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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
無視はダメ!!の話
梅雨もあけ、毎日暑い日が続きますね~。
夏になると、なぜか我が家の愛猫は、早朝に起こすようになります。
大体5:00位(日の出の時間???)4:00とか4:30とか・・

トイレとごはんをしても、私を起こすのが自分の仕事とばかりに
もうそれはそれはしつこく、耳の横に口を持ってきて
大きな声で鳴きまくります。

猫だと侮るなかれ
きちんと話すと通じて、普段は話をするとよく言う事を聞いてくれるのですが
早朝の大騒ぎは何度話しても、もうやめてと何度言ってもダメで、
毎日続くと、寝不足がピークになり、イライラして
とうとう一昨日、いくら鳴こうが無視して早朝は寝たふりをして、
起きた後も、ごはんとトイレはきちんとするものの、話しかけず、
いくら鳴こうが返事もせず無視するという行動に出ました。

20年同居していて初めての、この私の「無視」攻撃に対して、驚いたのか
不思議だったのか、いつも以上に鳴きまくり、ずっと後を追ってきて、
最後にはおたけびのような、今まで聞いたことのない悲壮な声をあげ、
廊下の真ん中で座り込み、鳴いていました。

猫でも、こんなに「無視」されるということは辛いものなのかと驚きました。
「愛」の反対は「無関心」と言いますが、「無視」もなんだな~と思いました。

相手がいることでもですが、自分自身に対しても、
自分の内の声を「無視」し続けるのは、自分を苦しめてるんだろうな~と
つくづく感じてしまいました。

そのあと声をかけると、大喜びできて、喉をゴロゴロならし、
普段は説教をしだすと、どこかにさーっといなくなるのですが、
その時ばかりは、ずっと目の前にいて、聞いていました。
次の日からは、朝の大騒ぎは無事おさまりました。

でも、夏のこの暑さで、疲れがたまったり、忙しかったりすると、
「イーッッ」となってしまいそうになります。
小さい奴だな~と我ながら思いながらも、
仕方ない、イーッッてなりそうなんだもん!!!と自己弁護し、
結局は、いくらいっぱいすることがあっても、
一つずつ片付けるしかないと、深呼吸して、手をつけていきます。

焦ったり、早くやろうとしたり、効率よくこなしてやろうと思うと
私の場合は、パニくって訳わからなくなったり、ミスしたりと、
結局時間がかかり、自分もストレスを感じてしまうことになってしまいます。

一番よくない結果になるのは、誰かにいい恰好を見せようとしたり、
すごいと思われたいと思ったり、他人の評価を得ようと打算的にすると
私の場合、うまくいかないことがとても多いです。

だれでも、他人の評価は少なからず気になりますし、
仕事は特に他人の評価によって、色々左右されることもありますが、
それが癖になってしまい、自分の幸福だったり、自分自身のことも
他人に評価されたい、すごいと思われたいという意識が強いと
自分の内の自分にとっての幸福が見えなくなってしまう気がします。

他人の評価ばかり気になり、他人がいいと思う状況を
自分が手に入れたとしても、あれっ?というように幸福感や達成感がなく
何か違うと違和感を感じたことはありませんか?

私はあります。
だから、いくら他人がすごいとか、うらやましいとかと称賛されても
全然自分は幸せを感じず、間違った所に身を置いたような
居心地の悪さを感じて、そこから身を引いたこともあります。

なぜ、ものすごく頑張って手に入れたのに
自分は満たされなかったのかと、今振り返ってみると、
その頃は、どこかで自分は幸せになる資格がないと感じていて、
それを補うためには、他人が思う幸福を手に入れることで満たされるのでは??と
他人の幸福を、自分が目指してたからだったように思います。

「幸せになってもいい。」「自分を幸せにできるのは自分だけ」
「自分を許したらいい。」「自分を許すことができるのは自分だけ」
心の勉強の時から、少しずつ、時間をかけて
自分の内に溶け込むように入り込んだような気がします。

