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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
想いの強さの話
ゴホゴホ・・・風邪をひいてしまいました。
風邪というか・・・気管支炎だそうで、発熱やら、のど、咳でしんどいです。

昨年、仕事を変え、その仕事をするようになって、
本当によく風邪をひくようになりました。
今までは、空気清浄器がある所が多かったので、
私の免疫はそれに慣れてしまっていたのでしょうか・・・
手洗い、うがいをしっかりしても、すぐウイルスに感染されます。

まぁ熱が入るということで、自分の脳の中の不必要なものが
鼻水だったり、のどの痰などになり出てくると思い、
これも浄化だと思っていますが・・・

私の父の命日は11月23日なので、そのせいかもしれませんが
この季節、旅立つ人が多いイメージがあります。
季節の変わり目で、体調を崩しやすいということもあるかもしれません。

今月、高倉健さんの訃報が報道されていました。
私は、高倉健さんのファンでもなく、映画など数本見たことはあるものの、
任侠映画は見たことがなく「自分、不器用な男なので」の
朴訥で寡黙、その中に凛とした男らしさと優しさをたたえている・・・
そんなイメージを持っていました。

最近の報道で、あれだけのビッグスターでありながら、
周りの人たちへの心遣い、気配り、
そして謙虚であり、自分を創り上げるために、食、運動、
感じやすい心を持ち続けるための努力、
その上での、ユーモアさ、素晴らしい人だと、
だれも悪く言う人がいないのも、人徳のたまものだと感じ入りました。

きっと昔のインタビューを、最近放送していて、うろ覚えなのですが、

「大臣やそんなえらい肩書きを持っているかではなく、
自分の想い、この時の想いがどうかということが、その人の価値である。」

他のインタビューでは

「主人公が「いいことをするためには悪いこともするんですよ」と名言を吐いた。
なるほどなあって。
俳優が作られた話を演じて、他の人と比べて高いお金をもらっているのは、
やっぱり想いを伝えるってこと。」
などのお話をされていました。

人間の想いの大切さ、強さをとても知っていて、
それを自分の人生においても、実践された人なのだろうと思いました。

人間は失敗もしますし、過ちも犯してしまいます。
そこで何を得て、その後どうするかということの勉強にもなります。
ただ、そこで他者に非難され、他者のせいにして、歪んでいき、
その後殻に閉じこもったり、もっと失敗や過ちにつなぐ人もいます。

行動にも、その内にある想いがのっているとしても、
自分はいい想いをのせて発信しても、
受信する相手の判断で、そのいい想いが届かないこともあります。

でもそれは、相手の問題であり、自分の問題ではない事で、
自分が出した想いは、回りまわって自分に戻ってくる
因果応報の法則があてはまると思っています。

でも、心遣い、気遣い、心配り、気配りができる人は、
仕事の中でも営業などは、この賜物でしょうし、
仕事でも、プライベートでも、家庭でも、この心持ちがあれば
必ず、相手に伝わり、その人は
健さんのように、人徳が得られるのだろうな~と思ってしまいます。

最近は、自分ばかりで、
自分さえよければ人などどうでもいい。
人を蹴落としても、自分はよくなりたい。
自分が、自分が!で相手の心を想像しようともしない。
そのくせ、自分を好きになってほしい、かまってほしいと
思う人がとても多いような気がします。

そして、そのような気持ちが強くなればなるほど、
その気持ちとは正反対に、人が自分から離れていったり、
大切にしてもらえないと、傷つき落ち込む人もいます。

人は、やはり自分が役立つことによって幸せを感じるように創られ、
そして、自分の想いや気持ちが、反射して自分に返ってくるように
創られているような気がします。

高倉健さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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努力の先の辛抱の話
寒くなりましたね~。
冬が苦手な私は、あーまた冬の到来か~愛猫と寒がっております。

