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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
小野田寛郎さんの話②
昨日に続いて、小野田寛郎さんの話をしようと思います。
昨日は生い立ちから、貿易会社に就職して中国で青春を過ごし、
その後徴兵され、陸軍中野学校で訓練を受ける所まででした。

今日はいよいよ、29年間小野田さんが闘ったフィリピンのルバング島の話です。
ルバング島は、マニラ湾の入り口にくさびを打つようにある、
南北27キロ、東西10キロで、淡路島の約半分の亜熱帯林の島です。

ルバング島の人口は約2万。お米、バナナ、ココナツなどの栽培。
多くの農家が牛を飼っています。

昭和20年、アメリカがどんどんと南の島づたいに日本本土に迫ってきます。
南方の島で多くの日本人が死んでいきました。

小野田さんが着任した2か月後に、アメリカ軍がルバング島に上陸して、
守備隊200人中の160人が死んだと言います。
小野田さんは40数人を3人1組に分け、ジャングルに入り、ゲリラ戦を続けます。

「命令できたんだかた、命令があるまでやるのは当たり前。
そして、自分は負けらのが嫌い。
戦争で負けるということは、死ぬことだから、本能的に死にたくない。
「なめられてたまるか!」という気持ちで、占領地域を増やした」と言います。

そして昭和20年、1945年の8月に、広島と長崎に原爆が投下されます。
8月15日、4年闘った戦争に、日本が降伏という形で終わります。
その間に300万の日本人が亡くなったと言われています。

それから2か月がたった10月、ルバング島にもアメリカ軍によって
戦争の終わりを告げるビラがまかれます。

小野田さんは、日本が一時的に負けるということ、
日本全土占領まで織り込み済みだったけれど、
本当の終戦、敗戦になっているということは知らなかったと言います。

南の島々では、敗戦を知って残っていた日本人が投降していき、
ルバング島でも、小野田さんと別行動だった日本兵全員が投降します。
小野田さんと行動を共にしていた、島田伍長、小塚一等兵の3人は
ジャングルの奥深くに身を隠します。
投降の勧告はアメリカ軍の謀略、いつか日本軍が反撃に転じると
小野田さんは信じていました。

小野田さんは戦い方を変えます。
日本軍が再上陸するときに備えて、敵の動きを探り、
時に自分たちの存在を示して、敵を撹乱させる戦術。
敵のただ中に踏みとどまって、戦い続けるもののことを「残置諜者」と呼びました。

まず生き延びることが先決でした。
野生のバナナやヤシの実で飢えをしのぎ、時には島民の牛を殺し燻製にして、
敵に発見されないよう、1か所にとどまるのは2日か3日。
武器、弾薬、食糧など約20キロの荷物をかついで、ジャングルの中を
転々とする日々が始まったのです。

「最初の3年間は苦しかったですね。
地形がよくわからない。
それから泥の上に、夜露に濡れながら眠るということには抵抗があった。
地形がしっかりとわかると自信がでてくる。
敵と遭遇しても、どこにでも自由に退避できるから。
それから食物のある場所もわかるし。
何月から何月まで、どこに何があるかという
食物のありかがわかってくると、全て計画ができて、
敵に対して、万全の勝算がある。そこまでにやはり3年。」

「立体的な島の地形の地図と、何がどこにあるかが頭に入っている。
生きなきゃいけないし、負けられないから、ひとりでに覚えていく。
地べたに寝ているし、重荷を背負うから、負担がかかって耳垂れが出る。
そこから蟻が耳に入ってきて、鼓膜が破れたけれど、
耳栓はできなかった。怖くてね、耳栓して寝ることができなかった。
帰国して気づいたけれど、鼓膜は破れていても、耳は動いていて、
人がドアを開ける前にわかるんです。」

弱気になったり、挫折しそうになったり、もうやめちゃおうかなんて思ったことはない。
雑念の生ずる間がないんです。

見つかったら終わりですからね、しょっちゅう自分の姿を隠さなきゃいけない。
また隠れきったんでは意味がないから、そこにそういう人間がいるということを
敵に見せてなきゃいけない。
今どこにいるかわからないようにして隠れながらも、自分の姿を見せるから
常に敵、敵、敵で、他の事を考える暇がないんですよ。」

「宗教関係の人に「神や仏に」と言われるんですけど、
「助けてください」と頼んだことがないんです。
宮本武蔵が「神仏を尊び、神仏に頼らず」と言ってますけど、
やっぱり剣と剣で向かい合ったら「助けてください」なんてないんですよね。
それだけ、相手に対する集中力が減るから。

ただ感謝はしましたよ。
一年が終わると、お正月には神棚を作って、手を合わせました。
神様というか自然というか、我々の考えられないものが
わたしたちを生かしてくれたという、万物に対して感謝をする。
毎年1回、お正月だけ手を合わせました。
「ありがとうございました」と感謝しているんであって、
「今年もよろしく」なんてお願いはしない。
今年は自分なんですよね。」


今日はルバング島での戦いの途中ですが、ここまでにしようと思います。
ことわざで「石の上にも3年」という言葉がありますが、
小野田さんは実体験でそれを体得しています。

また人間は「わからない」ことはやはり怖いのだと感じます。
何か怖いと思うならば、それを分かるまで調べると自信がつくのだと思います。
最初はわからないのが当然ですが、努力を惜しまず、知ることをすれば
分かれば、それは恐怖を通り越して、自信につながるのだと思いました。

また、私ならきっと途中でくじけそうになったり、もう嫌だ~とくじけますが
一切そんな思いにならず、そして感謝だけをしていたという
小野田さんの、素晴らしさにほとほと感動してしまいます。

自分の人生を受け入れ、自分が精いっぱい生き抜く。
そして「今」だけに集中して、その「今」を生きる。
ということを、小野田さんの言葉から、本当に強く感じます。

暇な人や、目の前のことを一生懸命しない人。
神仏ばかりに頼んで、自分の努力をしようとしない人。
そして労を惜しむ人。
そんな人ほど、雑念や邪念に苛まれて、苦しんでいるのかもしれません。

強く、とても賢く、そして本当にかっこいい小野田さんです。
また、明日も小野田寛郎さんの話は続きます。

小野田寛郎さんのご冥福をお祈りいたします。

読んでいただいてありがとうございます。
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小野田寛郎さんの話①
今年2014年1月16日に亡くなった小野田寛郎さん。
若い人は知らない人も多いかもしれません。

1974年ルパング島から帰国して、話題になったものの幼く
ずっと戦争が終わっても、終わったことを知らず、
外国の島で戦争をし続けて、戦っていた人という事だけのイメージでした。

最近、再放送をしていた小野田寛郎さんのインタビューを含めた
今までの人生の紹介と、その言葉を聞いて、
こんなに素晴らしい御仁だったのかと、感動してしまいました。

生い立ちはというと、和歌山県で大正11年3月に、教師から新聞記者
そして県会議員になった父と教師だった母のもとに、三男として生まれます。
お父さんが育った家は、苗字帯刀の資産もあり威張っていた家で、
小野田さん曰く、「時代遅れ」の父だったと言います。

育っていく過程で、厳格な両親に対して反発していきます。
権威やお金で人を服従させるようなそんなやり口の
威張った人もお金持ちも大嫌いと言います。

親になぜ反発したかの質問に、性質が合わないと答え、
また、文句を言うと、母親に「嫌なら死ね。とめないよ」と言われたそうです。
負けん気が強い小野田少年は、反発が強くなり、自立心を養います。
それとともに、生きると死ぬということをよく考えたのだそうです。

中学では剣道部に入って県下有数の腕前になりました。
そして、その頃になると、父親との衝突が激しくなります。

商人としてお金儲けをしたかった小野田さんは、中学卒業後、
日中戦争が始まった2年後、家を飛び出して貿易会社に就職し、
中国の漢口、現在の武漢で働き始めます。その時17歳。

油や食品の買い付けをまかされていた小野田さんは、
フランス租界で、ダンスホールで色んな人と話をしたり、
麻雀やお酒などのもたしなみ、青春を謳歌したのだそうです。
戦争が始まって徴兵がきていた時代ですから、
「遊ぶなら今のうち」とよく働き、よく遊んだのだそうです。
そこで中国語をマスターします。

