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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
季節の変わり目の話
7月が終わります。
26日に新月を迎え、土用の時期を過ぎると、
新たな季節の始まりです。

簡単に『土用』の意味を説明すると
『土用』とは四立(立春、立夏、立秋、立冬)の前、約18日の期間のことです。

一般的な『土用』 は
立春(2/3、4、5のどれか)の前約18日間
立夏(5/4、5、6のどれか)の前約18日間
立秋(8/6、7、8のどれか)の前約18日間
立冬(11/6、7、8のどれか)の前約18日間

この土用というのは、“五行”で定められた暦で、
五行とは、木行・火行・土行・金行・水行。

春  木気 (1~3)月  
夏  火気 (4~6)月  
秋  金気 (7~9)月 
冬  水気 (10~12)月 
それぞれの季節の終わりの18日 土気
になります。

土用の期間はその季節を終了するにあたって、その季節の疲れを取り、
次の季節への準備をする期間が土用の時期にあたるということを
書いてあったような気がします。

ですから、土用の丑の日は、鰻を食べて栄養をつけましょうと
いうことなんだと思うのですが、
この期間は、体も心も、その季節の疲れが出やすかったり、
それを解消する期間というイメージが私の中にはあります。

今回私はまさにまさに、肌にその浄化が出てしまいましたが、
これをきっかけに、ちょっと肌に対してもう少し気を使おうと思い、
いい皮膚科を見つけて、化粧品なども販売したり、施術もしてくれるので
これからすこしケアをして、あの時肌がボロボロになったから
あれからケアするようになって、きれいになってよかったと
思えるような、今回チャンスに変えようと思っています。

まぁ、毎日暑い日が続き、疲れも出やすいですが、
季節の変わり目である今、しっかり浄化したり解消して
新たな季節にはリフレッシュして、スタートをきれるようにしたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
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浄化?の話
浄化作用なのか、顔がひどいことになってしまいました。

前回のブログで蕁麻疹というか湿疹が顔に出て、皮膚科に行った話を
書いたのですが、そこで塗り薬と抗生剤をもらったのですが、
抗生剤は副作用で飲むとふらふら、くらくらしてしまい、
塗り薬も塗っていたのですが、どんどんひどくなり、
範囲も広がり、化膿して膿みがでてくる状態で、
痛いし、かゆいし・・・

以前、湿疹出たときに良かった皮膚科(アレルギー科)に行き、
漢方薬と抗炎症剤をもらい、そして軟膏をもらって、
化膿はおさまったものの、ひどい状態は変わらず・・・

そこで思い出したのが、心の勉強の師だった人が
顔だけではなく、全身皮膚に湿疹が出て膿がでていた時期が
あったという話。

その人の場合は、根本的な所からということで、食生活を変え
玄米食にして、一切肉と砂糖をとらない、マクロビオティックにして
治ったと話していました。
それは肉体の話で、
内面、そして魂的には、すごい浄化期間だったと言っていたのです。

詳しくは話を聞いていないのですが、
言葉通り「膿み」が出て、そのあとすっきりとしてくれたらいいなと
思いつつ、
最近の自分を振り返って、生活態度、食事、
また、自分の思いや波長などどうだったかを考えています。

やはり考えると、色々と心当たりのある面もあり、
規則正しい生活と、野菜中心の食事、
また、目の前の事を一生懸命して、あれやこれや考えを巡らせ、
自分以外の他者の人生に対して、批評家になっていたな~と
反省して、批評していた所を自分に置き換えて、
自分の内側を見ていこうと思ったりしていました。

それでも、やはり歯といい、肌といい、
健康な時は全然気づきませんが、調子悪いと
こんなにしんどいものなのだなと、つくづく感じています。

肌にかんしては、疲れから免疫が落ちていたと思います。
いつもは平気なのに、免疫が落ちると、病気になったり、
身体の不調に直結します。

一気に気温も高くなり、夜も寝苦しい日が続きますが、
しっかり塩分と水分をとって、睡眠をとって、
免疫を落とさないよう心掛けて、この夏を乗り切りたいと思います。

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ストレスの話
今、歯の治療をしておりまして、
薦められて前歯をきれいに差し歯にすることにして、
仮歯を入れてもらったのが、1週間前。

