよね~。

自分に必要な体験は体験すればいいし、その体験を軽減するには
自分自身を見つめて自分が気づくべきことを、体験の前に気づく事が大事で、
お金で逃れようとして、せっかくの体験を逃れて何も気づかず身につかない方が、
自分にとって損じゃん!って思ってしまうのです。

もちろん祈りは人間に与えられた素晴らしい手段です。
その祈りのパワーはとても大きな力を発揮することもあるでしょう。
ただ、祈りには、愛が必要だと思います。

その上で、私はやはり神は感謝すべき対象だと思います。
日本は八百万の神がいらっしゃる、神の国です。
その神々がこの国を守り、そして私たちを守ってくださっています。
身勝手な事ばかりしたり言ったりする私たちをも、優しく見守ってくださっています。

現状を満足できない人が、未来を満足できることができるのでしょうか?
今を肯定できない人が、未来を肯定できるのでしょうか?
自分を信じれない人が、他人や神様を信じれるのでしょうか?

神様に感謝をすることは、
現状を満足して、今を肯定でき、自分を信じることにつながるのだと思います。

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相手と自分の間の話
親子や夫婦や恋人、友人、会社の同僚など、きっと仲良くしてる人や、
ご縁がある人が自分の周りに皆いると思う。

親子は別として、友人や恋人などは、意識的に自分が選ぶわけだ。
その選択には、その人それぞれのツボがあったり、重要な所があったり、
無意識に「好き」とか「合う」という感情からという場合もあると思う。

そして、付き合いがはじまり、その過程において、成長の速度が違ったり、
同じ体験をしても感じ方や捉え方は、違ってくる。
その中でも、何年かたって会っても、昨日までずっと一緒だったように
話し合える友達もいるが、ズレが出てきたりすることもある。

また、最初は少しのズレが
「きっとわかってるはず」とか、
「意見が違うことで合わないと言われるのが怖い」とかで
放置していて、気が付いたときには大きなズレになっている場合もある。

結婚して夫婦になるということは、自分たちだけではなく、やはり先祖同士の了解や
氏神様や産土神様の力もあると思うので、やはり「ご縁」なんだと思うのだが、
最初は恋に落ちて、その後愛になり、家族になり、時を経ていくうちに
大きなズレができている人たちがいる。

表面だけがずれている場合はいいけれど、根底の握りしめている信念が
完全にずれてしまった場合は、言葉というものは本当に力がないのだと思った。
いくら言葉で説明しようが、事細かに状況と気持ちを赤裸々に語っても、
相手に理解してもらえないのだ。

病気と同じで早期発見が何に関しても大切なのだろう。

ここまでくると以前テレビで誰かが
「一人でいる孤独より二人でいる孤独の方が辛い」と言っていたが
そうなのかもしれないと思ってしまう。

型を大切にしようと思う人がいる。
中身を大切にしようと思う人がいる。

その二人が結ばれて、両方を大切になり、二人の世界が豊かになるのが理想だが
世の中は、お互いよかれと自分の大切にしている価値観に沿って一生懸命しても
お互いにそれが届かなかったり、どんどん溝が生まれることもあるのだと知った。

価値観などは、人によって違うものだろうと思う。
自分の価値観が大切なように、相手の価値観にも耳を傾けてお互い譲歩はできないのだろうか?

ただ最近思うのは、友人は似た者同士が仲良くなるが、夫婦って結構凹凸カップルが多い気がする。
それでバランスがとれるのだろうと思っていたが、内情はそうでもないらしい。

でも、やはり結婚というものは特別な縁なんだろうと思う。
忍耐を学ぶともいうけれど、その中でしか学べないこともあるのだろう。

私は結婚していないし、結婚したこともない。
今のパートナーは知り合ってから長いけれど、今も本当によく話す。
毎日毎日、時間が許す限り色んな話をしている。
当初は価値観や考え方の違うことも多かった。
自分の意見も言ったし、相手の意見も聞いたし、それで相手が気を使って
スルーしようとした時は、話し合えないなら一緒にいる意味がないと言ったり、
相手が要求してくることの意味がわからず困惑したり、イライラしたり、
相手の意見を聞くことで、我慢をすることになり泣いたりしたこともあった。