太平洋戦争が始まった翌年の5月、20歳になった小野田さんは、
徴兵検査を受け、貿易会社を退職して、帰国します。

死ぬのをそこで一度折り込んでいたと言います。
「皆が行かなければいけない。誰もが命のかかわることはやりたくない。
そこで逃げる奴もいるんですよね。
できれば行きたくない。
でも時代がそうだから、行かざるを得ない。
皆が無理して行ってる時に、逃げたら、
「あいつ、逃げて生き延びた」と言われたら、
一生うだつがあがらないでしょう。」との言葉。

皆が行くのに、自分は逃げられないという時代の思想や雰囲気があったけど、
入ってからは、自分の負けん気の強さと体の強さが大きかったと語っています。
20歳になった昭和17年に徴兵され、和歌山県の歩兵部隊に配属され、
その後久留米の予備士官学校にうつります。
半年後に卒業した小野田さんは、陸軍中野学校という機関への誘いがあります。

身元調査をした中で、教育機関の中で、士官学校まですべての個人情報などが
上部は持っていて、陸軍中野学校へセレクトがされるのだそうです。
小野田さんは、語学と自動車の運転と、写真ができたというので、
これは諜報員の技能は語学、車、無線、写真と言われていた時代に
それらと剣道という技術の護身術の腕も持つ人材と、見込まれたのだろうと言います。

陸軍中野学校で育てようとしていた人材は、2つ。
一つはゲリラ戦=遊撃戦にいく人、もう一つは情報戦=スパイ活動に行く人。
自分でも、陸軍中野学校向きだったのだろうと言います。
陸軍中野学校での人材育成の考え方は、
一人でやる、要はできればいい。どんな方法でもいい。
できなきゃ無駄ですから、細かいことは言わない。
要はやればいいという考えだったのだそうです。

親も子もない、戸籍も消される、ふつうの人の生活は全て捨てる。
というのが、陸軍中野学校への誘いの中で言われるのだそうです。
そこで選択は自分でできます。
なぜなら、嫌な人間にやらせても途中でくじけるから。
個人で敵の中で入るのだから、監督もいない中、
嫌々じゃあいつやめるかわからないから、
嫌なら最初に断ることはできたのだそうです。

小野田さんはそこでやることを選択します。
なぜと聞かれて
「しょうがないですもんね~。
嫌って言ってみたって逃げた所で何も始まらない。
意地っ張りなんですね。
逃げたって言われるのが、負けるのが嫌なんですね~」
との言葉でした。

「国体護持」「八鉱一宇」「天皇のために」がその当時の表向きのスローガンで、
あのために戦え!そしていざとなったら死ね!という中で
その学校は、自由奔放で開放的、軍部を批判したり、天皇制を論じることも許され、
南方戦線で闘う訓練の中で、「無駄死にするな。石にかじりついても生き抜け」と
教育されます。

本人がなぜ、名前も名誉にもお金にもならない仕事を、
命をかけてやらないといけないのかということを
国家というものに対する責任感をわかってもらえないと、
目を離す中でやってもらえないわけですから、
自分たち民族をつくった一つの国の形-国体
なぜそんな国の形になったのかを教えられます。

当時そんな事をいうと大変なことになるような事であっても、
日本の国体として相容れないような思想はあるかもしれないけれど、
現在の制度に歪みがあるのであれば、取り入れる柔軟さは必要だと
悪い所があれば躊躇なく変えていくというのが、確実なやり方と
中野学校では教官をはじめ、われわれが皆思想的に統一した考え方で
コチコチや凝り固まった考え方が大嫌いな小野田さんの性質とも
マッチしたのだそうです。

22歳の時、フィリピンへの派遣命令が下されます。
その時の司令部が持っている情報をすべて教えてくれたそうです。
日本の戦略、将来の戦争の推移や計画を説明してくれた中で、
日本はアメリカに上陸されるだろうというまで織り込み済みの中、
昭和19年12月30日。単身ルパングという島に向かいます。
「アメリカが迫る中、以前から駐屯している部隊を指導し、
ゲリラ戦を展開せよ」の指令で、お金と武器を持って行きます。
そこから、小野田さんの闘いの30年が始まります。

生い立ちから、島の上陸までの説明だけで、長くなってしまいました。
また続きを書いていきます。

私は無知で、小野田さんの事を全然知らなかったので、
自分で志願して戦争に赴いた、とても愛国精神の強い、とてもまじめな人と
思っていたので、この生い立ちを聞き、正直驚いたのです。

「しょうがない」と自分が行きたくて選んだ道ではなかったのです。
というか、行きたくない気持ちの方が強かったのがとても意外でした。

負けん気が強く、そして欲もあり、お金儲けをしたいという夢を持ち、
そして、親と合わないからと、飛び出す元気もある、そんなやんちゃで
面白い人とは思っていませんでした。

晩年、金属バット事件、子供が親をバットで殺す事件を知り、帰国して
「小野田自然塾」を主宰されるのですが、
親と合わないなら、離れたらいい。一緒にいるから家族でもない。
自分で生活すればいい。自分も17歳の時には自立していた。
と話しています。

親子だから・・・
家族だから・・・
といっても、性質や性格が合うとは限りません。
私も家族の中で、今年を重ねて色んな人と出会った上でも、
本当に合わない、死ぬまで相容れなかった家族もいます。

私も学生が終わった時点で、家を飛び出したので、
小野田さんの気持ちもわかります。
私の兄は、高校を出て東京の大学に行きますが、
父の逆鱗にふれ、一切仕送りなしの中で、
自分でバイト等しながら生活費を稼いで、無事卒業しています。

子供には強さが足りないと小野田さんは言います。

他人に対して自分の考え方を押し付けようとしてしまう人が多い中、
もっと身近な家族、まして自分の子供となると、どんどんと自分のエゴや
考え方を押し付け、それに従わせようとします。
「やれ」「やれ」と言う押し付けばかりで、
本人の声を聞く耳を持たない親は多いものです。
その環境で育つ中で、自分を完全に見失い、自己をなくす人もいれば
そこで反発して自立心が強くなる人もいるのです。

時代といえばそうかもしれませんが、自分の思いとは全く別の道へ
それも厳しい道へといくことになる小野田さんですが、
まぁあっけらかんとしてカラっとしているのです。

「しょうがないじゃない」と受け入れる力が強く早い。
突っ張らず、柔軟な考え方を持ち、そうなるならと
以前の事をすっぱりと切り捨て、新たな事だけに目をうつす。
そして過去を振り返らず、今に集中してエネルギーを使う、
今やるべきことをわき目もふらず一生懸命するのです。

そしてとても負けず嫌い。
人に出来る事は自分にもできるはずだと思い、頑張るのです。

いやー本当にかっこいい人です。
でもこれからの生活の中で、本当の小野田さんのすごさが出てきます。
というか、小野田さんの内の神とのつながりが強いようにも思えます。

人は乗り越えられない試練は与えられないと言いますが、
小野田さんを見ていると、潜在的にこのような強さと素晴らしさがあるからこそ
苦難と思えるような出来事を与えられ、魂を磨くことができると
思わざるをえない気がしました。

小野田寛郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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レジリエンスの話
今日、内科に行ってきました。
寒気と関節痛があり、どうもだるくて嫌~な感じだったのです。

病院に行ってのドクターの第一声
Dr:「インフルエンザかもしれんな~。また検査しましょう。」

私:「一度かかったのに、同じインフルエンザに再度かかることがあるんですか?」

Dr:「インフルエンザA型ですが、2種類あると連絡が入ったばかりなんです。」

「えーそれはまいるな~」
と思いながら、待ってもう一度診断室に行くと、インフルエンザではなく
普通の風邪でした。
よかった~!!

