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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
皆と仲良くしなくていい?の話
小さい頃、「皆と仲良くしなさい」と言われたけれど、
物心ついた保育園当時、私はいじめられっこでした(苦笑)
仲良くしたくても、仲良くしてもらえなかったわけです。

まぁ、一人とてつもない「いじめっ子」がいて、
皆にいじわるをいていたようだったけれど、
身体が弱くすぐ熱を出して休みがちで、大人しい私は
行ったときには、いい標的にされていたように思います。

保育園に行くと、先生に見えないように
つねられたり、叩かれたり、突き落とされたり、
トイレに行こうとしたら捕まえられて、
おもらしするまで離してくれなかったり、
掃除道具入れだったか、暗く狭い所に閉じ込められたり、
まぁよくいじめられていたものです。

でも大人はやはりよく見ていて、先生が気づき
親にそのことを伝え、まぁ熱ばかり出す子供だったこともあり、
いつの間にか、保育園は行かず、おじいちゃんと家にいる生活をしていました。

人間、好き嫌いは誰でもあるわけで、
「皆と仲良くしなさい」と言われても、
苦手の人と仲良くするのは難しいのではないかと思います。

よく、いじめられていた事を、親になぜ相談しなかったのかと
いじめ問題の報道の時に、コメンテーターの人が言っているが
私はわかります。

恥ずかしいのです。情けないのです。
親に、自分の子供がいじめられているという事実を知らせることは
親にも申し訳ない気がして、言い出せないものです。
だから、保育園に行くのがどんなに嫌でも、
行きたくないというと、お母さんは仕事があって困るので、
絶対に言わなかった記憶があります。

私の場合「親に言ったら殺す」とも脅されていたので、
子供の時はそれを真に受けてしまって、報復を恐れて言えない事もありました。

子供のころは、自分の住む世界は、家族と学校のみで
そこで出会う人たちが、自分のすべてなわけです。

今から思うと、成長とともに、どんどん世界は広がり、
また自分がその世界を選べる選択肢を持てることがわかるけど、
子供のころは、選択肢もなければ、与えられた世界で生きるしかなく
それが永遠に続くような気がするものです。

そんないじめられていた頃、
「今は狭い小さい世界にいて、そこにおるけど、
これから大きくなると、どんどん世界が広がっていく。
友達もそうじゃ。今、あんまり仲よくなる友達がおらんでも
どんどんこれから大きくなって、色んな人と会っていくうちに
気が合って仲良うなる人に出会って、友達になれる。
気の合う人いうのは、早々おらんもんじゃからな。」
というような事を、おじいちゃんに言われました。

実際に本当に気の合うと思える友達に出会えたのは、
30を超えてからだったように思います。

それまでにも、この人だ!と思う人はいたものの、
自分も成長していくし、出会いもあり
どんどん、もっと自分に合うという人に出会えて、
そして私の場合は、その縁をしぼっていったような気がします。

表面的に話を合わせ、付き合う事の出来る人は多くでも
気の合う、自分の本音を語り合えて、言葉が通じる人など
私の場合そんな数はいないし、数は必要としていないのです。

知り合いでSNSにせっせと、毎日の自分の生活や食事の写真、
一緒にいる人たちとの写真を載せている人がいて、
たくさんの人とのつながりを誇って、
それを本人が楽しんでいる分には、いいと思うけれど、
他人の動向が気になって、いつもチェックしたり、嫉妬したり、
負けじと、表面的にはとても充実して楽しくしている風を装っていても、
実際には孤独感に苛まれて、本音を話し合える友達がいないと
情緒不安定になり、寂しさを漂わせている人もいます。

嫌われまい、皆と仲良くしていきたい、と周りばかりを気にして、
社交的というよりも、八方美人になり、色んな人の話に合わせているうちに
自分の心の声を一切聞かなくなり、そのうち自分を見失うのでしょうか。

皆に好かれたいという事自体、きっと無理があるわけで、
自分が誰も嫌いな人はいないという人は、いないように、
自分も、好きになってくれる人もいれば、嫌う人もいますから。

皆違うのが当たり前ですから、合う人もいれば合わない人もいて当然。
皆と仲良くなんて、なかなかのハードルです。
皆と仲良くするには、自分を殺して相手に合わすことになります。
そんな寂しい人生・・・そりゃ自分の心が辛くて、不安定にもなります。

皆から好かれたい!いい人と思われたい!という気持ちをそっと横に置いた時
自分はどうするかと考えた時に、出た答えがきっと本心なんでしょうね。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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限りある時間を生きる話
今日は台風が上陸する前に、お彼岸のお墓詣りに行ってきました。
帰りに、彼岸花が咲いている風景を見て、
あーお彼岸だな~と実感してしまいました。

お墓詣りに行くと、「死」に対して、
この「限りある時間」の此の世の人生を生きるということを
考えてしまいます。

私は両親が亡くなるまで、とても俗物的な人間で、
金銭欲、物欲も激しく、人を見ては嫉妬したり悔しさを感じ
そのモチベーションで頑張ってみたり、私利私欲も強く、
人に対しても、物事に対しても、表面しか見えていない人生を
送ってきていました。

