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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
夏の終わりの話
今日で8月が終わりですね。
一気に空気もからっとして、最近は特に夜が過ごしやすくなりました。

季節の変わり目の匂いってありますよね。
何かの匂いっていうわけではなく、空気の匂いが変わるんです。

今の、夏の終わりの夕方や、冬の朝などによく感じます。

私の田舎では、今伊勢神楽がまわっているそうです。
幼い頃はどこでも夏の終わりにくるのだと思っていたのですが、
私の住む一部地域だけにくるのだと、大人になって知りました。

伊勢神楽は、獅子舞と笛などの演奏の人が、
家を一軒一軒回って、そこでお供えをもらい、
その家の玄関や庭や、道路で獅子舞を踊ってくれるのです。

幼いころは、獅子舞に噛んでもらうと頭がよくなると
子供たちは皆、獅子舞のもとに親に連れて行かれ、
否応なくかんでもらうというのが、お約束みたいなものでした。

でも私獅子舞が怖くて怖くて、
笛の音が近づいてくると、押し入れや、
親にみつからないようにどこかに隠れて、
遠ざかると、こそ~と窓から覗いていました。

一軒一軒回ったあとは、氏神さまの境内で、
はしごを使って、曲芸のようにポーズをとってくれたり、
獅子舞をしてくれたりして、少しだけですが屋台も来て、
夏の終わりの楽しい思い出になっています。

私の住む田舎は、今は秋祭りになっているようですが、
私たちの幼い頃は、その前に盆踊りがあり、
夏になると、その盆踊りと、伊勢神楽の2つがイベントでした。

今日で子供たちも夏休みが終わりで、
宿題に追われている人もいるでしょうが、
私も夏休みの最後に、絵をかいたり、一気に絵日記を書いたり、
読書感想文やらドリルやら、必死でした覚えがあります。

夏休みの思い出は、毎日ラジオ体操ではんこをもらい、
プールに行き、井戸で冷やしたスイカを土間で切り、
そこでかぶりつき、その後扇風機の前でおじいちゃんと昼寝し、
そして夜は蚊帳の中で、蚊取り線香の香りのなか、
開けっ放しでおじいちゃんとおばあちゃんと寝ていた
という、何もない、平凡な毎日の事がとても幸せだったと思います。

夏の小学生の時の思い出がとても思い出すということは
その頃がとても幸せを感じていたのかもしれません。

中学になると、順位が出て、受験を意識して勉強勉強、
そして部活と忙しくなるので、小学校の時が
安気でよかったのかもしれません。

でも今の子は、中学受験とかで、すでに小学校の時から
習い事や塾などで、忙しい人もいるのかもしれません。

情緒を養い、感性や感受性を高めるには、
無駄と思えるような時間や行動なのかもしれません。

文化や芸術、笑いなども、人間の生活に置いて、
最低限生きていくために不可欠なものではありませんが、
豊かに生きるためには、不可欠なものになります。

何かの本で読みましたが、江戸時代は色んな文化が花開いた時代で
やはり、戦もなく、平和という条件があったからだとも書いていました。

危機感が迫る中で、火事場の馬鹿力のように出る能力もあるでしょうが
余裕のある中から、生まれ出る情緒や感性もあるのかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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傷つけないでくださいの話
今日盲導犬が電車内で、フォークのようなもので何回も刺されて
傷つけられていたという報道を聞きました。

盲導犬は吠えないように訓練されているため、
一切声をあげず、もちろん一緒にいた方は全盲のため気づけず、
会社について、周りの人が盲導犬が血だらけになっていることに気づき、
病院に行き、警察に届け出たとのことでした。

何だか、本当に寂しい気持ちになりました。
きっと犯人は見つからないでしょう。
でも、その本人は自分がしたことを知っています。
その人の良心はどうなっているのでしょう?
その人の魂は悲しんでいることだと思います。

罰を厳しくしていっても、犯罪って減るのかな?と思います。
どんどん、日本人が持つ徳でもある「倫理観」「正義感」が消え、
「ばれなければいい」「自分がすっきりすれば、傷つけてもいい」
というような、安易な気持ちでの犯罪も、よく報道で見ます。

深い長年の怨恨とかでもなく、だれでもよかったと傷つけたり、
私利私欲のために、簡単に人を殺すような鬼畜生のような犯罪や、
ばれないと思って、やりたい放題のような人も見ます。

誰も見ていなくても、自分の目を通して、すべては見通されています。
そして、良心をどんどん小さくしていくほどに、
人間から畜生になり、どんどん自分を貶めているのだと思います。