やっと、自分の幸福を、誰かに認めてもらいたいと思わなくなりましたし、
きっと今の状況は、自分にとっては幸福でも
周りからみたら幸福には見えないかもしれません。

でも周りからみたら幸福に見える状況の時には、
私自身は幸福を感じるどころか、苦しくて仕方なかったのは事実です。

幸福の基準や、幸福の状況は誰もが違うということですよね。
でも、やはり一番は、幸福を感じる心を育むことなのでしょうが・・・

最近、安保法制の事もあり、8月が近づくとともに戦争についての番組が
増えてきているように思います。
きっと70年前の日本の状況を考えると、今の日本の状況は
夢のような幸せな状況なのではないかと思ってしまいます。

愛する人を戦争に奪われ、財産を奪われ、生きていく事さえ
大変だった時代からすると、今の不平不満の内容を聞いたら
呆れられそうな気もします。

既に手にしている幸福に気づき、それに感謝できるようになりたいものです。
また、自分の内の声に耳を傾け、自分の幸福を自分のものにできるように
他人の目や、評価より、自分を許し、自分を信じ、自分の声を無視することをやめ
幸せをなっていい許しを与えたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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自分の問題⇒他人の問題=×の話
今日は、海の日でしたね。
私の住むまちも、今日は夏日の晴れ渡った青空が広がり、
夏休みもはじまって、海に行くには最適だな~と思いながら、
仕事をしてました(苦笑)

私の実家は田舎で、両親は共働きで、兼業農家で忙しく
夏は桃やぶどうなどの果物も色々と作業があり、
全然どこかに連れて行ってもらった思い出はありません。

が、家での日常が今から思うと楽しい日々でした。
桃やトマト、ブドウ、スイカなど、果物は食べ放題
おじいちゃんっ子だった私は、一緒に一日時代劇を見て、
夕方からは蛍を見て、たまに庭で花火をして、
夜は大好きな蚊帳を張り、蚊取り線香をつけ、
おじいちゃんとたわいもない話をしながら、眠りにつく・・・
という夏休みでした。

それでも、夏休みがあけて、友達が色々な所に旅行に行ったり、
色んな事をして遊んだ話を聞くと、すごくうらやましく思ったものです。

「うらやましい」という感情はなかなかの曲者です。
ミズーリ大学コロンビア校の研究者によれば、
うらやましいと思う気持ちが鬱病の原因だともいいます。

自分で稼ぐようになって、休みの度に色んな所に旅行に行ったのは
その頃の「うらやましい」の反動もあったのかもしれません。

一周回って、最近は家でぼーっとする時間が最高!!になり
すっかり出不精ですが・・・(苦笑)

夏休みなどは、色々出かけたいとか
他人をうらやましいと、特に思う季節かもしれませんが、
どこに行くか、どのような体験をするかということより
自分が体験を通して何を心に刻んだのか、
感じたのか、気づいたのかが大切
なことだと思います。

物事に対しても、どれだけ時間をかけたかではなく
どれだけの想いをのせたのか
ということが、大切な気がします。

今日朝ドラのまれを見ていて
「都会に行くと、キラキラできると思っていた
ここ(能登)でキラキラできんのに、都会でキラキラできるわけない。」
というようなセリフがありました。

○○だったら、○○になれば、○○に行けば、○○の友達になれたら
自分がキラキラ光れると思ってしまうことがあります。

それって、今の自分を否定しているということで、
それこそ自分はキラキラしてませんと宣言し、
現実の自分を認めていないということですよね。

現実の自分を認めていないということは、
自分の問題を他人の問題や他人のせいにすりかえることもよくあります。
(まれの一子ちゃんもそのパターンでしたね~)

自分の事を見つめることができず、
自分に気づきを与えてくれるために起こる出来事にも鈍感で
何も気づかないため、ずっとその気づきを得るまで
同じようなテーマのパターンがループするということもあります。