だから、悪意を持っている人でも、表面的に感じがいい人を好み、
人に負けたくないということで、本当に自分がしたいことではないことに
エネルギーを傾け、それで勝ったり、目標達成したところで
そこには達成感があっても、すぐに虚しさや空虚感に苛まれたり、
物欲や金銭欲はきりがありませんから、手に入れても
また上を見て「あれが欲しい、これが欲しい」と
本当に必要か冷静に考えるとすぐわかりそうなものの、
だれに対しての見栄なのか自慢なのか、不必要なものも購入してました。

両親が亡くなって、表面しか見ていなかった私の目が節穴だと気づかされました。
真面目で不器用で、口が悪く、金儲けが下手な馬鹿にしていた父の
本当に深い愛と、優しさと、口には出さずひっそりとしていた陰徳の数々に
驚かされ、そこで初めて私の父はこんなに懐の大きい人だったのかと気づきました。

死んでしまうと、父が残した物の数々は、残された家族にとっては
不必要な物で、処分に困る状況になってしまいました。
物は死ぬと持っていけませんし、その人にとって大切なものであっても
家族であろうと他者にとっては、何の価値も見いだせないただの物になってしまいます。
本当の両親の持ち物の処分には、困ってしまい、手間もかかり
それ以来、自分も必要以上に物を持つことが嫌になりました。
「断・捨・離」の大切さを身に染みて感じました。

そして、「死」を前に「限られた時間を生きる」ということを考えた時に、
それまでは、自分の人生でありながら、人の目ばかり気にしたり、
無意味な考えてもわからない、人がどう思っているかに
時間やエネルギーをつかっていた事に気づきました。

先日、会った友人も、
「表面しか見えていない人がとても多い、
だから人の事も見えないし、表面どおり受けとり、
自分の問題なのに、人のせいばかりにしているから
自分に起こっている因果関係を見つけることもできず、
想像力も洞察力も低いままだから、同じことを自分にも相手にも繰り返す。」
と言っていましたが、その通り!と今は思えるけど、
以前は私自身がそう人間だったとつくづく思いました。

だから、自分が相手に悪いことを言ったり、していても気づけなかったり、
平気でいたりしたことも随分あっただろうと思います。

人間は、失敗もするし、間違いも犯すものです。
それを繰り返しながら、そして、自分がしたことに気づいて改善していきながら
そして自分の真実をみつけていくのだろうと思います。

限りある時間の中で、それをどれだけ見つけるかが大切な気がします。
だから、見栄や高慢になっている暇などがあれば、自分を見つめたり、
人を責める前に、自分のエゴを見つけて、どこから出てくるのか気づいたり
そんなことに使いたいなと思います。

今日、お彼岸でお墓に行った時に
「此の世に生を受けさせてくださり、育て、そして今は形がなくなった後も
見守り、愛し、そして生かしていただき、本当にありがとうございます。
本当にこの家系に生まれ、私はとても幸せです。」
と、ご先祖様に伝えましたが、追加をします。
「間違いを犯したり、悪いことに気づけなかったら、
こりゃ!何しとんなら!反省せー!と教えてください。
自分なりに精いっぱい頑張っていきます。」

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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欠けているものを見出そうの話
久しぶりに、洞察力があり聡明な友達と会って、色々と話をしました。

最近の近況報告とともに、人間関係で見えるものや
その奥に見えてくるものを、話し合ったりしていて、
こういう人って面倒で関わりあいたくないという人の傾向などを
勝手に二人で色々挙げて、その人の奥にある闇について
想像したりしておりました。

私たちの関わりあいたくない人の傾向は、
・自己評価が他人からの評価より高い人
・承認要求が強い人
・すべて他のせいにして、自分を振り返らず同じ事を繰り返す人。
・自分をあげるために、人を陥れたり、悪口を吹聴する人
・言葉巧みに、その話術を使い、人の評価を落とすような印象を植え付ける人。
・自分のために、人を利用したり使おうとする人。
・嘘を巧みに使う人

周りを見ると、結構いますし、
人のふり見てわがふり直せ!
ということわざもありますが、これらが見えるということは
自分の内側にも、少なからずある性質だということでもありますが、
これらの性質が突出して強い人はいるわけです。

その人たちの傾向は、強烈な寂しがり屋で孤独にとても弱いという
共通点があるかも!と、それが原因でそのような行動に
つながっていることもあると話していました。

誰もが、幼少期に刷り込まれた事や、両親から、または親族からとの関係で
色々な感情や価値観が生まれ、その中にはネガティブな感情もあります。

同じ親に育てられていても、全然違う傾向が出るというのは
やはりその人自身の受け取り方があると思うのです。

誰もが寂しいし、幼い頃は、両親が恋しいのは一緒だと思いますが、
親がとても構ってくれていたとしても、
人によって、すごく愛されたと満足感を得ている人もいれば
全然かまってもらえず、愛情不足と感じている人もいるのだと思います。

