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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
運のいい人と悪い人の話
「人は一人で生まれ

一人で世を去る

生きてる間はいろいろある

だから仲間が必要

人には助けや支えが必要なのだ

でないと孤独になる

誰もが他人

周囲から孤立し忘れてしまう

人とのつながりを

だから人は愛を選ぶ

生きる事を選ぶ

そして一瞬でも少しだけ孤独感が和らぐのを感じる」

「GREY’S ANATOMY」の中のナレーションです。

一人で生まれ一人で死ぬ人間ですが、
生きている間は、一人では生きれないということですね。

「袖振り合うも他生の縁」と言いますが、やはり私たちは
生きている間に色々な縁と巡り合います。

(「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいう。
意味は、人との縁はすべて単なる偶然ではなく、
前世からの深い因縁によって起こるものだから、
どんな出会いも大切にしなければならないということ。)

ご縁の中でも、色んなご縁があります。
一緒にいて楽しい人もいれば、つまらない人、
好きな人もいれば、嫌いな人、
運のいい人もいれば、運の悪い人もいます。

そう「運の悪い人」という人がいます。
よくよく近づいて観察していると、その人自身に原因があることが
分かるのですが、一見わかりにくい人がいます。

そういう「運の悪い人」と一緒にいると、
不思議に自分の運もさがってきます。
これは不思議なものだと思うのですが、
なぜかうまくいかなくなるのです。

故松下幸之助さんが、以前ご自分が採用の面接をされていた時は
「あなたは自分が運がいいと思いますか?
 運が悪いと思いますか?」
という質問をされて、どれだけ高学歴で他がよかったとしても
運が悪いと答えた人は採用しなかったと聞いたことがあります。

なんとなくその理由はわかります。
意識的なもので、前向きに頑張れるかどうかの判定じゃないかと
思われる人もいるかもしれませんが、そうではないと思います。

以前、接客業をしていた時、嫌だなと思う人がきて、
仕事の為と無理して縁を結ぶものの、相手が運がよくない人だと
自分にもそれが影響したり、一時はよくなったように思うものの
とんだトラブルに巻き込まれたり、よくない人ばかりと
その後は縁がつながったりすることがありました。

また、最近で、一見明るく楽しそうな人と知り合ったのですが、
二人になった時に色々話を聞くと、計算高く、損得勘定が働き
自分はいつもいい子でいるために、周りをすべて悪者にして
自分は悪くない、運がないと苦しそうにしている人で、
その人がある分野の仕事のキャリアを積んでいたので、相談して
その人の言う通りしていたら、驚くほどに全然うまくいかず、
その人と会わないようにしてエネルギーを受けない様にしたら、
全然今までとは違う波長のいい人と出会い、トントン拍子に
それまでよりいい仕事の話がまとまりました。

今から考えると、その人の助言は、そのままの自分ではなく、
誇張したり、嘘をついたり、相手に気にいってもらうように計算し
自分の得になるようにするようなことだったと思います。

その後、その人と離れ、正直に自分の身丈通りに、
そのままの自分の事を話すと、それまでとは全く違う反応で
相手が受け入れてくれました。

以前宿命と運命の話を書きましたが、幼少期は宿命の力が大きいけれど、
年を重ねる毎に運命の力が強くなると思っています。
もちろん、自分だけの力ではなく、支えてくれている人たちの力や
ご先祖様や氏神様などの目に見えない力ももちろんあると思います。

それ以上にその人の心も、運命に関係しているような気がするのです。
何があっても文句ばかり言って、相手ばかりを責めて、自分には否がないように
ふるまったり、自分をいつも正当化しようとすることにエネルギーを使っている人や、
言葉には出さなくても、相手を見下したり、私利私欲で相手を使おうとしたり、
狡さや卑劣さ、妬み、やっかみなどがとても強い人は、やはりそういう波長の現実を
引き寄せているような気がします。

一番問題なのは、自分にはそういうところがないと思っている人です。
自分を正当化し、思い通りにいかないと相手のせいにして自分を被害者にし、
そして、いい子を演じるような人もいます。

自分の起こることは、すべて自分のせいなのです。

また、健康や仕事、そして恋愛、結婚などで運が悪いと思える人がいます。
なぜこんな人が、こんな苦しい目に遭わなければいけないのか
と思える人がいます。

実際に話を聞いてみて、その人に否がないように思えても、
本人はすべて受け入れ、その苦難とも思えることにさえ、感謝できる人がいます。
苦難が人を磨くのだな~とつくづく感じさせてもらえる人もいます。
そういう人は、ある程度の浄化が終了すれば、上向きになっているように思えます。

自分が運が悪いと嘆いている方がいたら、一度それは自分が引き寄せていないか
振り返ってみてください。

うまくいかないことがあれば、どうしても凹みます。
そしてこのまま一生うまくいかないことが続くのではないかと思ってしまいます。
そういう時って、きっと自分を振り返るために時間なのだと思います。
それを有効に使ってみてください。
見返して、自分の中の掃除をするときかもしれません。
必要ないものは捨ててください。

等身大の自分を受け入れてくれない所や人は縁がないのです。
嘘をついて取り繕って気に入られても、その後辛いのは自分です。
また嘘や虚言で結びついた波長の縁は決していいものではありません。
そのままのあなたが一番美しいのだと思います。
それに自分が気づいた時、相手もあなたの美しさに気づけるのです。

読んでいただいてありがとうございます。
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迷うことと決めることの話
こたつ最高であります。
今日出かけて帰ってきたら、昨日あんなにビビっていた我が家の猫が
こたつで丸くなって寝ていました(笑)
いつも玄関までお迎えに来てくれるのに、今日はお迎えもなければ
すっかりこたつの中で気持ちよさそうにしている始末でした。
気に入ってくれてよかったです。

もう12月ですね~。
早いです。

年末年始はひとつの区切りになります。
書初めなど、一年の目標などを決めたりもします。

迷い、悩むことと決めること。
この二つは非常に難しい作業です。
結論という出口が見つからない状態で粘り強く闘うことが
「迷う」「悩む」という行為です。迷うことは苦しいことです。

一方、「決める」こともまた、苦しみます。
何かを決断するとき、何かを切り捨てたり、
あきらめたりしなければならないことがあるからです。

だから誰でもそのテーマから逃げ出したくなります。
しっかりと悩み考え抜くことから逃げて、安易な決定にとびつき
切り捨てるべきではないことを切り捨てることがあります。
決定という責任から逃れ、問題をいつまでも先送りにしたり、
誰かに決定権を押し付けてしまうことがあります。

意識せず、決定権を他人に押し付け、文句ばかり言っている人もいます。

自分を生きるということは、やはり苦しみを伴うということです。
苦しみを伴いながらも、逃げずに向き合い自分で決めていくと
そのあとどんな状況になった時も、すべて受け入れることができます。

その時に自分で決めたことに対しては、覚悟ができるものです。
そして苦しんだ末に決めたことは、悔いが少ないものです。

いつでも自分に決定権は奪い返すことができます。
一度決定しても、また迷うという闘いが来るときもあります。
自分の人生とは自分を中心に据え、自分が主人公であり、
その人生の舵は自分でとり、自分で決定し、自分で表明し、
そして自分で自分の人生を毎瞬「創造」していくことが
自分を生きるということなのだと思います。

決定権を誰かに押し付けた所で、結局自分の人生の責任は
自分がとることになります。
というか、自分でしかとれません。

限られた時間の中で、与えられた命を、せっかくだったら、
自分を主人公において、自分で自分の人生を決めて
生きていった方が私は楽しいと思います。

そして死ぬとき
「他人はどう思うか知らんけど、あー楽しい人生だった。」
と笑って死にたいものです。

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「時の試練を経た人生の知恵」の詩の話
「美しい唇のためには、優しい言葉を話すこと

 美しい瞳のためには、人々の良いところを探し出すこと

 スリムな体型のためには、貴方の食べものを飢えた人と分かち合うこと

 美しい髪のためには、一日に一度、子供の指で梳いてもらうこと

 美しくぐらつかず歩くためには、決して一人で歩むことがないと知ること

 人間は、物よりも多く回復し、復活し、再生し、

 生き返り、さらに改善することが必要なのです。

 決して、何人を決して見捨ててはなりません。

 助けてくれる手を必要とするときは、

 自分の腕の先にもう一つの手をあることを忘れてはいけない。

 年を重ねると、貴方は二つの手を持っていることに気づくでしょう。

 自分自身を助ける手と、

 もう一つ、他人を助ける手とを。」

サム・レヴェンソンという人の「時の試練を経た人生の知恵」という詩です。

オードリー・ヘップバーンが愛した詩としても有名で、
子供たちに読んだといいます。

愛や優しさなどの目に見えないものを、目に見える肉体を通して
実体として現した美しい詩だと思います。

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この世は自分の主観の世界の話
言葉とは便利なようで、そうでもないものだと思います。

例えば、病院に行ったときに、
おなかが痛いということを詳しく説明するとき、困ってしまいます。
感覚を言葉に置き換えて伝えるということは難しいものです。
また自分の主観が中心になります。

その時に先生が検査をしてくれ、
「大丈夫ですよ。大したことありません」
と言われても、自分の痛みはなくなることはなく、
大したことはないと言われても、
自分としては大したことの場合もあります。

送り手と受け取り手によっても、言葉の扱いが変わってきます。
それぞれに自分の主観を通して、その言葉を扱うからです。

そう思うと、この世界は自分の主観の世界だともいえます。
出来事であろうと、人の事であろうと、
すべて自分の主観のフィルターを通して受けています。

ABC理論という論理療法があります。

アメリカの心理療法家、アルバート・エリスによって創られた「論理療法」で、
認知療法にも通じているものです。
このABC理論では状況から感情の間に「思考」があると考え、
この思考が良いものであれば感情も良いものになり
悪い思考であれば、感情も悪いものと考えます。

A:Activating event(出来事)
B:Belief(信念、固定観念)
C:Consequence(結果)

のABCであり、
A(出来事)によってC(結果)として感情が起こるのではなく、
その間のB(信念、固定観念)という自分の主観を通ることによって
C(結果)として感情が誘発されるという理論です。

結局、自分の信念や固定観念という主観の色眼鏡を通して
世の中を見ているということです。

出来事そのままを受け入れているわけではなく、
その出来事に対しての自分の信念や固定概念によって、感情は変化するので、
自分がどんな信念や固定概念を握っているのかを見直して、
悪い感情につながる、悪い信念につながる思考は変えていこうというものです。

「相手を変えない、自分を変えない、思考を変えよう」
という考え方です。

ここにもあるように、人は自分の心に握っている信念や思考回路、固定概念など
自分の主観を通してしか、この世界を見ることができないという事です。

だから、そういう意味で、相手に自分を100%理解してもらうことも
相手を100%理解することも、不可能といえるのかもしれません。

それでも、人はわからない相手を知ろうとします。
分からない所にフォーカスします。

「相手が私の事を○○と言ったんだけど、どういう意味だと思う?」
「相手は自分の事をどう思っているのだろう」
「きっと相手は○○と思っているんだろうな~。」

相手の事は相手に率直に聞いてみないと、その人以外の人に聞いても
きっとわかりません。
相手の事は推測の域を超えることはできません。

そんな無駄とも思えることにエネルギーを使うのであれば、
わかる所にフォーカスした方がいいと思うのです。

「相手が私の事を○○と言った」事に対して、自分が何を思い、
どんな行動をしたのか。その中にはどんな自分の思いや意味があったのか?