自分の問題を他人の問題にすりかえて批判するのは勝手ですが、
自分の問題だから、その出来事は起こるわけで、
結局は自分の問題は、自分でしか解決できないんですよね。

そういう意味では、ある意味誰もが孤独なのかもしれません。

自分の問題に対しての解決すすむ過程では
もがき苦しむような思いをすることもあるでしょうし、
向かい合う事よりも、逃げ出す方が簡単なようにも思うかもしれません。
真っ黒な中、1人で何も見えない寂しさと、
出口なんかないかもしれないという恐怖を感じるかもしれません。
誰かに助けてもらいたい、救ってもらいたいともがくかもしれません。

それでも
「天は自ら助くる者を助ける」
は真理だと私は思っています。

自分を助けるのは、結局は自分自身なんだと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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全てが大事の話
自分が自我で意識してつながる人間関係と
自分で選んだつもりはない人間関係というものがあります。

自分で選んで付き合う人は
結婚相手とか、恋人とか、友達です。
それは、自分の「好き」な人であったり、気の合う人であったり、
一緒にいて楽しいとか、楽とか、心地いいと感じる人だと思います。

自分で選んでるわけではないと思う人間関係は
親とか、兄弟、子供とか、
または近所、仕事関係や子供関係etc...の人です。
中には、苦手だったり、嫌いだったり、気が合わなかったり
価値観が全然違ったり、苦痛を感じる人もいるかもしれません。

親も、魂レベルから見ると、自分で選んでいるのかもしれませんが
自分では選んだという実感はないでしょうし、
反対に、自分の子供も、自分が創り育んだと思いますが、
結局は、その人自体を自分が選んだという実感はないと思います。

知人で、数人子供がいる人で、
子供の中の1人だけどうしてもかわいいとも思えず、
苦手と感じる子がいて、罪悪感を持つという事を言ってましたが、
人間 対 人間ですから、
親子だから好きなはず、血のつながりがあるから合うはず
ということはないのだろうと思います。

また、家族だから分かり合える、理解できるという幻想を捨てることですね。
1人の人間 対 人間 ですから、わかることもあれば分からないこともあるし、
自分の価値観や考え方を、家族だからと押し付けようとしたり
自分をわかってくれないと家族を憎んだりするのも、
ちょっと甘えすぎと思ってしまいます。
大人になれば、そんな幻想と甘えは捨てましょう。

私は、人生で一番苦手と感じる人は、兄です。
幼い頃よりは、大人になるにつれ薄れてきましたが、
兄といると、緊張と恐怖につつまれ、
他人よりも誰よりも、一緒にいるとに苦痛を感じる人でした。

別にいじめられたわけでも、何かされたわけでもないですが、
きっと、兄が発する気が自分とは本当に合わなかったように思います。

今はそんな事はありませんが、
価値観や、ものの見方、捉え方はまったく違いますし、
あまりに利己主義な家族に対する所業行為の数々の中
人生の中で、頭の毛が逆立つほどの怒りを感じたのは
この兄に対してだけです。

父の遺言の「兄とだけは関わるな!」の通り(笑)
関わると金銭的な事をはじめ、色々問題が勃発して
ややこしいことばかりになるんですよね。

兄は、IQは高く、頭の回転は早く、金儲けは得意ですが、
心の指数のEQ( 心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、
また自分の感情をコントロールする知能を指す。)が、
大きく欠落している人のようです。

もちろん親子や兄弟という縁は、
きっとお互いに切磋琢磨する為の、
いい砥石の役目をするのかもしれないけど
合わない場合は、線を引いたり、場合によっては逃げて、
自分に合う砥石を自分で探せばいいと思います。

仕事での人間関係で悩んでいる人も多いと思います。
学生時代のバイトも含めたら、私は結構働いています。
職種も変わってますし、勤めていた時は異動で
色んな所にも行ったおかげと、接客業も長かったということもあり
本当に仕事関係でも色んな人と出会いました。