これが、合わなくて合わなくて、
違和感がすごいし、噛み合わせが悪いから
話しにくいし、食事は前歯が揃ってないから、
ものが噛みきれず、本当に気持ち悪くて仕方なかったのです。

それでも仕事があるため、すぐ歯医者にも行けず
1週間、目が覚めている時は常にその歯が気持ち悪くて、
噛み合わせの関係か、食べたり話してると他の歯が響いて
それを補うために、首をいつもと違う向きにしたり
動かさないようにしていたからか、すっかり首がこり
そして頭痛にもなり・・・・仕事忙しくてくたくた
という日々を過ごしていたら、
ストレスなんでしょうね~。

胃がキリキリ痛みだし、今日起きたら顔全面が
花畑のようにじんましんが出ていたのです。

そして今日、歯医者⇒皮膚科に行きました。
歯は修正してもらい、数ミリでもこんなに違うのかと
思うほどに、楽になり、
皮膚科に行くと、やはりストレスだと言われました。

感情と自律神経、ホルモン系、そして免疫系が相互に
関連しあっているということは、よく知られていることですが、
自分でも、肉体の負荷がこんなにメンタルヘルスに出るんだと
とても実感することができました。

以前、アロマセラピーの授業では、
女性にダンベルをもって40分間正座してもらう実験で
唾液を摂取して、免疫グロブリンの量を測定して、
負荷をかけることで、免疫がおちることを紹介していました。

先日友達がテレビでしていたと、同じように
負荷をかける実験(洗濯バサミではさむ)で
血液検査をして、その数値が全然違ったという事を
話していました。

心身一体なんですね~。
自分自身で本当に実感しました。

私はストレスを気づきにくく、体に出ることがよくあったのですが、
最近はなかったので、まあ今回もストレスを感じまくっていたけれど
仕方ないと思っていたものの、これほどまでに感じていたんだと
真っ赤な花畑のような顔を見て思いました。

夏は暑いし、やはり快適ではない状況でいることも増える時期です。
免疫が落ちやすい季節とも言えます。
その時こそ、ゆっくりと体を休めたり、
自分のストレスの原因がはっきりわかっている時には
それを軽減する努力をするのも必要なのかもしれません。

私はやっと歯が違和感がなくなり、噛み合わせもよくなり
ストレスから解放されました。
後は皮膚科でもらった塗り薬をぬりぬりして、顔の炎症を
おさめることに努めます。

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お母さんの話
「母親は明るくなければならない
母親は清らかでなければならない
明るさ、清らかさを浴びて、いい子は育つのだから」
by 丹波あじさい寺(明日を生きるための日めくり)カレンダー

今の時代ではありませんが、神風特攻隊員の残した遺書には

「僕はもう、お母さんの顔が見られなくなるかもしれない。
お母さん、よく顔を見せて下さい。
しかし、僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。」
「お母さん、僕が郡山を去る時、自分の家の上空を飛びます。
それが僕の別れのあいさつです。
茂木少尉 遺言」

「父ちゃん!母ちゃん!
 我一生ここに定まる。
 お父さんへ、いふことなし。
 お母さんへ、ご安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。
 お母さんの子ですもの。
____それだけで僕は幸福なのです。
 日本万歳、万歳、かう叫びつつ死んでいつた
幾多の先輩たちのことを考へます。
 お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!
かう叫びたい気持ちで一杯です。何か言つて下さい。
 一言で十分です。いかに冷静になつて考へても、
何時も何時も浮かんでくるのは御両親様の顔です。
 父ちゃん!母ちゃん!僕は何度もよびます
   (中略)
 「お母さん、決して泣かないで下さい」
 修が日本の飛行軍人であつたことに就て、
大きな誇りを持つて下さい。
 勇ましい爆音を立てて先輩が飛んでいきます。
 ではまた。
富田 修中尉」

泣けます。 

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すべては一つの話
「色即是空 空即是色」の世界。
これはどういうことか、きっと色々な意見や解釈があるでしょう。

私は、
ブッダの「天上天下唯我独尊」
マザーテレサの
「結局はすべてがあなたと内なる神とのことなのです。
 あなたと他の人との間であったことは一度もないのです。」
という言葉を思い浮かべます。