私が小さい時は、年寄りから
「お天道様が見ている」とよく言われましたし、

「人が見ている所より、見ていない所でいい事をする方が
 陰徳といって、とってもいいことなんだよ。」

「大きくなって大人になっていくと、色んな知恵がついたり、
 ずるいことを考えたり、悪いこともするようになるかもしれん。
 でも、芯まで腐らせたらいけん。
 心根の部分をきれいなままでおったら、ほんまに困ったときに
 たくさんの神様がきて、お前を助けて下さる。」

などと言われていて、そんなもんかと刷り込まれて育ち、
実際に大人になってずるいことをしたり、悪意のあることを他人にしたり、
嫉妬から人の悪口を言ったり、ばれなきゃいいかと思って、
こそっと悪い事をしたりもしたけど、実際には「倍返しだ!」位の勢いで
その後自分に返ってきたし、誰かにされるよりも
自分がしてしまった方が、罪悪感や情けなさで、自責の念が吹き出し
辛い思いをしたことの方が多かった気がする。

人間は皆弱い生き物でもあり、その中に強さも秘めている生き物だと思います。
弱さを知っている人は、弱いものに対して慈しみや優しさを持ちます。
強さを知っている人は、弱いものを守ろうとする愛を持ちます。
そして、他人を傷つけることは、自分を傷つけることでもあり、
その傷は傷つけた相手よりも、自分の傷の方が2倍大きいのです。

傷つけないでください。
相手のために、そして何よりあなた自身のために。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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今を生きる話
土砂災害の報道が毎日続いています。
見ていると、本当に胸が痛んで、涙が出そうになってしまいます。
犠牲になった方々へ、ご冥福をお祈りするばがりです。

自然の脅威の前には、人間は本当に儚いものだと思います。
また、人は「あれが欲しい、これも欲しい」と物を欲し、
それを手に入れるために、エネルギーを使いますが、
災害などを見ると、その物の儚さも本当に感じてしまいます。

私は金銭欲、物欲が強いタチでした。
あまり裕福でない家に生まれ育ったということもあり、
幼い頃から、友達が持っていても私は持っていない事で、
より一層、物に対しての欲求が増したようにも思います。

だから、高校の時から、バイトに明け暮れ、
そのお金で色々と物を買って、満足していました。

そんな金銭欲や物欲が強い私が、
両親が亡くなった時に、遺品はもちろん、家財や家や土地そのもの
全ての両親の残してくれた、形あるものに対して困ってしまったのです。
本人にとっては大切でも、他の人にとっては何の価値もないものも多く、
その時に、物はあの世には持って行けれず、残されても困るだけだと
自分の体験で痛感したのです。

家も、田舎で古い家のため、住む人も見つからず、風化の一途ですし、
田畑も、田圃は近所の人にしてもらっていますが、
畑は雑草が生え茂り、祖父、父のご自慢の日本庭園も同じで
近所からたまに苦情がきて、業者にお願いして刈ってもらっています。

また、両親の衣類や身の回りの物も、本人にとっては大切であっても
持ち主を失ったものは、他の人にとっては何の価値もなく
衣類は背格好が似ている親戚に持ち帰ってもらったものの、
他のものは処分できるものは処分し、趣味で収集していたものは
親戚から処分するのはもったいないと、私の家に運び込んだものの、
場所ばかりをとられて、邪魔だな~と思うものも多くあります。

両親を見送ってから、物欲がとても薄くなりました。
もちろん日常に使う消耗品や色々なものを購入しますし、
T.P.Oに応じた服装や身なりのものは、身に着けますが、
「結局は、物はただの物にすぎず、執着しない」
ようになりました。

諸行無常ということばがありますが、
本当に此の世は変わりゆくものがすべてであり、
その中で、自分というものを見つめていかねばと思います。

その反面、人は肉体を持っていて
衣食住が不可欠な要素であり、そのために必要なものを
手に入れた所に、生活があるともいえます。

ただ、誰もが大なり小なりの試練に遭い、
自分自身を磨いて、その魂を持って、此の世を卒業して
あの世に行くのだと思うのです。

明日のことは誰にもわかりません。
防災意識をもって備え、どんなことがあっても受け入れる覚悟をもち
今できることを精一杯していくこと、
結局はそれしかできないのかもしれません。

本当に、今までの経験値では測れないことが
最近多くなった気がします。

犠牲者の方々、心よりご冥福をお祈りいたします。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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自分軸で生きる話
何だか8月はしんどかったです。
疲れるとどうも私は一人になりたいと思うタチで、
パートナーにもそっとほっといてほしいと思うのです。

パートナーは疲れると、私と一緒にいたいと思うタチのようで、
だから、私が疲れていると一緒にいようとします。

ついつい疲れると機嫌も悪くなり、一人にしてくれないと
パートナーにアタリが強くなってしまいます(苦笑)