話し合って、話し合って、調和をとっていって、今お互いに心地いい状態になっている。
稀に見る、自分と感覚や価値観の近い人ではあるが、それでも彼と私は全て同じではない。
お互いに価値観が違ってることもあるし、信念の部分でもそりゃ違うことはある。
でも、彼の価値観に同意見ではないけれど、尊重しているし、彼も尊重してくれる。
全く同じ人間なんていないもん。

最初のころは、彼に期待したり、そして自分の思い通りにコントロールしようとしたり、
自分の人生の舵を彼にとってもらおうとしたり、私の問題を彼に解決してもらおうとしたり
甘えて依存しようとしてたな~と思う。

今は
彼は彼。私は私。
自分の人生の舵は自分しかとれないし、自分の人生の責任は自分でしかとれない。
役割も違うし、その役割についての精いっぱい自分がすればいいだけで、
自分の苦労は自分ひとりで背負っていけばいい。
彼をコントロールしようとか、期待しようとする裏には依存心があると気づいて、
彼におんぶに抱っこしてもらうより、自分の足で自分がたって、
彼と手をつないで歩いていきたいと思うようになった。

自分の問題はどれだけ頑張って相手にどうにかしてもらおうとしても(苦笑)
相手には解決してもらえず、自分でしか解決できないのだとつくづく思う。

与えてもらうことより、与えること。
話すことより、聞くこと。
逃げることより、向き合うこと。
面倒なことこそ、早めにすること。
押し付けるのではなく、相談すること。

親しき仲にも礼儀ありというように、近いからこそ相手を大切にする気遣いを
お互いにもつことでズレがなくなって、皆が大切な人と幸せな関係になればいいな~!
と思う私であります。

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人間も自然の一部の話
古代ギリシャでは、「物質は、火、水、土、空気の四元素からなる」という説があり、
私たち人間を創り出している要素も、この四元素に関係あると思います。

パーソナルカラー(肌の系統を4つに分けて似合う色を見つける)も
この四元素の考え方が根底にはありますし、星占いも各星座がこの四元素に
おおまかにみると分けられたりもします。
血液型も4つですね。傾向としてみると、当てはまる所があるかもしれません

誰もがこの四元素の要素は皆そなわっています。
でも傾向として強くでるものや、多いものがあるのだと思います。

例えば、嫌な事が起こったとき
火:烈火のごとく怒る。
水:涙を流して、悲しむ。
土:落ち込んでじっと動かなくなる。
空気:風が吹くように動きまくり、気分転換をする。
という感じです。

でもある時は涙を流し、ある時は気分転換をし、ある時は怒り、
じっと苦しみや悲しみが楽になるのを待つこともありますし、
同じ時に複数の行動をすることだってあります。

あなたはどのタイプですか?

また、中国では木・火・土・金・水の五要素が世界のあらゆるものを
構成する基礎となるという五行という考えに基づいた思想があります。

のちに陰陽思想と結びついて陰陽五行思想となって日本に伝来し、
日本では陰陽道として展開していきました。

一度本を読んだり、その陰陽五行を基に考えられた食についての話や
陰陽五行を基礎の考えとしたマッサージなどをしている知人に話を聞いたことが
ありますが、とても奥が深かったような記憶があります。
また陰陽五行の占いもありますね。

人間も自然の一部ですから、このような考え方には私は一理あると思っています。
誰もが傾向というものはあります。

「自分を知る」事は一生かけて行う、とても深いことだと思っています。
一つでも多くの「自分」を知ることの為に、いろいろな出来事がある気がします。
でも、なかなか「自分」を知ることや、認めることが難しいこともあります。
どうしても、ジャッジをしてしまうからです。
いい自分=私にある、悪い自分=私にはない
と思いがちで、見てみないふりや、責任転嫁をするように人にせいにしがちです。