「相手が自分の事をどう思っているのか」はわからなくても
「自分が相手の事をどう思っているのか」は心に問いかければ知ることができます。

「相手がどうしたいか。」はわからなくても、
「自分がどうしたいか。」はわかります。
それをなぜしたいのか、どうしたらできるのかを考えることはできます。

自分自身をおざなりにしてしまっている人がとても多いです。
そういう私もついつい、相手を主役にしてしまい、自分の心に対しての
配慮に欠ける事があります。
意識していないと、なかなか自分の心を見つめることは後回しにして
相手の事にばかり、フューチャーしてしまい、答えのないループに迷い込みます。

相手が自分の思いとは別の反応をしめすと、落胆したり、怒りを覚えたりします。
でもやはり相手の事は、100%理解することは不可能なのです。
確かなものは、自分の心だけなのです。
そして自分に必要な答えや、青写真があるのは、そこなのです。

他人の評価も大切ですが、もっと大きな視点で見た時は、
大切なものは紛うことない自分自身の心と、
正直にその心に沿う覚悟のような気がします。

読んでいただいてありがとうございます。
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人は生きているだけでいいの話
『安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜』で
「人や生物は生きているだけでいい。
誰かの役に立つ必要がない。
だがモノは違う。
誰かの役に立たなければ捨てられてしまう。
存在することすら許されない。」
というセリフがありました。

未来からきたアンドロイドが一人の女性を守る話ですが、
このドラマを見ていると、人間とははかないものだと感じます。

人間は薄い皮に9割の水の中に細胞が浮かんでいる身体です。
小さな銃弾がそこに飛び込んだだけで、息絶えてしまいます。
善意を誤解して排除しようとしたり、他者との関係の中で涙や血を流します。
そして時に、人から人は奪います。
他者を痛めつけても自分は生きようとしたり、
「大切な人を守るため」という大義名分で、同じ人間の命を奪います。

生きることは、死ぬことと背中合わせになっているということも教えてくれます。
だれもが、いつ最後の日がくるかもわからない、あやふやな運命を受け入れ
毎日生きています。
予想外の悲しい出来事にであったり、闘ったり、人を傷つけなければ
生きていけないこともあります。
時には自分をも傷つけてしまうこともあります。

そう思うと、人間とは、弱くはかないものといわざるをえません。
でも強く傷ついても復活し、痛みも感じないアンドロイドは言うのです。
「人間は生きているだけでいい」と。

そのアンドロイドがどういう意味合いで言ったかは、わかりません。
きっと自分というモノとの差を示すための、せつない言葉だと思います。

ですが、私は、この人間は生きているだけでいいという、根本的な肯定は
誰もが持つべきものではないかと思うのです。

自分の存在をまず肯定するところから始まるのだと思うのです。
自分を肯定すると、他者をも肯定できるのだと思うのです。

人は相手との間に、2つのことを発見します。
自分と似ている所と、似ていない所です。
似ている所は、相手にうつった自分の性質を客観的に見ることができます。
また似ていない所は、その相手とは違った「自分」を見ることができます。
この違いが「個性」なのだと思います。
その自分を肯定していると、自分の「個性」も
相手の「個性」も認め合うことができます。

そして自分の「弱さ」を認めるということです。
自分の弱さを認めたうえで、経験を積んでいくのです。
自分は強いと思っている人ほど、他人に責任転嫁をしたり、
悩みや苦しみから逃れようとする気がします。

食事は口に入れただけではダメで、それを咀嚼して飲み込み、
取捨選択して、必要なものを取り入れ臓器を機能させ、
必要のないものを手放すという作業があって、自分の血となり肉となります。

体験も、それをその人が経験したというだけでは足りません。
その経験を深い体験に変えるのは、その経験を意識して、自覚し、
咀嚼して、自分自身の内側の世界に受け入れる姿勢が大切です。
そのプロセスで人は苦しみます。
迷い、悩み、恥をかいたり、失敗もあるでしょう。
あるいはその過程で、批難されたりすることもあるかもしれません。
でもそれらを恐れず、しっかりと受け止めた時、
経験は自分の血や肉になるんだと思います。

人は弱い反面、強さを持った生き物だと思います。
自分自身の弱さに直面したとき、そこから逃げずに自分を引き受ける時、
自分の勇気と表現力に変える強さが発揮できます。

人は弱さと強さを併せ持った存在です。
ずるさや傷を誰もがもっています。
一方で美しさや尊さも誰もが持ち合わせています。

人間が思い描く「理想」や「善」は美しいものです。
でも現実の世界は、死もあれば苦痛や悲しみなどに満ち溢れています。
それらを全て失くしてしまえば、素晴らしい世界になるかというと、
そうでもないと思うのです。

犯罪も、毒も、苦しみも「あってこそ」の世の中です。
そこでこそ気づけることがあります。
持てる理想があります。
夢があります。善があります。

人はだれでも自分で自分を生かした時、幸福を感じます。
自分がだれかを活かした時はもっと幸福になるのだと思います。

最初のアンドロイドの台詞に対して、私はこう思うのです。
「人もモノも許されているから、存在しているのだと思います。
モノも人からの愛情を注がれた時、それはただのモノではなく命が宿ります。
人は自分が生きている事を肯定し、自分で自分を生かした時、幸福を感じます。
自分がだれかを活かした時はもっと幸福になります。
自分を活かし、だれかの役に立つことができた時もっと幸福になります。」

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感情の話
誰もが「自分の世界」と「他者との世界」とを持っていると思います。
自分という人間以外は「他者」になります。

その「他者」の中で、人生の中で何人か「他者」とは言えないような
密接な存在の人と人生の中で出会います。
家族、恋人、友達、パートナー、仲間など色んな形であり、
はっきりとした形と呼べないような場合もあります。
自分と同じくらい、もしくは自分以上に大切と思える相手と出会います。
もしくは心のどこかで、そういう相手を得たいと思います。

そんな相手とのつながりは、何で生じているか。
人間の物理的な体を抜けて、結びつけるもの。
それが「感情」の力です。

この「感情」を今の時代では、否定的に扱われています。
資本主義のこの社会を生きていくには、クールで理性的である方がよく、
価値判断は、数値化され、計算され、比較され、強いものが残り、
弱いものは置いて行かれる構造になっています。
「情」などの「感情」において判断することは、否定的に扱われます。

過去の歴史を見ると、日本人は決して「感情」を否定していなかった
民族とも思えます。
私は戦国時代が好きですが、皆感情豊かで、そして自分の欲も持ち、
それに向かって全身全霊突き進むような力強さがあります。
明治維新がなりたった裏にも、日本人魂と呼ばれる国を思う強い「感情」が
民族にあったからとも思えます。

人間は単独では幸せになれない生き物だと思います。
共感する、思いを受け取る、相手と自分の境目を取り払う。
それは必要なことでもあり、怖いことでもあります。
相手に受け止められなかった時は危険だからです。

人の気持ちを受け止め、自分の気持ちを外に出す。
このことが、今の時代ではなぜこんなに難しいのでしょうか。

そんな時代だからか、「感情」を扱う力がとても弱まっていると思います。
でも感情は見ないふりをしても、湧き上がってきていますし、
自分の中に常に降り注いでいます。

ダムのように抑え込むだけ抑え込んで、臨界点に達して破綻する、
これが鬱病の正体ではないかと思います。
そしてそれを繰り返すことによって、心の病気が深刻しているのだろうと思います。

感情を「コントロールする」ことは大切です。
でもそれは、制限したり、否定したり、押さえこんだりする意味では
ないのだろうと思います。

いくら否定してもあるのですから、それは肯定した方がいいですし、
そんな感情の理由を自分で聞いてあげること、
押さえこむのではなく、をれを利用して、自分の行動の原動力にしたり、
その感情はその感情として、味わい尽くすこともできるのです。

感情は計算できません。
お金さえもらえばどんな仕事でもするかというとそうではありません。
親子でさえあれば、情愛が芽生えるかというとそうでもないのです。

自分でも思いがけない所で、感情が動いて、そこで初めて自分の気持ちを
知ることもあります。

感情を味わうことは、どんな感情であっても大切なことです。
一般に「愛」は喜びや嬉しさの象徴のようなイメージがありますが、
苦しさや悲しさ、せつなさもまぎれもない「愛」なのです。
その感情を感じるということは、自分の内の愛を実感として感じていること、
自分の「愛」を確かに感じているという証明なのだろうと思います。

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矛盾の中の真実の話
この世には矛盾した事がたくさんあります。
自分の中にも矛盾した所があり、ブログに文章として残すと
自分で見返すとそれがよくわかります。

この世は黒もあれば、白もあり、グレーもある世界です。
すっきりしたいと思い、白黒はっきりつけたくなりますが、
その白黒は、どの目線で、どの方向から、どういう風に見るかで
またその時代や文化、住む国によっても、変わってきます。

そして、その白黒以外にも、どうしようもない状態の
まざったグレーがあるとしかいえないとか、
理論では説明しきれないものがあるのだと思います。

例えば「ワンピース」という大人気の漫画があります。
海賊王を目指す主人公とその仲間、そして他の海賊たち、
それに対して敵対する海軍がでてくるお話です。
面白いのはもちろんですが、人の中にある良心と勇気を引き出し、
感情を動かされて(感動)泣かされてしまう作品です。

天才尾田栄一郎さんの作品で、たくさんの登場人物が登場します。
それぞれとてもキャラクターが強い面々が、それはそれはたくさん登場します。
尾田さんはとても悪役を描くのがうまい人だな~という印象があります。

でもその悪役は悪役であっても、それぞれの正義があったりします。
一般的に考えると、海軍の方がそれは正義の味方ですが、
主人公は海賊を目指す方であり、思わずそちらを応援したくなります。

海軍側は海軍側で、そしてその中の一人ひとりがそれぞれの正義を持っていて、
また反対側の海賊は海賊で、その一人ひとりがそれぞれの正義を持っていて、
それぞれの正義は、すべて真実なのです。
そこで矛盾が発生してしまいます。

最近「ホームランド」という海外ドラマを見ました。

アメリカとイラクでの間で起こる戦争を舞台としている話で、
CIAテロセンターの捜査官の女性が、イラクで内通者から
アルカイダに戦争捕虜が寝返ったという情報を得た後、
捕虜になっていた海兵隊軍曹が救出されたことで、彼に疑いをかけ
アメリカ本土でのテロリストを見つけ、テロ行為を防ごうとして
その海兵隊軍曹はその立場からの苦悩や、自分の正義の中で揺れ動き、
色々とドラマが展開していくといったストーリーでした。

その中でも、アメリカ側とアルカイダ側のそれぞれの思惑や真実が出てきて
真実を知ることで、正義と信じていたことが、本当にそれは正義なのか、
またそれぞれの立場や目線の方向によっては、真実はあっけなく
真逆になることもあるとその作品を見て思いました。

以前、イエス・キリストの心の一番の慈悲の心は
「ゆるし」のエネルギーだったと書いていた本がありました。

「許す」「赦す」
言葉ではたったの一言ですが、現実にはこの一言の気持ちになれないから
世界中で戦争や争いが絶えないのでしょう。
自分の「正義」という大義名分はあり、どちらもがそれは真実なのですから。
(もちろん戦争は利権など自分の私利私欲のためという場合もあるでしょうが)

私もブログを読んでいると、
他人は自分の鏡で、出来事は自分の事を知るために起こるのだから、
自分の内側に目を向けて、何にきづけと言われているのか気付こうと言ったり、
頭を使わずに、心に問いかけて、心の沿って生きていこうと言ったり、
人によってはめちゃくちゃじゃないか!!と思う人もいると思います。

実際に私たちは体(肉体)と心(精神・魂)という2つのものを同時に持っています。
そして昼と夜の間に、男がいて女がいて、上があり下があるという、正反対のものの中で
空間という物理的な中に体を置き、目に見えない心を持ち、生活しています。

どちらか一方だけを大切にして、他方をないがしろにしていると
そのしわよせがやってきてしまうこともあり、
片方をたてると、もう片方がたたずというような事もあると思います。
でもその両方があって成り立っているので、なくていいというものはなく
正反対と思うものには、切っても切れない反映してしまうものがあるのです。

そこでどうしても「矛盾」としか表現できないことが
存在してしまうのだと思います。

その「矛盾」の中で、やはり
「自分がどうしたいか。どういう自分でありたいか。」
という思いは大切なのだと思います。

人間は「わからない」ことには不安を覚えたり、恐怖を感じる
弱さをもっていて、悩んだり迷ったりする生き物だと思います。
心がそうしたいと思って、それに沿う行動がすぐできる人もいれば
躊躇したり臆病になって足を踏み出せない人だっています。

「思い切って・・・○○をする」というこの「思い切る」とは
その躊躇したり臆病になって、迷ったり悩んだりする「思い」を
断ち「切る」ということの言葉です。
この言葉がある自体、皆が思い切るまでに、色々と悩むということですね。

私はこの世で自分がする事で「間違い」や「失敗」はないと思っていますが、
もし「間違い」と思える方向へ向かったとしても、何もしなければエネルギーは0ですが、
動くことでエネルギーが発生して、必ず本来の方向へ向かうことになるのだろうと思うのです。

もしかしたら、その本来の道にはあえて反対の体験や、
「間違い」や「失敗」と思える体験が必要で、設けてあるのかもしれません。
そこでもしかしたら「矛盾」と思えることに出会うかもしれませんし、
「葛藤」もあるかもしれません。

そこで必要なのは私は「自分がどうしたいか。どうありたいか。」の
原点の意志なだけのような気がするのです。

人生は不平等のようでも誰もが等しく死を迎えます。
また長いようでも、無限ではなく有限であり、
振り返ると短いと思えるのではないかと思います。

この限られた時間の中で、自分がどうしたいか。どうありたいか。
他人はここでは関係なく、自分自身の人生をどう生きたいか!
そのことがこの「矛盾」に満ちた世界で生きるための鍵だと思います。
それが誰が何と言おうが、あなたの「真実」なのだろうと思うのです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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美しいものは波動をあげてくれる話
今日も寒いです。
アラジンストーブが大活躍です。

でも今年はこたつをしようかと思っています。
電気代もかなり安いと友達に聞き、やはりくつろげるというので、
猫もきっと大喜びするだろうと思い、こたつの調達を今考えています。

猫はきっとこたつから出てこなくなるのかな~。
そうなるとちょっと寂しいな~などと思っています。

最近昔の勉強の資料を引っ張り出したり、本を読んだりで
左脳の理論ばかりを刺激して、思考(マインド)を使っていたので、
何にも考えずに、ただ美しいものと触れたいと思い、
辻井伸行さんのショパンを聞きながら、
伊藤若冲と俵屋宗達の絵画集を見ようと借りてきました。