先日テレビを見ていたら
「努力は誰にもできるけど、一歩抜きんでるためには辛抱がいる。」
という言葉を言っていました。
ちょうどその時、仕事に対してどの会社も人材不足の悩みを抱えていて
いい人材の中には、田舎生まれ、体育会系の人が多いという話をしていて
やはり、田舎生まれにしても、体育会系の部活をしている人たちも
辛抱の連続だもんな~と思って聞いていました。

私の実家は田舎の藁葺き屋根の古い家でした。
夏は色んな虫との同居でしたし、冬は極寒、
ジュース一本買うのにも、徒歩30分以上行かないとありません。

部活も、もう何してるんだろう?何のため?と思うような
走り込みだったり、運動だったり、素振りだったりが続いたり、
全てが「はい」でしたから、理不尽なことも、
学生時代に色々と学ぶことができました。

冬が苦手なのは、幼いころから寒い家ですぐに風邪をひき
いつも苦しい思いをした記憶があるのと
大人になってから、椎間板ヘルニアになり、症状が悪化し
激痛が体に走り、入院していたので、そのこともあるのかもしれません。

これは上に書いた「辛抱」とは意味合いとは違うかもしれませんが
「辛抱」はとても大切なことなのだろうと思います。

今、錦織圭選手が毎日快進撃を続けていて、日本全国が応援し、
そして私たち日本人を新たなステージに連れていってくれています。

パートナーは、裏の努力や辛抱が想像できるらしく、
すごいだけではなく、一般の人がしているような青春はなく
それは大変な努力と辛抱があったということに、
たまに「かわいそうになる」と言います。

もちろん、選手はその苦しみや努力の上に、
感動や喜びを体験するのでしょうが・・・

伊藤みどりや、浅田真央、そして今は村上佳菜子選手を
育てている山田満知子コーチは「スケートが嫌い」と豪語し、
村上佳菜子選手はソチオリンピックで引退を決めていたそうで、
その後続ける決めた村上選手に山田コーチは引退を勧めたそうですが、
現役続行を決め、今ともに挑戦を続けているそうです。

その山田コーチが「演技で勝ち負けにさらされる子どもたちがかわいそう」と
スケートが嫌いと言います。
それでも、「苦しみや悲しみがあるからこそ、楽しい」。
練習は苦しいことばかりですが、それを乗り越えた先に
「本当の楽しさがある」ことを知ってほしいと言われていました。

やはり一流になればなるほど、努力だけではない辛抱があるのでしょう。
凡人の私の想像をはるかに超えた世界のような気がします。

ただ一流でなくとも、やはり人間形成には、必要なものだと思います。

最近の周りの友達や知人の子育てを見ていると、
辛抱などは「敵」と言わんばかりに、与えまくっています。
「かわいい子には旅をさせ」とはよく言ったものです。
本当の「愛」とはなんだろう?
自分の為なのか、相手の為なのか?と疑問に思うこともあります。

昔の親は、自分が嫌われることなど意に関せず、
まっとうな人に育てるべく、研磨するように育ててくれた気がします。
ありがたいことです。

全然レベルは違いますが、
苦手な冬も、寒くて辛いからこそ、
あたたかさに感謝したり、幸福を感じれます。

一見して楽しい体験よりも、もっと深い楽しさや幸福は
一見楽しい体験ではないものから生まれてくるのかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
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神社と、るろうに剣心の名言の話
京都に行ってきました。
清明神社⇒永観堂⇒南禅寺⇒平安神宮・・・そして奈良の橿原神宮

紅葉も色づき、秋が深まりつつある情景を見ることができました。
今回も神社仏閣をまわりましたが、私はやはり籠神社が好きです。
パートナーと行っていたのですが、結局また籠神社に行こうと言いながら帰途につきました。
籠神社は、私の感じたのは、何ともいえない、温かさの中に凛とした、
そして清々しい気が満ち溢れている神社で、本当によかったんですよね。