いい自分も一つの自分を知ることならば、
悪い自分も一つの自分を知ることになり、
どちらも一つに違いはないのです。

本当に強い人は自分の弱さやダメさを知っている人だと思います。
それを知ってなかったり、認めてない人ほど、傲慢な態度をしたり
そこを指摘されると攻撃的な態度をしがちです。

何か言われて「わたしはそんなことない」と、心が動き
怒りの感情が生まれるようなら、それは自分の中にあると思った方がいいです。

本当にないなら、心は動かないものですから。

生活の中で、そして他人にうつる自分を見つめる中で、
体験の中で、色んな自分を知っていくことが一番だろうとは思いますが、
自分を知るために、傾向をつかむために、ツールを使うのも面白いと思います。
色もツールの一つですね。

ジグゾーパズルを埋めていくように、色んな自分というピースを埋めていき
自分の人生のパズルを創り上げたいものです。

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幸せってなんだっけ?の話
「幸せってなんだっけ。なんだっけ。」
懐かしいフレーズです。
若い方は知らないでしょうか?

明石家さんまさんのヒット曲で、キッコーマンのCMでも使われていました。

明石家さんまさんは、本当に明るくて楽しくて、面白い。笑いの天才です。
私はさぞや、明るい家庭でのびのびと育った人なのだろうと思っていました。

でも、決して明るい幼少時代ではなかったのだそうです。

3歳の時にお母さんが亡くなります。
その後小学校高学年で、お父さんが再婚して新しいお母さんがきます。
そして、そのお母さんと一緒に、腹違いの年の離れた弟ができます。
新しいお母さんは、自分の子供である弟ばかりをかわいがり、
さんまさんは、無視されたくなくて、お母さんに反応してほしくて
面白い話をしようと毎日考えていたとお兄さんが言っていました。
その弟さんは、腹違いといえ、さんまさんの事を尊敬していて、
年が離れていても仲良かったのだそうですが、実家の火災で19歳で亡くなっています。

だからこそ
「生きているだけで丸もうけ」
「やさしさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている」
っていう言葉が出てくるのでしょう。

また、さんまさんは落ち込まないそうで、その理由を
「俺は、絶対落ち込まないのよ。
落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。
過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。
人間なんて、今日できたこと・やったことがすべてやねん。」
って言っていました。

本当に賢く、そして深い人だと思います。

本当に優しい人って、決して恵まれた人生とはいえないけれど、
色々な経験を経て、どん底のような状況も経て、
悲しみや苦しみを味わい尽くしている人が多い気がします。

反対に意地悪だったり、周りに冷たい人は、恵まれていることを当たり前と思い、
中途半端な経験で悲劇のヒーローになり、それを周りのせいにして、
その上すべてわかったと勘違いしている人が多い気がします。

今は外していますが、以前星野富弘さんの「れんぎょう」を飾っていました。
rengyo.jpg

「 わたしは傷を持っている
 でもその傷のところから
 あなたのやさしさがしみてくる」

幸せって、いつも外にあるって探してしまうけど、きっと自分の中にあるもの。
辛い体験や悲しい体験も無駄ではなく、幸せを感じるための大切なもの。

「幸せを知っている人は、それ以上の不幸を知っている」のかもしれません。

体験できることがとても素晴らしいこと。
毎日の出来事の中で何を見て、どうとらえて、何を思い、どう行動するか・・・
その積み重ねが、自分の人生を創り出していくのでしょう。

出来事自体には、何の意味もなく、自分がそれに意味づけをしているのだとしたら、
自分の中の「幸せ」に通じる捉え方ができることが、幸せなのだろうと思います。

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伊勢神宮の参拝の話
10月になりましたが、雨があがり、空が清み、とてもいいお天気が続いています。
全国でも夏日が続いたという報道を見ていて、遷御の儀が無事に終え、
天照大御神様がこの世を照らし輝かせているような感じさえ思います。

今後、伊勢神宮にお参りに行かれる方もいらっしゃるでしょうし、
私も今週末にはいかせていただこうと思っているので、
伊勢神宮への参拝について、まとめてみようと思います。