絵画はよくわかりませんが、
俵屋宗達
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尾形光琳
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の絵が好きです。
(図書館で借りてきたでっかい作品集ではないですが
 一応参考までにアマゾン商品を載せました)

水墨画もありますが、色のついたものの方が好きかな~。
構図にしても、色使いにしても、バランスにしても素晴らしく
高い波動の人が描いたものは、その波動が転写されていて、
時代を超えて、それを見る人に影響を与えると思います。

また俵屋宗達の描く生き物はどこかユーモラスでかわいくて、
思わず微笑んでしまいます。

私は頭をいくら使って色々と理屈や理論を吐いたり、
色々と自分の内側を見るために、ノートに書いて整理してみたり、
その作業があるからこそなのかもしれませんが、
結局は理屈では説明できない、感性や感覚で動いてしまう傾向があります。

また、失敗に対してあまり恐れない傾向があるのか、
選択で迷う事があっても、その時にしたい方を選び、
あとで「ちょっと違うな。」と思うと、すっぱりとそれを切り捨て
周りから見たら後戻りしてるように見える時もあるようですが、
元に戻って選択しなかった方をしたり、新たなものにチャレンジしてしまいます。

まっすぐに進もうが、道草しようが、早く行こうがゆっくり行こうが
行くべきところには行くのだとどこか思っている所があります。
まっすぐに行った方が早くて効率的ですが、
道草をしたらしただけ、色んな事を見たり知ることもできるので
それはそれで楽しい体験じゃん!って思ってしまいます。

時々、周りの話を聞いていて??とよくわからないことがあります。
「もうーそんなに簡単じゃなく、複雑なんよ~。」
「ここまでしたので、やめれるわけないじゃない。」
とか言われても、どこか私にはピンとこないことも多いのです。

自分の目に見えているこの世界は、自分の内の世界をただ映している
写し鏡だとすると、複雑なのは外の世界ではなく、自分の内側の世界であり、
自分の内をシンプルにすると、外の世界もシンプルに映ると思うのです。
複雑にしているのは結局自分ということですね。

また、何かに行き詰ると、最初に戻ればいいだけじゃないと思ってしまいます。
執着をする気持ちももちろんわかりますが、だって行き詰ってるんだったら、
仕方ないじゃん。一から考え直した方が早いでしょ。と思ってしまうのです。

また、自分以外の他者の人生の責任を自分が負えると思っている人がいます。
まぁ私にはいないのでその気持ちがわからないだけで、
子供に対してはその気持ちが芽生えてしまうのかもしれませんが、
でもその考えを持っている人は、裏返せば
自分の人生の責任を他者にとってもらえると思っているということですよね。

どう考えてもそれは個人の勝手ですが、
自分の人生の責任は自分でとるしかないというのが、
きっと宇宙の真理だと思います。

意識でも、無意識でも、主語を自分にしていないと、
どうしても他者に責任を押し付けたくなります。

私も無意識の中で、すごく我慢していたんだな~と気づくことが最近ありました。
すっかり相手に対して怒りとか憤りの感情が出て、
「やば~い。今気づいてよかった。
このまま我慢し続けたら相手の責任にしちゃう所だったよ~。」
と思い、自分の好きでしていると思っていたけど、
相手からの要求に自分が我慢して応じていた事に気づきました。

やはり主語は自分、そして他者を見るのではなく、他者にうつる自分を見ていく、
自分の心の声や、その時の思い、どうなりたいかという事に耳を傾ける事が
大切なんだな~と思いました。

相手の為と、自分の心を偽り我慢をしていると、きっとそのしわ寄せがどこかできます。
鬱病になる人は真面目で優しいが為、我慢を我慢と思わずに自分を苦しめてしまい、
心が悲鳴を上げてパンクするのかもしれません。

本当は皆自由なのです。
でも縛りや固定概念の枠などで、自分で自分を縛りつけてしまうのでしょう。
その縛りや枠を見つければ、とっぱらうことができますね。

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私の嫌いなものの話
最近、全然違う悩みを持つ人なのに、なぜかそんな人たちの話を聞いて
その話の内容よりも、その人自体に嫌悪感を持ってしまう・・・
でもそれが何なのか自分でもつかめない・・・
といった事がありました。

今日石井ゆかりさんの
魚座魚座
(2010/09/13)
石井ゆかり

商品詳細を見る

の中の「嫌いなもの」を読んでいて、
「あーそうだからか~」と腑に落ちたことがあるので、
抜粋して書いてみようと思います。
(ちなみに私はバリバリの魚座です。
 各星座出版されていますので、興味ある人は是非。)


偽善が大嫌いです。
ともすれば、確信犯的な嘘つきよりも、
本気で自分が正しいと考えている偽善者のほうが「悪」に見えるのです。
・・・・・
人間のずるさや弱さ、卑劣さなどは、どんなに否定してみてもやはり、
紛う方なき「人間性」であり、だれの中にもいろいろな形で存在します。
・・・・
誰もがもっている弱さや卑劣さや甘えなのですから、
それが「ある」のは、仕方がないのです。
問題なのはそうした邪悪な出来事が「ある」ことではなく、
「自分は邪悪ではない」と目をつぶって思いこんでいる人たちなのです。
・・・・・
そのような「自分は一点の曇のない善である」と思い込みたい人たちこそが、
もっとも大きな悪事を犯しているのです。
・・・・・
他者からそのような偽善に従うことを強要された場合、
激しく怒り、渾身、闘士と化します。
・・・・・

そうなのです。
やはり自分の中のある部分を見ずに、認めずに、
「いい子」ちゃんでいる人を見ると、イラっとしてしまうのです。
忍耐があるのではなく、臆病に見えてしまうのです。

そういう「いい子」ちゃんは、大体自分にとって都合が悪いことは
自分が被害者となり、自分以外の他者が加害者となり、他者の責任になります。

自分が勇気がない事や、自分の中でのずるさや弱さを認めず、
出来事の理由を自分の内側ではなく、自分の外側からその時その時で見つけてきます。

そして、自分が相手のいう事を「聞かなければいけない」という信念があるため、
相手にも無意識に「自分のいう事を聞かなければならない」というエネルギーを出し、
自分が相手に対して自分の意見や意志を言わないので、
自分のものさしを相手にもあてはめ、相手の言葉を聞いてはいません。

それを指摘されても、自分は「いい子」で「我慢」している、
他者から抑圧を受けている自分は「被害者」だと言います。

そして、そのことさえ気づかず、
自分の中にうごめいていて、外にもれてしまっている
「ワガママや怠惰、裏切りや攻撃、卑怯さ、弱さ、ずるさ」
を自分には「ない」として、他人を糾弾することで
自分の事には目をつむり「善い人」として生きているのです。

誰にでも両極があるものです。
その片面しか認めず、もう片面を無視していても、
自分の内側から認めてほしいとお知らせが感情にのってきます。

それをも自分でごまかしていると、非常に疲れていたり、
その疲れを自分でとる努力はせず、誰かに疲れを解消してもらおうとして
結局は自分の本質を見ずに終わり、解消してくれる人探しをしていたり
その解消してくれそうな人に、自分の不満や他人の事を糾弾する言葉を浴びせたり、
その人からエネルギーを吸い取ることで、自分が元気になっています。

解消するには、自分の外側に出力すること、吐くことも大切です。
でも吐いた後には、外側に原因はないと気付いて、
自分の内側に原因をさがさないと問題解決にはならないのに
自分を「善」と思い込んでいると、その作業ができないのです。

以前ブログで、「偽善者」の人の事を書きましたが、

(「偽善」も最初の思惑や計算がどうであれ、ずっと続けていけば、
 その「偽善」の中で喜びや感動も体験する機会に恵まれ、
 自分の内の「善」と触れ合うことができるのであればいいと思います。)

偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。
また、これを行う者は偽善者とよばれる。
外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、
虚栄心や利己心などから行われる事を指している。(Wikipediaより抜粋)

自分の事を「偽善者」だと思う人は、外面的には自分を善と見せかけていても、
実は内面的に悪であると知っているものです。
それでも、その上でやらないよりはやった方がいいと、寄付をし続けたり、
何かの支援をずっとしていく上で、最初の思惑や計算では考えられないような
心に喜びや感動を得ることもあるのであれば、その「偽善」はいいと思うのです。

自分自身がわかっている「偽善」と、わかっていない「偽善」の間には
大きな大きな差があると私は思います。

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どんな自分でいたいかの話
最近嫌なことが続きました。
その中で、色んな感情が自分の中に湧き上がり、
そして自分を見直す時間となりました。

その中で、やはり恰好つけたい自分だったり、
自分を守るためのプライドだったり、
人に良く見られたい自分だったり、
色んなものが自分の中に見つかり、
それが自分を縛りつけていることに気づきました。

ある意味、素の自分では自分を守れないからと、
色んな鎧や武器で武装しなければいけない
という気持ちだったのでしょう。

守る必要があるのだろうか?
何で守りたいのか?
その武器や鎧で守れているのだろうか?

守られていると思っているのは自分だけで、
自分が縮こまっていて、現実から目をそむけ
その小さくなった自分を認めたくなくて、
外に対して大きく見せようと恰好つけてたんだな~と思います。

また、自分を大切にせず、慈しむこともなく、
愛してなかったんだな~と思ったんですよね。

だから、相手から愛情をほしがったり、大切にしてほしがったり、
自分が我慢してでも、誰かに守ってもらわないと、自分で自分は守れないと思い、
相手に守ってほしくて、相手の要求を受け続けていたのかもしれません。

何してんだろ?(笑)
そのまんまの私でいいじゃないか。
守る必要なんてないよ。
出来事は自分の糧になるだけだから、
傷ついたり辛い事が起こっても悪いことではないもの。

そのまんまの自分を出して、ダメならダメでいいじゃないか。
恰好悪い自分や、できない自分や、怒る自分や、めそめそする自分も
全部全部大切な自分なんだから、大切にしていこう。
って、何か開き直ったんですよね。

そうしたら、そわそわと焦っていた気持ちもすーっとひいて
怒りや恐怖や不安なんかもすーっとひいて、肩の力が抜けて
じゃあ自分が何をしたいんだろう。
どんな世界で生きていきたいと思うんだろう。
って、冷静に考えることができたんですよね。

ちょっと前からなぜか理由はないけど、
この仕事をしてみたいって感覚があって、その仕事を探すものの、
経験もなく、資格もないからと、チャレンジしてもどこも無理だと言われ、
長期的に考えて、来年勉強して資格取得にチャレンジして、それからにしようと、
今はあきらめるしかないかと思っていた仕事がありました・・・

やはり自分の波長と合うものが引き寄せられるんだな~と実感したのが、
恰好つけるのやめようと開き直ったタイミングで
全く違う仕事だと思って話を聞きに行った所で、
一切こちらからはその仕事の話は言ってないのに、
今私がしたいと思っている仕事を、相手側から興味がないかと聞かれ、
実はその仕事をしている人も探しているんだと言われたのです。

思わず、人生はやはり自分が創り上げているんだな~と感じてしまいました。
自分のどこの部分かにもよりますが、
自分に用意ができたから、
自分が受け入れることができるから、
自分の魂が了承しているから、
それに対応する出来事は起きるんですね。

その仕事の話が進むかどうかもきっと私次第なのだと思い、
ありのままの自分の話を、包み隠さず、恰好つけず話してきました。
いいことばかりでなく、自分の欠点などのマイナス点も話し、
自分の今の状況などの本音も話してきました。

それでも自分で不思議なのは、その仕事はしんどい仕事なのです。
話を聞いても、大変な上に時間もとられ、お金は安いという3Kの仕事だそうです。
頭では「面倒くさい」「ゆっくりのんびりしたい」「そんなに頑張る必要ない」と
思っているのに、理由なく、してみたいという気持ちが強いのです。
人生の選択で、いつもなぜこちらの辛く険しいであろう道を選ぶのだろう?と
思うことがありますが、今もそんな感じです。

そのまんまの自分と波長の合う所であれば、
トントン拍子に話は進むのでしょうし、
合わない所であれば、話は頓挫するのでしょう。

いつもは出来事が先で、それに対して自分はこう思うという
ロジカルの中で生きていますが、
今日は、自分が先で、その波動に沿う出来事が起こり、
いい体験ができたと思いました。

結果ばかりを追ってしまいますが、やはりそのプロセスにおいて
自分がどういう自分であるか、ありたいかを考えながら生きるという
大切さを学べた一日でした。

「どんな自分でいたいか。」
毎日の生活の中で、色んな選択する場面で、
いつも自分に問いかけていこうと思います。

アーミッシュという民族は迷った時
「神に近づくか、神から離れるか」
の判断基準で決めると言います。

そこまでいけたら理想ですが、「こうありたい自分」に沿う、
思い⇒言動⇒行動、そして選択をしていく自分でいたいと思います。

あなたはどんな自分でありたいですか?