この世の自分の目にうつるものは、すべて夢幻。

それを映しているのは、自分の内なるもの。
自分の宇宙の中では、唯一自分自身、
つまり、自分の目の前に起きてくることは、すべて自分の一部であり
自分の意識(無意識)の反映、自分のひとかけら、であり、
分離して見えているのは、錯覚ということになります。

そう考えると、すべては自分の世界。
この世の自分の目にうつるものは、すべて夢幻とも言えます。

自分の意識の反映は、きっと短いスパンだと分かりにくいけど、
長い目で見たら、自分の思いがそのままの現実になっていると
ふと気づくことがあります。

また、他人の行動のことを嫌ったり、批判していたりすると、
その後に、自分が他の事で注意を受けたり、中傷されることもあります。
なぜ注意されたのかと考えていると、同じような感情や思いを
出していることもあります。

自分の目の前にあるもの、人、出来事すべてを自分に一部とみていくと
色んなバリエーションをともなって、現実が起こってきますが、
自分の思いや感情が「因」となって、「因果応報」の法則にそって
自分に訪れていることがわかります。

自分の内にないものは、外にも見えませんから、
嫌っているのは、自分の内で許しを求めている自分の一部であり、
批判しているのは、自分の一部を認めてないことであり、
また外的要因ばかりに目を向けがちですが、
本当は内的要因が原因だということがわかれば、
「自分ではどうしようもできない」と思わなくてもよくなるわけです。

すべてを自分の鏡として見ると、
今までの目に映っていたものが、
全く違って見えるかもしれません。

また、すべてが自分の一部という実感がわくと、
愛おしさが強まるかもしれません。

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被害者と加害者の話
自分を守るための手段として、
相手や、自分以外の人のせいにして、
自分を「被害者」にしてしまうという方法があります。

被害者意識を持っていない人は、いないのではないでしょうか?

「悲劇のヒロイン」
「悲劇のヒーロー」
の面を誰もが持っていると思います。

幼少期などは、家や学校のルールを押し付けられ
大人の言うままに、自分を抑え耐えているという事があるし、
大人になったところで、社会で働くと理不尽な事があったり、
人間関係を築くために、社交辞令をする必要があったりします。

また、想像できないような言動や行動をする人もこの世にはいて、
非のない事で嫌な目にあうこともあるものです。

ただ、同じ出来事があったとしても、人それぞれとらえ方は違うものです。
被害者意識の強い人は、どんな出来事でも、
「○○のせいで、私が我慢するはめになった」
「本当はしたくなかったのに、私ばかり」
「なんであんなこと言われなきゃいけないの」
というように、すべてが自分を被害者にする出来事にしてしまいます。

そうすることで、自分が楽になるならいいのですが、
結構相手への怒りや批判の気持ちが増殖していたり、
なかなか自分自身が苦しそうです。
絶えず、誰かを責める気持ちがあったり、
許せないというような怒りを秘めていたり、
その思いで、自分自身を苦しめているように思えます。

昔、お金の事で嫌な目にあったことがあります。
今思うと、自分の甘さと、相手への信頼というよりも
相手の自分への心象をよくしたいという計算があったのですが、
相手の色んな言葉から、困っているのを少しでも楽になればと
私にとってはかなりの大金を貸しました。

返す、返すという言葉と裏腹にそのお金は結果返ってきませんでした。
お金よりも、その相手の人間性に対して、腹が立って、腹が立って、
恨みがどんどん募ってきて、絶対許さないというような気持ちに
なっていました。

毎日何をしていても、その恨みと怒りが自分の中に燃えたぎり、
イライラ、イライラしたり、悔しくて周りに対してもギスギスしたり、
いつもそんな気持ちでいるので、ミスしたりしてさらにイライラ、
その頃は、全然関係ない自分の仕事や日常生活の事で
少しでもうまくいかないと、全部そのお金を貸した相手のせいと
責めていたところがあります。

そんな生活をしていると、夜も目が覚めて眠れなくなったり、
本当に自分自身が苦しくなって、もちろん相手にも
お金を返してほしいと、責める言葉も並べたり、
約束を守らないことや、嘘ばかりつくことを怒ったりしていました。