伊勢神宮とは
内宮と呼ばれる皇大神宮(こうたいじんぐう)と
外宮と呼ばれる豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の
二つの正宮を中心に総計125のお社(やしろ)の総称です。

内宮
皇大神宮の御祭神は皇室の御祖神であり、また私たち日本民族の大御祖の神でもある
天照大御神(あまてらすおおみかみ)様です。
2000年の歴史があると言われています。

外宮
豊受大神宮の御祭神は、天照大神の御饌都神(みけつかみ、食事を司る神)である
豊受大神(とようけのおおみかみ)様です。
1500年前に天照大御神様が呼ばれたという逸話もあります。

豊受大神は、私たち日本民族の主食であるお米をはじめ五穀の豊穣、
衣食住のめぐみを与えてくださる産業の守護神でもあります。

平成25年現在の祭主
池田厚子様ですが、ご高齢ということもあり、
職務は臨時祭主の黒田清子様が代行されていらっしゃいます。

参拝に関しての服装
色々諸説あると思いますが、
「もしあなたが天皇と拝謁されるとしたら、どのような服装で行きますか?」
礼儀を尽くす気持ちがあるかどうかが私は大切だと思います。
派手すぎたり、肌の露出が多い服、カジュアルすぎる服は避けた方がいいでしょう。
また、ヒールの高いものなどは、歩きにくいのでやめた方がいいと思います。

御垣内参拝は正装です。
男性はスーツ。女性も普段着、華美な服装、それにブーツも禁止です。

写真
御正宮は撮影禁止です。
また、日本には八百万の神がいると言われている中での、最高峰の伊勢神宮内では
やはり、きちんと写真を撮るには「おことわり」をすることが必要だと思います。

カメラにはいろいろなものが写りこみます。
以前、屋久島に行った時に写真をたくさん撮っていたら、色んなものが
写りこんでしまっていて、私自身が対応できないほどのエネルギーだったからか
心身ともに疲弊してしまい困ったことがあります。

また個人的に、実家での出来事ですが、おことわりもせず勝手なことをして、
井戸の神様を怒らせてしまって、それはそれは大変でした。

木に触れるべからず
「触らぬ神にたたりなし」ということわざがあります。
触らなくても、その気に触れただけでも影響がありますし、礼儀をなさず
神を怒らすと容赦ないので危険だということを注意すべきだと思います。

伊勢神宮内にある木は全て神木です。
以前お参りに行った時は、その木の一部を持ち帰る人がいると聞き、驚きましたが、
それこそ「神に触る」行為プラス、持ち帰るなどはもってのほかの行為です。

この世は全てが鏡であり、神の領域で行うことはそれが顕著にレベルアップすると
思ってやった方がいいと思います。
神への思いやりや敬う心も、相手が神であろうと盗んでやろうという心も
そのまま自分に返ってくるのです。

神宮をきれいにしておきたいとゴミを持ち帰れば、
あなたの心のゴミが消えるかもしれません。
私利私欲で、大切な神の一部を持ち帰れば、
あなたの大切なものを失うことになるかもしれません。

参道
参道の中央は、正中(せいちゅう)として「神様の道」と言うことで空けておきます。
外宮では、参道の左側を通行します。内宮では、参道は右側通行です。

手水の方法
五十鈴川と御手洗場(みたらし)は、神聖な川、清浄な川として知られる
五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう。