この愛情不足と感じている人は、大人になって、
自分への愛情をはかるために、相手に試すようなことをしたり、
誰彼かまわず、承認要求が強くなり、自分を認めてほしいと
自分ではなく、相手の視点を気にするようになったり、
相手はどうも思っていなくても、人と比較して自分をあげるために
相手を落とすようなことを、吹聴したり、悪口を言うこともあるのかなと思います。

いつも足りないと不足感があり、相手にそれを埋めてもらおうとして、
自分自身でそれは気づいて埋めることができるのに、
外にしか目を向けず、心の乞食みたいな状態になっている人もいます。

また、自己評価が周りからの評価より高い人。
まぁ文字通りだと、自分の思い通りにしたい欲求が強く
相手にそれを要求したり、期待したりして、
そうならないと、不満が増幅し、不平が出たりする人ですが、
他人は他人の人生の主人公なわけですから、
すべて自分の思い通りになどならないのが当たり前です。

何を根拠にしているのかはわかりませんが、
自分の事を相手が聞いて当たり前、
相手は自分の望む事して当たり前とでも勘違いしてるのか、
相手を責めたり、不平を言うわけです。

でもこの自己評価は、とても浅い所の評価であり、
本当の意味で自己評価ができていれば、
自分に自信があり、自分の意思を大切にして、自己肯定してるように
相手も同じように肯定し、相手の意思も大切にできるはずなので、
結局は幼い子供のような甘えと、結局は承認要求が奥にあり、
相手に認められて初めて、自分を肯定できる癖が隠れている気がします。

また、仕事や外での人間関係ではとてもいい人と言われている人が
家では、内弁慶な場合もあります。
これも甘えや、家族=自分の所有物=何してもいい
という方程式がある人もいるのだと思います。

昨今の色々な事件を見ていて、学校の教育というけれど、
やはり家庭環境でのしつけだよね~と話をしていて、
どんどん罪への刑罰を厳しくする前に、
幼少期に道徳や倫理観を学ぶようにするとか、できないのかなと話していました。

でもその親世代の方に問題があるのかな?とも思います。
私の周りにも親になっている人たちはいますが、
精神的に幼稚で、話をしていて驚く人もいますし、
周囲に流されやすい人や、子供よりも自分優先で生きている人
親というよりも自分の「女」の部分を優先していたり、
「倫理観」「道徳観」「礼節」など、見いだせない親も結構います。

その友人と、本当に不思議だよねと今日話していたのが、
共通の友達や知人の中では、
慈愛に満ち、人間的にも豊かで、いい母親になるだろうという人は
子供を欲するのにもかかわらず、子宝に恵まれず、
精神的に未熟で、エゴや依存心が強く、人間的に幼い人の方が
親になっている人が多く、なんでだろう?と話していました。

私の友人で子供を望んでいなかったのに、妊娠した時
「私はまだまだ未熟なため、学びが必要なようです。
 望んでいなかったけれど、子供を授かりました。
 それぞれに学びの場があるのでしょうが、
 私は子供とともに 成長し、親となっていくことで
 学ぶことがあるようです。」
というようなメールが来ましたが、
やはり、自分が望む望まないにかかわらず
自分の学びの場がそれぞれにあるのでしょう。

出来事はすべて自分の学びのためと視点を持たないと
せっかくに色んな出来事が、自分の経験、体験とできず、
自分の不満や苦しみの元にしかならないようにも思います。

先日「るろうに剣心」を見に行ってきたのですが、
「欠けているものが見出せぬ半端な状態では
奥義の伝授はおろか、志々雄一派に勝つ事もまず無理だろう。
百歩譲って仮に勝てたとしても、
お前の心に住み着いた人斬りには絶対に勝てん。」
というセリフがありました。

これは誰もがあてはまることだと思います。
「自分に欠けているものを見いだせぬ限り、
自分自身の闇に自分が振り回され、苦しみ、
いくら他者のせいにしても、心が晴れることもなく、
気づくまで、また同じことの繰り返しだ」

自分に起こる出来事によって、自分の欠点や性質を見つけ出し、
それを受け入れることによって、強さを持ちたいと思うのでした。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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縁の不思議さの話
今までの人生を、振り返ってみたとき・・・
不思議なご縁があったな~と思うことがあります。

大きな試練に遭い、それを乗り越えようと頑張っていて
心が折れそうになったり、頑張ったけどもう無理~という時に、
そんな私を救う為だけに出会う人がいるのです。

そして、私がその試練を乗り越えたり、
見失っていた自分を取り戻すと、私の前から消えるのです。
文字通り、仕事が一緒で毎日会っていたのに、私が元気になるとすぐに
急に結婚が決まって仕事を辞め、海外に行った人もいます。

または、私が心の内は悲しみと苦しみがいっぱいで参ってしまっているけど、
それでも、何とかしなくては!と踏ん張っている時に、
知ってはいたけれど、全然交流のなかった人が、手を差し伸べてくれ
本当に感謝の涙が出るほど、陰ながら色々してくれて、
それが終わると、離れていくのです。

一度、「神はすごい!天才だ!」と感じたことがあって、
自分の業、そして家族である父、母の業、祖父、祖母・・・
そして先祖代々の業が、すごくうまく交じり合い、
全ての結びつきによって、相手によって自分の学びができ、
そして自分がいるからこそ、相手も学べ、
自分の業をはらすことが、先祖の業をはらすことにもつながる
そんなしくみになっていると気づき、
まぁ何ともうまい事出来上がっているものだと思ったことがあります。

