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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
喜怒哀楽の話
「喜怒哀楽」っていう感情の中で、
喜と楽がポジティブでいい感情
怒と哀はネガティブで悪い感情
っていうイメージが、結構あると思います。

まぁ実際に、自分の人生が喜と楽ばっかりで、
自分の思い通りだったらいいのにな~と思います。

そしたら、悩むこともないし、毎日楽しい嬉しいばっかりで
ルンルン、ワクワクなんだろうな~とも思います。

でも、私の人生はそれこそ「山あり谷あり」で
自分の思い通りに、物事が運ぶ事は少ないわけです。

それでも、順風満帆に進んでいる人もいます。
それとは反対に、逆境が訪れる人もいます。

また、いつもニコニコで楽と喜の感情だけを大切にして
怒や哀の感情から目を背けて、蓋をしようとする人がいます。

素直に自分の感情の全てを自分のものとして、受け入れる人がいます。

人は時に厳しい試練にあうことがあります。

そういう試練にあって感じる感情も、全ての感情はやはり大切と思うのです。
神が試練を与えてくれるのは、そういう感情を体感させてくれ
その感情が、色々な事に気づかせてくれ、自分の世界を深く広くしてくれるのです。

その感情を全て受け入れる作業を繰り返す過程で、
人間、磨かれ、鍛えられ、角もとれ、丸くなり、成長できるのだと思います。

喜怒哀楽の中の、怒という感情があるから、悔しさを知り、
それをエネルギーに変えて、成長の糧にもできます。

哀という感情の中で、その辛さや悲しさで押しつぶされて
どん底の中で自我をなくした時に、大きな光を感じる事もあります。

その感情を通らなければ、気づけない、見えない、
行きつけないものもあります。

順風満帆な人生の中での天真爛漫は、
邪気がなくてとてもかわいらしいとは思いますが、

どんな逆境にあおうと、へこたれることなく、
無様に泣いたり苦しんだりしながらも、笑って立ち上がって
どんな事があても、全てが有難い(あることが難しい)と感謝して
自分の喜怒哀楽の感情全てを受け入れて、
生きていけるそんな人間になりたいですね~。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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視点の話
視点とは面白いものだな~と思います。

人それぞれの視点というものは違うものです。
以前、仕事で上司と部下の会話を聞いていて、
噛みあっていなくて、その上司が気の毒になったことがあります。

言葉とは伝えるコミュニケーションツールではあるけれど、
同じ言葉でも、その人の視点や受取り方、
どの目線やレベルで物事を見ているかで
全然違う意味になり、それぞれの心に収まってしまいます。

自分を良くみせようという事に気を取られすぎるあまり
要点がずれていたり、結局自分の都合ばかりで
相手の立場にたって物事を見えない人がいます。
いわゆる「かっこつけしー」ですね。

先ほどの話の人も、謙虚な感じなのですが、視点が狭いので
よくよく内容を聞くと、自分の意見や都合ばかりを相手に言って
相手の話は一切聞かず、自分の思い込みで突き進みます。

自分の物差しは、他人に対しては使い物にならず、
正しいと思っている物差しは違うんだと認識することが必要ですね。

自分の事ばかりなので、一事が万事
周りの人に対しての気遣いがなく、色々な事に気づかず
自覚のないまま、無意識の内に、他人に迷惑や不快にさせています。

それを上司に注意されても
本人は視点が狭いので、自分に非がある事が一切わからず、
糠に釘状態(苦笑)のわけです。

プライベートで一生懸命「婚活」をしていて、うまくいかないと
相手を非難していますが、そりゃ相手もうんざりだよと思います(苦笑)

私は、自分や、よくある視点と全く違う視点から物事を見る人が、
面白くて好きです。
私の視点が変わっていて、気づくことがあるとも言われますが
お互いに、同じ物事でも、違う切り口から、違う視点でそれをみると
全く違う景色になるものです。

誰もが主観的に物事をみるものですが、
自分の事ばかりの人は、視点が狭い人が多く、
狭い世界でしか生きていないように見えます。

どれだけ、世界旅行をしようと、たくさんの人と会おうと
自分の視点が狭いと、やはりその人の世界は狭いのだと思います。

視点の広い人は、自分を客観視できる目を持ち、
また、周りの人の事も見えている人だと思います。
だから、一を聞いて十を知る事もできるのです。

「かまってちゃん」は、相手は自分をどう思ってるかを気にするわりに
相手を試すような事をしたり、自分の寂しさが優先順位1位で
相手の都合や気持ちなどはあまり考えていないような気がします。