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自分が自分の人生を創造してる話
今日は寒いですね~。
寒いのはとっても苦手ですが、山々を見ると紅葉が美しくなっていて、
秋が深まっているのを見ると、日本の情緒を感じることができます。

新緑の輝く夏もいいですが、深みのある秋の色も美しいです。
自然は、全ての真理を含んでいて、目に見せて教えてくれます。

それぞれの植物がそれぞれの違う色に染まることによって、
調和のとれた美しい風景になります。

そして同じ植物であっても、変わりゆく姿を見せてくれます。

他人の色が美しく見えて自分と比べてしまいますが、
自分自身の色を精いっぱい出すことで、
美しい調和のとれた世界を創り出すことができるのでしょう。
また違うということを認め合う世界はいいな~と思います。

そしてこの世はうつりゆく「時」があります。
変わるということだけが変わらない世界なのです。

意識しようが、無意識だろうが「変わる」のがこの世です。
すべての状況は一時的で、どんなこともいつまでも
同じままではいないし、静止してはいない。
どちらの方向へ変わるかは、自分次第なのでしょう。

今の現状は、過去の自分が創造したものです。
自分の人生は、思い⇒言動⇒行動、そして選択の連続で各々が創っていっています。
自分が何を思い、何を言い、どんな行動をして、
どんな選択をしているかを、皆さんどれだけ意識しているでしょう。

意識しようが、無意識だろうが、結局は自分が創り上げていっています。

自分の前で起こる出来事はただの状況であり、
「良い」状況でも、「悪い」状況でもないのです。
それをあるがままに捉えて、自分の価値判断はやめましょう。

それでも感情が湧き上がる時は、その状況ではなく、
あなたの価値判断をみつめましょう。
何があったかとか、相手のここが悪いというよりも、
できるだけフラッとに客観的に出来事と見て、
自分がどういう受け止め方をして、どういう気持ちになり、何を思い、何を考え、
または何を言い、どんな行動をしたか・・・そして何を選択したか
これを見つめましょう。
自分のエネルギーと言動、行動が自分の人生を創っていっています。

もし、今の現状を「こんなはずじゃなかった」と思うのであれば、
まず自分がこうありたいと望む自分と、現状の自分の違いを見つめましょう。

そして「変えよう」と決心しましょう。

そして自分に問いかけてみてください。
あなたはどうなりたいですか?
なにをしたいですか?
そう考えた時、ハートはうきうきしますか?わくわくしますか?
重くしめつけられたり、もやもやするものは違います。

自分の魂が何を追及しているかはっきりさせましょう。
そしてそれに対して批判することをやめましょう。
はっきりするまで考えましょう。

そして意識的に自分の考えと言動と行動を見張って、
自分がこうありたいと望む自分に意識的に変えていきましょう。

創造のプロセスに必ず大切なものは「信念」です。
願いは当然叶えられると信じることです。
願うだけではなく、確実にそうなると信じる気持ちが強くなれば、
強い感謝の気持ちが生まれます。感謝せずにはいられません。

一部でも否定すれば、自分を否定することになり、
非難するのは自分を非難することになります。
自分を信じる事からすべては始まるのです。
そして、わくわくしながら、楽しみましょう。
楽しめないものがあれば、選びなおしましょう。

もし行き詰れば、最初に戻りましょう。
不安が心に広がるようなら、逃げずにそれと対峙しましょう。
何が不安なのか?
その不安が現実になると、どのような状況になるのか?
その状況になった時、何が自分にとって悪いのか?自分はどうなるのか?

不安って、結構漠然としてもので抽象的だから恐怖に思えるけど、
実際に具体的に考えてみると、大したことないなって思えることも多いものです。

学生時代、先生の質問に「あたりませんように」と思うと、当たったことありませんか?
「不安」に思えば思うほど「不安」が大きくなり、その「不安」な現実を引き寄せます。

誰もが、何の根拠もないけどこうなるに決まってるって思い込んでた事が、
現実にそうなったって事ってありませんか?
無意識にきっとそういう体験している人もいると思います。
それを意識的に使えば、自分で自分の人生を豊かに創造していけるのでしょう。

読んでいただいてありがとうございます。
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「愛」の話
今日は満月でしたね~。
満ちるパワーが降り注ぐ日・・・
この瞬間にも、産声をあげてこの世に生まれくる命もあるのでしょう。

この世に生まれ、人間ほど愛が必要な生物はいないかもしれません。
他の動物に比べても、人間が一人で自分の事をするまでには
とても長い時間がかかります。

その間、自分を生かしてくれた人がいるということです。
衣食住と、そして愛を自分に与えてくれている人がいるのです。

そして大人になり、人は自分の育った巣を離れ、自立していきます。

でも、やはり人間は一人では生きていけない生物なのだと思います。
自分で衣食住をまかなえたとしても、やはり愛を欲する生物なのだと思います。

誰もが「愛されたい」と望んだり、「愛」によって悩むのは、
自分の中の「愛」を感じたり、表現する場所探しをしているのかもしれません。

自分が役立ったり、相手に喜んでもらったりすると、とても豊かな気持ちになれます。
自分の内の「愛」を一番感じることができているのは、誰よりも自分自身ですからね~。

「愛」の表現する場と相手を与えられ、「愛」を表現して相手に届いた時
「愛」が相手に伝わったと感じ、相手と自分を隔てるものが一瞬消え、
同化し、一つになり、自分のものだけだった「愛」が溶け合い、広がって、
他の大きななにかに変わっていく心地よさがあります。

「愛」を感じるためには、自分以外の対象が必要になります。
自分の私利私欲のために、自分の為にする行いの中では、
もちろん「自己愛」という言葉があるように、一つの「愛」ですが、
「愛」の表現ができず、「愛」の感じ方も薄いように感じます。
自分という「個」を超えた「愛」を感じれないからかもしれません。

また、自分を守るための行為には「愛」の両極にある「不安」が優勢になります。

同じことでも「自己犠牲」の行いもあれば、「愛」の行いもあります。
「自己犠牲」の上の幸福はないかもしれませんが、
「愛」の上の幸福はあるのだと思います。

「愛」を考える時に、やはりマザーテレサを思いだしてしまいます。

でも人間は「愛」を施す時に、無意識であれ見返りを求める生き物なのかもしれません。

それは相手の愛情であったり、人によってはその愛情を形として欲しい人もいるでしょう。
そこまではいかなくても、自分の「愛」を受け取ってほしい欲求もあります。
そして、自分の「愛」に対する反応、相手の喜びであったり、感謝であったり、
自分が相手の役に立っているという手ごたえも得たいと思います。
マザーテレサは、イエス・キリストの御心だったような気もします。

結局自分が出したものが返ってくるこの世の法則の中で、
人間は神ではないので、やはり「愛」の見返りや期待をすることは、
別に悪いことではないと思います。

その見返りや期待をする中でも、
「愛」を表現できると、その自分の内の「愛」を感じることができますし、
よく「偽善者」と言われる人がいたりしますが、
「偽善」も最初の思惑や計算がどうであれ、ずっと続けていけば、
その「偽善」の中で喜びや感動も体験する機会に恵まれ、
自分の内の「善」と触れ合うことができるのであればいいと思います。

この世界には、無償の愛もあるといいます。
以前は母の愛=無償の愛と思っていましたが、
自分の母をみても、周りの子供のいる友達を見ても、
無償の愛なのかな~???と疑問に思う事がよくあります。

よかれと思ってするとはいえ、自分の理想像に子供を当てはめて
自分の思うように育てようとしたり、期待をしています。

最近は子供の「反抗期」がなくなっているそうですが、親子関係も昔とは違って、
物分りのいい優しい親が増え、友達の感覚に近づいているのだそうです。
尾木ママ曰く、異常な事だと言っていましたが、
物分りがいい=優しい=無償の愛・・・なのでしょうか?

独身の私や子供のいない友達に、子供がいる人で「老後どうするの?」と聞く人もいますが、
自分は子供に老後面倒みてもらう。という見返りを期待しているという事ですよね。

「見返りの愛」を体験してこそ、「無償の愛」を知ることができるのかもしれません。

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魂のテーマの話
「どうしても、思うようにいかない。」
「何をしてもうまくいかない。」
という時はだれでもあると思います。

さて、どうしますか?

夏に「溺れない方法の話」を書きましたが、
焦って自力でどうにか軌道修正しようとすればするほど、
また「助けて~」と大騒ぎすればするほど、呼吸が浅くなり、
人間は溺れてしまうのだそうです。

うまくいかない時こそ、きっとその流れに身を任せながら、
ゆっくりと呼吸をして、力を抜いて、冷静になってみるということが
大切なのかもしれません。

実際に溺れない方法では、深呼吸して身をまかせて力を抜くと人間は浮くので
溺れないのだそうです。

また、いつも走っていると、見落としてしまっている事が
とても多いのだと思います。

高速道路で走っている時を思い浮かべると、視野が狭くなり、
前の一部しか見えていません。
それがスピードが落ち、歩くほどの距離になれば視野が広がり、
道端にそっと咲いている花にも気付くことができます。

人生が、自分に問いかけてきている時もあるでしょう。

「このままの生き方でいいのか?」
「新たに始めることはないのか?」
「この出来事やこの事態は私に何を呼びかけているのだろうか?」
「何に気づけ、何をせよと言っているのだろうか?」
「未来からの呼びかけは何だろう?」
etc...

その時考えることで、答えが見つかる人もいるでしょうし、
答えがわからない人もいるでしょう。

簡単に出る答えもあれば、
人生においての大きく深い問いについては
簡単に答えなんて出るものではなく、
その時に出た答えが後になってまた修正されたり、
死ぬ時まで、何度も何度も迷い悩む事もあると思います。

それでも、普段は放置しっぱなしの自分の内を見つめる事は、
家の整理整頓や掃除と似ていて、デトックスやクリーニングでもあると思います。

私などは、調子よくいってるときなどは、あまり考えず
ただ「楽しい。楽しい。」「やっぱり私ってやるな~。天才!」と(笑)
自分を肯定するのを超えて、自画自賛して調子こいているので
つまずく事はとてもありがたい時間になります。

私の場合、色々考えて、考えて、結局は「よくわからん。」ってなって、
感覚に従って、考えた事とは全然違う行動するなんて事もあります。
悩んで悩んで答えが考えてもでなかったのに、朝歯磨きしていて
「あっ。こうしよ。」と晴れ晴れした気持ちで、瞬時に決めることがあります。

悶々と考えている間に、自分の中にたまった毒の浄化をしているのでしょうかね~。
そして、「出し切る」とすっきりして、次の扉が開くような気もします。

結局は私の大好きな良寛さんの
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
 死ぬ時節には、死ぬがよく候。
 これはこれ災難をのがれる妙法にて候」
に至るのでしょうか。

人生の苦しみの90%は、思い通りになっていない事だともいいます。
今生の魂のテーマは、このどうしてもうまくいかないと感じる部分だと
聞いたことがあります。

・精神性
・健康
・仕事
・経済
・家族
・愛情
・職業
・社会的な生活

あなたは何が思い通りになっていますか?
何が思い通りになっていないですか?
どうしてだと思いますか?
それはどこだと思いますか?

もちろん複数ある人もいると思いますが、どうしてもうまくいかせたいと
心が強く思い行動するのにも関わらず、それでもうまくいかない事から
意識していくと、自分の魂のテーマのヒントになるかもしれませんね。

自分の答えは自分の中にしかないですからね。
どっかに解答が貼ってあればいいのにな~と思うこともあります(笑)
また、誰かが答えを教えてくれるのではないかと聞いてみたりしますが、
他人の答えは他人のものであり、自分の答えではないんですよね。

でも答えを知りたいとフォーカスしていると、テレビから、また雑誌から、
ラジオから、広告から、誰かのふとした言葉からetc...
答えと思えるような事が、降り注いでくることもあります。

まぁ、この答え探しを体験の中でしたいから、私たちは「命」をいただき、
この世で、記憶を忘れ、時間を与えられているのかもしれません。
自分の意識は苦しくて仕方ないと思っていても、魂からすると
したかったゲームをやっとすることができて、楽しくて楽しくて
仕方ないのかもしれませんね。

読んでいただいてありがとうございます。
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ちょっと元気になる言葉。
ちょっと元気になる言葉。

あなたが行き詰ったと感じ、
もう一歩も進めないと思ったとき、
そして人生のすべての目標を見失ったと感じた時、
それは実に素晴らしいチャンスです。
それはすべてをもう一度やりなおし、
人生の新しいページをめくる素晴らしいチャンスなのです。

( アイリーン・キャディ )

私達は成功からよりも、
失敗から多くの知識を学びます。
私達はしばしば、出来ない事を見つける事によってできることを発見します。
間違いをおかさない人は、
おそらく決して新しい事を発見する事はないでしょう。

( サミュエル・スマイルス )

心の平和を得るためには
人を変えようと思わないことです。
人をありのままに受け入れることです。
本当に受け入れると言うことは、
何も要求せず、
何の期待もしないということです。

(ジェラルド・ジャンポルスキー)

幸福とは到着する駅の事ではなく
そこに行くまでの道のりの事を言うのである。

(マーガレット・リー・ランベック)

束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。

(ガンジー)