心の勉強の時に、その話をしたら、
産土神様と相談しながら、自分が自分の学ぶべき家を探し、
その家のご先祖様に、そのご縁で生まれさせてほしいと
頼むのだから、そうなるのは必然と言われ、
あー自分が探して生まれたのか!と納得したことがあります。

家族の縁ももちろんですが、此の世での全ての縁も
きっとお互いを研磨しあって、魂を磨きあうものであったり、
何かあるんだろうな~と思ったりもします。
「袖振り合うも他生の縁」とも言いますもんね~。

一度、とてもお世話になった人に、私がお返しをしようとしたとき、
「私には何のお返しもしなくてもいいから、
 これから先、もし同じように困った人がいた時に
 今度はあなたがその人にしてあげて。」
と言われたことがあります。

また、父が亡くなったとき、農業について全く無知の私に代わり、
農機具の処分、田圃や畑のその後の段取り(面倒を見てもらう)
など、一切合切してくれた近所のおじさんがいたのですが、

近所の人に「お香典じゃと思って、色つけて買うたれー」と
草刈り機を数千円で売ってくれた後で、
実はあれは自分が欲しかったんじゃと言われ、
「お父さんの遺品分けとして、もらってもらったのに!!」
と私が言うと、
「わしゃ~な~、人が困ったり弱ったりしとるときに、
そこに付込んで、色々する奴がほんまに好かんのんじゃ。
そんな事をする奴は、人間のクズじゃと思うとる。
それにそんな事したら、あんたのお父さんにえらい怒られてまうわ。」
と言い、お礼を一銭も受け取らず、本当に色々よくしてくれた
おじさんがいました。

父が死んだ時、母が死んだとき、
私はその深い悲しみの淵に落ちている時、苦しいはずなのに、
大きな善意の心や、差し伸べられた手の数々に何度となく感動しました。

それは、両親の徳のおかげで、私が得をしたと思っていますが、
それ以外の時でも、本当にたくさんの救いの手が差し伸べられた事を
振り返ると思いだされるのです。

そんな時、私は神を感じずにはいられないのです。
大きな愛に護られていると・・・
そして救いの手が差し伸べられたと・・・

そして、今思い起こすと、自分が人生で一番辛かったと思う時は、
自分の外側の出来事が引き金になったとしても
原因はその出来事自体ではなく、
自分が自分を信じれなくなったときだな~と思うのです。

大きな失敗をしてしまい、自分でも十分反省している上に
他者から非難を浴びたり、責められた時

自分の無力さを実感した時、

両親が亡くなり、自分の根底が覆り、自分の立っている地が
なくなったと感じた時

迷いが生じ、自分の選択や決断に自信がなくなり、
それを自分の内ではなく、外に求めだした時、

共通点は自分の内の神を信じれず離れた時だな~と思うのです。
そういう時に、いつも救いの手を、善意の人たちを使って
差し伸べてくれたように思います。

私は今、してくれた人のように、差し伸べることができているだろうか。
見返りのない善意を持っているだろうか。
自分の内のその奥で、全人類とつながっているとしたら、
私は、誰かのために、神の使い手として使ってもらっているだろうか。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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恐怖からの弱さではなく、愛情からの強さを持つ話
最近、自分を振り返ってみて、
自分の弱さを、美化して優しさと、はき違えてはいけない
と思いました。

昨今の報道を見ていても、
自分の私利私欲のため、
自分の執念のため、
相手の気持ちなど一切慮ることもなく、
相手を平気で傷つけたり、だます人がいます。

私の身近にも、そういう人はいますし、
仕事をしていても「ありえない」と想像を絶することを
平気で言ったり、したりする人はいます。

許す心は大切です。
でもそれが恐怖から出ている弱さであったとしたら、
許す優しさではないように思うのです。

もし自分が被害者になるような出来事が起こるとすると
相手を加害者に、自分がしてしまっているともいえます。

心(魂)は、
された人よりも
した人の方が
より深く傷つくとも言われます。

自分だけではなく、相手をも傷つかせてしまうのです。
そこで、恐怖に打ち勝ち、相手を加害者にさせない強さを
(自分が被害者にならない強さともいえます)もつことは
大切だと思うのです。

それも一つの愛情、
自分に対してはもちろん、
相手に対しても廻りまわって愛情になるのだと思います。

自業自得という言葉があります。
自分でも今生何もこれほどのことを受けるような、悪い事はしてない
と思う人もいるかもしれません。

もしかしたら前世での報いなのかもしれませんし、
そのことが自分の浄化につながるのかもしれません。
または、その出来事によってしか学べない
大きな気づきが用意されているかもしれません。

でも、心配しなくても、今生での帳尻は合うようになっていると
私は思っています。
もし、帳尻を合わさず、ひどい行いをして、そのまま報いを受けず
逃げ切った(そのまま此の世を去る)方が、その後を思うと
ゾッとします。