一人でいることで、私は充電ができるようです。
以前は自分よりも相手のことばかりを優先して、
我慢していましたが、そうするとストレスも感じてしまい、
疲れから本当に体調を崩してしまうので、
正直に自分がゆっくりしたい事や、一人でいたいことを
伝えるようになってきました。

人は相手を思ってと言いますが、
結局は自分の主観で見て、自分のものさしを相手に当てはめ
それが相手が喜ぶと勘違いする生き物だとも思えます。

誰かと一緒にいたいと願う人は、一人でいることが苦痛なので
相手を一人にさせることに罪悪感を持ってしまったり、
一人でいたいと願うのに、優しさで一緒にいようとしてくれる相手の
その気遣いにこたえようとして、ストレスになってしまったり・・・

でも、相手を思って・・・とか、相手のためにと
我慢してしていると、ついつい相手のせいにしてしまいます。

○○が言ったから、私はそうするしかなかった。
○○のせいで、自分はこうなった。

結局はそれを受け入れているのも、そう選択しているのも
自分自身なのですが、結果相手のせいにして、
自分が苦しむことになるということもあります。

人は他者の一言で一喜一憂したり、
誰かの行動で、勝手に自分なりの解釈をして苦しんだりするものです。
でも当の本人は、全然そのことに気にしている人などいなく、
すぐ忘れていたり、意識にないことがほとんどです。

言われた方や、された方は悶々と時間とエネルギーを
無駄使いしてしまいます。

人の言葉や意見に左右されていると、疲弊してしまいます。
振り回されないという意識をしっかり持つだけで
楽になることも多いような気がします。

そして、相手を責めてしまったり、後悔したりするのであれば、
相手に自分の意思を伝えることは、やはり大切なのだと思います。
そこで、予想通りの反応があることもあれば
全く予想だにしなかった反応もあるでしょう。

やはり、相手の事よりも、自分の心に素直に生きるべきだと思います。
最近、「いやだな~」と思いながらも、NOとその時は言えず、
そのことで、親族が次々と自分の私利私欲のために話をすすめ
やばい!と思った時には、時すでに遅しで、
面倒なことに巻き込まれてしまったことがありました。

やはり嫌なことは嫌。
また、相手を批判するようで躊躇していましたが、
ダメなことはダメとか、おかしいものはおかしいと伝えて、
それでもし関係がぎくしゃくして、悪化しても
「朱に交われば赤くなる」悪い縁が切れたと思えばいいと
つくづく思いました。

でも相手に軸を置かず、自分に軸を置いて
自分の人生を自分で創りあげるという意識は大切だと思います。

これはわがままを言うとか、
自分の都合で相手を振り回すというものではありません。

その時に湧き出る言葉をみつめてみるのはいいことですね。
今書いて思いましたが、
私は相手にわがままを言われている、
自分の都合を私は押し付けられているという感覚があるから
上のような言葉がでてくるのでしょうね。

自分の内にないものは、相手にも見えませんし、
というか相手はそういうことはしていなくても、
勝手に自分がそう感じ、そう思い込み、
自分の内に取り込んでいるのですから。

たくさんの人間関係の中で自分は生きていると思っていますが、
突き詰めて考えてみると、自分以外は
映画のスクリーンに映っているようなもので、
それを見て何を思い、何を行動するかというだけなのかもしれません。

私も最近とても気を付けていることですが、
疲れているときは
自分の肉体をいたわる。
①睡眠をしっかりとる。
②健康的な食事をとる。
③お風呂につかったり、マッサージをする。
④あまり考え込まない。
⑤過去のことも、未来のことも考えず、目の前の今に身を置く。
⑥思考よりも本能を信じる。
⑦そんな中でも毎日仏壇のご先祖様に日々感謝する。

もうすぐ、8月が終わります。
8月は色んな意味できつかった月でした。
やはりお盆の月は、霊的に私は疲れます。
特に今年は水難も多いですし、何だかめまぐるしい変化を感じます。
皆さんも体調にお気を付けください。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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ALSの話
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の治療研究を支援するチャリティ
「Ice Bucket Challenge」(アイスバケツチャレンジ)のキャンペーンが
世界でされているという報道を見ました。

このキャンペーンは、指名されると24時間以内に氷水を被るか、
100ドル(1万円)をALS支援団体に寄付すること(あるいはその両方)。
そして次の挑戦者を3名指名することだそうです。