あとは、
佐太神社
それから、今住んでいる所の氏神様の八幡様が、
境内に入ると、凛とした清々しい神気を感じて好きです。

生まれ氏神様も八幡様ですが、今の住んでいる所の八幡宮はとてもいいんですよね。

伊勢神宮は別格ですが、やはり自分に合う波長だとか、好きな神社は
誰もがあるのかもしれません。
私は大小はあまり関係なく、やはり境内に入ったときに感じるものが一番です。

一年ぶりに京都に行き、一本入ると迷路のような狭い道もあったり、
町屋さんが立ち並ぶ街並みを歩いていると、
最近「るろうに剣心」の映画を見に行ったあとに、漫画を読んでいたので、
約150年前の幕末の時代に、起こった事柄などを感慨深く考えてしまいました。

京都という町は本当に歴史には事欠かない、名所がひしめき合っている街ですね。

最近、「るろうに剣心」を読み直していて、いいなと思ったセリフをご紹介。

「自分の命を懸けてまで、人間の誇りと尊厳を守ろうと
出来るものなどそうはいないものだ。
ただ生きるだけなら、家畜同然。誇りも尊厳も必要ないからな」

「死んだ者が望むのは、仇討ちではなく、生きている者の幸福でござる。
お前がこの小さな手を汚しても、誰一人喜びはしない。
時が立てば、この小さな手も大きくなり、お前は必ず大人になる。
その時、力で人を虐げる男にはなるな、
暴力におびえて何もできない男にもなるな。
最期の最期までお前を案じ続けたお前の兄の様な男になって
幸福になるでござるよ。」

「・・・自分の命もまた一人の人間の命だという事実に目を伏せて・・・
愛しき者や弱き者を仏の慈愛を以て己を犠牲にして守った所で
その者たちの中には悲しみが残り、本当の意味で幸福は訪れない。
生きようとする意志は、何よりも強い・・・」

「勝負に勝った方、つまり強い方が全て正しいというのは、
それは志々雄の方が正しいということでござる。
1度や2度の戦いで答えが出るくらいなら、誰も生き方を間違ったりはせん。
真実の答は、お主自身が今まで犯した罪を償いながら、
勝負ではなく自分の人生から見出すでござるよ・・・」

「限界は超えてこそ・・・その果てに有るのが極めるというコト・・・
限界は自分で決めるものではござらんよ。」

「人間ならば、知性で「引き際」というものを悟る。
犬畜生でも本能で察する。
だが、己の敗北を勝者のせいにして、引き際を見失った奴などそれ以下
犬畜生にも劣る化物同然」

「俺が動くのは俺の正義の為だけだ」

「罪に苛まれようと罰が与えられようと生きようとする意志は決して捨てぬ。

お前はすべてを捨ててきたといったが、
捨てるなんてその気になれば誰にでもできる。簡単なんだ。

もはや生きることからお前自身が目を背けるための只の言い訳にすぎないんだ。

心を弱くしてしまった今のお前は、あの四人のためではなく、
あの四人のせいにして、己の兇剣をふるっているにすぎないんだ。

この現実から逃げ、考えることをやめなければ四人を死なせてしまったという
自責の念に潰される。

お前の弱さが全てをあの四人のせいにして、あの四人を悪霊にしている。」

「結局のところ・・・自分自身で自分の「答」を見つけるしか手段はない・・・・・
誰かが軽く背中を押してやるくらいの手助けはあってもいい。
だが、「答」を見つけて立ち上がるのは自分自身に他ならない。」

「大事なものを失って・・・
見も心も疲れ果て・・・
けれど、それでも決して捨てることのできない想いがあるならば、
誰が何と言おうと、それこそが君だけの唯一の真実」