今生でのことは、今生で帳尻を合わせた方がいいのです。
此の世は色んな波動の人が一緒くたになっている世界です。

どうしても、波動の低い、目に見える豊かさを持つ人の中でも
強欲で、悪行もものともしないような礼節や倫理のない人たちや
暴力に訴え、力を欲し、前に前にと目立つ人たちが
此の世での権限や力を持っているようにも見えます。

波動の高い、聡明で、倫理観や礼節を尊び、心が豊かな人ほど
目立つことを嫌い、派手なことも嫌い、質素でつつましやかに
そして善行を行い、勤勉に生きていることも多い世の中です。

そういう人たちが、生きにくい社会は、
レベルの低い世界なのだと思います。

「恐怖からでる弱さではなく、愛情からでる強さを持つ」
そんな人になりたいと、秋の夜長に思う私なのであります。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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蛇の道は蛇に巻き込まれない話
「朱に交われば赤くなる」
人間、付き合う人や環境の影響をとても受ける生き物です。

それらを意識していないと、無意識のうちに
自分もその人たちの影響を受けて染まっていくものです。

人によっては、自分の交友関係の人数が多いことを誇る人がいます。
たくさんの友人がいることを、自分の価値観としている人です。

また、肩書きのある人との交友関係を誇る人がいます。
他人の肩書きで、自分の価値観があがると勘違いしている人です。

見栄っぱりの人たちと交友をすれば、そのコミュニティの常識が
自分の生活のすべてになってしまい、それに染まるでしょう。

また、強欲な私利私欲な人たちと交友すれば、
知らず知らずのうちに、金銭に執着する人間になるでしょう。

心優しい慈愛にあふれた人たちと交友すれば、
気づくと、自分の内側にある愛が外のあふれるような人になるでしょう。

やはり、交友する人、そして環境とは大きいものです。
どんな人の中でも、環境にあっても、自分というものをもち
自分の内がぶれることも、揺れることもない人になれれば
それほど素晴らしいことはありませんが、
やはり、なかなかそこまでの域に到達するのは、難しいものです。

ですから、意識的にそれを自分で選ぶことは重要になってきます。
意地悪な人や、強欲な人、執着心の強い人、また心が醜い人とは
距離を置くべきです。
反対に、心根の優しい人、善き心の持ち主とは交流するべきです。

表面のものに惑わされず、自分の心の善悪の感覚を信じるべきです。

それは他人だけではありません。
身近な家族や親族に対してもです。

私自身、たくさんの人と交流したいとか、
孤独が以前はとても寂しかったのが、
一人の時間を有意義に感じるようになったことで
他人に対しては、付き合う人をとても選びます。

肩書きや、金銭的に豊かな人=人間的にすぐれているわけではありませn。
目立たず、弱者のような立場の人で、それは心の美しい人もいます。
できるだけ、心根の美しい、素直で素朴な人と付き合うようにしています。
そのような人と会うと、とても楽しく、自分の心が晴れて明るくなります。

他人に対しては、選択ができますが、自分の家族や親族はできないと
私自身思っていて、ついつい相手を優先して、
金銭へ対してすごい執念を持っている親族に
何度も煮え湯を飲まされるような事をされたり、
親族だからと、相手の私利私欲のために都合のいいように利用されたり
何度嫌な思いをさせられても、仏心が出てしまい、仕方ないと
その時は怒りつつもいつも許し、甘んじて受け入れていたことがありました。

でもやはり、心を鬼にしても「ダメなものはダメ!」と相手に言い、
自分の生活や自分の事を守るのが先決と気づいたのです。

そうしなければ、本当にその人が困ったときに、
自分が相手を助けることもできません。
助けることどころか、その人が困る前に自分が困り果てて倒れてしまいます。

どこの家庭や親族にも、「困ったちゃん」のような人がいます。
それが親かもしれず、兄弟かもしれず、子供かもしれません。
悪いことは悪いとはっきりと伝え、物事の善悪を教えましょう。
そして、自分の生活が、その人の犠牲になるようであれば、
立ち行かなくなるような状態になれば、自分の生活を守りましょう。
最終的には、それがダメな親族のためになるのだと思います。

お金に対して、執着心がとても強い人はいるものです。
今日も、末期がんのシングルマザーから、嘘を並べ全財産をとった
とんでもない妻子持ちの男の人の詐欺事件の報道がありました。
一般の想像をはるかに超えたことをする人は、実際にいるものです。
困っているその男性に対して、一縷の望みを託し、一生懸命にお金を工面した
末期がんの女性の気持ちを慮ると、激しい憤りを感じるばかりです。

振り込め詐欺にしても、人間の善意や家族を思う愛情を利用した
本当に卑劣極まりない犯罪だと思います。

此の世には、道徳観のない、卑劣な悪い奴はいるのです。
一人の悪人との交友したために、家族皆が地獄に落ちることは簡単に起こるのです。

自分を守ることを優先に考えましょう。
悪い人が生きやすい社会をつくらないよう、自らの道徳観を高め、
悪い事は悪いという勇気と、心を鬼にして巻き込まれないように離れましょう。
それが、回りまわって、自分のためだけではなく相手のためにもなるのです。
善人が生きやすい社会を創るためには、善人が強くなることも必要なのです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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外と内、陰陽の話
久々に(約8年ぶり)に、昨日その当時一緒に働いていた人と逢いました。
一緒に仕事をしていた期間は5年ほどだったと思います。