聞くと、1シーズンに何種類かのインフルエンザにかかる人はいるとのこと。
気を付けようと思います。

ソチ五輪の選手たちが帰国して、インタビューにも答えていましたね。
メダルはとれなかったけれど、感動を与えてくれた浅田選手については
どのテレビ局でも流していて、真摯に一生懸命答える浅田選手は
すごいな~と思いながら見ていました。

そんな中で、心理学の世界に『レジリエンス』という言葉があると聞きました。
精神的回復力、自発的治癒能力などと訳され、
不利な状況に直面しても正常心を保つ因子だといいます。

ご自分でも言っていましたが、
ショートプログラムのあとは「気持ちがどん底まで落ち込んだ」と言っていましたが
たった一日で、それも休養も睡眠も食事もしっかりとれない状況の中
次の日のフリーでは全てのジャンプを成功させ、自己最高点をマークしました。

これぞ、レジリエンス能力なのだな~と思いました。

「フリーは不安や恐怖心があった。
それを乗り越えての最高の出来だったのでホッとし、
うれしさのあまり最高の気持ちになった」
と話していましたが、どん底から、最高の演技にまで持って行く力は
本当に非凡な才能なんだな~と感じざるをえなかったです。

でも一流の選手では、こういうことがあると聞きます。
その裏では、もう苛酷であり、ハードな生活や練習があり、
精神的にも圧力はもちろん、色んなものを背負っている中で
やはり、最後には自分を信じる気持ちというものがとても大きいのだと思います。

その信じる気持ちの裏には、誰よりも頑張ったという努力の自負や
自分には能力があると信じ切るプライド、
そして自分の為だけではなく、恩を返したいという大きな感謝の気持ち
それらが、あのフリーの素晴らしい演技につながったのだとは思いますが、
その中でも「レジリエンス能力」の高さをかんじざるをえません。

オリンピックや世界を舞台にしているスポーツの祭典を見ていて、
若い15歳ほどの学生の強さをとても感じます。
もちろん身体能力が高いこともあると思いますが、
いい意味でよくわかっていない、世間知らずの所があるために
怖いもの知らずで、思い切って、邪念や迷いを感じる事なく
しているようにも見えるのです。

天真爛漫に、その種目が好きで得意だからしてますという無邪気さは
とても強いものだと思わざるをえません。

でもその後、壁に当たり、それを乗り越えていく過程で、
自分の弱さを知り、怖さを知り、恐怖を知り、不安を感じ、
その上で、それに打ち勝っていく乗り越えていくさまは
本当に勇気と力を与えてくれます。

私も目の前の事に対して、真摯に一生懸命して、
そしてすくパニクッてしまい、一度つまずくとそれを引きづりますが
「レジリエンス」因子を自分の中にも育む努力をして、
何が起ころうと平常心を忘れず、冷静に立て直す力を持ちたいものだと
思ってしまいます。

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面白い人とつまらない人の話
自分との違いを楽しめる人と、嫌悪感を感じてしまう人がいる。

私は結構個性的な人が好きな方で、自分と全く違う目線で物事を見ていたり、
全く違う感想を持ったりする人を「おもしろい」と思ってしまう。
そこで、興味がわくと、その人を質問攻めとかにしてしまう(苦笑)

そういう人の傾向は、一見おとなしそうに見えたり、人見知りだったりする。

だから結構周辺の人は、その人の面白さに気づいていない事も多い。
礼儀正しく、真面目で、へらず口もあまりたたかず、
自分から色々と話すタイプでもないから、わからないのかもしれないし、
当人自身も、自分の個性的な所やおもしろさを
別に周りにアピールしたり、理解してほしいという感覚もなさそうなので
よりわかりづらいのかもしれない。

他者からの賛同や賞賛を求めるどころか、気にしていない人の方が
面白い人が多いように思う。

「するめいか」のように、付き合えば色んな面白さが出てきて、
それこそ味がある人が多い。

反対に、自分は自分はと、前に前にと出てきて、声高にアピールしたり、
自分からガンガン攻めていったり、おしゃべりで、
しゃべりだしたら止まらなく、自分って面白いと言われるという人ほど
本当に面白くない人が多い。

周りに認めてもらいたいのであれば、もっと空気を読めばいいのにと
思うが、自分の主張にフォーカスしてしまっているからか、
もしくは、周りがお愛想で合わせているのを気付かないからか、
どんどんエスカレートして、おしゃべりが止まらなくなったりする人もいる。

私は基本的に「おもしろい人」が好きなのだと思う。
誰もがそうかもしれないが、「おもしろさ」も色々その人によって
捉え方があるのだと思う。

一度志村けんさんが
「非常識なことをするためには、常識を知らなきゃいけない」
と言っていたけれど、これは真実だと思う。

面白いことをする人は、すごい真面目さを知っていたり、
笑いを知るには、悲しみや辛さも知っている方が、深くなる。

非常識であったり、無礼だったり、無知だったりする人が
自分の自慢や、人を落として自分をあげるような笑いをする人がいるが
それは、反対に自分を落としているように聞こえてしまう。

自分との違いを楽しめる人の共通点は、ユーモアの中にも真面目さや素直さが
あったり、他人を陥れようとか、自分をあげようとするような嫌味が出てない人。

反対に、楽しめない人は、自分ばかりに矛先が向いて
自分をあげようとか、大きくみせようとか、おもしろく見せようと、
かまって!ほめて!おもしろいって言って!というような、
人に評価を求めている人は、本当につまらない。

きっとその裏に隠された、自信のなさや、自分の弱さが全面に出て
それを承認欲求で埋めようとする感じが苦手なのかもしれない。

また視野がせまく、井の中の蛙というように、
本気で自分をそんなに面白いと思っているの?
と勘違いしているような人も本当に苦手だ。

「愚者は賢者から学ぶことは少ないが
 者は愚者から学ぶことは多い」
というが、つくづく本当だと思う。

この数日、発熱をしているのですが、浄化かな?
インフルエンザって、何度もかかるもんなのかな?

だからか、毒だしなのか、自分の嫌な事にフォーカスして
それをブログにも書いていってるような・・・・

何でも、自分の正義は自分には通じるし、
自分のユーモアは自分に通じるし、笑えるし、
自分の思想な、自分の人生に有効ではあるけれど、
他者にそれを押し付けることは如何なものかと思う。

でも最近、押し付ける人がとっても多い気がする。
闘いのように、相手に通じないと、自分の負けとでも思うのか
本当に必死で、押し付けたり、押し通そうとする人を見ると、
その人自身がとても苦しそうに見えてしまう。

せっかくの個性も、他者への押し付けることばかりにエネルギーを使うと
すっかり殺されてしまう気がする。

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スポーツマンシップの話
浅田真央選手のフリーは素晴らしかったですね。
鬼気迫るような迫力があり、終わった後の真央選手の表情を見て、
こちらも涙が出る思いでした。

最愛のお母様と別離し、本当に悲しみの中、
一から努力しなおすような、本当に辛い時期を乗り越えられた事だと
思います。

SPでは、途中で転倒して、本当にくやしかったと思いますが、
その後、世界のオリンピック選手から応援が寄せられたという報道をみて
とても感動してしまいました。

ミーシャ・ジー選手(ウズベキスタン):
「真央の点数はとても残念だがあきらめないで。
フリープログラムを良くするために、さらに大きなサポートを!」
「#MaoFight!」タグ付き。
「みんな、真央ちゃんをもっと支えて、もっと前向きな雰囲気を!」
「#GoMao」付き。

ジェレミー・アボット選手(米国):
「胸が張り裂ける思いだ。真央はすばらしいチャンピオン。
明日はもっと強くなっているだろう」

バンクーバー五輪銅メダリストのジョアニー・ロシェット選手:
「ミスは残念だったが、このプログラムは大好き」

羽生結弦選手の振り付けを担当したジェフリー・バトル元選手(カナダ):
演技前「Gambatte!!!」
演技後「技術的にも芸術的にも限界に挑戦する真央をとても尊敬している」

国は違えど、オリンピックを目指して、たどり着いた選手にはわかる
すごさや真の実力が、彼女はあるのだなと思いながら、
その行動や言葉に思わず胸が熱くなりました。

それに引き替え、わが国の元首相の言葉は
「あの娘、大事なときには必ず転ぶんですよね」
「負けると分かっている団体戦に浅田さんを出して
恥をかかせることはなかったと思うんですよね」

こういう時の言葉や行動や態度に、その人の真の部分が出てくるのでしょうね。

本当に浅田選手お疲れ様でした。
また、勇気と感動をありがとうございました。

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恥を知る話
仕事をしていて、特に男の人ですが
「そうッスね」
「~ッス」
「あざ~ッス」
というように「ス」をつける人がいます。

とても感じが悪く思えます。
若い人もですが、30代位の人で言っている人をみると
「仕事できないんだろうな~」
と思ってしまいます。

実際に知識はあっても、重要な仕事はまかされていない人も
知っていますが、その理由もわかります。

どこか信頼ができないというイメージを持ってしまいますし、
軽く、本当に理解しているのかという疑問もわきます。

そして恥ずかしくないのだろうかと、思ってしまうのです。
上司に対して、大切な取引先に対して、もしくは社会人としてその社会の場で
「~ッス」というのは
決して敬語でも、丁寧語でもありません。

最近「恥」をどんどんと感じなくなっている人が増えてきている気がします。
いわゆる「クレーマー」という人たちの増加も言われていますし、
色んな職業の人たちから、その現状を聞くと、信じがたい事も多くあります。