まぁほとんど、気の合う人などいません。
私は基本的に、仕事場は仕事をしに行く場所であり、
お友達を作ったり、楽しむために行く所ではないと思っているので
まぁそんなもんだろうと思っています。

が、
その中でも、自分の人生に色濃く影響を与えてくれた人との
出逢いはあります。

大きく二つに分けると、

一つは自分が迷路に迷い込み、心底悩んでいる時に、
神が手を差し伸べてくれたかのように、仏のように柔和で包んでくれ
優しく、自分の話を例えとして話してくれ、
私自身が自分の誤りを気づくように導き、
絶望の淵にいた私に、希望を与えてくれた出逢い。

もう一つは、その時は「鬼」と憎むほどの相手で
口を開けばダメ出し、そして次々に矢継ぎ早に要求をされ
今思い返してもどうしていたんだろ?と記憶がないほどに
無我夢中に頑張り、その時その時を乗り切っていた経験を
私に与えてくれた出逢い。

どちらもありがたい出逢いです。

後者の、その時は辛いし、苦しいし、憎しみも感じて、
なんで私が・・・と感じてましたが、後で考えると、
その時の経験が、その後生かされる事が多かったり、
自分という人間形成に大きく影響があったように思います。

誰でも、楽で、楽しくて、おもしろくて、笑っていられる環境が
いいと思いますが、その時は嫌でも、
後で振り返ったときに感謝できる体験は結構あります。

色んな体験により、思いがけない新たな自分と出会ったり、
自分でも驚くほどの、パワーや才能が開花したり
反対に井の中の蛙だったという事に気づくこともできます。

百閒は一見にしかずとも言いますが、
やはり、体験でしか、自分を見出したり、
ある程度負荷をかけないと、
自分の内から、自分の想像を超える自分は
引っ張り出せないようになっているのかもしれません。

自分で負荷をかけれる人はいいですが、
私のように、自分に甘い、楽しようとばかりする奴には
次々と他者によって負荷をかけてもらうしかないのでしょうね~。

わいわい騒げば騒ぐほど、楽しければ楽しいほど
その後一人になった時に
孤独と寂しさを味わったり、人恋しくなったり、
虚無感や空虚感など、味わうことがあります。

もしかしたら、環境的に恵まれているのに情緒不安定な人は、
楽で楽しいばかりで、空虚感が増幅しているのかもしれませんね。

楽しい事も大事、苦しい事も大事、
喜ぶことも大事、辛い事も大事
好きな人も大事、嫌いな人も大事
愛情も大事、残酷な面も大事
自分が此の世で体験するすべては無駄などなく
全てが大事!!!

ドラマや小説も、順風満帆で、何の試練もハプニングもなく
人間関係でのトラブルや、行き違いなども一切なく
辛い事や悲しいことのないものなど、つまらないものはないでしょう

どんなことでも、限りもあるし、変化もあるわけで、
だったら、すべてが感謝で、怒りながら、泣きながらでも
心のどこかで楽しんで生きていきたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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恋愛は色情の話
7月ももう中盤に差し掛かり、台風も次々と日本列島に迫る勢いです。

夏休みももうすぐ始まり、完全に夏本番を迎える季節。
夏というと暑いのは当たり前ですが、昨今の暑さは異常です。
38度とか、もう人間の体でも、風邪引いて出る高熱じゃん!!という感じです。

毎日熱中症での被害も報道されています。
意識的に水分とかミネラルを取る努力が、個人個人大切ということですね。

夏になると、バケーションで、気が緩むものです。
アバンチュールを楽しもうとする人たちも増えるかもしれません。

恋は人生においてとても大切なものだと思います。
仕事や勉強などは、自分が頑張れば頑張った分、
その成果が速度は違えど、目に見えて結果につながるものですが
恋愛においては、頑張れば頑張るほど、相手にひかれたり
理不尽や、思い通りにいかない切なさや、
ただ待つしかないというような、何もできない自分の無力さや
愛するがゆえに芽生える、嫉妬や憎しみなどの感情が
自分の内側から生まれ、苦しみも感じます。