もう絶対許さないという恨みが増殖していき、
絶対お金を返してもらうまで、相手を追い込んでいこうと
そんな気持ちにまでなってしまった時には、
自分自身がもう辛くて、苦しくて、どうしようもなくなっていました。

でもそんなある日、ふと気づいたのです。
自分が嫌な思いをしたそのお返しを、私が相手にする必要はないのだと。

私は、きっと私の過去の行いの因果応報で、今の事態が起こっているだけで、
相手は私が何かをしなくても、今の事が相手の未来に「因果応報」で
返ってくるのだと。

そう思うと、これで私は相手のおかげで、一気に「浄化」をさせてもらえたと
心が一気に軽くなって、「浄化」がお金でよかったとすっきりして、
その後相手に何を言ったかは覚えていないけれど、
お金の事はもう返さなくてもいいという事を伝えて、
相手のこれからの人生に対して、エールを送り、終わったような気がします。

被害者がいるということは、加害者がいるということです。
自分が被害者ということは、相手を加害者にしているということです。

自分を主役として、自分の人生を考えた時には、被害者ではなく
ドラマの中のアクシデントのようなものに過ぎず、
悪役を演じてくれている脇役が出てきても、
その出来事に対して、被害者ではなく、主人公として
その出来事によって、どのように受け止め、そして行動し、
そしてそこから成長して、今後展開していくのかということが
おもしろいのではないかと思うのです。

わざわざ相手の人生の脇役として、自分が被害者として
相手の人生のドラマ出演する必要はないのだと思います。

もし、誰かに嫌な思いをさせられたと思っている人は
大丈夫です。その人には今後の人生でその見返りが返ります。

それ以上に、自分は大丈夫ですか?
嫌な思いをさせるような事を言ってないですか?
自分の私利私欲や不道徳の心で、だれかを苦しめていませんか?
それも、自分に今後返ってきます。

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時間の話
Time is Money.
時は金なり、という言葉がありますが、
実際に、時間はお金になっていることは日常的によくあります。

例えば仕事にしても、時給、日給、月給とありますが、
時間=いくらという計算において成り立っていることが多いですよね。
言葉通り、まさに時は金なりということです。

また時間単位での料金のものも多いですよね。
例えば、アロママッサージ1時間いくらとか、
以前していた心の勉強会にしても、時間単位での料金でしたし、
自分自身も、カウンセリングも、時間単位の料金設定をしていました。
カラオケや、レジャーでも時間単位での料金は多いですね。

そういう生活の中で、どうしても時間単位で測ってしまう癖がついてしまいます。
どれだけの時間を費やしたのか、で測ってしまうということです。

仕事にしても、時間が長ければ、給料が高くなることがあったり、
自分が支払うことにしても、時間単位のものだと、
長く利用すればその分お金がかかるという計算になるわけです。

本当にそうなのでしょうか?
先日テレビで業績を伸ばしている企業のドキュメンタリーをしていましたが、
6時を過ぎると、学校の先生のように、各部署を回り、残業をしている人たちを
見回って、早く帰るように促している人がいました。
最近では、NO残業で効率をあげて、業績アップをはかる企業が増えていると
その番組では紹介していました。

またこれは雑誌(日経ビジネスだったかな?)を見ていて、
女性の中間管理職の特集のページで、
家庭があり小学生の子供2人のお母さんでもある女性管理職は
出張もしないし、土日は休み、残業もしないという状況でしたが、
業績の結果は彼女が管理職になってあがっているとのことでした。

私のパートナーは自分で会社をしているのですが、
彼自身も一営業として、走り回っていますが、
彼の業界では、一人1か月500万売ればトップセールスと言われる中
彼の会社の営業の半分以上が、毎月ではありませんが
一年に何回も1か月1000万売り上げる人たちで、
彼自身、社長業(経理を含めお金のことや付き合いなど)
一人で最高で1か月1500万以上の売上をあげていました。

なのですが、彼の会社は一切残業がないのです。
終了時間ピッタリに皆早々と帰宅していきます。

女性の中間管理職の人と、パートナーは同じような事を言ってました。
時間に管理されるのではなく、自分が時間を管理する。
どれだけ有効に効率よく時間を使えるか、時間配分を考える。
誰もが24時間しかないのだけど、
その24時間は使い方によって変わってくる。
というようなことです。