それを聞いた時に、それをする人が
「本人はそんなことを言ったり、したりして、恥ずかしくないのだろうか?」
と思い、口にしますが、いつも
「恥ずかしいと思えるような人は、しないよ。」
という答えが返ってきて、なるほどと思います。

そして、年齢を聞くと、若い人と思いきや、年を重ねていたり、
いい大人が・・・・という人や、お金がないのかと思いきや
恵まれている人も多いのです。

若い時は、馬鹿をしたりしますし、それをして、大目玉をくらったり、
怒られて、気づくこともあります。

ゆとり世代が色々と言われていますが、ゆとり世代よりも
そのゆとり世代を創り上げている、大人たちが自分自身のことを
振り返り、もっと見つめることも必要ではないかと思います。

「武士道」というものが、ずっと根底にあった日本という国ですが、
全くもって、恥ずかしい事をする人が増えたものだと思います。
子供は大人の真似をしたり、大人を見て育つものです。
「ゆとり世代は駄目だ!」
「学校教育がダメだ!」
と他人事にしてしまいますが、日本に住む一人ひとりの大人が
子供に対して、胸をはれる恥を知る大人であり、
そういう人が創り上げる国になれば、
その背中を見て、子供は育つのではないかと思います。

他人に見られるからとか、ばれるから、しては駄目と思うのではなく、
「自分がどのような自分でありたいのか」ということが
大切なのだと思います。

全ては自分に返ってきますし、
その時に得をしたと思っていても、目に見えない世界での自分は落ちて、
その後の運気が落ちてしまうこともあります。

またその時その時の、自分の思いや行動が、自分自身なのです。
人間ですから、欲があったり、色んな邪念があったり、
悪意をもったり、よくない思いに惑わされることも多いですが、
それを実際にする人としない人には大きな壁があると思いますし、
結局は、どこに自分を置きたいのかという所に尽きるのだと思います。

もちろん、清濁すべてを飲み込むような時も必要ですし、
光を知るためには闇を、
善を知るためには悪を、
上を知るためには下を知る必要があったり、
その体験となるような出来事もあるかもしれません。

その時々で、もしかしたら流されたり、
自分がその体験を受け止めきれずに、悪や闇に身をまかせてしまったり
どん底に自分から落ちるようなことになるかもしれません。
でも、その体験から学び、自分の体験から恥を知ることができ、
気付くことができたならば、その体験は活きることになり、
その体験から、そこから恥を知る人生を送ることを始められます。

それよりも、自分は恥などないと思って、
知らぬは自分ばかりで、自分は正しいと思い込み、
恥ずかしい行為を重ねている人の方が、たちが悪いのです。

豊かで恵まれている人の中で、恥を恥と思わず、言う事だけは立派で、
驚くような行為をする人がいますが、
その人がいくら恵まれていて豊かな状況であろうとも、
本当の姿は醜く、貧相で、浅ましい、低い次元のものだろうと思います。

自分が「どのような人間でありたいか」がやはりとても大きいと思うのです。
誰にも知られていなくても、自分は知っているのですから・・・

恥を知る人というのは、何とも言えない奥ゆかしさと
凛とした美しさと、にじみ出る強さがあります。

その時は負けたり、損をしたり、貧乏くじをひいたように見えても、
後にはそれ以上の大きな徳であったり、信頼であったり、
お金では絶対に買うことができない素晴らしいものを
手に入れることができるのだろうと思います。

自分に恥じぬ自分でありたいと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
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幸せになるための条件の話
以前カウンセリングをしていた時に、よく相談に訪れていた人は、
客観的に状況的には恵まれていた人が多かったな~と
今日ふと思い出しました。

健康で、20代で結婚して、子供に恵まれ、マイホームを建て、
旦那様がしっかりと稼いでこられるので、専業主婦で、
ご自分は趣味や習い事などもされているというような状況で、
悩みの内容は、家族のことでも、経済的なことでもなく、
ご自分自身のことでした。

幸せとは一体何なんだろう?と思ってしまいます。

周りから見たら「不幸」な状況のような状態で、実際に辛く悲しい事柄が
自分の身に降りかかってきても、それを受け入れて、バネにして
もがきながらも、苦しみながらも、自分と闘ったり、
目標達成のために努力を重ねる人もいます。

葛西選手の明るさをみると、本当に苦しんで闘ってきた人特有の
カラッとしたすがすがしいものを感じました。

意外に、苦労というものを体験しない人の方が、暗さがある人がいます。
自分以外の誰かの恩恵を受けていて、自分自身で何かに立ちむかう必要もなく、
状況的に自分を磨くきっかけがない人は、
芯の部分で自分に対しての信頼感や、自信が少ないのかもしれません。

私の周りを見ても、苦労をしている人ほど、カラッとした明るさがあったり、
控えめなのですが、話をすると、はっとするほど深みのある事を言ったり、
自然体でナチュラルで、若々しかったりします。
辛い事柄が次々起こり、苦しんで苦しんだ結果、迷って迷いきった後、
行き着いた所で、思いが切れて晴れ晴れとなっているような感じです。

周りを見ても、自分自身が何かに向けて精いっぱい頑張ってきた人は
子育てでも、本人の意志を尊重して、押し付けがありません。
反対に、自分自身が楽な方楽な方を選択してきて、
自分自身が努力してこなかった人ほど、
子供に自分のエゴを押し付けて、どっしりとその子供の人生の上に
自分が乗っかり、走れ走れと叩きまくっているような感じがします。

そう思うと、逃げ道がないような試練というものは、
ありがたいものなのかもしれないと思うのです。

何もないから、色々と考えて考えて、マイナススパイラルに入ったり、
そのマインドに振り回されてしまう人というのは多いものです。

考えるよりもせざるを得ないという状況におかれたり、
思考よりも行動するという状況を与えられると、
その時は必死なだけですが、その後に自分の体験が自分の自信に
大きくつながっていることは多いものです。

悩みがあって、辛いと思っている人は何でもいいから、
時間を忘れてできることを始めてみるのもいいかもしれません。

誰かと始めるのもいいですが、自分ひとりでも楽しめるものが
いいと思います。

自信がない人は、誰か能力のありそうな人を見つけて、
その人と一緒にやりたいとか、その人にのっかるようにして
何かを始めたいと思いますが、逃げ道をつくると逃げ癖がついたり、
自分で考えるということよりも、人に合わすことが主体になり、
自分の心と離れてしまい、他人をすごいと思えば思うほど
自分自身の自信を喪失してしまうことにもなります。

一人でするからこそ、独創力がでてきて、自分を見つめることにもなります。
友達でわいわいすることもいいですが、一人での時間も大切にする
また、自分ひとりで楽しむことができるようになることもいいと思います。

また、評価された時にも、実際に本当に自分自身の力でした人よりも
それに乗っかった人の方が、尊大な態度になったり、
自慢したり、高圧的になったりする人も多いものです。

何でも、無知な状態の時よりも、その世界に入り、知れば知るほど、
奥が深くなったり、自分の無知さを知ることになり、
謙虚になったり、頭をたれてくるようなものだと思います。

その中でも、他人を見て何でこれもできないのだろう?と思えるほど、
自分ができるという人は、その世界での才能がとてもある人なのだと
思います。

何かを始めると、嫌な事や辛いことを体験することも、
嫉妬や羨望などの感情がでることも、
それを真剣にすればするほど、その感情が色濃くなりますが、
その先に、突き抜けてしまった所に、雲が抜けた時の青空のような
すがすがしい明るさが広がっているような気がします。

そんなすがすがしい青空が、自分の心に広がるような
そんな心持ちになれたら、本当にどれほど幸せだろうと思います。

「幸せになるために、ただ一つ条件があるとしたら何だと思う?」

私が心の勉強を始めたばかりの時に質問された言葉です。
何かわかりますか?
その時の答えは

「不幸を知っている人」

自分が不幸だと思う人は、幸せになる条件を満たしているということです。
おめでとうございます。

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悔しい⇒上昇スイッチ?の話
インフルエンザになった後、何かスカッと抜けた感じというか、
体が軽くなったような感じで楽になったので、浄化したのかな~と
思ったりしております。