その当時は、
私自身、卵巣脳腫や椎間板ヘルニアを患い、入院したり
兄の離婚や、また兄は仕事や交通事故等でのトラブルが続いていて、
母がうつ病になり、そしてALSでの闘病、父の末期のすい臓がんと、
非常につらい時期で、私用でお休みすることも多く、
両親の付添いで長期休暇をとったりして
迷惑をいっぱいかけ、そして色々話を聞いてもらい
本当によくしてもらい、お世話になった人でもあります。

といっても、年齢は同じ年で、私自身も家族の事が大変でしたが、
その人も家族で「困ったちゃん」が結構いて、大変なこともあり、
まぁ同じような境遇とまでは言いませんが、共感できる事もあり、
心を割って話せたり、相談もしやすい人でした。

仕事は私が辞めて、約1年後にその人も家族のことが原因で辞めて
それ以来でしたが、久々に会い、昔話から最近の話に花を咲かせていました。

その当時の職場の人は、その人を含め、
表面的には男勝りで気が強そうなサバサバしていて、
口ではつっけんどうな言い方をするものの
心の優しい、思いやりのある人が多かったな~と思い出しました。

これは私の人生で色んな人を見てきて、
「表面的に強そうに見える人の方が、 繊細で優しい人が多かったり、
見た目にかよわそうで、女性的な人の方が、気が強くて負けない人が多い。」
ように思います。

きっと陰陽両面を人間は自分の内の世界に持っているので、
どちらかが表面に出ているだけで、その反面も持っているということなのでしょう。

また、弱い人で、その弱さゆえに自分を守る防衛本能なのか、
鎧を着るように、強さを身にまとう人がいます。

本当に強い人は、鎧を着る必要もなく、誰に何をされようが
傷つけられることはないといわんばかりに、ソフトで隙だらけで
攻撃をすることもなく、ぬかに釘という表現は意味が違うけれど、
内の強さゆえに、表面的には強く見えない人もいます。

すごく愛想がよくて、言葉巧みな人を、私はどこか信用できない所があります。
実際に正論を振りかざして、他者の人生に自分の意見を言って非難して
自分自身の人生はめちゃくちゃで、それ以上のひどい事をしている人もいます。

反対に、朴訥で、言葉がうまくないけれど、誠実な人がいます。

私が一番信用している友達は、
本当に私が苦しくて思わず弱音を吐いて、泣いてしまった時に
ただただ何も言わず、そこにいて、
あとで、
「何て声かければいいかわからんで、何もええ事言えんでごめんな。
 ほんま、元気づけてあげる事もなんもできんで、ほんま自分が情けない。」
という人です。

他の友達も、似たり寄ったりで、辛い時、言葉が見つからないと
何にもできんで、いい言葉も言えれなくて、ごめん。と言って、
私の話を「うん、うん。」と、目に涙をためながら、
一生懸命聞いてくれる人が多いです。

パートナーもそうですね。
営業なので、仕事では違うのでしょうが、
私に対しては、「うまく気持ちを伝えれなくて悪い。」と言って
自分の事はあまり話さず、いつも聞いてくれます。

傾聴という言葉がありますが、その聞いてくれるという事自体、
信頼に値する行為であり、その人の優しさを感じます。

もちろん、快活で、言葉巧みで愛想のよい、
そして心優しい、思いやりの深い人もたくさんいると思います。

ただ、私は外に出てなくても、
内に秘めている人のそれは、大きく深い気がするのです。

以前、俳優さんが、
「あの人って熱いよね~!!っていう人がいるけど、
 一見クールに見える人の方が
 恐ろしいほど、内に情熱がある人っいるよね。
 というか、外に出さず、そのエネルギーを内にためてる人の方が
 その熱量はすごいんだと思う。」
と言っていたのが、すごく腑に落ちたことがあります。

この反対ももちろんありますね。
表面的にはとてもいい人でも、内には嫉妬や怒りなどでいっぱいの人。
出さないと浄化しないので、それを溜めておくと、腐ってどんどん発酵していき
そのエネルギーたるや、ひどく大きくなり、自分自身を蝕んでいくパターン。

結局は「因果応報」で自分に返ってきますし、
行動や言動で表現しなくても、その思い(感情)はエネルギーなので、
結果そのエネルギーに遭ったものを引き寄せ、因果を創ります。

まずはすべてを認めるところから。
自分の内の、気に入っている所だけでなく、気に入らない所も
認めていくことで、自分を許すことにつながります。
相手を許す事ではなく、自分を許すことになるのです。
認めるためには、受け入れることも必要ですね。