その苦しみを、そのまま相手にぶつけて、
自分の我を押し通そうとするストーカー行為は、恋愛ではなく、
ただの自尊心ですが、恋愛は、気持ちが深ければ深いほど
愛する気持ちが強ければ強いほど、
全ての感情が大きく深くなるのだろうと思います。

ただ、最近は自分の寂しさを紛らわすための道具にしようとしたり
また、自分の価値を推し量るために、相手の愛情を利用したり、
家庭がありながら、自分も性欲や自信回復の為などに
あまり深く考えず、刺激を求めてj情事にふける主婦の方もいます。

それぞれの人生は、その人の問題であり、
他人がどうしようもできないものですし、
その人生の責任は全て本人にあるので、
その人がしたいことを、したいようにすれば
その見返りは、いいことも、悪いことも、
全て本人に返るので、まぁご勝手に!!とも思いますが、
自分を貶める行為は浅はかに見えてしまいます。

ばれなければいい!!
と思っている人もいますが、自分は知っているわけですし、
何人かそういう人を見ましたが、
やはりそういうことを続けている人は
他人にはいい事ばかり言ったり、自己弁護をしたりしてますが
実際には情緒不安定になったり、自分の価値を自分で認めれないとか
絶えず、承認欲求を求めて、自分を愛してもらうことで
やっと価値を得られる衝動により、恋愛依存のような人もいました。

たまたまかもしれませんが、
私の知っている人で、裕福な家庭に育ち、
真面目で優しいだんなさまがいて、
マイホームに住み、子供にも恵まれ、
趣味の延長のような仕事?をして、きれいに着飾り
周りから見ると、恵まれた環境の人が
彼氏を外にもち、コソコソと逢瀬を重ねていました。
恵まれているにも関わらず、依存性の強い
精神的には幼稚な人が多かった気がしますが・・・

人間とは欲深い生き物だと思います。

あれも欲しい、これも欲しいと、
あれもしたい、これもしたいと思い、
それが叶うと次に向かう・・・
あてどなく、次々に出てくるものが欲なのでしょう。

この欲があるからこそ、頑張れたり、
自分の壁を越えれたり、
欲ではなく「夢」となり、生きがいになるパターンもあります。
欲がなければ、喜びも苦しみも生まれないかもしれません。
欲は生きていく中で、大切なものです。

恋愛は、人生においてのすばらしい体験をさせてくれます。

でも、自分の欲求を満たす色情や、快楽を求める行為は
見ていると、色んな執着をもたらしたり、苦悩することになり、
人によっては、思いがけない代償を払うことになり
大切なもの全てを失う人もいますし、そうならなくても
結果自分を苦しめることになるような気がします。

これからの夏の季節は、特に誘惑も多いかもしれません。
自分の魂をどこにおくか、
自分にとっての恥とはなにか、
それでも自分のしたことの責任は自分で全てとるのだということを知り、
他人にばれるばれないの問題ではないということを
考えて、自分の人生を創っていきたいものだと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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この季節体だるくない?の話
はや7月。もう今年も半分が過ぎました。
夏至が過ぎてから日が陰るのも早くなってきましたね。

というか、今日は七夕。
私の田舎は、七夕は旧暦でしていたので、
7月の七夕にはあまり実感がありません。
8月の夏休み真っ只中、よく晴れた日の夜、
笹に願い事をつるし、夕涼みしながら
天の川の両岸にある織姫、彦星様を見たような気がします。
残念ながら、今日は雨ですね~。見えないかな?