今回は薬を飲んだので、熱があまりでなかったのですが、
浄化の場合は、熱を出した方がいいということも聞いたことがあります。

いつもは節分の前に浄化が終わるのですが、
今年は節分のその日から体調が崩れるという珍しい年でした。

その時は「悪いこと」と思う事が、後にあれがあったから
頑張れたと思うことや、かえってよかったと思うことは多いものです。

今回のソチ五輪でも、葛西選手もけがに見舞われた悔しさがあったから、
その後の頑張りになり、今回の銀メダルにつながったともいえますし、
高橋選手も前回のオリンピックのあと、目標を見失った時に
怪我をした時、「滑りたい、またオリンピックに出たい」という
強い自分の気持ちに気づけたと話していましたし、
金メダルの羽生選手にしても、大震災の際に辞めようかとも思ったけれど
アイスショーで滑っている時、スケートを続けたいと思ったと語っています。

何かその時は、試練であったり、辛いことであっても、
その時に、その時だからこそ、自分の気持ちに気づけたり、
悔しい思いをモチベーションのできたりするのだと思えば、
それ以降の自分の生き方によって、その出来事は
最悪な出来事で、それから自分を悪い状態にもっていくこともできれば、
その出来事があったから、頑張れて今の自分になれたという
ありがたい出来事に変えることもできるのだと思います。

出来事自体には意味はなく、ただ起こっている現象であり、
それを自分がどう受け取り、何を考え、どうしていくかが
意味がある大切なことなのだと思います。
でもその時は、曖昧であり、迷って迷って、よくわからず
最終的には自分がどうしたいのか?というその一点を
自問自答して、何が正解かもわからず、ただ自分を信じて
自分の選択肢を肯定するしかないという事にもなります。

それでも、「悔しい」という感情はとても大切なものだと思いました。

誰でも「悔しい」と思う体験はあると思います。
それを相手に対してどうこうしようと思う人もいるでしょうが、
それって自分のエネルギーの大きな無駄使いですよね。
それを、自分に向けると、それはそれは大きなエネルギーになり、
自分の奥からの自分でも驚くほどの力を出させてくれる
そのきっかけになるような感情だと思います。

結構天職というような仕事をしている人のインタビューを見ていると、
何か「悔しい」という気持ちから出ている人が多い気もします。
人を助けるような仕事をしている人は、
自分の家族や知人を病気で亡くし、その時の悔しさをバネにしていたり、
最初なかなかできなかった事が「悔しくて」頑張ってできるようになったとか、
ライバルに負けて「悔しい」と思い、負けるもんかと思ってやっていたら
こんなことになっていたとか、
「悔しさ」ってとても強い前向きな力を出させてくれる感情だと
思えるのです。

もし今「悔しい」思いをしている人がいたら、
今あなたの所にチャンスが降りてきているのかもしれません。

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高橋大輔選手の素晴らしさの話
ソチ五輪のフィギュア男子は、羽生結弦選手が金メダルをとりました。
ショートプログラムは本当に圧巻の素晴らしい滑りでしたから、
フリーの失敗を自分でも悔しがっていましたが、
それでも日本に大きな喜びと、被災地に力と勇気を届けた気がします。

高橋大輔選手も、本当に素晴らしかったです。
辛く悲しい事も多かったでしょうし、
自分では「自分に負けた」と言っていましたが、
目標を一時は失いかけながらも、
あきらめずに、きつい状況の中頑張った人だからこその
すがすがしい笑顔があったような気がします。

私の友人が、高橋選手と同じ倉敷で幼少期スケートをしていたのですが、
その友人は、表現力がないといつも言われていたそうで、
何と高橋選手も表現が苦手だったのだそうです。
それが今回のソチでも、表現力を示す5要素の演技構成点は、
チャンに次ぐ91.00点という高得点で、今はその表現で魅了する
素晴らしい選手になっているのです。
初めて倉敷のリンクにたったのが、2月14日。
ソチでの最後のオリンピックで滑ったのも2月14日。

私たちは「わかりやすいもの」「勝者」「自分の見たいものを見る」傾向がありますが、
「わかりにくいけれど、奥底に眠る真実」や「曖昧な現実の底でしっかりあるもの」に
素晴らしい輝きがあることを見つけることもできます。

はっきり決まる「勝敗」の向こう側で
時には、敗者のほうに多くの人が「名誉」を認めることもあります。

懸命にまっすぐに、力いっぱいやってきた人特有の、
勝敗に敗れたあとに、顔に浮かぶ晴れやかな笑顔があります。

その笑顔を見ると、何が勝ちで、何が負けなのかが
曖昧に思えてきて、その中に尊い輝きが見えるような気がします。

試練が次々に降りかかってきても、辛くても、悲しくても
頑張って、頑張った先で、あんな笑顔で笑えるならいいなと
思いました。その笑顔を見て、私は泣いてしまいましたが・・・

感動をありがとうと心から感謝してしまいます。

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「運」の話
ソチ五輪を見ていると「運」というものを感じてしまいます。

例えば、スキージャンプ女子個人ノーマルヒルで4位に入賞した高梨沙羅選手。
調子もよさそうで、金メダルをとるだろうと思っていたにも関わらず、
神様のいたずらとしか思えないような追い風に見舞われてしまい
今回は実力はあるのに、運がなかったように見えました。

また上村愛子選手も、メダルまで手が届きそうでありながら
惜しくも4位で終わってしまいました。
私の目には素晴らしい滑りに見えたのですが・・・残念です。

ソチでの開催で、期待されていたロシアの帝王
プルシェンコ選手は「棄権」という形で、現役を引退する考えもあると聞きます。
最後のオリンピックで滑り、華々しく引退してほしかった気もします。

それでも、「運」とはいえない「実力」の滑りの「羽生結弦選手」の滑りは
圧巻としかいえないような、思い切りのよい迷いのない軽々とした滑りは
見ていて魅了されます。

東北への思いも乗せて滑っているのかもしれませんが、
あの滑りをみて感動している人は本当に多いと思います。

この「運」というもの。
やはりあると思うのです。
自分で呼び込むものという所もあるかもしれませんし、
潜在意識と関係ある現実もあるかもしれません。

ですが、やはりうまく説明はできませんが、
そういう次元ではないところでの「運」というものが
あるような気もするのです。

もちろん、その出来事で上村愛子選手などは、本当にすがすがしく
「自分らしい滑りができた」とスコーンと抜けたような感じもあるし、
その出来事があったからこそ、その当人にとっては
今後のいいきっかけになったり、一つの区切りになったりすることになり、
○×は他人も、もちろんその時の当人にもわからないことはあるのですが・・・

それでも「運」ってあると思うんですよね。

何だかうまく言葉に乗せれないから、読んでても訳わかんないよ~!!って
感じかもしれないんですけど、人には、この「運」というものがあり、
それがここぞという時などに、色濃く出るような気がするのです。

松下幸之助さんが、生前社員の面接で絶対に譲らなかったのは
「自分が運がいいと思うか?」と聞いて「いいと思う」と言った人しか
採用しなかったという話を聞いたことがあります。
学歴でも、能力でもなく、運を最優先にしているということが
とても印象に残っているのですが、それはとても大切だと思うのです。

運がいい人といると、自分の運気も引っ張られてあがりますし、
運の悪い人といると、自分も落ち込んでいくような気がします。

もちろん自分の気持ちやモチベーション、その時の気などもあるのですが、
それとはもっともっと違う、自分核に近い所になるのでしょうか?
この運というものがあると思います。

自力の努力で「運」をあげようとすると、先祖供養と氏神様を敬うことくらいしか
私は思いつきませんが、「運」というものはあります。

ただ「運」だけで、実力がなければ、すぐに転落しますし、
運があっても努力しなければ実力がないので、運がいいのか悪いのかさえ
現実にわからないままに終わってしまうこともあります。

オリンピックのように、才能のある人が最大限の努力を重ね、
本当に世界の最高峰の人々が闘うそのレベルになると、
この「運」というものを感じざるをえないと思ってしまったので、
思わず、うまく言葉で説明できないのに、この「運」についてのことを
書いてしまいました。

周りを見ても、「運」のいい人と悪い人はいませんか?
あなたは、自分の運をどう思いますか?