誰もが、色んなたくさんの自分の面を持っているのですから。
 
強さに憧れをもちますが、弱さがあるからこそ、
またその弱さを自分が気づいている人は、
他者に優しくなります。

また、傷を持っている人は傷の痛みを知り、
人を傷つけるのではなく、許したいと願います。

自分に起こる出来事を、すべて自分の内の経験値にして、
自分という魂を磨いていきたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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ないものねだりは必要なしの話
10代、20代の頃は、とても外見がきれいな人に憧れていて、
自分も美しく生まれてきたら、人生はバラ色だったに違いない!と
思っていました(笑)

人はないものねだりなので、
「もっときれいだったら・・」
「もっと家がお金持ちだったら・・・」
などと思います。

家がお金持ちであればいいように思いますが、
私の知人に、幼い頃から親からの期待に応えなければと
プレッシャーがすごく、それに何度も押しつぶされそうになったと言う人や
もう何年も付き合っている男性がいるけれど、
家柄のせいで結婚を許してもらえないのだと言っている人もいます。

また、ある分野で有名になり、雑誌やテレビなどにも出演して
周りにもてはやされて喜んでいる知人は、
一度そういう脚光を浴びると、それを失うことへの恐怖がとても大きくなり、
何はともあれそのことに時間を割き、本業はおざなりになって収入がおちても、
見栄をはることに必死になっている人もいます。

その反対に、一切表に出ることはないけれど、素晴らしい人はいます。
すごい慈愛をたたえた人や、すごい知恵を持っている人
真の幸せを知っていて、ひっそりと自分を律して生きている人・・・

何かの本で読んで、腑に落ちた話があります。
「あるお寺に行った時、その高僧という人は大した仁ではなかったが、
そのお寺の掃除夫の人は、とても素晴らしい仁だった。
見かけで判断してしまうが、真の尊い人物というものは
誰にも知られることがなく、陰でひっそり生きている人なのだろう。」

私も、たくさんの人が集まる有名な先生の話よりも
近所の農家のおばあちゃんの話の方が、ぐっときた経験があります。

きっと執着もなく、此の世の陰でひっそりと生きると
見栄を張ることもなく、恨みを買うこともなく
まっすぐな素直な目で真を見つめることができるのかもしれません。

もし、自分にないもの探しを得意としていて、
一人でさみしい思いをしている人もいるかもしれませんが、
色んなものがないからこそ徳が積める状況であったり、
ある意味、色んな穢れの思いを受けないだけでも、
真の人生を生きる条件が整っているのだと
明るく自分の人生を生きていきましょう。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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心身の安定の話
今日は蒸し暑かったけれど、秋の空気になってきました。
今年はさわやかになるのが、早いですね。

季節の変化で、今までの疲れが出て少し体調を崩している人も
最近よく見かけます。

やはり体調管理もそうですが、自分のケアは大切にしようと思います。

昔何かの本を読んでいた時に
「国を治めたいなら、まず町を治めろ。
 町を治めたいなら、家族を治めろ。
 家族を治めたいなら、まず自分を治めろ。」
というような言葉があって、そうだよね~と思ったことがあります。

まずは自分。
衣食住に関してもですし、やはり季節の変わり目とか疲れが出やすい時は
早めに寝たり、季節のものを食したり、という物理的なことと
自分の心を落ち着かせて、リラックスするという心理的なこと、
心身ともに、その浄化と安定に努めることが大切なのだと思います。

毎日色んなことが起きます。
想像していなかったようなことが起こることもありますし、
また他人からの予想外の「言葉」「行動」「態度」をされることもあります。
それらの、外的要因が原因で、自分の心も揺れ動き、
その心とリンクするように体に影響が出たりもします。

大体その自分の心の動きの原因は「他人」や「相手」が悪い。
その出来事があったから、自分の心は浮き沈みをすると思いますし、
実際に、自分の心は一か所のとどまらず、あっちやこっちへと
動き回ったり、一喜一憂したりするものだったりします。

でも、本当は自分が自分の解釈で受け取り、
そして視野が狭くなり、そのことで自分の内をいっぱいにしてしまい
そこで、自分を苦しめていることも多々あります。

自分の心が安定していれば、どんな事が起ころうと
揺れ動くなく、静かに安定しているのだと思います。
(あーそうなりたいものです)

結構、怒りの原因は、結局自分の内側の原因が
鏡のように映って、自分に与えられて苦しんでいることでもあります。

色々相手の心を詮索しようとしたり、相手のことを考えますが、
結局は自分の傲慢さだったり、慢心が原因だったり、
怒りの中には自分では認めたくない図星のことがあったりしますよね。
相手の事にフォーカスして疲れるなら、何も考えない方が健全です。

先日テレビを見ていたら、
「コンプレックスは自分の自信があったり
得意なことに対してもつものだ」
と言っていて、なるほど!と思いました。

美しい人ほど、外見にコンプレックスを持っていたり、
知識を持っている人が、自分の頭脳にコンプレックスを持っていたり
結構周りを見ても、実際にその人の得意分野がコンプレックスに
なっていることがよくあります。

腹が立ったり、心が動かされるところも、
もしかしたら、自分が自信があるところや、慢心になっている所、
気づかず傲慢な心があるところなどかもしれません。

何でも考えすぎると停滞してしまう傾向もありますし、
不安や恐怖が増長してしまうこともあります。
また疲れて、エネルギーが出ない状況にもなったりします。

自分の心も体もケアをして、自分を大切にすることが
周りも大切にすることにつながり、
また、自分の心身の安定につながり、
いい影響を周りに与えることになるのだと思います。