人間はまじめに生きている限り、必ず不幸や苦しみが
降りかかってくるものである。
しかし、それを自分の運命として受け止め、
辛抱強く我慢し、さらに積極的に力強く、その運命と戦えば、
いつかは必ず勝利するものである。

(ベートーヴェン)

ただ、勘違いしちゃいけないのは、下に落ちるっていうことが、
進化してないということではないんですよ。
下に落ちるのも、次に昇るための変化かもしれない。
昇るために、落ちることが必要なこともある。

(本田圭祐)

逆風は嫌いではなく、ありがたい。
どんなことも、逆風がなければ
次のステップにいけないから。

(イチロー)

一度や二度の闘いで真実の答えが出るくらいなら
誰も生き方を間違ったりはせん。
真実の答えはお主自身が今まで犯した罪を償いながら、
勝負ではなく自分の人生の中から見い出すでござるよ 

(緋村剣心 るろうに剣心から)

誰かが軽く背中を押してやるくらいの手助けはあってもいい。
だが、「答」を見つけて立ち上がるのは自分自身に他ならない。 

大事なものを失って身も心も疲れ果て、
けれどそれでも決して捨てきれない想いがあるならば、
誰がなんと言おうとそれこそが君だけの真実。
真実の答えなのだ。

(オイボレ るろうに剣心から)

なぜか最後の〆の言葉は、るろうに剣心という漫画のオイボレの言葉(笑)

最近、るろうに剣心を読んで、面白かったので(いまさら・・・・(-_-;))
あまりメジャーではないのですが、このオイボレというおじいさんの言葉が
私は結構心に響いたんですよね~。

あなたの心に響く言葉があれば、幸いです。

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涙の話
今日私が住む町では雨が降っていました。

誰か友達が、
「雨って過去の誰かが流した涙なんだって。
 私が流した涙も、恵みに雨になるなら、泣くのもいいな~。」
と何か詩的な事を昔言っていました。

私は泣き虫です。
小さい頃とっても我慢した分、大人になってよく泣きます(苦笑)
「喜怒哀楽」の「哀楽」が強いのかもしれません。

めちゃくちゃ泣きながら、その涙の中にいる自分と
その涙の外から「しれーっ」と見てる自分がいて、後者の私は
「涙ってどこから出てるんだろう。
 こんなに泣いてもいくらでも出てくる。
 涙枯れるまでっていうけど、枯れることってあるのかな~?
 しかし、よく泣くな~。あきないのかな~。」
などと変な視点から変な事を考えながら、泣いたりします。

雨も浄化なら、涙も浄化なのでしょう。

実際に涙を流すことによって、緊張やストレスに関係する交感神経から、
脳がリラックスした状態の副交感神経へとスイッチが切り替わり、
たくさん涙を流すほど、ストレスが解消し、心の混乱や怒りが改善することも
研究結果で分かっているそうです。

緊張が緩和されるんですね~。

でも私は泣きすぎると、こめかみと鼻の奥が痛くなり、
肩が凝り、横隔膜がやられます。
どんなに泣いてんだ(苦笑)

普段はよく面白いとか、一緒にいて楽しいとか、
表情豊かと言われたりもしますが、やはり片面ではなく両面
どちらも大切であり、そして片面を深めれば、もう片面も深まるのでしょう。

全ては自分を肯定するところから始まる。
色んな自分がいるのに、ジャッジをつけて、これは○、これは×としてしまうけど、
色んな自分すべてが大切な自分なのだろうと思います。
まず、ジャッジなどせず、あるがままを見て、それを受け入れ、
認め、肯定するところから、始まるのでしょうね~。

どんな体験でも、どれもかけがえのない体験の一つであるとすると、
泣くという体験もとても素晴らしい体験なのでしょうね。

雨が降った後は、地も固まりますし、空を見上げると虹も見えますから。
この世に無駄な事など何もないのでしょうね。

読んでいただいてありがとうございます。
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縁とか巡りあわせの話
縁とか巡りあわせとは本当に不思議だなと思います。

どんな人と巡り合うか、また、ほんの少しの違いだったり、タイミングで、
その後の人生が大きく変わることもあります。

自分でどうしても働きたいと思っていた所にはお断りされて、
傷心の中、自分の本命ではないけど受かった所や、人の紹介で「まっいいか!」
という気持ちで働くことになった所で、生涯の友になる人と出会ったり、
そこでの人とのご縁で、自分では思いがけない幸運のような仕事につく事になったり、
あの時に、あの人とのご縁があったからこそ、乗り越えられたと思える人との出会いを
文字通り与えられたと思える事もあります。

宿命は「命を宿す」と書き、運命は「命を運ぶ」と書きます。
元々、ご縁のある人の中に生まれ、生きているのかもしれないし、
ある程度の人生の設計図の青写真のようなプログラムを組んで
生まれてくるのかもしれませんが、その中でやはり自分で人生を
創造していってるのだと思います。

生まれる時代、生まれる場所、生まれる家、生まれる両親などは
完全に宿命で、自分が生まれる前にプログラムしていることで、
また、人生における色んな選択肢はプログラムしているのかもしれませんが、
その中で何を自分が選び、その中で何に気づき、何を創り上げていくのか、
その瞬間瞬間、どんな自分として生きていくのかというのは、自分が
「命を運んでいる」わけで、宿命でなく運命の領域だと思います。

宿命が自分に与えられた道具だったとしたら、運命とはその与えられた道具で
何を創っていくかという事なのかもしれません。

子供のころには、感情を抑えることを両親から教え込まれます。
楽しくて、声を上げ嬉しくわいわいしていると、「うるさい。」と言われ、
辛くて泣いていると、「泣くのをやめなさい。」と注意され、
理不尽な事をされ怒ると、「子供は大人のいう事を聞きなさい。」と言われ、
感情を出す事はいけない事だと思うようになり、
感情を出すだけではなく、そう思う事自体、いけない、はしたない事と思いこみます。

そしてどんどん、自分の心の声を無視して、本当の自分と離れていき、
ふと、大人になってから、何かわからないけど、
望んだ豊かな生活を手に入れたはずなのに、何かが違う。
本当の私はこんなんじゃない。本当の自分を知りたい。
本当の自分を生きたい。と思うようになる人もいます。

「悲しい時には泣けばいい
 苦しい時には叫べばいい
 腹が立てば怒ればいい
 はきだすことによって
 救われていくのが人間だから」
丹波あじさい寺 小藪実英さんの詩

やはり、「感情」に沿うようにしていく事と、
自分の感情を大切にするという事は、自分を生きるために必要なことです。

我慢するのが当たり前の人は、最初はかなり意識して
自分の感情を探る必要があるかもしれません。

最近、うまくいかない事が多かったのですが、思い返してみると
自分自身、恰好つけてブログに色々書いているものの、
思考(マインド)で動いていたな~と思いました。

例えば、何か決めなくてはいけない時に、
心がざわついたり、もやもやしたり、心がドンと重くなっているのに、
「断るのはあの人に悪いから。」とか
「これしておくと、メリットがあるし。」とか
「わがままいっちゃいけないよな。」
というMind(思考)が働いて、その思考を優先して決定していた為
うまくいかなったんだな~と思うのです。

トントン拍子に決まっていた時は、あまり思考を巡らさず
心が弾むようなドキドキやわくわくがあり、理屈抜きにそれに従ってました。
だから、その時の事を思い出そうとしても、楽しい楽しいであまりにトントン拍子で
流れるようにあっという間に決まったので、詳細を思い出せない有様です。

今まで生まれてきてからの過去の経験値よりも、何もかもお見通しの
魂の声である感覚に沿った方が何事もうまくいくということですね。

いい巡り合わせを引き寄せる自分でありたいものです。

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季節の変わり目は浄化のチャンスの話
寒くなりましたね~。
季節の変わり目には体調崩しやすくなります。

以前、仙酔島(せんすいじま)に行った時に、
陰陽五行説の四季の話を書いていました。

陰陽五行説では、季節は五時といい
春・夏・秋・冬にはそれぞれ木・火・金・水の気が配当されて、
それぞれの季節の終わりの18日に土の気が入ります。
 
春  木気 (1~3)月  
夏  火気 (4~6)月  
秋  金気 (7~9)月 
冬  水気 (10~12)月 
それぞれの季節の終わりの18日 土気

うろ覚えですが、この土気を土用と言って、夏の土用の丑の日などが有名ですが、
その季節を終了するにあたって、その季節の疲れを取り、
次の季節への準備をする期間が土用の時期にあたるということを
書いてあったような気がします。

季節の変わり目に、体調が悪くなったり、メンタル的に不安定になったりするのも
その季節の疲れを浄化して、次の季節への準備をしているのかもしれません。

今年などは、ずっと夏が続いていて、季節の変わり目がすっかり
ずれているような、変な天候になっていますよね。
上記の季節の変わり目の土用に、心身のケアができていなかったりすると
新しい季節に入ってから症状が出てくるのだと思います。

例えば、この季節は発熱、鼻水など風邪の症状が出ますが、
これは完全に火が体に入り、浄化している状態のような気がします。

ウイルスや感染の場合は、抗生物質を服用することになりますし、
また学校や仕事で休めないから、薬を飲んでしまいますが、
本当の浄化の意味では、この熱は自然にまかせ、鼻水も無理にとめず
出した方がいいような気がします。

また、メンタル的に不安定になって、その理由がわかる場合は
それを解消する努力をすればいいのかもしれませんが、
自分ではよくわからないけれど、何か「もやもや」したり
やる気がでない、妙にイライラするなんて時もあります。

それも、きっと無意識にたまった心の疲れが原因かもしれません。
または、無視されっぱなしの魂からのお知らせなのかもしれません。

そういう時の一つの方法は、その感情を出すのも浄化です。
もやもやしてる人は、映画を見て、思い切り泣く。
やる気がでない人は、お笑いを見て、思い切り笑う。
イライラする人は、カラオケで、思い切り歌う。
または、山や海に行って大声で叫ぶ。

それ以外にも、自分の感情を他人に迷惑をかけないのであれば
好きな事をして出してみるのもいいと思います。

また、何もしないというのも、一つの選択肢ですね、

自分の好きな事をしていると、どんどん元気になれますから
自分の趣味や、以前からしてみたいと思っていて足踏みしていることなどを
始めてみるのもいいかもしれませんね。

急に寒くなりましたが、
皆さんにとっての「秋」を満喫していただきたいと思います。

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武井壮さんの話
先日11月10日に放送された『武井壮40歳 世界マスターズ陸上に挑戦』を見て、
思わず感動して泣いてしまいました。

武井壮 Official Site

第20回世界マスターズ陸上選手権(40~44歳クラス)にチャレンジする武井さんを
ずっとドキュメントで撮影していて、その中で子供の頃の過去にも触れていました。

武井さんは、幼い頃に、ご両親が離婚され、ご家庭の事情で一緒に親とは暮らしておらず、
自ら「お兄ちゃんっ子」と言っていましたが、共に過ごしていたお兄ちゃんは、
俳優をめざし、付き人になり、やっとテレビに俳優として出演し始めた20代に
癌で亡くなってしまったのだそうです。
武井さんの人生は、いつも孤独を感じずにはいられない苦悩の毎日だったと
涙ながらに語っていました。

陸上競技・十種競技元日本チャンピオンという実力を持ちながら、
そのチャンピオンになっても、誰も自分を知らないし喜んでいない事に気づき、
恵まれた体力と才能をどういかすか迷うかのように、
陸上をやめてアメリカにゴルフ留学した彼は2年で帰国し、
陸上選手や競輪選手・プロゴルファー・プロ野球選手のスポーツトレーナーを
するようになるのですが、「俺っていったい何をやってるんだろう?」と
40歳まで悩みながら苦労してきたのだそうです。

そんな武井さんの大きな転機となったのが、2012年に中居正広さんの『うもれびと』と
いう番組に出演した事で、番組内で世界マスターズを目指すと言った事をきっかけに
独自のトレーニングを毎日続け、いざ世界マスターズの舞台であるブラジルに向かう前に
中居正広さんの所へ報告に行くのです。

その時に、中居正広さんが武井壮さんに贈った言葉が
広壮豪宕(こうそうごうとう)
(意 味: 意気盛んで小さなことにこだわらず、思うままにふるまうこと)
で、中居さんの名前の「広」と武井さんの「壮」が入った言葉でした。

世界マスターズ陸上選手権の100m走は残念ながら4位でメダルに届かなかったのですが、
200m走で見事銅メダルを獲得されました。

子供のころは「褒められたい」からスポーツをしていたと話していましたが、
最後銅メダルと獲った後に、応援してくれたファンの方への感謝と
自分のチャレンジを見て、喜んだり、元気になってくれる人が一人でもいたら
嬉しいと話していました。

また年なんて関係なく、いつでも夢は持てるし、
いつからでも夢に向かって走り出すことはできる。という事も言っていて、
もう人生楽しいことしかね~!!何があろうが幸せで地球は楽しい!!と
言っていたことがとても印象的でした。
武井さんの過去の経験が無駄ではなく、それが生きた言葉のような気がします。