鍼灸師の友達曰く、この季節は「うつ病」や「自律神経失調症」の人が
とても増えるのだそうです。

頭のてっぺんを押して、柔らかくなっていると、その傾向だということで
最近疲れが抜けないから、絶対そうだ!!と思って触ったら
カッチカチでした(苦笑)
でも、この季節何か体がだるかったり、食欲も減退します。

自律神経失調症に有効なのは、
ビンビンになっている交感神経を鎮め、副交感神経を有効するために
リラックスをすることが大切とのことで、これらがいいのだそうです。

①睡眠をとること
②お風呂につかること
③野菜などできるだけバランスのとれた食事をすること
④寝る前にストレッチをして、体を緩ますこと
⑤ぼーっとしてゆったりする時間をつくること

毎日お風呂につからないけど、疲れた時につかると
とっても効くのを実感しますよね。

私は、入浴剤は「クナイプ」が好きで、いつもいれますが、
久々にお風呂につかると、それまで体の奥にたまっていた疲れが
どっと表面化して、却ってしんどく感じることがあります。
でも夜は爆睡できますし、何日か続けて入浴すると
疲れがかなり軽くなる気がします。

食事も、サラダをきちんと食べる方がいいのでしょうが、
野菜ジュースを毎食飲んで、補給しています。

運動もだるくてもした方が、体は軽くなって楽になるとは分かっていても
面倒くさくて、ついダラダラ・・・
同じダラダラならと、ストレッチポールの上にのっていますが、
疲れているのか、そのままバランスをとったまま、うたた寝してしまい
起きた時には、背中がしびれているのか感覚がない時もあります(苦笑)

恵みの雨なのでしょうが、雨だと出かけるのが「おっくう」になり、
家で愛猫とゴロゴロ・・・
でもこれが、「あー幸せだな~」と実感する時間になります。

誰もが、幸せな光景というものがあると思いますが、
私は家の中で、大切な人がリラックスしていたり、寝ていたり
そして手料理を一緒に食べている光景が、「幸せ」を強く感じる光景です。

旅行していたり、豪華なディナーを食べているような非日常ではなく、
たわいもない日常の光景・・・そのものが「幸せ」です。

「幸せになりたい!」とか「幸せを手に入れたい」という言葉を聞きますが、
本当に手に入れたいものは「幸せを感じる心」なのかもしれません。

幸せ、不幸せ・・・これを決定して決めているのは、自分の心ですからね。
ついつい、不幸⇒自分以外のせい
(生まれた家、親、兄弟、学校、会社、友達etc...)にしてしまいがちです。

まぁ、自分が受け入れることができるまでは、誰かのせいにして、
自分を守るしかないこともよくあることですが、結局はすべて自分なんですよね。

相手のせいで、自分は腹を立てていると思いますが、
実際には、自分が自分のツボにはまったことで腹を立てているだけのことで、
それって、相手の問題ではなく、本当は自分の問題ということはよくあることです。

それでも、此の世は理不尽なことが多く、自分の思い通りにならない世界です。
まぁ、完全に相手の方がおかしいな~ということもありますが、
問題なのは、なぜ自分の身に降りかかっているかということです。

きっと、それを体験することで気づくものもあるのでしょう。
無視したり、相手のせいにして、己を振り返らなければ、
その出来事というせっかくのチャンスを、無駄にしているのかもしれません。
まぁ無駄にしたらしたで、おーこれじゃ無理かと(笑)
次にはもっとレベルアップした出来事がきてくれると思いますが・・・

相手の事は相手に任せて、
せっかくの自分の時間とエネルギーを相手に捧げて、
相手の事を考えて非難などする必要はなく、
自分は、自分のことだけを徹底的に見るか、
それとも何も考えず、五感で身を流れに任せるか、
した方がいいのかもしれません。

その時を切り取ると、「最悪」と思える事柄が、
時間経過すると、まったく違って見えることもよくありますから。

大嫌いと思っていた人が、自分の視点が変わり見ると
ありがたいと感謝する人に変わることなども、よくあることです。
反対に「いい」とその時に思っていた状況が、
後に全く違うことになっていることもあります。

その時、いくら考えてもわからないことばかりです。
お先は誰の前も真っ暗なのです。
だったら、その時(現在:the present)を感じて生きる方が
いいのかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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