さぁ新しい季節です。
元気に楽しもうではありませんか。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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恵まれるって?話
周りを見ていて、
恵まれた人と、恵まれない人がいますが、
さて、どちらが幸せなのだろう?とたまに思ってしまいます。

此の世に生を受け、家族にも恵まれ、
そして経済的にも恵まれ、愛情を受けて育った人の中には、
愛されて育った人が持ち合わせている、或る種の自信と
そして人間が好きで、自分が与えられてきた善意を
周りの人たちにも、惜しみなく与える人もいます。

でも、その中には「あって当たり前」「してもらって当たり前」で
何に関しても、足りないものを探して、不満だらけで
そしてそれを相手に要求したり、相手を非難し続けている人もいます。

たまに「わがままだな~」とか「何様?」と思うほどに
話を聞いていて、自分の事は棚に上げてよくこんなに言えるな~と
感心するほどに、色々と不満や欲求を口にする人もいます。

まぁ、素直にストレートに出す人の方が、
私はいい人で正しいのに、と被害者面をして、
相手をこき下ろすよりマシだな~と思うこともありますが、
そういう人は、絶えず自分にないものを探しているから、気づかないのか、
今あるものは、自分が持っていて当たり前と思っているのか、
私からしたら、それだけ色んなものを手に入れていて幸せだろうに・・・と
思う人が結構多くいます。

かたや、親が離婚していたり、また経済的に苦労したり、
それ以外にも、幼い頃から色々と多難な時期を過ごしてきた人の中には
今までないこと体験して、あることが「当たり前」ではないと知っているので、
色々な出来事の中で、喜んだり、感謝したり、ありがたく思える人もいます。

またその中には、善意の受けることに、最初戸惑う様子を見せたり、
その善意の裏に何かあるのではないかと疑ったり、
あまりに心の傷が大きくて、心のシャッターを下ろしている人もいて
あまり喜怒哀楽を見せないような人もいますが、
それが解消されると、嬉しく受け入れるようになり、
中には、すごく感動をする人もいます。

その人にとって、あって当たり前、してもらって当たり前という感覚がないので、
してもらう事や、あることがとてもありがたいことであり、
とても幸せを感じるような出来事になるのだと思うと、
恵まれるということは一体何なのだろう?と思ったりします。

といっても、あの仏陀はとても恵まれた家に生まれた王子であり、
裕福な生活を送っていたこと考えると、
結局はその人自身の感性や感受性なのかもしれませんが・・・

よく話を聞いていて、不満や愚痴を言う人は
とめどなく出てきて、その終わりが見えませんが
本当に深刻であったり、シャレにならないほどの苦労話は
人に話すことなく、自分の内に秘めていることが多い
そんな気がします。

私の場合、話を聞いていると、それって結局自分がした事じゃん!って
自業自得だと思うことを、周りの近しい人に責任転嫁して
ずっと非難や批判の話をする人と、
本当に大変な人生を送ってきてるな~と思う人で、
自分ではどうしようもできず、相手や周りの事がきっかけで
自分が大変な目に遭っているのに、きついでしょ~と笑いながら
結局全部自分の責任だからねと、受け入れている人もいます。

まぁ私自身、まだまだ未熟なので、面倒に巻き込まれたり、
色んなことがスムーズに進まなかったり、
忙しくて、疲れている上に何かを要求されたりすると、
ついつい相手のせいにしたり、相手に対して不満を持ちます。

でも少し時間をおくと、違うな、自分だな!と気づいて、
「これからは、きちんと断ることをしよう。」
「うまくいかないのは原因があるはず。
 自分か、それかこの方向ではないのかそれを見つめよう。」
「相手の要求をに聞いて、自分勝手と責める気持ちが生まれるなら、
 その時に自分の意思を伝えて、納得してから受けよう。」
と考え直します。

また、不満が心に宿る時は、私の場合は疲れている時なので、
ゆっくりと休養をとる時間をとるようにしています。

友達に会うのも、疲れていたり、心身ともにあまり調子よくないときは
できるだけ避けることが多いです。
友達と会う時間は、楽しい時間にしたいと思うのと
大切な友達を、自分の不満を捨てるゴミ箱にしたくない気持ちが
あるからかもしれません。

このゴミ箱って言葉は、友達が言っていて思わず笑ったのですが、
友達をはき違えて、自分の都合のいい「ゴミ箱」扱いにしている人いますよね~。

人は身近な大切なもの(家族や友達など)を粗雑に扱い、
結構どうでもいい人間関係に気を使って、重要と考える傾向がありますが、
本当に自分に大切なものを、当たり前ではなく、
今あることが「有難い」と気づいて、大切にできると
きっと自分の内も整理できて、バラバラ、ぐちゃぐちゃなことが
すっきりとして、自分の大切な事に照準が合うかもしれません。

結局は、自分の悩みや不満は自分のものであって、
誰にも解消してもらえず、解消できるのは自分ひとりだけですからね。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


 
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