最近私の大好きな「水曜どうでしょう」の最新作が放送されだしましたが、
チャレンジする姿や、色々な予想外のトラブルに見舞われながらも、
懸命にゴールに向かっていく姿は、心動かされます。
(新作はまだ移動中だったり、床屋で髪切ったりで、ただ爆笑なだけですが・・・)

誰かの為ではなく、本人としては感動させてやろうなんて気はさらさらなく、
自分が決めた事を懸命にしているだけという事だけなのかもしれませんが、
真摯にそして懸命に目標に向かっていくその姿にやはり感動します。
そして、自分のチャレンジ精神が点火して、やるぞ!という勇気が発動します。

父の言葉ともかぶりますが、
「何があろうが大したことじゃねえ。」
「辛い悲しい事が起こっても、へこたれず生きていけることが幸せ。」
「何があろうが幸せで、地球は楽しい!!」
のでしょう。

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「なるようになる」話
私は子供はいないですが、私の友達は今妊娠中から、既に子供が成人まで色々です。
そして、子育てもそれぞれです。

子供は親を選んで生まれてくると言いますから、自分に合う条件が揃っている、
またそういう環境を選んできているのでしょうから、どれもが正解であり
どれもがその人にとって大切な必要な体験なのでしょう。

先日パートナーと、その人の魂の強さというか、才能とか、運とか、
その人自身が持つ力というか、宮本輝さん風に言うと「命の器」というか、
その人自身が持って生まれたものって、強いよね~と話していました。
それが個々の今生のプログラムなのかもしれませんが、
どんな状況でも「世に出る人は世にでる」し、どれだけ恵まれた環境の中、
素晴らしい教育を受けて賢くても、事件や不正に手を染める人もいます。

どんなに恵まれない状況の中で育とうが、一流として活躍している人もいます。

あの有名な作曲家のベートーベンは、難聴(40歳頃には全聾となった)でしたし、
細菌学者で千円札の顔でもある野口英世は貧しい家の生まれで、左手に障害があります。
Appleやiphoneのスティーブ・ジョブズは養子に出され、養父母に育てられています。

親を選んできたのだなと痛感させられる人もいます。

先日京都に行って感動した、書道家の金澤翔子さんなどは、
やはりお母さんとのご縁を感じずにはいられません。
強いご縁の中、お互いに磨きあい、信じあい、翔子さんの持つ才能を引出し
あれほど素晴らしい作品を残されるのだろうと思います。

それは「辻井伸行」さんのピアノにもあてはまるのかもしれません。
私は音楽はわかりませんし、ピアノの良し悪しもよくわかりませんが、
テレビで流れてきた辻井さんのピアノの音色には、思わず動きが止まってしまいました。

よく「この子の才能を私が見つけて引き出してあげなければ」と言ってる人がいます。
実際にそうして引き出す事のできている方もいるかもしれませんが、
子供の人生の主人公は子供自身であり、自分は脇役なのだから、
邪魔をしないようにした方がいいのでは?と思う人もいます。

昨日の続きみたいになりますが
「子供の為」と結局自分のコンプレックスを投影していたり、
自分のエゴを無意識に押し付けているように見える人もいます。

子供は子供自身の力で、自分の道をみつけるでしょうし、
親のひいたレールを歩かせるほど、その子供の人格を尊重していない事もないですし、
それではその子供が生まれてきた意味を、半減させてしまう気さえします。

以前「武豊さんの流儀」でも書きましたが、

「競馬では主役は馬であり、騎手ではない。
馬は騎手などを乗せず、そのまま走るのが一番速い。
だからその主役の馬を気持ちよく走らせることを何より大事にして、
方向を変える際にも無理矢理ではなく、馬が自ら武豊騎手の意図する方向へ
向かうように手綱をコントロールしているのだそうです。」

のように
「子供の人生の主役は子供であり、親ではない。
子供は親の期待などを乗せず、そのまま走るのが一番道に沿っている。
だから、その主役の子供が気持ちよく走らせることを何より大事にして、
方向を変える際にも無理矢理ではなく、子供が自ら親の意図する方向へ
向かうように手綱をコントロールする。」
のが、いいのかもしれません。

親は基本をしっかり教えてあげる事が一番大切ではないかと思います。

挨拶や片づけなど小さい事をきっちりできる人は愛されますよね。

そして一番大切なものは、道徳というか、武士道というか、
「人」としての生き方の教えをしっかりとしていれば、
ほっといても、その人の持つ魂の強さや、才能を自分で引っ張り出して、
表現していくのではないかと思えるのです。

あとは、いくら口で色々言っても、子供は馬鹿ではありません。
大人が思うより、子供の方が賢く大人を見ています。
親は結局自分の背中を、子供に見せていくしかないのかもしれません。

大人だからって、迷ったり悩んだり、凹んだりするのです。
その時どう対処するのか、それが自分自身です。
それが見本になるか、反面教師になるかは、わかりませんが
真摯に生きている姿は、最終的には必ず子供に伝わると思います。

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自分の人生の責任は自分でしかとれない話
先月位だっただろうか・・・
<妻として、主婦として、第2のモテキ狙います!>
30~40代主婦向けの人気ライフスタイル誌の表紙の見出しだった。

この特集の回、史上最高の部数を発行したということなので、
夫以外の男性との恋や、性を楽しんでいたり、その欲望がある主婦の人が
とても多いということなのだろう。

以前テレビで
「夫と相思相愛の人は1割。残りの9割は夫のことが嫌い。
さらにそのうち半分は他に好きな人がいて、3割~4割の人は彼氏もいる。」
と言っていたタレントさんがいたが、私の友達は離婚した人もいないし
晩婚が多いからか結構夫婦仲良しの人も多い・・・

のだが、以前の仕事関係の人や、私の周りの知っている人の中でも、
結婚して子供もいる主婦の中でいつも彼氏がいる人がいたり、
夫にはもちろん内緒でばれない様に、二重生活を送っている人もいた。

家族の形や夫婦の関係などは、人それぞれで、それぞれの事情もあるだろうし、
その人の人生であり、その人に必要な体験や、学びの選択かもしれないし、
何が真実で、何がまやかしかは、他人が決めることではなく本人が感じる事だから、
その状況については何も思わないし、別に意見もない。

でも、その理由についてはちょっと嫌悪感を持ったことがある。
「夫に優しくする為に・・・・。」
「子供の為に・・・・・離婚できないから・・・・」
「夫が私を相手にしてくれないから、・・・・。」

それって、自分がしたいからしてる!!なんじゃないの?
自分の行動を、子供やだんなさんのせいにするのは違うと思う。
選択してその行動をしているのは自分なのだから。

私の母が晩年、私が小学校1年の頃に、
「お母さん、その頃は本当に辛くて辛くて逃げたくなって、
占ってもらったら、離婚して東京に行くと言われて、
本当に行きたいと思ったけれど、あんたが病弱だったからできなかった。」
と言われ、私の為に我慢させて申し訳ないという罪悪感と、
自分に勇気がなかったことを私にせいにしないでほしいと思ったことがある。

また母の弟、私の叔父は離婚している。
奥さんがとても派手な浪費家で外出好きな人で、その間に2人男の子がいたのだが、
家庭内でお金のトラブルが多く、下の息子が高校卒業する時に、
「親父、もう我慢せずに離婚すればいいじゃん。」
と言われたのを機に決心したと離婚をした。

叔父は我が子が自分の苦しさを感じてくれていたと、とても感動していたが、
実際のその息子の本音は「離婚しないのは、お前の為だ。」と
もうこれ以上恩着せがましい態度や言動は勘弁してほしかったと言っていた。

「~の為」と言う方は、自分の責任を転嫁できて楽になるかもしれないが
「~の為」と言われる方は、罪悪感を植えつけられ、他人の行動の責任を
押し付けようとされ、本当にいい迷惑なだけだ。

「お前の為」という誰かの犠牲の人生の上に、自分がその人に心からありがたいと
感謝して、一切の罪悪感も持たずに、幸せになることはできるのだろうか。

それにどれだけ言葉に「~の為」と責任転嫁しようとも、
自分の行動の責任は自分で取るしかないのだ。
それがばれようと、ばれまいと、自分のした事に対しての見返りは
その出したものと同等なものが、因果応報で見事なまでに返ってくる。

「~の為に」自己満足だと分かっていても、自分がしたいからした。
誰かに対しての愛や慈愛の感情が基になっている行動は、
それも因果応報で、自分が出した愛や慈愛が回りまわって返ってくる。

だから、他人が人の人生の批評することもないのだろうし、
そのことを見て、何か思うとすれば、自分が思う「善悪」や
その「悪」に対してなぜそれを悪と思うのかに考えを巡らせばいい。
そうすることで、自分の物差しの点検をして見直す作業にすればいいのだと思う。

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恵まれているほど悩む???の話
よく不思議だな~と思うことがあります。

傍から見ると、お金もあって、バリバリ真面目に働いてくれる稼ぎのいい旦那様がいて、
そしてマイホームを建ててたり、素敵なマンションを購入されてたり、
そして子宝にも恵まれて、順風満帆と思える人が、悩み深い人が多いのです。

以前カウンセリングをしていた時来られていた大半の人は、
これらの恵まれた条件が揃っていました。
「中年の危機」なのかもしれませんが、意外に恵まれた条件の方が悩み
苦しまれている人が多かったのが、とても不思議でした。

もちろん、悩みは主観的なものですから、その人自身が深刻に悩んでいるのであれば
心は地獄のように苦しいのですから、真剣に悩みを聞いていましたし、その人の心の奥から
その人の答えを引き出して、苦しみを除きたいと質問をしていました。

でも、カウンセリングを終え、客観的にみると、
私はその当時、結婚してないから、生活費などのお金は自分で稼がなければいけず、
家族は両親は亡くなり、兄は借金で困っていて、家は賃貸で部屋を借りていて、
そして子供のできない体と言われて子供を授かりたくても授からないわけですから、
その人たちの条件をもし自分が与えられたら、それはそれは嬉しくて
心から感謝するだろうな~と思ってました(苦笑)

以前少しだけ、官公庁に嘱託で行っていたのですが、私はその仕事は
今までした仕事の中で一番楽な仕事でした。
職員の人も定時にキチッと帰るし、民間企業と違い、競い合うこともなければ、
その結果次第で給料が変わることも、企業の収益を考える必要もないわけで、
決まった仕事を決まったようにするだけという、本当に楽ちんな仕事でした。

でもそこの「課長代理」や「係長」など、どんどん来なくなる人がいました。
上司に怒られたり、民間企業でお勤めしていた嘱託のおじさん達が
やり方を指摘したりするうちに、心を病んでこなくなったのです。

仕事をしていると、怒られたり、絞られたり、圧をかけられたり、
嫌味を言われたりすることは、日常茶飯事であると思うのですが、、、

暇なこともあり、人の事を気にかける時間があった分、
逐一言われて、まいってしまったのかもしれませんが・・・
民間企業では休みも取れず、毎日残業続きで、上司にもっと怒鳴られたり、
追いつめられている人を見て、男の人は大変だな~と思っていたので、
上司に注意され、役職の人が来なくなり、少しして「うつ病」で長期休暇と発表され、
別の部署に異動して復帰すると聞いて驚いた事があります。

恵まれた環境の方が、心が弱くなるのだろうかと思った記憶があります。
心の病気は状況ではなく、当人の捉え方が重要な事は十分わかっているのですが、
日本人ってそんなに弱い民族なのだろうかと思ってしまいました。

今、日本は自殺者が世界一ではないかと言われているそうです。

海外からすると「なぜ?」と思うそうです。
飢餓に陥っているわけでもなく、住む家がないわけでもなく、
仕事もあり、家族もいて、お金に困っているわけでもなく、
悩みを聞いても、何をそんなに悩むことがあるのか?
と本当に不思議なのだそうです。

恵まれていることに気づけなくなっているのかもしれません。
「当たり前」のことと思っているのでしょう。
衣・食・住揃っていることは、世界の目線から見ると決して「当たり前」ではなく
ありがたいことなのでしょう。
健康なことも「当たり前」ではなく、有難いことです。

私は、皆が健康で、家族が仲良く暮らせて、三度のごはんが食べられたら、
本当に幸せな事だと思います。

仕事の悩みのある人も多いと思いますが、
その仕事がなくて困っている人もいます。

家族の不満もあるでしょう。
一番近い鏡が「家族」です。
自分の色んな部分の、それも詳細まで映し出してくれるでしょう。
見たくもない部分も、どんどん映し出して「これでもか」と見させられるでしょう。
自分の思い通りにできない事や、どれだけ頑張っても褒めてもらえない事も、
やって当たり前という態度をされて「カッチーン」とくることもあるでしょう。

あなたは、家族に「ありがとう」と言っていますか?
あなたは、家族を褒めていますか?
あなたは、家族が何かしてくれることを「当たり前」と思っていませんか?
あなたが嫌っている部分は、あなたにはないですか?
例えば
「押し付けられた」と感じていたら、あなたが「押し付ける」人なのです。
「非難された」と感じていたら、あなたが「非難する」人なのです。
「試された」と感じていたら、あなたか「試す」人なのです。