手を洗い、口をすすぐのは、川や海の中に入って禊(みそぎ)をし、
心身を清めていた行事を簡略化したものです。

手水舎で行なう、手水の方法は次のとおりです。
1.左手を清める
2.右手を清める
3.左手に水を取り、口を清める
4.左手をもう一度清める
5.柄杓の柄を清める

1~5まで一回でするので、八分目位までお水を汲んでいるといいでしょう。

鳥居
鳥居の前では立ち止まり、一礼してからくぐります。
鳥居でおじぎで立つ位置は、外宮では正中の左側ぎみ、
内宮では正中の右側ぎみに立つ事がよいです。

拝礼
「二拝、二拍手、一礼」が基本になります。
内宮では正宮では、願掛けなどの自分のお願いはしません。
感謝を述べるだけです。

もし自分のお願いなどをしたい人は、別宮の荒祭宮でお願いします。

畏れ多い神様への参拝です。
今ここに生かしていただいている感謝(神恩感謝)の気持ちを捧げるいい機会です。
日本をお護りくださり、今生きている私たちに光を与え、生かしていただいているのです。
昔の祝詞には感謝の言葉しかなかったと言われます。
現代に生きる私たちは欲深くなり、普段の生活を当たり前と思いがちですが、
その当たり前の幸せを与えてくださっている「ありがたさ」に気づき、
感謝できる日本人でありたいと心から思います。

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新月の話
今日は新月です。
その新月の日に、外宮の遷宮が行われるというのは、素晴らしいタイミングと思えます。

また今日は私の住む街は朝から雨ですが、空気が昨日とは変わった感じがします。
涼しいという気温もありますが、空気感の変化も感じます。

今月は天秤座の新月です。
10月5日 9:35

「天秤」の形は、1つではなく、2つのものを象徴しています。
そして「天秤」はバランスをとっている状態が最適です。

【自分自身で自分の資質を磨く】事も大切です。
でも、
【自分を周りや社会の中で磨く】事も大切ということを
この天秤は教えてくれます。

2つというもので連想するのは
「バランス」
「平等」

またふたつの「結びつき」も大切です。
「共存共栄」
「平和」
「調和」
「助ける・助けられる」
「協力関係」

相手ばかりで、自分をないがしろにしても、天秤は傾きます。
相手の意見に耳を傾けることは大切です。
そしてその意見に対してどう自分が考えるかも同じ位大切です。

天秤座は協調性とバランス感覚を備え、
まさしく天秤のように多くの違う意見を公平に一つにまとめる。
調和や共存共栄の意味もあります。

社交性を持ち、芸術的な感性にも優れています。
人との関わりや社会の中で、自分を知ったり磨いたりすることを
意識していいくと、人脈も広がるとともに、自分自身を見失い
優柔不断になったり、八方美人になることも防げるでしょう。

この生まれくる新月のフレッシュなエネルギーに満ちた日に
外宮の遷宮が行われるということに、天の意志が感じられる今日です。

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夢は幽冥?の話
いよいよ伊勢神宮での式年遷宮が行われています。
平成二十五年十月二日(内宮)・五日(外宮)遷御の儀です。

既に皇大神宮(内宮)の遷御は執り行われ、テレビでも報道されていました。
臨時祭主は黒田清子様で、以前の柔らかいお顔に凛とした雰囲気が
プラスされたように思えます。

この時代に今生かしていただいていることがとても幸せと感じます。

やはり時代の変わり目を感じてしまいます。
昨日から眠くて眠くて、眠ってばかりいます(苦笑)

ブログにも書きましたが、9月末には夢ばかりを見ていたので
ちょっと眠りが浅く、寝不足だったのかもしれません。
夢は昔「幽冥」と書いていたと聞いたことがあります。

この世に生まれて死ぬまでが一つのクールで、
死んだあとが幽霊になり冥土に行くというイメージですが、
毎日夜眠ることが短いクールになっていて「幽冥」に帰り
魂の充電をしているのかもしれません。

よく眠った方が朝起きた時に「あー疲れた」と思うこともありますが・・・

やはり変わり目には、目に見えたり、意識していることだけではなく
目に見えないことや無意識が変化していることが多いのだと思います。

あるいはその方が、先に起こり、現実に転写されているだけだったり、
目に見えたり意識していることなどは、氷山の一角だけなのではないかと
思ったりしてしまいます。

いわゆる「引き寄せの法則」とかもこのことを応用しているのでしょう。

最近、私が過敏なのかもしれませんが、気になることがあります。
「心=波動」
「言動」
「行動」
の3点があまりにずれている人に対して、すごい違和感を感じて気持ち悪さを感じるのです。