残念なことに、発案者の一人、コーリー・グリフィンさんが
海で溺れ、16日に死亡したということです。
ご冥福をお祈りします。

でも、このキャンペーンで、寄付金が去年に比べてかなり増加している
ということですから、素晴らしい業績を残して此の世を去ったことに
なります。

ALSは、運動をつかさどる神経が侵されることで筋肉が萎縮し、
身体が動かなくなったり、声が出なくなったりする難病で、
有効な治療法はいまだ見つかっていません。

私の母もこの難病にかかり、延命治療をせず、この世を去りました。
私の母の場合は、末端の神経、手の指や足の指から始まり、
どんどん全身が萎縮していき、
咀嚼ができずらく、飲み込む力が弱り、誤嚥で肺に食べ物が入ったり
最期の方は、体のほとんどの筋肉が動かなくなり、
目のまぶたの微かな動きや目の動きで意思の疎通をはかり、
最期には呼吸器を動かす筋肉が萎縮して
呼吸ができなくなり、亡くなりました。

難病情報センターによれば、
1年間で人口10万人当たり約1~2.5人が
新たにこの病気にかかっており、
日本では約9000人がこの病気を患っていると言われています。

原因不明ということで、根本的な治療もなく、
呼吸器をつけて延命をすることはできるものの、
意識はしっかりあるものの、一切体が動かず、
意思疎通ができないということで、
もちろん本人もですし、24時間介護が必要ということで
家族にも大変な負担になります。

このキャンペーンは経済的なことだけでなく、
メンタル的にもとても元気づけられることだと思います。

どんな病気も辛くて、苦しいと思いますし、
家族に病気を抱えている人の、精神的負担も大きいものです。
このようなキャンペーンが世界的にされると、
応援されているという気持ちが、支えになったりするのでは?
と思ったりします。

父のすい臓がんと同時期に、母のALSの闘病だったことで
病院も違い、父の方が先に他界して、
その後母に父が亡くなった事を内緒にして、
お葬式や、その後の供養もしたこともあり、
忙しく、毎日は行くこともできず、
一時期は母を病院におまかせした時期もありました。

どんどん動かなくなる身体と、その恐怖で、
ずいぶん寂しい思いをしたのではないかと今になると
思います。

ALSは私の住む県では、専門の病院があり、
そこに入院していたのですが、
私もいろいろ病気をして入院しましたし、
家族(父や兄、母)なども色々な病気やけがで
色々な病院にお世話になりましたが、
ALSの専門もその病院は、医師も看護師も
私は嫌悪感しかなく、父の事が一段落した所で
すぐにその病院を出て、頼み込んで他の病院に
面倒をみてもらいました。

最期も、本当に優しい医師や、看護師、理学療法士の方に
囲まれ、見送らせていただきました。

最期、母にいっぱいいっぱい話をしたくて、
ありがとうの気持ち、大好きの気持ちを伝えたくて
話している私の後ろに、皆さん立ってくださり、
もう息をしていない母に気づき、私が医師を振り返ると、
「お母さんはまだ亡くなってはおられません。
 お話を聞いています。
 しっかり話を聞いています。」
と言って、私が話終わった時を、
その時間を臨終の時間としてくれました。

看護師の婦長さんも、他の若い看護師さんも一緒に
泣いてくれました。
親戚も兄も駆けつけれず、親族は私だけでしたが、
本当に病院の方々の温かい心遣いに感動しました。

私の母はALSになる前に、自殺未遂をしたり
うつ症状で「死にたい、死にたい」と言っていたこともあり、
家族、親族、そして医師と相談して、延命治療をせず、
自然にその時を迎えることにしました。

ALSは、人口呼吸器をつけて、病気とうまく付き合いながら
懸命に生きている方がたくさんいらっしゃると思います。

今も日本に9000人ほどいらっしゃるALSの方、
そしてそのご家族の方々に、世界からたくさんのエールが
届いていることが、本当に感動です。
「乗り越えられない試練は神は与えない」と言います。
きっと乗り越えられる大きな器がある人に、
与えられるのかもしれませんね。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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祈りの話
お盆が終わりました。
みなさんは、お墓詣りに行かれましたか?

私の家のお墓は2か所にあり、私が8代目で、
たくさんのお墓があります。

古いのは、江戸時代のお墓で、先日の大雨で
石を積み上げて、その上にお墓を設置しているのですが、
一番下の積みあがった石が雨でずれたか、流れたかしていて、
その土台が少し傾いていたようで、掃除中に棹が
落ちてしまい、それを一生懸命元の場所に直していて、
すっかり腰を痛めてしまいました。

石はとてつもなく重たいですね。

その後、自宅に帰り、ご住職に棚経に来ていただき、
迎え火、送り火と無事終えたのですが、
いつもなのですが、お盆の13日の夜から15日にかけては
私はズシッと肩が重くなり、我が家の猫もすっかり疲れ切ります。
なぜか、我が家の猫はお盆の間、口臭がきつくなります。
先祖様から、皆寄ってたかって「かわいい。かわいい。」と
撫でてもらっているのだろうと思います(笑)