もちろん、自分を幸せにするのは自分です。
他人が自分を幸せにはしてくれません。
そういう意味では、自分の事ばかりでいいじゃん!!とも思えます。

でも、此の世は残念ながら、鏡の世界なのです。
自分を自分で見ることもできず、それを映し出してくれるのは
他人という鏡です。
その鏡を見て、気づきが与えられ、行動の糧になったり
自分の色んな面を見つけることができるのです。

また、与えたものが与えられるという鏡の法則もあります。
ある意味、いいことも悪い事も、「目には目を、歯には歯を」なわけです。
自分が出した、思い、言動、行動、エネルギーは回りまわって
自分に戻ってきます。
良い事をしたら、時差や相手の相違はあっても返ってきます。
嫌な事をしたら、それも同じく返ってくるわけです。

此の世で、これは±0にできたらいいですよね。
悪い事ばっかして、持ち逃げして、此の世を去ったら・・・
あー恐ろしや~!!!です。

悪魔の視点か、神の視点か、愚か者の視点か、
愛からの視点か、憎悪からの視点か、
狭い視点か、広い視点か、自己中心の視点か、和の視点か・・・・
その視点により、此の世の景色も、自分の運命も
全く違うものになるのでしょう。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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年の変わり目の話
節分です。

私は1月1日のお正月より、節分の旧正月の方が
年が変わる気がします。

節分の日は、節分祭や、恵方巻き、豆まきなど
やはり節目の日だと感じます。

今年は暖冬と思っていたら、急にさむくなり、
インフルエンザも遅れて今流行していますが、
春夏秋冬、季節折々らしい方が、自然の感じもします。

人生には、色々な節目があります。
人によってそれは違うでしょうし、
年の変わり目や、誕生日などはただ年が新しくなるだけで
自分の変わり目と感じることはなかったり、
他の人にとっては、日常の一日でも、
自分にとって大きな節目になることもあります。

外的要因と、内的要因の大きな二つのことがありますが、
鶏が先か、卵が先かのような気もします。

ただ、外的要因があったときも、
それを自分以外の人の問題として、
自分自身を振り返らなかったら、何も気づけず、
何も変わらず、節目にもならないこともあります。

自分を見つめることは、楽しい作業ばかりではありません。
どちらかというと、受け入れられなかった傷に蓋をしているのに
蓋をとって、その痛みに対峙する必要があったり、
自分が正しいと思ってた事が、実は間違いと認める事だったり
認めたくないような色んな自分を認める行為だったりします。

そんな事などせず、批評家になり、
他人の事ばかり、批評している方がとっても楽なわけです。

でも、生きるということや、生まれてきた理由を考えると、
自分という人間は、自分1人だけで、
生まれる時も、死ぬ時も1人で、
いくら家族であろうと、恋人であろうと、友達であろうと
他者なわけであり、自分は自分しかいないわけです。

その自分を生きるということは、自分にしかできず、
ここにいる理由は、やはり自分にしかわからないことも多く、
ましてや、自分を生かすことは、自分しかできない偉業なわけです。

自分が自分になるために、目の前の体験は与えられ
その体験を通して、気づいたり、考えたりすることで
そのレベルにあった体験を、また与えられ、
自分をどのレベルに持っていくかによって、
その体験のレベルも違うような気がします。

そのレベルっていうのは、お金持ちになるとか、
えらい肩書きをもつとか、ブランドをどれだけ持つとか
此の世を去る時に、持っていけないレベルのものではなく
自分自身の内なる部分を、どれだけ豊かにするか
どれだけ、理を腑に落とせるかということだと思います。

最近、テレビの報道など見ていると
人間ではなく、畜生のような事件や、
大の大人が、年だけ重ねて、中身は子供のような
幼稚な事件などを目にします。

自分がどのように生きるかということは、
SNSでいちいちアピールして、他人からの評価を得なくても
自分というものを、世界に対して表明していることだと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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