まぁ、私は時間の使い方がそんなに上手ではないので
えらそうに言える立場ではないのですが、
私が言いたいことは、時間で測ってしまいがちだけれども、
本当はその中身が大切なのではないかということなのです。

上の話とはちょっと意味が違ってきますが、

マザーテレサの言葉で
「いかにいい仕事をしたかよりも
どれだけ心を込めたかです。」
という言葉があります。

以前心の勉強で、
「どれだけたくさんのことをしたか、
どれだけ時間を使ったか、
ということにばかり意識を持っていきがちだけれど、
本当に大切なことは、
どれだけ自分の思いをのせたか、
どれだけ自分の愛をのせたかということです。」
という事を言われましたが、同じですね。

何事も時間や期間などで、ついつい考えてしまいますが、
本当はその中身なのだということです。

でもこの「時間」本当に救われることもあります。

辛い体験をしたとき、この苦しくて辛くて救われないような気持ちが
永遠に続くような気になってしまいます。
そして、その傷が大きくて深ければ、心が痛くて
その時に癒そうと頑張ってみても、全然効果がなく
もう二度とこの傷は癒えない気持ちになることがあります。

その傷を「時間」は癒してくれます。

また、「腑に落ちる」という言葉がありますが、
何かを習ったとして、頭でわかったつもりでも、本当に理解して
実際に自分のものとするまでは、時間が必要です。

食事をしてすぐに、それが自分の血となり肉とならないように、
心を揺るがす出来事があってから、自分の体験とするには、

何かもやもやとしたことがあり、一生懸命考えてもわからないことの
その答えを自分の中が熟成させていくには、

心のことについて何かに気づいたとしても、
それを消化吸収して、それを自分の中に受け入れ育むには

「時間」が必要です。

私はガーッと勉強したり、何かを習ったり、むさぼるように本を読んだり
する期間があるとすると、
その後、何もしたくなくなって、本当に何にもしないぼーっとした時間や
眠くて仕方なくて、寝てばっかりの時間を過ごしたりします。

また、若かりし頃は、自分では出歩きたいし遊びたいのですが、
散々出歩きまくり、遊びまくり、家には寝に帰るだけの生活の後に、
自分の意思とは裏腹に、足をとめられるように、色々な事情が起こり、
出歩けなくなり、じっと立ち止まらされるような事がありました。

今振り返ると、起こった出来事を本当に自分の体験にするために、
またインプットしたものを、振り分け、自分の心の血と肉にするために
やはりそれを消化吸収して、自分のものにする時間が必要なのだと思います。

この「時間」
あなたはどのようにつきあっていますか?

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自分が変わると相手も変わるの話
今日久々に何年ぶりだろう?という人から連絡があり、
サクサクっと会う事に決まりました。

同じ年で、私の家が大変だった時
(母がうつ病から度重なる自殺未遂を重ねたり、
兄はある日突然嫁からの一方的な離婚訴訟を起こされ、
また、自分の会社のお金を全部持ち逃げされて、参っていたり、
父はストレスから、糖尿病を悪化させていて絶不調の状態から
母のALS、父のすい臓がんが同時期に発覚し、余命を言い渡され
そこからの闘病生活の付添の日々と別れ・・・その後の供養)
の間、同じ会社で働いていて、別々のブランドで
私が店長、彼女が店長兼チーフの関係で、
本当に私が大変だった時に、裏で仕事の面でもカバーしてくれ
私の精神的な支えにもなってくれた、
私の中では恩人と思える人なのです。
家族ぐるみで、本当に助けてくれたご縁のある方です。

人生において、このような試練と思えるような時に
私は必ず、救いの手を差し伸べてくれる人が現れます。
本当にありがたいご縁だと思います。

彼女のお母さんが、また本当に素敵な人で、
肝っ玉母さんというように、肝も据わっているし、優しいし、気遣いもあり
そんなお母さんの元で育った彼女も似ているところもあり、
また出来たお母さん過ぎたための、彼女の不幸な所もあります。

言葉で話さなくても、自分の欲しいものをすっと差し出されたり、
自分の思いをくみ取って、何でもしてくれていたお母さんの元で育ったので、
仕事において、部下に対して「なんでわからないんだろう?」と
よく悩んでいて、話を聞くと相手に何も言ってなくて、
「そりゃ、言葉で伝えないとわからないよ~」とよく言ってました(苦笑)

