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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
幸せになる絶対条件の話
「幸せになるために、絶対必要な条件はなんだと思う?」
と、聞かれたことがあります。

んーなんだろう??・・・・と、色々と条件と思えることをあげたけど全部外れ。

答えは「不幸を体験したことのある人」でした。

なるほど!!
不幸を知らないのに、幸福がわかるわけもなく、
不幸を経験するほど、幸福を感じる感度が上がるわけです。

なぜこんなことを思い出したのかと言えば、
先日、傷つけないよう、苦労させないよう、と心を砕き
欲しいものは与えるという友達の子育てを聞いたからかもしれません。

幼い頃から色々なものを与えられ、恵まれている環境というものは
ありがたいものですし、その環境の中での経験をしに
生まれてきているのだとは思います。

だけど、つまんないだろうな~とちょっと思うのです。

欲しくても手に入らない辛さとか、
思い通りにいかない悔しさとか、
傷つけたり、自分が傷ついたり
無知から、自分自身が苦労したりetc....
っていう経験って、本当に大切なことだと思うんですよね。

「かわいい子には旅をさせ」とはよく言ったもので、
結果だけではなく、その過程とかプロセスの中の経験こそ
自分にとっての大きな宝となるものは多いと思います。

あるものが欲しいとします。
A君は、親に言ってすぐ買ってもらいます。
B君は、お小遣いやお年玉をため、新聞配達などをして
何年もかかって、購入したとします。

結果は同じ。その「もの」が手に入っただけ。
でも、プロセスは違う。
その「もの」にたどり着くまでに、B君は我慢・忍耐・勤労などを学び
その「もの」に対する愛情というか、思い入れも変わると思うのです。

フィギュアスケートの羽生結弦君が、世界歴代最高を再び塗り替え、
史上初の3連覇を達成して、全世界を驚嘆させましたが、
あるコメンテーターの人が
「彼を見ていると、正に「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉(たま)にす」だと思う。」
と言っていました。
(意味:人間は苦労・困難を乗り越えることによってりっぱな人物になる。)

もちろん、彼は出来すぎという位のレベルの人ですが、
喘息の持病もあり、小学校の時にはリンクが経営難で閉鎖、
その後も、東日本大震災に遭い、多くの犠牲も目のあたりにし
生活も練習の環境も、恵まれなかった経験をしているわけです。

まぁ、彼は見ていて、あまりにもすごすぎるので(苦笑)別格と思いますが、
やはり、辛い経験をすると、優しく思いやりの心がわかるようになるし
悲しい経験をすると、当たり前のことなどないと気づき、感謝できるし、
傷つけたり、傷ついたりすることで、痛みを知ることができるし、
痛みを知ることで、ありがたみや喜びを知ることもできます。

私は幼い頃から、病気がちで何度も入院したり、オペしたりもしていて
成人してからは、椎間板ヘルニアを患い、寝たきりの生活も経験してます。
だから、朝起きて、痛みなく立ち上がれることに幸せを感じれます。

「めんどくさいな」と冬は特に思うこともありますが(苦笑)
なかなか仕事がなくて困ったことも経験したので、仕事ができることを嬉しく思います。

自分が誰かによっかかりたいと思っていた時は、
不安だったり、寂しかったり、自信がなかったりしたけど
自分は自分の足で立とうと決めたら、安心できて
頼らずとも大切な人はサポートしてくれ、
自分の心が晴れた状態でいれます。

せっかくの人生、失敗を怖がらず、傷つくことを恐れず、
色んな経験をして、それを自分以外のせいにせず、
全ての自分の経験は自分と、矛先を自分に向けて、
「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉(たま)にす」とまではいかずとも、
「あー面白い人生じゃった」と最後は笑いたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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不平VS感謝の話
12月・・・
はやい。

最近は1ヶ月に1回ペースの更新になってしまっていて、
ちょっと反省・・・

11月にテレビが壊れてしまい、故障修理をお願いしていたのですが、
修理代がかなりかかるということと、8年でもう寿命ということで、
昨日購入⇒今日設置にきてもらいました。

ネットでも色々情報を調べて、ネットで買って
5年保証つけてもいいかな?と思いながら、
昨日は1日。
そしてお休みだった私は
お仏壇にあまちゃ香
をお供えして、近くの氏神さまにお参りして、いざ電気屋さんに行きました。

このお線香昨日が、初めてだったのですが、とってもいい香りで、
箱の中に入っている紙に
①仏様の喜ぶ「甘茶香」
②「厄除け、災難よけ」「甘茶香」
③「永遠の幸種」甘茶香
と記載があり、仏様にも「思いやり」と「真心」を一緒に供える気持ちで
昨日は朝お供えしたんです。

そうしたら、なんと2件目の電気屋に知り合いの方がいて、
あれよあれよというまに段取りをしてくれて、
ネットで調べた金額とほぼ変わらない?いや安い?値段で
配送なども、スムーズに整って、今日取り付けの流れになりました。

昨日は1日ということもあったからかもしれませんが、
なんだか、色んな「お陰」を感じさせてもらいました。

仏様でも神様でも、
自分の都合ばかりをわがままに要求して、普段は知らんぷりの人と、
仏様と神様に感謝の気持ちを持って、自分の事は自分で頑張ろうとする人だと
やっぱり、後者に手を差し伸べたくなるのではないかと思うんですよね。

次々と試練を与えられて、耐えて、ふんばり、
誰がということの問題ではなく、自分との闘いのような状態で
頑張って、頑張って、あー自分に力だけではもう無理と思った瞬間に、
救いの手が差し伸べられる事があります。

これはきっと経験しないとわからない感覚ですけど、
あっ神はいる!と実感するような時があります。

そういう時は、どんなに苦しくてつらい状態にいても
愛を感じて、感動して、感謝の気持ちがわきあがるような
そんな状態になります。

なんでも、人のせいや、自分以外に原因を探して、
努力もせず、不平不満を並べている人は、自分の成長もないですが
そんな経験もないのではないかと思います。
残念なことです。

どちらも私は経験しています。
だから、わかります。

全て人のせいにして、自分は「善」「正」と思っていて
それを周りに押し付けたり、自分の欲求や要求ばかりを人に求めていたり
また、傍目を気にして、好かれたい、気に入られたい、
よく思われていたいという承認欲求が強い時って、
すごくしんどいんですよね。不安だし、結局自分に自信がなくて
自分のエネルギーを自分の為に一切使ってないから、スッカスカで
そして、自分を失くしているから、人に与えてもらおうとする。

全て自分とすると、人を責めることが一気に減って、
与えてほしいとかいう要求や期待が、少なくなります。
うまくいかないときは、自分を責めるような時が以前はありましたが、
その時の自分が、一生懸命できるだけのことをしたという時は
「仕方ない」と「さぁこれからだ」とシフトできるようになりました。

また、人にどう思われるかというよりも、
自分が自分の良心に恥じないでいられる自分でいることを
優先するようにしたら、安心と安定を手に入れることができて
自分に自信がつくというか、自分を信じることができるようになりました。

また、自分が人に与える喜びを経験し、
人が自分にしてくれることのありがたみにも気づけて
感謝できるようになりました。

与えてほしいと思っている人は、自分の尺度で
これをこういう形で自分に与えてくれるもの以外は、
気づけてないことが多いような気がします。
そして、自分の内がスッカスカの状態では、
いくら与えてもらえても満たされることはなく、
飢餓状態で乞食のように他人からもらおうとしてしまいます。

当たり前なんてないのです。
不平不満ばかりの人生より、同じ生きるなら
笑って感謝して生きたいものですね~。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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