お花も仏様にさわられると痛んで、枯れますし、
昔から、仏様にお供えすると、味が落ち、
神棚にお供えすると、味がよくなると言いますもんね。

今年は腰も痛かったのもあり、肩が重いからか
このお盆は頭痛がひどくて、困りました。
不思議と15日に送り火をして、一晩寝ると、頭痛は治り、
結構元気になるのです。

やはり、地獄の蓋が開き、色んな霊が此の世に出てきて
その影響というものを、少なからず誰もが受けるのかな?
などと思いながら、過ごしたお盆でした。

15日に終戦も、15日の地獄の蓋が閉じる日と一緒というのは
なかなか感慨深いものがあります。

久々に菩提寺のご住職と話していて、
最近の終活の話になり、
墓閉めや新しい埋葬方法が色々報道されている中、
永代供養にされている人はいいですが、
お墓を閉めて散骨して終わっていたり、
ペットと一緒のお墓に入ったり、
他人と一緒に樹木葬に入ったりしていることについて
色々伺いました。

我が家は真言宗なのですが、菩提寺のご住職は
以前は結構有名なお寺で、ある程度の地位にいらっしゃった方で
気さくで自分ではそんな話は一切しないのですが、
周りの方に聞くと、なかなかすごいと評判のご住職なのです。

そのご住職曰く、
ペットと人間は道が違いますから、お互いに苦しい思いをするだけ
先祖ではなく、他人と一緒に入るのは、無縁墓と一緒ですし、
墓を閉めて、散骨すると、戻るところもなく苦しい思いを自分がする。
木には精霊がいますし、樹木葬をすると、
その木には霊が宿りますから、その木をむやみに切ることもよくないです。
知らぬが仏とは言いますが、そのような事をするといいことにはならない。
やはり、昔からされていることには、意味があるのです。

また、遺族が故人のお骨をペンダントなどに入れて持つのは
よくなく、霊障が出るケースがとても多い。
執着というものが強いわけですから、故人が成仏したくてもできない。
遺族が、故人を苦しめることになるのです。
苦しい故人は、どうにか気づいてほしいと色々と遺族にします。
それが、不幸のように思えることが多いのです。

という話をされていました。

夏は怪談が多かったり、お盆もあり、原爆や終戦のあった8月は
特に、故人を偲んだり、そして戦争で命を落とした我が国の戦士に
思いを寄せたりすることで、その霊の供養になるのだろうと思います。

先日「硫黄島からの手紙」をしていましたが、
特に生存者が少なく、悲惨な悲劇的な戦争での死闘で
亡くなった方の事を知り、冥福を祈る気持ちが
私たちの国のために亡くなった戦士への慰霊になるのでは
と思ったりします。

此の世では、行動や言動が強く働きますが、
あの世では、祈りや感謝などの心の私たちの思いが一番
大きく影響するものなのだろうと思います。

我が国のために戦った戦士のご冥福を心よりお祈りいたします。
また、今の日本の礎を築き、わたしに命を与えて
そして今生かしてくださっている全てに心から感謝いたします。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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お盆の話
私の住む街は、大きな被害もなく、というか全然平穏無事な生活のまま
台風が過ぎ去っていきました。

本当にありがたいことに、私の住む町はあまり天災がありません。
ありがたいことであります。

そうこう言っている間にお盆です。
今年は13日にご住職がきてくださるというので、
明日はお墓掃除に行き、迎え火の用意や、お供えなどなど
色々買い込み、お掃除をしたりと、準備で大忙しです。

昨年はちょうどお墓詣りを兼ねて13日に掃除に行っていた時に、
帰りにすいかをもらい、車に乗っているであろうご先祖様に
「どうぞどうぞお召し上がりください。」と声をかけ、
一晩お供えして、いただこうと切ったら腐ってました。

採れたてでおいしかったのでしょうが、
みなさんどんだけ~!!!と思いながら、
お盆爆笑したのを覚えています。

その後、果物をもらって、自分も食べたいときは
私も食べたいからねと言いながら供えますが(笑)、
お盆の時のその時以外、腐ることなどありません。

でもやはりお盆の時は、地獄の蓋が開くので、
いつもと違う方々もいらっしゃるから、やはり食欲旺盛なのでしょうか?
今年も切子灯籠をだし、迎え火をして、
たくさんお供えをしてお迎えしようと思います。

ご先祖様がいらっしゃったからこその、今自分がここにいるわけであり、
そしてお護りいただいているからこその、今なわけです。
供養をすると、ご先祖様も喜び、パワーがあがり、
そして、この世にいる子孫に対しての援護の力が強くなるわけで、
いいプラスのスパイラルになるわけですよね。