また、彼女は問題児の妹がいた事もあり、
両親のいうことをよく聞く「いい子」でいたのだそうです。

彼女は傾向的に薄いですが、
彼女以外に出会った「いい子」の人の共通点は、
自分が他人にコントロールされていると思っていると
(実際には、他人に対しての何らかの思いから、
自分で自分をコントロールしているだけなのですが)
自分が他人をコントロールできると思っている人が多いですよね。

これは他の人のエピソードですが、
すごく真面目な「いい子」で生きてきて、自分が子供を持った時に、
自分が子供であろうとコントロールできないことに、癇癪を起こし
その子供が悪いと怒り、「全然かわいくない」と罵った話を聞きましたが、
相手主体で考えるとそうですが、
自分主体で考えると、
「他人は子供であっても、コントロールできないんだ。」
「自分の思い通りに、他人をすることなんてできないんだ。」
とわかるのにな~。せっかくのチャンスなのにな~と思ったことがあります。

でも、結構親からの呪縛を自分で自分に課している人ほど、
他人に対して、自分がとても影響があるとか、
影響どころか、他人の事を変えられると思っている人がいます。

だから、他人が変わらなかったり、自分の思い通りにいかないと
それがストレスになったり、怒りになったり、自信喪失になったりします。

他人は変えられないのにな~。
ましてや、他人の人生を自分の思い通りにできると思ってること自体
自分では「優しい」「親切」と思っている人もいるのでしょうが、
はたから見たら、何とも自信過剰な人だな~と思ってしまいます。

もし誰か他人を変えたいと思っている人がいたら、
自分がその他人に対して何を言ったか、したか、どんな思いを送ったかを
よくよく考えてみてください。

相手主体で、何を相手が言ったか、何をしたかに視点を注いで、
どういうつもりだったんだろう?とわからないことに、
エネルギーを使いがちですが、消耗するだけで、なにも変わりません。

反対に自分の心、言動、行動を見直してみると、何を相手にしたかがわかります。
大体嫌いと思っている人に対しては、結構自分もやってます。
それに気づいた所で反省して、相手に対して心から詫びるのです。
そして、二度としないという決意をするのです。

私の場合、これをしたら、その詫びた直後にその相手からメールがきて
「今まで、色々言ってごめんね」と言われたり、
直接的な謝罪の言葉ではないけれど、数日以内に連絡があり、
関係が一気にいい方向に向いたことがあります。

謝ってくれた人は、私の今まで生きてきた中で一番大嫌いになった人で、
周りから見ても、私への理不尽な言動、行動は
目に余るという人だったのですが、
一方的な関係って人間関係ではないんですよね。
私も結構なマイナスな思いを送っていたり、無意識で嫌な言葉を使っていたり
よくよく見つめたら、出てくるわ、でてくるわっ
私ってひどい奴だな~て感じでした。
また、認めたくはないけれど、自分にも相手の嫌な面があり、
それを相手が見せてくれているだけだという所にも気づきました。

自分が変わると、相手も変わるというこの体験はとても大きかったです。

やはり同じ波長のものを引き寄せるし、
また自分が変わることで、重なっている縁にもそれは届くということですね。

というか、本当に自己中心的に考えると、自分のある面をみつけるために
脇役として、自分の人生という舞台に悪役として表れてくれて、
そのおかげで自分を見つけて、それが狙いだったから、それがわかれば
その脇役の出番は終わり!という事だと思います。

その大嫌いだった人も、仕事関係で知り合ったのですが、
私に執着して離そうとしてくれず困り果てていたのですが、
一気に円満に離れることができて、今はきれいに縁も切れました!