どう感じているかで、相手が自分に何をしているのかよりも、
自分が相手に何をしているかに気づけます。

不満の一つは、「相手が私に○○してくれない」だと思います。
その○○を自分が相手にすると、相手はしてくれます。

例えば、
「相手に優しくしてもらいたければ、自分が優しくしましょう。」
「相手に話を聞いてもらいたければ、自分が相手の話を聞きましょう。」

また、自分の「~べきだ。」が相手に通用しない事も、不満の一つかもしれません。
「~べきだ。」という物差しは自分以外の他人には通用しないことを学びましょう。

小学校の時、父に
「相手に好きになってもらいたければ、お前から好きになりなさい」
と言われました。

すっかり本気にして、初恋の男の子の事を大好きになり、
これで相手も絶対私を大好きになってくれると思っていたのに、
その恋は実らず、あんなの嘘っぱちだ!と思ってましたが(笑)
今は父の言葉が真実だったと思います。

もしかしたら、回りまわって全く違う所から返ってくることもありますが、
自分が出したものが、自分に返ってきます。

他人が出したものは、その本人に返りますから他人の所業は気にせず
自分は自分を出しているものに気をかけましょう。

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人生はオセロの法則??の話
昔、お金に困っている友達がいて、私にとっては大金を貸したことがあります。
結果からいうと返ってきませんでした。

でも連絡をすると、
「絶対返すから待って」とか、
「来週振り込みます。」とか
言ってたんですけど、最後には謝りのメールが入り
私の前から消えてしまって、結局返ってこずに終わりました。

まぁお金がないから借りるわけですよね。

その時は腹が立って、腹が立って、仕方ありませんでした。
たまたま相談した友達が、それは絶対返してもらわないとダメだよと
色んな手段を提案してくれたり、絶対に許してはいけないと言われ、
「そうだ~!そうだ~!」と思って、必死に取り戻す手段を考えていました。

でも、そんな事を毎日考えていると、どんどん心が苦しくなるんです。
許すもんか!絶対返してもらうぞ!と思っていると、相手を怨む心が生まれ、
また自分がだまされたという被害者になったような気持ちになり、
どんどん自分の中に怒りと、苦しみと、情けなさが広がっていました。

そして復讐をしないと気が済まないと思うようになっていったのです。

毎日毎日、悶々とそんな事を考えていた時、ふと
「あっ。そっか~。
 私は復讐しなくていいいんだ~。
 ○○(相手の名前)には私が手を下さなくても、
 絶対自分のしたことに対して、その報いは与えられるんだ。
 私は、惜しい惜しいと思っても戻ってこないんだから、
 お金に困った人に与えた。いいことをしたと思って忘れよう。
 それで、このことを今後の人生に生かしていこう。」
と思ったんです。

それで、本当に大切な友達にお金を貸してと言われたら、あげようと決めました。
じゃないと、縁が切れてしまいます。

お金を貸していなくなったその人がその後どんな人生を送っているのかは知りません。
でも、私はその人のおかげで、その出来事のお陰で「浄化」をさせてもらったと
今振り返ると思います。

それまではいつも「お金がない」「お金がない」と言ってたし、
実際にもあまりなかったと思うのですが、
その出来事以降はあまりお金に苦労していないのです。

私のお金の使い方は「丼勘定」の「パッパラちゃん」です。
でも、そんなに生活に困るほどお金に苦労をしなくなりましたし、
もうちょっとあればいいな~と思うと、仕事の話が舞い込んできて
お金が「もうちょっと」入ってきます。

その時は、×な出来事だったけれど、今になると感謝するくらい
○な出来事だったのかな~と思えます。

今までの人生で、オセロのように同じ出来事が、
時間を経てひっくり返ることがあります。

その時は「やったーーー!!」と○と思って大喜びしていたことが
後で振り返ると、あれさえなければこんな状態になってなかったとか・・・

その時は「あーーー最悪。本当ありえない。もう凹む。」と思ってたことが
後で振り返ると、あの時本当にダメでよかった。
だから、自分を見返して一から頑張って新しい出会いに巡り合い、今がある。
ということもあります。

いつでも、「成長途中」ということですね。
だから、その時で停止させて「×」と決めてしまうのは
もったいないことなのでしょう。
そのことで、自分が何をどうしていくかが一番大切なのかもしれませんね。

でも一々、今でも×な出来事があると凹む私でありますが・・・(苦笑)

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闇の中の光の話
話をしていて、主語が相手の人がいるな~と感じます。
「○○(人の名前)が私に○○と言った。」
「○○(人の名前)が○○は○○と言った。」
「○○(人の名前)がこんな事をした。」

そうなった後の、自分はどう思ったのでしょう?
そして、相手に自分は何を言ったのでしょう?
相手に自分は何をしたのでしょう?

○○が・・・と相手を主語にしているという事は、
わざわざ自分が脇役になっているということです。

ついつい、自分と相手が考えや思考が違った時や、
自分の目から見て相手が「悪」だと思ってしまうと
ついつい、相手の事を非難してしまいます。

でもそれでは何の解決にもならないばかりか、
せっかく自分の糧となる、その餌ともいえる出来事を
捨ててしまっているようなものです。

そのどこを「悪」と判断しているのか、
何を変えたいと思うのかを、自分に問ってみてみましょう。

自分を主語にして、外側ではなく内側に向かって、
「この出来事は、自分に何を気づかそうとしてくれているのだろう。
自分の内のどの部分を引き出したいのだろう。
どんな自分になるための出来事なのだろう。」
と問いかけてみてください。

そこから、自分の心との対話が始まります。
そこから、自分はどういう自分なのか。
どういう自分になりたいのか。
どうすれば、そういう自分になれるのか。
・・・・・

全て主語を自分にしたときに、自分を生きる準備が整うのかもしれません。

光の中の光は見えないけれど、闇の中では光はよく見えます。
あなたの前にもし闇が広がっているなら、
今、あなたという光を見つけるチャンスを
与えられているのでしょう。

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そうだ京都に行こう!の話
「そうだ京都に行こう」
のキャッチコピーではありませんが、京都に行ってきました。

紅葉まではもう少しでしたが、色づき始めた秋を感じながら、
久々の京都を満喫してきました。

神社仏閣を色々廻ったのですが、京都は外人さんが多いですね~。
そして今は修学旅行生も多かったです。

今回行って印象的だったのは、
「建仁寺」の金澤翔子さんの書「風神雷神」でした。

俵屋宗達の「風神雷神図屏風」は有名な素晴らしい作品で、
以前に地元の美術館に来た時に、見たこともあったのですが、
今回はその展示と同じ部屋にある金澤翔子さんの書を見て、
鳥肌が立ってしまい、なんだか涙が出そうになってしまいました。

なぜかはよくわかりません。
理性というよりも感性の琴線に触れたのでしょうか?

以前美術館ではは有名な「雷神風神図屏風」や「雲龍図」に、
心を奪われっぱなしだったのですが、今回は金澤翔子さんの書がすごく印象的でした。

そして、もう一か所印象的だったのが、「清明神社」です。
そうあの陰陽師の安倍清明公の神社です。
五芒星に迎えられ、拝んだ後におみくじを引いたのですが、
今の状況と、私の心境に対して、素晴らしいお言葉を授かりました。

「庭の面はまだかわかぬに夕立の
 空さりげなく澄める月かな」


(今先降ったばかりの夕立水が其処此処に溜まっていながら、
はやくも見よ空のかなたには月が浮かんでいるではないか。
雨降って土固まる。
これぞ上吉。
盲いた慾は捨て自らなる福徳を持て。)

最近うまくいかない事があって、昔のこころの勉強の資料を引っ張り出して
自分の心の世界の見直しをして、色々気持ちを書き出して心の整理をしてたのですが、
昨日とどめという出来事があって、初めての状況に悔しいわ、悲しいわだったので、
まるで見ていたかのような、私の今の状況を全てわかった上での
この句に、救われた気がしました。

そうか。自分では今、悪い出来事と感じてしまっているけれど、
これは大吉の事の一部なんだと素直に思えたのです。
また、目が見えなくなる慾についても、腑に落ちるところがあり、
自分の内の何が悪いのかを、気づかせてもらえました。

同じ出来事でも、その時の視点や見方によっては全然違うということですね。
出来事より、それを見る視点や自分の心に左右され生きているということです。

そして、その言葉を見て迷いの霧が晴れ、下ばかり見ていたことに気付き、
空を見上げてみると、本当に月が出ているような感じに思えたのです。

以前、岡山の「宗忠神社」でひいたおみくじも、
すごくその時の状況にぴしゃっとはまっていて、驚きとともに
素晴らしいと思える言葉を「黒住宗忠様」にいただき、感動しましたが、
今日は、「安倍清明公」に素晴らしいお言葉をいただきました。

有難いことです。
これもまた、違う意味で涙が出そうでした。
そして、何と帰ってきたら、すぐに状況が変化しました。
さすが!!安倍清明公パワー!!半端ない!!と思わず思い、
パートナーも「えーー。はえーな。すげっ。」と驚くほどでした。
このまま、土が固まることを楽しみにしている私であります。

今回の京都旅行は、心が軽くなれる旅でした。
連れて行ってくれたパートナーには、心より感謝です。

読んでいただいてありがとうございます。
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潔い生き方の話
先日映画を見ていたら

「私があんたに幸せにしてなんて頼んだ?
こんな無様な状態だけど、私は今幸せだよ。
自分の足で立ってるもん。
自分の人生の落とし前、自分でつけることができたらそれでいいよ。
誰かに褒めてもらおうなんてつもりないから。。」

というようなセリフがあった。

そのセリフを聞いて、父が亡くなる前に私に言った
「お前が、わしの人生をどう思うとんかしらん。
馬鹿にしとんかもしれんけど、そりゃーわしの人生はええ人生じゃったぞ。」
という言葉を思い出した。

そして癌の告知をした時に、自分の死期を悟ったであろう父は、
大分前から食事ができない状態で、食べても嘔吐しているにも関わらず
「寿司が食いたい」
と言って、急いで買ってきたお寿司を
「うまいな。あーうまい。
何がどうなろうが大した事ありゃせん。」
と私に向かって、何とも言えないカラっとした笑顔を見せてくれた。

私はそんな父の事を、ずっと小さいと思っていたし、
本当に父の思っている通り馬鹿にしていた。
私自身がつくづく馬鹿者だと思う。

こんな潔い生き方には憧れる。

父も結構感情を表す人だったが、私も喜怒哀楽が激しい。
嬉しい時は、テンションがとってもあがるし、
辛い時は、凹む。
近しい人以外にはポーカーフェイスを決め込むので
「飄々としている。」と言われるが、近しい人には素直に見せる。

昔はポジティブシンキングで、空元気を出して明るく振舞って、
その問題を無視していたが、いくら他でごまかそうとして
友達と馬鹿騒ぎしたり、お酒を飲んで忘れようとしても
その時は楽しく過ごしても、一人になると楽しかった分
ドーンと落ちるような気持ちになっていた。

ので、最近はその喜怒哀楽の感情を、
ごまかさずそのまま抱きしめようとしている。

感情は魂の言葉なので、心の言葉に耳を傾けたいと思う。

人間、相手の為と思ってすることは、結局相手のせいにしてしまう。

父とは反対に母は、良妻賢母で愚痴も悪口も言わない人だった。
それが、難病になって亡くなるまで、自分の内にたまったそれらが吹き出し
それだけではなく、自分の事の悪い事全てが父と私のせいになった。
病気になったのも、自分の人生が悲惨な人生になったのも、
こんなに辛い思いをすることになったのも、家族のせいだった。
そして、何をしても褒めてもらいたがったし、
「私がしてあげた」「してあげる」が口癖だった。

本当に両極端の生き方を、私は両親に見せてもらった。
同じ家に住んでいても、家族であろうが、やはり個々の生き方なのだ。
自分がどう生きるかは自分で決めるしかなく、同じ事をするにしても
相手の為と思うのと、自分がしたいからするのでは違うのだと思う。

コーヒーカップの話をご存じですか?
人間一人ひとりをコーヒーカップに例えている話です。

他人のコーヒーカップを満たそうと、
自分のコーヒーを他人のカップに入れても、
実はそのすべてのコーヒーカップの底がつながっていて、
見える世界で自分が人に与えていても、
自分が足りなくなると、つながっている底から
他人のカップのコーヒーを吸い上げています。

だったら、まず自分のコーヒーカップを満たす事を考えましょう。
すると、せっせと他人のカップにコーヒーを入れなくても、
底から他人のカップに、自分の満たされてあふれるコーヒーが
自動的に流れていき、他人も満たすことができるという話です。

あなたの心のカップは満たされていますか?
自分のカップを満たしていきましょう。
そうすることで、きっと潔い言葉に乗せれる生き方ができそうな気がします。

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叶う夢を見る話
人は叶う夢を見るといいます。
叶える人と、叶えれない人がいます。
この違いはなんでしょう?