もちろん、仕事をしている時などは社交辞令や、仕事上での営業スマイルなど
本音をそのまま言動や行動にのせるわけにもいかないし、それは社会人としてマナーです。

それをわかった上でも、波動と、言動、行動がとてもずれている人がいるのです。
そんな人に会うと、違和感を感じ、一緒にいると頭痛や吐き気を覚えたりします。
そのズレをそのままにしていたり、無理をしていると、本人にしわ寄せはやってきます。

無理に言動や行動を頑張って心を抑えている人が、自分の中のある一線を越えて
症状が出てしまい、仕事に行けなくなってしまった人がいます。

またとても心の波動が荒くて、まがまがしささえ感じる人が、作り笑顔やぶりっこで
人に好かれたり評価されたいと、頑張って言動や行動をしていた人がいます。
やればやるほど、その人と接する人は嫌悪感を増して、驚くほどに嫌われている人がいます。

以前は、心の波動を言動や行動で隠せていたのに、最近では伝わりやすくなっていると思います。
左脳の理論や計算のロジカルな脳だけでなく、右脳の感性や感受性が高まっていると思うのです。
まぁ、それも敏感な人もいれば、鈍感な人もいますし、表面しか見えない人もいるので
人それぞれの所はありますが、それでも右脳の機能が向上して
心に敏感な感性の人が増えている気がします

また、その人の脳波なのかオーラなのか、その波動の周りへの影響力も増している気がします。

社会では波動の低い人が強くて、言ったもん勝ち、やったもん勝ちという所が強く
会社でもそういう人がいいポジションについていたりするので、そういう人に会うと
その波動にあてられて、疲れてしまいます。

眠るということは、細胞を修復してくれるように、疲れた心を修復してくれ、
自分の波動の充電にもなるのかもしれません。
秋の夜長、睡眠の秋はいかがですか?

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時代の変わり目
10月になりました。
9月までで私の生活は一区切りでした。

10月はまた変化の時期です。
年度でいうとちょうど後半になります。

今年は特に伊勢神宮の遷宮(内宮10月2日・外宮5日)があります。
それが終わると、世界の空気感が変わり、新たな時代の始まりを感じます。
私は10月の12日に参拝させていただこうと思っています。

私の生活も変化の時です。

仕事も色々話があったり、自分がしてみたいと動いたものがあったのですが、
タイミングが合わなかったり、縁がなかったりで全然決まりませんでした。
今はちょっと休憩!と思って伊勢神宮の参拝を決めました。

そうすると、こんな感じだったら最高と思っていた仕事の話が舞い込んできました。
決まるかどうかはわかりませんが、どちらにしても伊勢神宮参拝の後の事になります。

自分でも無意識の間に、時代の流れに乗っているんだな~という実感があります。
うまくいかない時は、その時はまだ時機が早かったり、そこではなかったりと
自分の意識ではわからない理由があるのだろうと思います。
(魂はわかっているのでしょうが・・・)

昔はジタバタしていましたが、最近はちょっとじっと見守るようになりました。
動きまくるタイプの私は、時には静止してみる必要があるようです。
反対に、考えるばかりの人はきっと動いてみた方がいいのだろうと思いますが・・・。

わかっていてすることと、わからない中でするのでは
結果が同じだとしても、その過程は全く違ってきます。
自分に必要な気づきもあるでしょう。
自分を鍛えることもできるでしょう。
考える力や、自分でも思いもしなかった勇気や強さも体験できるでしょう。
自分と他の人との違いを知るでしょう。
間違いをして、正しいものは何かを知るでしょう。
etc...

この世は生きにくいな~と感じることがあります。
その不自由な社会で大変な思いをすることに、大きな意味が在るのでしょう。

人や環境、その他自分以外のせいにしたのでは、せっかくの体験を無駄にしてしまいます。
その体験が今の自分に必要だったのだと、自分の問題として考えた時はじめて
その体験は自分のものとなり、自分の心の糧となり、自分を磨くツールに変わるのでしょう。

自分を見つめて、体験を無駄にせず糧にして、自分を磨きたいものです。
そして、この時代の変わり目についていける自分になりたいものです。

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