興味ある方は、是非自分を振り返ってみてください。

読んでいただいてありがとうございます。
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あなたはあなたであればいいの話
タイフーンがものすごい勢いで迫っております。
風と雨、浄化といえば浄化なのでしょうが、
各地で被害が少なくすむことを願うばかりです。

昨日は七夕でしたね。
でも私はずっと旧暦の8月に幼い頃から七夕をしてきたので、
この7月7日の七夕がピンときません。

お雛様も3月ではなく4月でしたし、
お正月も未だに節分がきて、新年だ!という感じがします。

意識的なものなのか、幼少期の刷り込みなのか、
はたまた、自分の波長なのか・・・わかりませんが、
旧暦の方が私には合う感じがします。

月の満ち引き、太陽の動き、等々、
人間の心身ともに影響を与えるものですが、
光があれば影があるのが当然なのですが、
たまに、光しか肯定せず影を完全に無視している人がいます。

極端な「ポジティブシンキング」の人です。
とても不自然で、むりくりいい事にして話すので、支離滅裂なうえに
言葉は「いい事」として話しても、表情、しぐさなどからは「負」が漂い
また、自分の世界を半分しか認めていないようなものなので
その人の言葉にも信用性が薄くなってしまいます。

「ポジティブシンキング」であれば、前向きで、いい言葉を発していたら
もちろん、その言葉に心とかエネルギーが同じように乗っていたら
本当に実現できることも多いとは思います。

でもいきすぎていると、自分を振り返れなかったり、
他者から見てわかることで、自分では気づいていない事が多かったり、
何もかも、自己解釈でいい事として思いこんでしまい、
悪い部分に目を向けてでも、解決しなければならない問題も
出来事の良い側面しか受け止めず、現実逃避してしまう事があります。

また、私の知り合いの中では、
いつもポジティブで「自分はツイてる」「言った事が実現する」と
自分に起こることはすべて良い事として話す人がいましたが、
家庭(特に夫)に対しては、ちょっとした事で泣きまくったり、
感情的に怒ったり、神経症のような心配性な面を出していて、
そのだんなさんが、あまりの表裏の違いに
当初困惑していた事もありました。

その彼女は、とても素直で正直な性質だったため
不自然な行動のバランスを、家でとっていて
不自然な事を続けたひずみを、解消できる場があって
よかったな~と思いました。

それをそのまま続けると、感情に蓋をするので、
自分の世界が狭くなっていて、
他の人の気持ちに共感しにくかったり、わからない事が多かったり、
いわゆる「わび、さび」などもわからず、
悲しんだ分、喜びは大きくなったり、
孤独をかんじた分、愛情を強く感じたり、
辛さを味わった分、楽しさも倍増するので、
自分ではわかってるつもりが、薄っぺらいところだけで
本当の意味で、その事柄の事を体験できていない事になりますよね。

私は学生の時に
「もっとうまく生きなさいよ。
それにそんなに裏表なくそのまま生きて恥ずかしくないの?」
と言われたことがあります。

その後色の勉強をして、アートセラピーの勉強に行ったときに
まずはやってみましょうとしてみて、私のアートを見て最初の一言が
「すごい。そのまんまなのね。
裏表ないというか、裏表の意味わかる(笑)?」でした。

いま「ありのままで~」と流行していますが、
昔から、取り繕っても、メッキがはがれるようにはがれて
本来の自分というものは出るし、
ありのままの自分を認めてもらった方がいいと思うのです。

例えば、恋愛とかでも、相手に気に入られるように
相手の好みに、自分が我慢して取り繕って、
それで好きになられて付き合った所で、
それは幸せなのか?
それだったら、本来の自分を出して好きになってもらえた方が
とってもとっても幸せだし、
もしダメだったとしても、すっきりしないか?
と思ったりしていました。

私の場合、実際に仕事の面接などで、気に入られるように計画して
作戦を練って、いいようにいいように見せよう見せようとすると失敗し、
正直に自分の事を気負うことなく、伝えた時の方が受け入れてもらえました。

恋愛でもそうかな~。
背伸びして頑張ってた時は、本当にうまくいかなかったな~。
理由も教えてもらえずふられたもんな~。
きっと不自然な感じだったのかな~。

今のパートナーとは裏表なく付き合っていて、
「世間体や一般などの事は、この間にはない。
あなたの気持ちとあなたの言葉が聞きたいだけだ。
本当の気持ちが話せないなら、一緒にいる意味なんかない。」
と何度言ったことか(苦笑)

そのことで、相手が欠点や弱みと思っていることが
私にとっては愛すべき性質だったりすることがあったり、
自分では強みや長所と思っているところが、
相手にとって「困ったところだ」と思っていることもあり
自分の性質もただの性質であり、勝手に○×つけてただけか!と
思ったこともあります。