私も、両親が亡くなるまでは、
お寺と縁が切れていたり、私自身も全然お墓詣りにも行かず、
お仏壇に手を合わせることもなく、
お寺さんと切れているので、お盆もお彼岸も年忌ですら
ほとんどしていなかったという状態で、
ご先祖様も苦しかったのか、今此の世にいる子孫を悟そうとしたのか、
それはそれは、我が家はめちゃくちゃでした。

家族皆病気持ちで、代わる代わる入院して、
お金はだまし取られたり、盗まれたり、
そして親族ともトラブルが絶えなかったり、
金銭的にも、働いて節約しても車の事故や病気や、トラブルでとび
祖母と母は、メンタルヘルスに異常をきたし、
父と兄は、ヒステリックに家で怒鳴り声をあげて怒り、
兄は離婚して、子供も取り上げられ、会うこともできなくなり、
それそれは、本当に大変でした。

両親が亡くなったことをきっかけに、菩提寺との縁をまたつなぎ、
わからないなりに、一生懸命自分にできる限りの供養をするようになり、
年がたつにつれ、本当に変わってきました。

今までは、入退院を繰り返す生活が多かった
自分の体も健康になり、いい仕事にも恵まれ、
今までお金に関しても、一気に入ってきたり、一気になくなったりと
波が激しかったのですが、中庸というのか、
分相応に入ってきて、パッパラちゃんでちょこちょこ使いますが、
お金に困ることはなくなりました。

父が亡くなった時は、会社のお金をすべて持ち逃げされて
困窮して、親戚にお金の無心に行っていた兄も、
今や事業が好調で、カードはブラックカードを持ち、
ドバイやヨーロッパなどに旅行三昧の生活をして、
一時期は顔が本当に鬼のような険しい顔をしていましたが、
柔和で優しい顔になっています。

先祖と此の世にいる自分との関係はよく「木」で現されますが、
此の世にいる私たちは、地上の「木」の部分で、
ご先祖様は地中の「根」の部分だと言われます。

この木は、根をはることにより、大きくなり、
ちょっとのことでは根が力強く守ってくれるために倒れません。
木を育てるためには、地中に水と肥料をやる必要があります。
それが、ご先祖様に対しての感謝と供養だと思います。

いくら目に見える所の木ばかりに、栄養をやってきれいにしても
根が腐ったり、水をやらずにいれば、そのうちに木は枯れます。

今回の台風ではありませんが、強い」雨風に打たれても
根をしっかりはっていれば、倒れないものです。

全然供養などしていないという人は、多いと思いますが、
このお盆の時くらい、お墓詣りに行ったり、帰省した時に
お供えをして手を合わせることをするだけでも、
きっとご先祖様は喜んでくださり、それが大きなパワーに
つながると思います。

無償で自分を護ってくださり、そして本当に愛情で動いてくれるのは
ご先祖様だと私は思っています。
ご先祖様が根だとすると、
木に必要な「太陽」はそのまま「天照大神様」であり、
そして直接的に自分を見守って下さっているのは「氏神様」であります。

色んな力があるという此の世の先生と呼ばれる人の元や
パワースポットに行ったりするよりは、
お供えを買って、
「生かしていただいてありがとうございます。
お護りいただいてありがとうございます。」
という感謝の気持ちをお伝えしに
「ご先祖様」や「氏神様」に行く方が、
自分のこころが安定して、よっぽど運気は上がると私は思っています。

人は外から他人や、自分とは関係ないものからエネルギーを取り込もうとしますが、
そしてご先祖様に自分から感謝の心を与えて、
そのエネルギーを、自分という根のご先祖様からいただく方が、
確実であり、そして目に見えて安定すると思います。
これは私の体験談とも言えます。
背中や腰が痛い人は、特に先祖供養をおすすめします。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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台風の話
日本列島に台風がきてますね~。
三重では特別警報が出ていますし、四国にも上陸ということで、
本当に警戒が必要になっています。

今更ながらですが、「のぼうの城」を見まして、
その中で「水攻め」のシーンがあるのですが、
自然の水害とは違うとは思いますが、
それでも一気に住居もすべてを飲み込んでいく姿は
とても恐ろしいと思いながら見ていました。

台風の備えももちろん必要ですが、
最近では今までの常識をはるかに超えることもよくあるので、
警戒地域の方は、本当に早めに避難されたり、
今からでも何か備えができるのであれば
していただきたいと思います。

人間はいつも人間様といばりちらしていますが、
自然を前には、本当にちっぽけな存在と思ってしまいます。

台風といえば、秋のイメージでしたが、
最近は次々と日本めがけて、台風がやってきます。

雨は、お浄めや浄化のイメージもありますが、
これだけ強い風とそして水の台風は、よほどのお浄めなのでしょうか?