いい言葉ですね。
人生、八方塞がりのような時や、何してもダメな時、
自分が何の価値もないように思えたり、
自分を犠牲にして、誰かのためにとしたことで、恨みをもったり、
~のためと言いながら、本当は~のせいとして自分のできない言い訳にしたり、
現実を見つめることから逃げたり・・・・
もう消えてしまいたいと落ち込むような事など、
生きていれば、誰もが一度は体験するのでは?と思います。
そんな時に光明を見出さしてくれるようなセリフの数々ですね。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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孤独と安心の話
私の住む町は、雨が降っております。
一雨ごとに秋が深まり、どんどんと冬に近づいていきます。

今の時期、人によっては、とても寂しさを感じたり、
人恋しくなったり、心が少し不安定になるひともいるかもしれません。

人は孤独を認めたくありません。

考え方の一つに、誰もが自分の世界にだけ1人で生きており、
自分の世界の中では、現実は夢幻のようなものであるというものもあります。
マザーテレサの言葉でも、
全ては自分と自分の神とのことなのです。という言葉もあります。

でも実際には、この現実社会の中で、雑多な出来事が自分を取り巻いています。
だからこそ、自分の孤独を認めようとせず、避けようとして、
誰かと一緒にいようとか、誰かにかまってもらったり、
思いを寄せてもらうことで、その孤独をごまかそうとする傾向もあります。

でも実際には、どんな大家族であっても、
人、もの、予定を自分の周囲に置いた所で、誰もが、実は孤独なのです。

「1人でいる時の寂しさより2人でいる時の孤独のほうが寂しい」
ということを言っていた人がいましたが、私も実感したことがあります。

目に見える自分のまわりの環境を良くすれば、
孤独を感じることなく、自分の心が満たされるというのは錯覚ということです。

人は皆孤独であり、自分も孤独なのだと素直に認めて、
外に向けてその孤独を解消しようとせず、自分の内を静観して、
自分の内にある「神」「大いなる存在」「深く安心できる自分」に
気づくしかないということです。

外に向けて探そうとすればするほど、自分の内と離れていき、
認めてなくても、孤独感が深くなり、不安定になることもあります。

自分の内を内省し、深く安心できる自分に気づくことができれば、
全てが自分であり、
自分が自分を安心させることができる唯一無二の存在だとわかれば
色んな焦り、恐れ、罪悪感、悩みなども、消え去り、心が安定します。

他者に対して、期待をしないので、絶望せずにすみ、
いつも自分の孤独を救ってほしいと、誰かを見つけて頼ろうとしなくてもいいので、
気に入られなかったらどうしようという恐れや、
頑張って気に入られよう、認められようと思う不安や焦りも消え去ります。

まずは、孤独を認めること、
そして、外ではなく、自分の内に安心感があると見方を変え、
自分の心を安心させるような努力をすること。
これが、寂しくなくなるために必要なことです。

昔、とても悲しい時や寂しい時に、誰かに助けてもらおうと思いました。
落ち込んでいると、優しい言葉をかけてくれる人もいます。
でも、自分の心は晴れません。
自分の気持ちが誰もわかってくれないと、もっと孤独を感じました。

それはそうなのです。
自分の心は自分のものであり、唯一無二なのですから、
家族であっても、友であっても、愛する人であっても、
元気にするために、背を押してくれることはできても、
その心を晴らすことができるのは、自分しかいないのです。

皆、人は自分が孤独ではないと思っているから、
他人に期待し、愛されることで孤独から解放されると思い込み、もがき、
他人の心や行動を自分がコントロールできないことに気づかず
あがいて、もっと苦しくなるのです。

他人の心はわからないし、コントロールもできないけれど、
自分の心は感じるし、見つめれるし、コントロールする努力もできます。

全ては自分なのです。

もし、自分が今現実に孤独な環境にあったとしても、悩むことも恐れることもありません。
自分の内に、自分を深く安心させてさせてくれるものがあります。
それを見つけてください。
あたふたと、周りに人やものを置こうと焦るよりも、
自分の内を静観することで真の安心を知ることができます。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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