○×が多い人は、他人に対しても表に出すかどうかはわかりませんが
○×が多く、自分へもいつもジャッジしてるので、しんどいだろうと思います。

以前ドラマを見ていて、競走馬を見つけに行った最高の調教師が
一頭の仔馬を見つけて
「これはいい馬だ。きちんと欠点がある」
というようなセリフがあって、印象的だったことを覚えています。

性質は性質なんですよね。
いいも悪いも本当はなく、その性質をどのように使うか、
どのような心をのせて、使うかが大切なだけで、
「いい」ことだけをフューチャーしていたら、
本当に大切な事まで見失ってしまうかもしれません。

「あなたは、あなたであればいい。」
マザーテレサの言葉です。

愛があふれてる言葉ですね。

あなたはあなたであればいい。

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あー幸せだな~の話
最近、私はとても幸せなんですよね~。
いわゆる「普通」な「平凡」な毎日なのです。

肩こりや腰痛などが少しはあるものの、健康で、

仕事も
わかんない事続出だけど、調べてわかると世界が広がった気がしたり
ちょくちょくミスをして「あっちゃー」と思うものの、
たまに「よっしゃ」と思えるような小さな達成感もあるし、

そしてパートナーとも相変わらず仲良く、
たまに疲れていると「ごはんの用意面倒だな~!」と思うけど、
作って一緒に食べて「おいしい!おいしい!」と食べてる姿をみると
「あーうれしい!幸せ!」と思えるし、

今が一番幸せ!!!と毎日思ってしまうのです。

昔は、ドラマチックな事がないと「面白くない」
平凡が一番つまらない!とか、
暇な時間あると、なんだか取り残されてるみたい!とか、
いつも、幸せを探し続けていたような毎日だったんですよね~。

だから、病気したら
「あー健康だったら、幸せなのに」
好きな人がいなければ
「好きな人がいたら幸せなのに」
好きな人ができたら
「私の事好きなのかな?」と不安になり、
相手の愛に対して不信から、心配になり、寂しく思ったり、
家族がそばにいるのに、
「家族はいて当たり前。友達は何してるのかな~?」
と他人の行動が気になり、
その時その時に調子がいい友達と比較しては
嫉妬したり、羨んだり・・・・

という日々を過ごしていて、環境的には今よりも恵まれていた時も
今よりも心は不幸や孤独や寂しさを感じていたように思います。

私は、なかなか気づかないから、
健康を失い、
仕事を失い、
家族を失い、
恋人を失い、
はじめて、それらが自分にとってどれだけ幸せなことだったのかを
知ることになりました。

ないものを探すより、
あるものを探す方が
上手になっていきました。

また、追いかけるのではなく、
することだけをしっかりして、待っていて、
来たときに、掴み取るのだということも何となく感じました。

「待つ」という行為が私はとても苦手で、苦しかったのですが、
人生には、なりふりかまわず動き回るだけではなく、
じっと耐えて、「待つ」ということも大切なのだと思います。

その時は苦しくて、つらくて仕方なくても、後になって振り返ると、
今まで気づかなかったことに気づけたり、
外側だけではなく、自分の内側のことも
今までは「許せない」「大嫌い」とおもっていたものも
肯定できるようになったり、
嫌いなものは嫌いでも、存在を認めれるようになったり
本当に生きることが楽になった気がします。

だから、今は素直にこの幸せに感謝しています。

また、外に外に、人は求めがちですが、
必要なものは内にあるものです。
「みんなが元気で、家族が仲よく暮らせて、三度のごはんが食べられて
それ以上の幸福が、どこにあるんや」ってことです。

でも人生は波のように、動きます。
試練が訪れる時の、自分の向き合い方によって、
その後が大きく変わるような気がします。

誰でも、苦しいことは嫌だし、試練など遭いたくないと思うでしょうが、
逃げ出したくなるようなこともあるでしょうが、
きっと逃げても、形を変えまた自分に訪れるでしょうし、
あわてたり、あらがったりしても、きっと自分に必要なことは起こり、
それに対して、覚悟を決めて、逆境を受け止め、恥を知り、
自分のその時にできることを、できるだけすれば、
何より、自分の魂が肥えて、豊かなものになるのだと思います。

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