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ストレスの話
また寒くなるそうですね~。
寒いのも、ストレスですよね~。

この「ストレス」
ストレスが一切ない状態というのも、人間にとってはよくないのだそうです。
やはり人間には刺激が必要なのです。

心の勉強をしていた時に、ストレス指標というようなものを見た時に
結婚や引っ越し、出産など、嬉しい幸せなことも「ストレス」の対象になることに
ちょっとびっくりしたことがあります。

一番は近親者の死だったと思います。

ただ、ストレスって裏を返せば、
自分の思い通りにしたいのに、できない!!ってことが多いような気がします。

労働についての冊子を見ている時に、職場のストレスの一位は人間関係でした。
やはり他人は、自分の思い通りにならない最たるもののような気もします。

また、恋人や友達は自分で選んでいるので、自分と共通の面があったり、
愛情があるので、同じことでも許せる気持ちが強いかもしれません。
仕事となると、いやが上にも、自分の好き嫌いなど関係なく、
決められた時間一緒にいる事になり、共同作業をしなければいけなくて、
家族や友達よりも長い時間を共にすることになるわけです。

誰もが好き嫌いがあります。
ただ、自分のこだわりや「~なければならない。」という思いや、
自分はこうしてもらいたいという「期待」や「要望」の大きい人の方が
ストレスを感じやすい気もします。

ストレスの意味は辞書によると「歪み。圧力。圧迫。精神的な緊張。」とあります。
一般的には精神的な緊張だろうと思いますが、
自分で自分にかけてしまう「圧力」や「圧迫」であったり、
私はこの「歪み」が意外に大きいのではないかと思います。

結構自分の中での「思い込み」や「~なければならない」という意識が強い人は
他人も自分に対してそういう風に見ていると思いがちだったりします。
そこで、相手は何も思っていなくても、深読みして、
自分が責められていると思ったり、批判されているような気持ちになったり、
というように、目の前の出来事をそのまま見るのではなく、
自分の中で変換してしまい、その「歪んだこと」を真実の出来事と受け止めて
「ストレス」を感じている人もいると思うのです。

ここで思うのは、自分が責められているように思う人は
いつも自分が人を責めているということですし、
誰かに批判されたようなストレスを感じる人は
いつも自分が批判していることになります。

自分の中にあるものしか、人の中には見えませんが、
人の中になくても、自分の中にあれば、それを鏡として他人の中に見ます。
そして自分にないものは、相手が持っていても、見えないのです。

じゃあ、広い世界を見える自分になりたいと思えば、
自分の心を知るしかないといえます。

「相手が○○だから、自分はこう思った。」という中には、
自分の思い込みも多いと思いながら、その現実を見ていくと、
自分の考え癖なども見えてきます。

まぁ、仕事の現場や、生きていれば理不尽なこともあります。
その出来事があった時に、どのように自分が思い、どう行動するかが
実際に自分に対してあった出来事よりも、大切なことだと思います。
それが自分自身だとも思えます。

実際の出来事を、本当にフラットに見ている人はとても少ないようにも思います。
どこかしら、自分の主観や、自分の色眼鏡を通してしか、
この世界は見えていないものです。

ストレスも、他人が自分に与えると思いがちですが、
実際には、自分が自分にストレスを与えているのかもしれません。

ストレスの反対後は何かわかりませんが、
リラックスすることは大切です。

いつも心配したり、不安に思うという人は、とても自信家だと思います。
自分の思い通りにしたい気持ちが強く、
自分でどうにかできる!自分にはそういう力がある!
と思っているようにも、見方を変えれば見えるのです。

実際には、思い通りにいかないこともあります。
自分という存在は、ちっぽけな存在であるけれど、
自分の奥には、大いなる存在とつながっているのだと
お任せしていれば大丈夫だというような安心感と、
自分に必要なことが起こるのだから、
いい悪いとちっぽけ存在の自分が決めつけず、
全部ありがたく受け取っていこうと思えば、
意外にうまくいくことが多いような気がします。

「大丈夫。大丈夫。」
自分に必要な事が、必要な時に起こるのです。
それを体験したとき、何を思い、どうするかを、その時に考えればいいのです。
だから、リラックスして安心しておけば、すべてがスムーズにうまくいくのです。

ちっぽけな存在の自分に引っ張りまわされずに、
自分の奥の大いなる自分を信じてお任せしていけば、大丈夫。
安心して、笑いながら生きていきましょう。

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「情けは人の為ならず}の話
「情けは人の為ならず」
意味は
「情けは人の為ならずとは、人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、
やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。人には親切にせよという教え。」

昔、私は情けをかけると、その人の為にならないから、
あまり情をかけてはいけない!という意味かと思っていました(苦笑)

年を経てくると、この意味がよくわかるようになりました。
相手の為と思ってその時はしていることが、振り返ってみると
(振り返らなくても、その時に感じることもあるが・・・)
相手ではなく、自分の為になっているということがよくあるのです。

与えたものが返ってくるということに気が付くことができます。

これの反対もあります。
私利私欲のために、人を利用しようとすると、
まわりまわって、その時の自分の思い以上のしっぺ返しが返ってきたり
自分自身が苦しむということになるのです。

でも、今生で起こした事を、今生で解消できるということは、
それはそれで幸せだと思うのです。
反対に「やり逃げ」というような感じで、人を陥れて自分の私利私欲を満たして
そのまま、今生を終えてしまう人は、かわいそうだと思います。

最近、佐村河内守氏の報道が日々されていますが、私はこの報道がされるまで、
存じ上げなかったのですが、今回公になってよかったと思います。

ただ、あのゴーストライターの「新垣隆」さんについて、
とても不思議なのです。

プロのピアニストを養成するうえで最も高度に教育指導できるピアノの教授者で、
何千人という学生が彼の教えを受け、プロの仕事をしているそうで、
今回のことで非常勤講師を退職願い出たものの、学生が退職反対署名活動で
白紙になったということで、とても人徳もあり優秀な方で、
音楽家としての彼の挌は国際的に見ても超一級という情報もある位です。

実際にテレビで拝見した際にも、実直さと真面目さを感じましたし、
良心の呵責に苦しんだであろう18年間と、今自分の全てを投げ出して
真実を話そうと決断したという真摯さを感じました。

宮本輝さんの本の中で、
「・・・抗っても抗っても、自分という人間の核を成す物を共有している人間としか
結びついて行かないその恐ろしさ、その不思議さ・・・」
という言葉があるのですが、一理あると私は思っているのです。

今までの自分の体験や、周りを見ていても、そうだなと感じる事も多かったのですが、
「なぜ?」と首をかしげたくなるような事も、実際にはあるのです。

「あんなにいい人が、なぜあんなに分かりやすい悪い奴と縁ができ、
だまし取られることになったのだろう?」とか、
「賢い人なのに、あんな人になぜあれだけ振り回されるのだろう?」
というような事があります。

以前、ある人に、
「ある所に兄弟がいました。
兄は、遊びほうけて、仕事もせず、放蕩息子で、人にだまされたり、
うまい話に乗っては失敗して、家の財産を使い切ってしまいました。
弟は、真面目でとても働き者で、節約家で贅沢をせず、細々と暮らしていました。
先祖から見て、どちらが自分たちにとっていい子孫だと思いますか?」
と問われ、

「もちろん、弟です。」
と答えたのですが、何と答えは

「兄の方です。
今まで、溜まりにたまった先祖代々の浄化をしてくれているのです。
騙されたり、お金を損したりすることが、その家の浄化になっているのです。」
と聞いたことがあります。

私の周りでも、とても親切で優しい人が、保証人になり、
他人の借金を、自分が一生懸命働いて返している人がいたり、
何度も何度もだまし取られても、またお金を貸している人がいたりします。

この「新垣隆」さんが、同じ穴のムジナなのか、
自分の魂や先祖の浄化するために、佐村河内守氏と縁があったのかはわかりませんが、
実際にこの「新垣隆」さんが作った曲を聞いて、「素晴らしい」と思ったのであれば、
その人にとってはそれが真実なのだと思います。

万人に受け入れられるものは、なかなかありません。
それぞれに「好き嫌い」があるでしょうから、それを好きと思う人もいれば
嫌いと思う人もいて当然だと思います。
背景を知らずとも、やはり触れて「素晴らしい」「好き」と思ったものは
それはその人にとって真実なのだから、それは否定すべきものではないと
思います。

特に芸術などはきっと理論ではなく、感性の範疇の事のような気もしますから・・・

まぁこの報道を受けて、今までは闇に隠れていたことが、
明るみに出ることが多くなったな~と感じました。
お天道様に堂々と顔をあげて、生きれる自分でありたいものです。
そして「情けは人の為ならず」でどんどん情けをかけていける
愛情深い人間でありたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
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凛とした美しさの似合う人種の話
物事の捉え方は、本当に人それぞれだと思う。
誰もが自分の「ものさし」を持っていて、それを使って、
目の前の出来事を見ているからという事だからと思うが、
それでも、「この人はいい物差しだな~」と感心してしまう人がいる。