人によってはあきらめない心というかもしれません。
人によっては行動力というかもしれません。

もちろんそれも必要です。
それにもう一つ私は、自分を信じるという信念なのかな~と思います。
自分の内の神は「必ず求めるものを与えてくれる」という信念。

私は、自分の心の奥深くが神とつながっていると思っています。

でも、ついつい「不安」にさいなまれます。
現実的には・・・
あの人だってできてないし・・・
など、できない理由を探してしまって、もっと不安を増幅させてしまいます。

よく夢をかなえるためには、プロセスではなく、その結果を考えなさいといいます。
そしてそうなった時の様子をイメージしなさいと・・・。

自分の夢が叶った時ですよ。
そりゃ嬉しくてニコニコですよね~。
そして、その夢が叶った事に、思わず感謝してしまうのではないでしょうか。

この「今」は「過去」の自分が想い、創り上げた現実です。
どんな現実であろうと、誰のせいでもなく、自分の人生は自分のエネルギーで
日々創り上げられています。ある意味思い通りになっているのです。
ということは、「今」の自分は「未来」の自分の現実を創り上げています。

波動の法則をいうと、人間関係でも何でも、同じ波動のものを引き寄せます。

「こうなればいいのに」「これが欲しい」「こうなりたい」というのは、
「足りない」「満たされてない」と宣言しているようなものです。

「ありがたい」「嬉しい」「満たされている」気持ちで、
「感謝」をすると、その感謝の波動と同じものを引き寄せます。

本当の正しい祈りは、求めたりすがったりすることではなく、
感謝の祈りなのでしょう。
求めるのではなく、望みがかなっていることを素直に感謝するのでしょう。

それでも叶わない夢もきっとあるでしょう。

その願いが他人の不幸を願うようなものであったり、歪みのあるものは、
同じ波動が自分に返ってくるので、自分が苦しむことになります。

自分の「自我」「意識」「肉体」の願いに対して、
「真我」「潜在意識」「魂」が必要ないと却下する事もあるでしょう。
現実を創っているのは「潜在意識」ですから・・・

でも、頑張ったことは決して無駄にならず、回りまわって何か他の形になります。
質量保存の法則というか、出したエネルギーは返ってきます。
直接具体的な夢を描いていたとして、それにエネルギーを注入すると、
たとえ、それが叶わなくても、回りまわって別の形で別の何かが手に入り、
結果としてそれは自分にとって嬉しいことになる事もあります。

自分からエネルギーを出さないと、自分にも返ってきません。
そのエネルギーの一つが自分の発心であり、信念なのだと思います。

無私の心のものはきっと叶いやすいような気もしますが、まずは自分。
自分が幸せになり、周りも喜べるようならそれは最高ですが、
そうでないとしても、自分の人生の答えを知っているのは自分だけです。
それを信じて、自分の道を模索しながらも、創っていきましょう。

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今日はさそり座の新月で日食の話
今月は蠍座の新月です。
11月3日 21:50です。

今日の新月は日食なので、「新月とともにスタート!!!」って感じで
新たな扉がバーーーン!!と開くような、新たな自意識であったり、
新たな生き方、新たな関係性、新たな環境に出会う出来事があったりして、
後で振り返った時に「あの時がきっかけで、変わったな~」と思うような
いつもより、派手で華やかな新月です。

今回の大きなテーマは、「変化」「変容」
変わる事だけが変わらない世界で私たちは生きていますが、
変わることを恐れることがあります。
今日の新月は、その「変化」「変容」を後押ししてくれます。

「これが私」という自意識を自ら葬ることで、新しい私を誕生します。
不必要な人間関係、しがみついている感情やネガティブなイメージ、
自分のものではない両親から刷り込まれている考え方etc...
などを葬りすてると、今まで現れてこなかった未知なことが現れます。
「生みの苦しみ」を体験することになるかもしれませんが、
自分で作っている殻を自分で壊して、感情をデトックスして、
新たな自分に変容していきましょう。

<さそり座のキーワード>
★「深い絆」「夢中」「セックス」「ソウルメイト」「認め合う」
★「財務協力」「遺産相続」「契約」「負債」「税金」「ビジネス」
★「権力」「秘密」「心理学」「カリスマ」
★「変容」「過去からの荷物を降ろす」「変化」「復活」「許し」
★「強迫」「妄想」「危機」
★「自制心」「強靭」

■ 解放キーワード
 「復讐」「嫉妬」「残酷な批判」「破壊的願望」「放棄」「罪悪感」

■ 支配する器官
「直腸」「結腸」「膀胱」「生理」「性病」「性器」

(願い事の例)
・私は○○(名前)との関係を復活させ、より良い深い絆を結んでいます。
・私は自分の周囲の人々に良い影響を与えるカリスマ性を持っています。
・私は過去から持ち越したカルマから、自分自身を解放しています。
・私はソウルメイトを見つけて、幸せな関係を築いています。
・私は○○を実現するために、経済的に支えてくれるパートナーを得ています。
・私は自分自身で創った妄想や過去から引きずっている痛みを完全に手放しています。
・私は自分と向き合い、自分の感情をデトックスして、変化しています。
・私は自分の欲求(飲酒・喫煙・過食)などをコントロールできています。
・私は○○(名前)への復讐心を感謝に変えることができました。
・私は全てのこと対する罪悪感を完璧に手放しています。
・私はすぐに嫉妬心を持ってしまう癖を手放しています。
・私は○○(病気名)(婦人病など)をすっかり改善しています。

<<新月の活用の仕方>>

★{願いごとの書き方の例}
・新月に入った瞬間から8時間以内に願い事リストを作る。
 (48時間以内有効。8時間以内のほうが効果大。
  ボイドタイムは極力避けて書く方がよい)
・手書きで書く。
・願い事は2件以上10件以内で書く。
・主語は自分で書く。
・自分を信じる。
・願いは1件につき1文にする。
・現在形、または完了形で書く。
・肯定文で書く。

※新月から48時間以内のボイドタイム
11月4日 13:18 から 11月5日 05:11です。

個人的にはあまり気にしていませんが、
月は12星座をめぐって動く運行中に、色々な角度で、
太陽や惑星の性質を反射しながら、人間へと影響を与えていて、
その月を経由して地球にやってくる太陽や惑星からのエネルギーが
遮断される時間帯を、「ボイドタイム」と言います。

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本当の自分を知る話⑧
今年の3月9日の自分のブログにも書いたC・R・ロジャースの言葉です。

私が自分自身を受け入れて
自分自身にやさしく耳を傾けることができる時、
そして自分自身になることができる時
わたしはより良く生きることができるようです・・・。
言い換えると、私が自分に
あるがままに自分でいさせてあげることができる時
私はより良く生きることができるのです。


なんと優しい言葉でしょう。
自分という存在そのものを肯定できる素晴らしい言葉です。

そして、ロジャースは心の声に耳を傾け始めたときの変化を10あげています。
1、偽りの仮面を脱いで、あるがままの自分になる
2、「こうすべき」「こうあるべき」といった「べき」から自由になる
3、他者の期待を満たし続けるのをやめる
4、他者を喜ばすために、自分を型にはめるのをやめる
5、自分で自分の進む方向を決める
6、結果ではなく、プロセスそのものを生きる
7、変化に伴なう複雑さを生きる
8、自分自身の経験に開かれ、自分が今、何を感じていくのか気づいていく
9、自分自身を信頼する
10、他人をもっと受け入れるようになる

自分で自分の人生を創っていくためには
「いい人になって人の期待を応えすぎるのをやめること」
「他人の目を気にするのをやめる決意をすること」

が必要とも述べています。



何度読んでも、とても心が軽くなるようです。

喜怒哀楽の感情は誰にでもあります。
でも幼いころに、しつけられる中でその感情に○×をつけてしまうことがあります。
例えば
「喜ぶと思ってしてあげたのに、かわいくない子ね。」
「お姉ちゃんなのに、何怒ってすねてるの。いい加減にしなさい。」
「男のくせに泣くな!!」
「せっかく旅行連れてきたのに楽しまないなら、もう帰るよ。」
って感じです。

そのうちに、
「人に何かしてもらうと喜ぶべきだ。」
「お姉ちゃんなんだから、我慢して怒るべきではない。」
「男は泣くべきではない。」
「どこかに遊びに行くと、楽しまなければいけない。」
というように、いつの間にか色んな「べき」ができています。

「全ての苦しみの根源にあるのは、
「きちんとしなければいけない」と思っていることだ。」
という言葉を教えてもらったことがあります。

そして大人になるにつれ、
「大人なんだから」
「子供じゃないんだから」
とその喜怒哀楽を表現することや、感情によっては自分がその感情を生む事を
恥ずかしく感じるようになります。

そしていつの間にか、自分自身に対してもごまかすようになります。

大人だろうが、男だろうが、女だろうが、
嬉しいことは嬉しくて、喜びがあふれるし、
嫌な事や、腹立つことがあれば怒るし、、
悔しいことがあったり、辛い時には哀しいし、
心がうきうき弾むように楽しいと、
自分の心が感じるのは当たり前で、それが人間だと思うんです。

人間に必要だからこそ、喜怒哀楽という感情が与えられているのです。
どれもが、とても大切な感情なのです。
そして、その感情の奥に、本当の自分がいるのです。

もちろん、社交の場や、仕事の場、ご近所との付き合いなどで
対人関係の中で、その感情をあらわにできない事は多々あります。
でも、その感情を自分にはないと無視したり、恰好つけたり、いい人ぶったりして
自分自身をごまかすと、その感情が自分の中で溜まって発酵して大変な事になります。

ある感情にシャッターを下ろしてしまって、何も感じないようにしていると
必ず歪みが出てきて、何かのきっかけに自分の中に混乱をきたします。

そして溜まっていったその感情が発酵して、自分のキャパを超えた時に
原因不明の(自分が無視しているだけ)もやもやの感情や、
理性ではどうしようも抑えられない気分の落ち込みや怒りなどが噴出します。

先日美智子様のテレビを見ていた時に、ピアノがお好きな話の中で
「音楽は自分の内に流している涙や苦しみを、外に出して浄化する事ができます。」
という事を言ってらっしゃいました。

本当の自分を知るためには、理性ではなく、知識でもなく、
まずこの「感情」を無視せず、ごまかさず、意識的にみつめていくことです。
悔しい時は一人で泣けばいいし、嬉しい時は一人踊ってもいいんです。

全ての感情をそのまま受け入れられたら、これほどいいことはありませんが、
大体受け入れられません(苦笑)
自分にはそんなものないと否定したり、昔の浄化されていない感情に、
自分の中で封印しているその時の思い出がくっついていることもあるからです。

でも、思い出す事ができるものは、受け入れることも浄化できることもできます。
「べき」というものは何もないんだと思いながら、その時その時の感情や
昔流せず自分の中にたまった涙なども思い出す度に、外に出して浄化していくことで、
本当でない自分を見つけていけて、本当の自分を知る事につながるのだと思います

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本当の自分を知る話⑦
自分の思い通りに物事がいかなかったり・・・
また、相手に自分を否定されたり、批難されたり、拒否されたり・・・
また、漠然と将来に対して先が見えなくなったり・・・

そんな時、不安になります。

そして、気づけばこの不安が心を占めているなんてことがあります。
これはよく見張る必要があります。

不安に舵を渡さない

心に不安があって、それに負けると、本来と違う方向へ行ってしまいます。

人は、生まれると同時に不安に投げ出されるので、
「不安」は怖いものを強くインプットされてしまいます。
そして、先がわからない状況に対して、「不安」を抱いてしまいます。
けれど、本来は「先がわからない状況」の中には50%の○と×があります。
「先がわからない」という言葉には、全く意味はないのです。

というか、自分の思い癖、言葉、現実、将来・・・
これらすべては自分が○×を気持ちでつけているだけなのです。

もし×(自分がよくないと思う結果)だったとしても、
その人の人生が本当の×とは言い切れません。
そこにどんな意味を見つけて、どんな未来を創っていくか、
それが問題なだけです。

不安とは漠然としたものです。
自分の中で、何を不安に思っているのかを突き詰めていき、
どうなったら困るのか、そうなったらどうして怖いのか見つめると
問題点が浮き彫りになり、判明したら不安と恐怖が消え、
気づくきっかけになったり、何を今すればいいかわかるかもしれません。

「わからない」ことに恐怖を感じるのであれば、
今何がわかっているのかを見つけ、どうしていくか考えることも一つです。

学校の教室で先生に「これ分かる人?」と皆に聞いて、
当たったらわかんないと不安になり、「あーわかんない。当たりませんように~。」と
思って下を向いていると当たったりします。

「そうならないで欲しい」と思うと、そうなることってありますよね。

そこで、あたって答えられず恥をかくのは、その時は×な事ですが、
それを機に勉強して、その科目がわかるようになれば、○な事になります。

また、心配していた不安が、実際に現実になった時に、
取り越し苦労だったり、「あれっ」と意外に大したことがなかったり、
現実になった時は考える間もなく行動する事になったりすることがあります。

不安や心配は、ものすごいエネルギーを消耗します。
人間には創造の力が備わっているので、いくらでも未来を創ることができます。
どうせなら、未来を創るためにエネルギーを使いたいものです。

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