私の幼い頃は、近所の川が氾濫して、
よく増水して、近所の家や学校などが浸水することがありました。
私の家は少し高い高台にあったので、無事で、
たくさんお米を炊いて、たくさんおにぎりを作って
お父さんが空気を入れたボートで、近所の家の2階に避難している人に
配っていました。

その後、その川は拡げられて、増水することはなくなりましたが、
水が引いたあとの後片付けが、それはそれは大変で、
小学校も床上浸水していたので、皆で雑巾が泥だらけになりながら
掃除を何日もして、使えなくなったものを片付けて、
道には泥まみれの粗大ゴミの山だったのを思い出します。

その中でも、やはり田圃がダメになったり、
畑が水浸しになって、すべてがダメになったりして、
農家の人たちがかわいそうと思った記憶もあります。

わたしの家も、兼業農家でしたが、
周りの家も皆田圃に畑はしている所だったのですが、
やはり私の親にしても、周りのおじさんたちにしても
自然を相手にしている人は、自分の力だけではどうしようもない事が
生きていれば起きるということを、悟っているような所もあり、
「仕方ない」と、できる限りのことをした後で、
自然の流れに沿っていたように思います。

私も心の勉強をしたときに、色々な本を読んだり
心理学を学んでいたり、
知識やスキルはすごいと思った先生はいましたが、
やはり体験とはすばらしいもので、
そんな知識はなくても、何十年も自然を相手に生きてきた
田舎の農家のおばあちゃんや、おじさんは
本当に胸に響くことを言ったりするのです。

神は自然の中にすべての真理を埋め込んでいるとも
言いますが、それを肌で感じ、そして目で見て
その感触を味わい、それこそ自然を相手に生きることで
それが自然と人間にはわかるように、できているのかもしれません。

「あまちゃん」の夏ばっぱが言った
「誰のせいでもねえ。
自然のいいとこばかり利用して、自然の怖ええとこから目(めえ)背けて、
そのうち忘れてまう。それが人間の傲慢さだ。」
というセリフがありましたが、
傲慢にならず、自然のいいところも怖いところも受け止め、
その上で自分にできる限りのことをして、
生きていきたいと思うばかりです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
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広島原爆の話
今日から69年前の午前8時15分。
広島で一発の原爆が、29万2325人の貴い命を奪いました。
7万戸の建物を壊し、廃墟の街を創りました。

たった69年です。
その廃墟と化した街から、日本人は平和と、繁栄の、祖国を作ったのです。

核兵器の問題、そして今なおこの地球で繰り広げられている戦争。
人間とは、平和と戦争のどちらの性質をも持ち合わせているのでしょうか。
日本の今の平和の影には、この戦争の犠牲があるのです。

69年たった今、この69年でこの日本を創り上げてきたその強さと、
その有能な民族としての誇りをむねに、
これから69年後の日本はどうなっているのかを想像し、
自分の思い描く理想のためには、今何をすべきなのか
一人ひとりが考えるきっかけになる、そんな日の気もします。

戦争は悲しく、そして人の持つ悪の部分を引っ張り出し、
人は神にも近づくこともできるのに、
畜生に落ちる方向へ近づく行為のように思えます。
人は「許す」事のできる高尚な生物だと思います。

この原爆の被害者になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。
ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多く生きていただきたいと
祈るばかりでもあります。

読んでいただいてありがとうございます。
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カウラ事件から70年の話
今日は70年前にオーストラリアのカウラで起こった日本兵捕虜脱走事件の日です。
私はこのカウラ事件を知ったのは、
『あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった
〜カウラ捕虜収容所からの大脱走〜』

という日本テレビ開局55年記念スペシャルドラマを見た事でした。

戦争というものは、あまりにも戦争の常識を人間に植えつけます。
時代によって、常識は変わりますが、
戦時中の教えというものは、平時の時とは
正反対の教えのようにも思えます。

このカウラ事件も、「降伏より死を」との戦陣訓に従い、
日本兵1104人がフォークや野球バットを手に決起し、鉄条網に向かって突撃。
機銃掃射を浴び、自害を含め日本兵231人が死亡、
オーストラリア兵4人も亡くなったという悲しい事件です。

今は人道をうたわれ、命の尊さについてを優先する時代ですが、
戦時中は捕虜になってまで生きにく事は恥と思う時代であり、
命よりも、死をもって日本人魂を見せるという教育を受けていた
そんな時代のような気がします。

8月は広島、長崎への原爆投下、終戦、
そしてお盆と、何やら、この世とあの世が近づき
そしていやが上でも、生と死、そして戦争と平和を
考えさせられるような月だと思います。