会話のキャッチボールで、すぐに反応があって返ってくる言葉は、
その人の本音の部分であったり、思考よりもその「ものさし」が
顕著に出ることが多いと思うのだが、そこで「優しさ」とか「思いやり」の
心に触れると、はっと思うとともに、その時に邪な事を思っていたり、
誰かを批判する心が自分にある場合、ちょっとドキっとしてしまう。

人間が好きという人は、本当にまっすぐに人と交わることに躊躇しないし、
人に対して優しかったり、親切だな~と思う。

兄弟でも全然違うとつくづく思うのだが、
私の兄は「人」が大好きな人だ。
だから、自分の時間というよりは、皆と一緒にいる時間が長いし、
本当にびっくりするほどのフットワークの軽さで、
気軽にすぐに人に会いに出かけていったり、
私からすると「面倒だな~」と思う事が、一切そんな事は思考にあがらない
そんな人だ。

誰もがどこか「寂しがり屋」の部分はあると思うが、
兄は、いつも誰かと会っていて、独りでいる時間が少ない人だと思う。

だからこそ、ビジネスにもそれが生きて、多くの人脈に恵まれ、
色んな情報が入ってきて、それを取捨選択しながら、ビジネスで成功しているらしい。

私は、「人」が嫌いというわけではないが、
結構「人」と会うのが「おっくう」な方だ。
会うと、おしゃべりはよくするし、楽しいと言われ、
誘われることもあるが、気が向かないことも多い(苦笑)
自分一人の時間がないと駄目な方で、
自分一人の時間が、とても好きな方だ。

一時期はパートナーにも、電話もせず会わない日を1週間に一日作って欲しいと
以前頼んだことがある位だ(苦笑)
彼は私の性格をよくわかっているので、すぐOKしてくれて、
数か月は一人の時間を楽しんでいた。

一人で別に特別なことをするわけでもないのだが、
誰とも話さず、一人で自分の居心地のいい自分の部屋にいることが
私にとっては幸せな時間なのだ。

ある意味敏感に、人と会うとその人の波長を感じてしまって
疲れてしまうのかもしれない。

自分を癒す力が一番強いものは、自分のエネルギーだと私は思っている。
だから人のエネルギーに頼ることは、あまりしない。
というか、以前はそれをしていて、結果あまりいい状態にならなかったので
これはよくないと思って一切やめたら、よくなったのだ。

それでも植物のエネルギーは、活用させてもらっている。
部屋には観葉植物がたくさんあるし、アロマセラピーは毎日活用している。
部屋でもアロマはたくし、体中に毎日アロマオイルを塗りたくっている。

あとは、動物は好きだ。
正直で、今を生きているというのを感じさせてくれる。
もうきっと今年20歳の愛猫は、家族であり、友達になっている。

年齢もあるのだとは思う。
学生の時や、20代の時は、家にいる時間などほとんどなく、
友達といつも出歩いていたし、友達と飽きることなく何時間も話していた。

いつごろからだろう?
両親が亡くなり、今のパートナーと知り合い、すっかり外の世界より
自分の内へと向いてしまったような所がある。

辛い時、色んな人が手を差し伸べてくれたり、後押しをしようとしてくれたが
やはり、その辛さを消化して、自分のものの一部として受け入れ、
それを乗り越えるのは自分しかないという事も、気づいたし、
反対に楽しいことや、幸せなことは、スペシャルな事、特別な事、
非日常的なことと思っていたところが、それまではあったけれど、
毎日の日常的な、普通で当たり前と思えるようなことが幸せと気づけたから、
それから、今までこの世界でたった一人でいいから、自分と通じる人と会いたい、
「○の片割れの人と出会って○になりたい」と思っていた人と出会い、
すっかり精神的に落ち着いてしまったことも大きいのかもしれない。

話がそれてしまったが、「物差し」の話である。
私の「ものさし」は固定概念が強く、厳しいな~と、
最近優しい「ものさし」の人を見て、気づかせてもらった。

でも私は自分の中の「厳しさ」は嫌いではない。
「礼儀」「挨拶」「時間」「言葉使い」「掃除」など、
やはり固いようでも、大切なことだと私は思っていて、
人がどうしようが勝手だけれど、自分はその「厳しさ」のものさしを
自分にあてて、生きていきたいと思う。

「凛」とした美しさを持つ人種として
「日本人」は一番その美しさが似合う人種だと思うのである。

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逆行や逆戻りは自分を見直すチャンスの話
昨日の雪が、今日はお日様でとけて、ぽたぽたと水滴を落としていました。
東京の方でもすごかったようで、新幹線や空港などでも、かなりの人の足に
影響があったみたいですね。

そんな中ロシアのソチではオリンピックですね。
日本の方が寒いのでは?と昨日はテレビを見て感じるほどでしたが・・・

今日好きな石井ゆかりさんの占いを読んでいると、
7日から水星が逆行をしているのだそうです。

「物事の進み具合が何となく、ゆっくりに感じられるかもしれません。
既に決まったことが差し戻しになるとか、
既にやったはずのことがやり直しになるとか、
そんな動きも生じやすい時です。」
なのだそうです。

そして、水星は12日に水瓶座に逆戻りするタイミングで、
なにか「見直す」ことが出てくる可能性もあるのだそうです。

11日に何年ぶりかに、心の勉強の師となる人に会う予定なのです。
ボランティアでカラーのイベントをするという相談で、急に連絡が入り、
その日はちょうど私も空いている日だったので、手伝いに行くことになり、
その前の打ち合わせで11日に会うということがトントン拍子に決まりました。

これは体調を崩す前に決まっていたのですが、
私の中では、その人と会う時には、何か自分が脱皮するような機であったり、
何か自分の中にわだかまりがあり、何かもやもやしているような時が多く、
そういう時に必ず連絡があるというご縁だったので、
今回は何もないのにな~と思っていたのですが、
何だか今日石井ゆかりさんの文章を読んで、
もしかしたら「見直す」ことがあるのかな~と感じてしまいました。

毎日の生活で、その生活のリズムに乗って生きているうちに、
問題と思っていたことを「まいっか!」と流してしまったり、
何か自分での中で気づく事を、そのまま見て見ぬふりで忘れてしまったり、
そういう普段の生活の中で、視点を向けないままに、そのままにしていることが
結構あると思います。

今は全然その見直すことに対して思い浮かばないのですが、
その人に会って話すと、何かきっかけとなり、
(例えば、湖に小石を投げ込むと、波紋が広がるような)
何か見直すことができて、隠れた問題に気づき、解消できたら
そこからまた何か始まるもの、変化することがあるような気がします。

逆行とか逆戻りとかというと、悪いことと思いがちですが、
そこで見落としたことを、見直して、きれいに拾い上げる作業ができたり、
自分の中のしこりを見つけて、解消できるチャンスのタイミングと
考えると、決して悪いことではなく、有難いことなのだと思います。

人間何度も何度も、繰り返し繰り返ししたことだけが、
きっと本当に身につくのだろうと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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雪の話
ソチオリンピックの開会式でしたね。
日本選手に本当に頑張っていただきたいものです。

私の住む町は本日雪が積もっていました。
雪に全く慣れていない町では、いたる所で交通事故が発生し、
ダイヤは乱れ、喜ぶのは子供ばかりという感じでした。

近所の公園では、子供たちが朝から雪だるま作りに精をだし、
いくつかの雪だるまが並んでいました。

雪国の方々の「雪かき」の大変さを少し実感できた日でした。
一人暮らしのお年寄りなどは、重労働で毎日の事となると
本当に大変な作業だろうとつくづく思いました。

ほんの先週まではあんなに暖かったのに~と思いながら、
それでも毎日日が長くなるのを感じ、立春を迎えたことを
少しは感じられるような気がしていました。

それでも、こんなに積もるほどの雪は本当に驚きという感じでした。
温暖化なのでしょうか?
春と秋がなくなり、夏と冬が長くなっている気がします。

1月2月の冬の時期は、いつも椎間板ヘルニアが痛みだすのですが、
今年はカイロを貼っているせいか、調子を崩しません。
最近は仙骨にカイロを貼っています。
椎間板は腰椎なのですが、なぜか仙骨に貼ると、とても楽になります。

腰痛でお悩みの方、カイロを一度活用していただいたら、
もしかしたら少しは楽かもしれません。

全国に寒波襲来で、雪が降った所も多かったと思います。
そして気温の差で、体調を崩されている人もいるかもしれません。
あたたかくして、今の時期はいつもよりも体力を消耗しますから、
オリンピックも気になる所ではありますが、
「くう・ねる」をいつも以上に大切にいたしましょう。

読んでいただいてありがとうございます。
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モデムと私の体が壊れていた話
やっとつながった~~!!!
モデムが壊れてしまい、この数日インターネットが使えない状況でした。
+私の体も壊れてしまい(苦笑)インフルエンザBになっていました。トホホ・・・

あれだけ予防したんだけどな~。
仕事で一日の内、長時間一緒にいる人がかなりひどい体調不良で、
休まず、そして病院にもいかず、そしてマスクもせず、帰って休んでくださいと言うと
「大丈夫。ありがとう。」と言いながら、ずっといたので、
きっとその人がインフルエンザでうつったのだろうと信じて疑わない私であります。

でも体調不良の時は、学校であれ、仕事であれ、また集会など人が集まる所へ
赴くことは控えたほうがいいと、つくづく思いました。

自分は大丈夫と思っても、周りは大丈夫でない時が多いのではないかと思うのです。
ここ数日とても寒い日が続いていて、免疫がただでさえ落ちている時に、
菌をばらまかれてしまうと、やはり感染してしまうと思います。

またお年寄りなどは、肺炎になりやすくなりますので、命にも係わります。
自分が大丈夫というのは、結構自分中心で自分勝手な行動なのだと思います。
どうしても休めない仕事等もあると思いますが、その時無理したせいで
長引かせてしまい、自分もしんどく、周りにも感染させてしまえば、
仕事の効率はもっと下がってしまいます。

私はちょうど連休だったのと、熱もまだ出ていない状態で、でも何か変と思い
すぐ病院に行って検査してもらい、リレンザをもらい、すぐ吸入をはじめたので、
最高体温で38度、それも一日だけで、次の日は平熱に戻りました。
ただ、のどがやられていたので、ちょっとそれは数日しんどかったですが、
それもよくなりました。

病院でもかなり熱が出ると言われて、今までもインフルエンザになった時は
40度近く出ていたので、少しはプラズマ乳酸菌が効いているのだろうか?とも
思ってしまいました。

ちょうど今急に寒くなり、免疫も落ちる時期です。
どうぞみなさんも、インフルエンザにはご注意ください。

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自分を救うのは過去の自分?の話
明日は節分です。
旧正月にあたる節分ですが、私はお正月の1月1日よりも
この旧正月である節分の方が、新たな年明けの感じが強くあります。

実際周りを見渡しても、この節分をきっかけに節目を迎えるような人が
多くいることに気づきます。
仕事で2月に転職をする人、
長く携わっていたプロジェクトに区切りがついた2月に仕事を辞める人、
あるいは節分を過ぎて、家の商売の跡目をつぐことがきまった人。
きっちりと2月ではなくても、何か変化というか、節目になり、
新たな時期へ突入していく感覚が私には強くあります。

1月は新たな時期への準備期間となり、
体にたまったもの、あるいは心にたまってものの浄化作用が起こりやすい
そんな時期でもあると思います。

実際最近訃報をよく聞きました。
この世から去っていくということは、残される人にとっては寂しいことですが、
本人にとっては、新たなステージ、または新たな世界への変化の時期を
体験しているにすぎないのかもしれません。

私もあと少しと言う所で、軽い風邪をひきました。
今年は何もないかと思っていたのと、予防をしっかりしていたのですが
浄化が必要だったのかもしれません。

昨日、40代と20代(と言ってももうすぐ30歳)という二人の経営者(男の人)と
話をする機会があり、色々とお話を聞きました。

人間年(肉体年齢)ではないと痛感するとともに、
やはり20代は20代の時に、40代は40代の、経験であったり、
学ぶべきことであったりするな~と思ってしまいました。

若さというものは、やはりそれだけで大きな財産でもあると思ってしまいました。
怖いもの知らずということ、そして勢いがあるということ、
この2つはやはり20代から30代の大きな財産であると感じました。

自分のことを振り返っても、20代はただただがむしゃらの頑張っていたという感じです。
でも世間を知らないといえばそれだけですが、
根拠のない自信と、そのモチベーションを行動にうつすエネルギー、
そして、世間知らずであるからこそ、怖いもの知らずで突進できる勢いが
あったような気がします。

一生懸命、模索しながら、できるだけ経験をたくさんするようなそんな時期だったような
そんな気がします。

そのただの体験だったことを、咀嚼して、取捨選択して、
自分の内に落とし込んでいく作業をしていくのがやはり40代であり、
深みであったり、物事への洞察力が身についてきて
いい意味でも、悪い意味でも、自分というものが確立されてきて、
模索の仕方も、色々な話を聞いたり、出来事が起こってきたときの
芯は一切ぶれなくなるような気がします。

それは肉体年齢ではかるものではないと思うのですが、
20歳まではやはり親の庇護の元生きていることが多く、
また学生として学ぶ人がほとんどです。

20代に初めて社会に出ていきます。
社会人としてはお子ちゃまなわけです。

仕事と学校での勉強は全く違うことだと私は思っています。
もちろん、研究や専門のことの仕事につくことは別としても、
暗記よりも、自分で色々なことを段取りしたり、
教えてもらうのではなく、自分で見つけて身に着けていったり、
学校では受け身であったものが、そうではなくなり、
お金を払って勉強していたのが、反対にお金をもらって仕事をするのですから、
20歳までとは全然違う世界なわけです。

つくづく思うのですが、この20代の時の過ごし方はとても大きいと感じます。
やはり、心が折れそうになる時や、自分の未熟さを痛感して逃げ出してしまう事、
学生の時からの延長戦で、責任転嫁を自分以外の人にすることで自分を守ろうとすること
または、社会人になって「自由」を満喫し、エンジョイすること
それは色々な事がある時期でもあると思います。

でもこの20代に、歯を食いしばって、頑張りぬいた人。
周りが遊んでいても、仕事であれば仕事をしっかりと時間とエネルギーをかけてした人、
紆余曲折ありながらも、色んなことをバネにして、負けるもんかと頑張れた人は
自分では気づかないうちに、心を育てているのだと思います。

筋肉をつけたいと思ったら、必要な栄養分をとって、時間とエネルギーをかけ
実際に行動をしないと筋肉は育たない様に、
心も時間とエネルギーをかけ、そして行動・・・経験によってしか
育たないのだと思ったのです。

いつも楽な方楽な方へ行く人や、うまく立ち回って上手に生きている人も
それは才能だと思いますが、20代にはまだわからなくても、30代、40代と
年を重ねていくうちに、中身の薄いメッキのような内側が露呈していきます。

また、自分は自分の憧れるような人たちといくら縁を結ぼうとしても、
高見から下を見ると、すべてお見通しなように、
レベルの高い人たちからは、いくら取り繕って自分を着飾ったところで
全て見抜かれてしまい、相手にされません。

その中で20代、30代の生き方は大きいのではないかと思ってしまったのです。
いくら誰かに話を聞いても、やはり自分の経験値です。
一見は百聞にしかずといいますが、体験ということは大切です。

それぞれの捉え方、どこからの目線で見ているか、どんな信念をもっているかで
同じ体験でも全然違うという話はよくしますが、
体験自体も大きなことなのではないかと感じました。

その時はわからなくても、あとでわかることは多いものです。
ただただがむしゃらに、自分の意向とはちがうことであっても
与えられたことをただただ一生懸命することは、大切であり、
それが、後で気づくと、自分の自信につながることも多いと思うのです。

反対に楽をしようとばかりしていた人、甘えるばかりしていた人、
自分の能力を磨くよりも、能力のある人とつるもうとしていた人、
人を批判ばかりして、自分には甘い人は、
頭を打つことなく、年を重ねた時はとても残念なことになります。
本当に肉体年齢が年をただ重ねるだけで、精神が幼いままなのです。

人間、状況がよくなると寄ってくる人はとても多いです。
状況が悪くなったり、何か壁にぶつかったりしたとき、離れる人もいます。
その中で、手を差し伸べようとしてくれたり、力になろうとしてくれる人はいるでしょうし、
きっかけをつくってくれるかもしれません。
でも自分を救うのは、やはり最後は自分なのです。

天は自らを助くるものを助くとありますが、本当に最後は自分が頼りなのです。
その時に頼りにできる自分とは、やはり過去の自分の事も多いと思うのです。
正直に生きた自分であったり、頑張れた自分であったり、
20代、30代でできなかった人も、気付いたその日から、
自分を救うことができる後押しができる自分作りをすると、
今後の人生において、助けてくれる日が必ずあるのだと思います。

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