私は戦争経験していませんが、
父が原爆が広島に落ちた時、
違う県なのに、光が見えたと言っていましたし、
祖父はあの時代背景の中、戦争反対で
戦争には、山でマムシに噛まれ、戦争に行かなかった人でもあり
そして疎開してきた人に、食事を与え、亡くなると自分の土地に
埋葬するような人でした。

祖父の弟たちが軍に属し、出世していき、
たくさんのバッチを軍服につけ、色々なお土産を手に
実家に帰って、その武勇伝を話すたびに
「お前らはあほーじゃ。
戦争に浮かれて、人を殺して、英雄と言われてええ気になって
ほんまのあほーじゃ。」
とよく説教をたれていたと聞きました。

私は、あの時代に、その当時の風潮に流されず
そんな事を言える、祖父を私は誇りに思います。
でも、そんな気持ちを胸にしまったまま、
戦地に出かけて戦死した人たちは多くいたのだと思います。

祖父の一番若い弟も、海外の戦地にて戦死しました。

今の時代、平和な日本なのに、毎日のように殺人の報道が
されています。
これだけ、命の尊さや、人道的な教育を受けてなお
人を殺めてしまう・・・人間の負の一面なのかもしれません。

自分を殺すのみ、他人を殺すのも、とても深い罪です。
きっと此の世に生きている時以上に、そのことは
此の世を去った後に、思い知るのかもしれません。

今、終活といって、色んな方法での埋葬を希望され
その選択肢が増えているような報道がされていますが、
子供がいるのであれば、子供に供養してもらう。
子供がないのであれば、菩提寺に永代供養してもらう。
昨日テレビで見ていてぞっとしましたが、
ペットと一緒のお墓に入る人がいましたが、
人間と動物では道が違います。
私も愛する猫がいますが、彼女は彼女の道、
私は私の道があります。
それを一緒にしたのでが、双方にいいことにはなりません。

そして、散骨もよく言われていますが、
この夏は水難がただでさえ多いのに、
散骨してもらったはいいけれど、帰る場所がなく
お盆に水に漂い、苦しむ姿は憐れだと思います。

また、納骨せずに、家のキッチンにずっと愛妻のお骨を置いて
毎日話しかけていると言っていた、ある芸能人がいましたが、
子供の不祥事にはじまり、自分の素行もたたかれ
あれだけ毎日テレビに出ていたのに、最近あまり見かけなくなりました。
いやー奥さんしんどいだろうな~、納骨早くしてあげればいいのにと
思いました。

やはり、昔の人が培ってきた風習には、理にかなったものが
とても多いということです。
流行にのり、自分の死の後始末を子供に迷惑をかけたくないと
軽はずみにすると、結果成仏できず、子供に祟るようにもなり、
死後の自分や先祖が困窮すると、この世の子孫も困窮するのです。
供養してもらえないと、自分からすがってしまうのです。

このお盆、この世とあの世が近くなる今月、
自分の先祖に思いを寄せ、今自分がここで生かされていることへ
感謝したいと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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粋な話
「粋」という言葉があります。
粋な生き方、粋なふるまい、などしてみたいと、
誰もが憧れるのではないかと思います。

テレビを見ていて、水谷豊さんが「粋」の話で
九でもなく十でもない、その間の米一粒分という意味もあり、
いっぱいいっぱいにならない、
米一粒分の余裕というか遊びを残すことが
「粋」に通じるということを言っていました。

ついつい一生懸命やっていると、視野が狭くなり、
「こうしなければいけない」
「「これしかない」
というように思ってしまったり、
思い詰めてしまうと、ついつい「いっぱいいっぱい」になり
ネガティブな感情や気が自分の内に溜まってしまいます。

やはりこの「遊び」「余裕」な部分というものを
意識的に作っておくことが大切なのだと思うのです。

まずは、自分を客観視できる、俯瞰からみようとする事。
また疲れたら休む。
疲れて家に帰って反省する人がいますが、
疲れた時は反省よりも早く寝た方が絶対に良いのです。

また、自分の失敗を笑える「ユーモア」を持つこと。
これもとても大切なことだと思います。

お笑いが好きで、私はよく見ますが、
どれもアクシデントや失敗談がネタになっていることが多いのです。
自分の事も、ネタにして笑い飛ばしてしまうことで
その出来事は悲劇から喜劇に変化することもあるでしょう。

人生今まで歩んできて思うのが、
その時は、有意義に効率的に使っているという事よりも
その時は無駄なことしているな~!とか
こんなことで大丈夫かな?と思っていた事の方が
濃い思い出として心に残っていたり、
その無駄があるからこそ、学びを得ることもあったと思います。

「粋」な生き方。
一生懸命やるけれど、米一粒分の「遊び」だけは必ず持っている生き方。
その「遊び」が自分も助け、そして周りからは「粋」と見られるのかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
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