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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
人生は大変な事はある。でもいい事も悪い事もない。の話
人生は大変な事はある。

結局はその出来事の中に何を見て、何を学び、その後どう生かすか
どれだけ自分の問題としてとらえ、真摯に自分に向き合って
見つめることができるのかに、尽きるのではないかと思う。

どれだけ理不尽であっても、相手が悪かろうが、
周りの人が何と言おうが、自分に起きる事や、目の前の出来事は
その時の自分に必要だから起こっているわけだ。

ただ、自分が誰かにした陰の事が回りまわって返ってきているかもしれない。
その出来事の中に、自分が気づくべき事が秘められているかもしれない。
もし、その時見つめて、自分と向き合っても
ただ苦しいだけで、解決もしなければ、何も気づけない事も
答えのかけらさえ見つけれない事もあるかもしれない。

でも、それは自分が受け入れる準備ができていないだけで
必ずその時に向き合った事は、その後に自分に返ってきて
自分を助けてくれたり、脱皮させてくれる。

そして、次に生かした時、
それがあったからこそ今があるということになる。

また、ある人はいい事ととることが、別の人だと最悪ととる出来事もある。

何がいいか、悪いかなど、その時点では判断はできない。
後で振り返ったときの、同じ出来事が
オセロのように、あっという間にひっくり返ってしまうことはよくある。

目の前にあるのは、全て自分を映し出す鏡なだけ。
出来事だって、大嫌いな相手だって、ただ自分の鏡として見れば
自分の中にあるものしか、相手にも見えないのだから、
大嫌いな相手の情けない部分や、かっこ悪い性質は、自分の中にもあり、
出来事を×と思う根拠は、ただ自分の問題ということもある。

だから、人生は大変な事はある。
でも、いいことも、悪い事もない。
良い事にするのも、悪い事にするのも、結局は自分自身。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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人生の因果関係の話
ゴールデンウィークも終わり、すっかり初夏のような気候になりました。
熊本地震から、1ヶ月近くたちます。
昨日、「非常災害」に指定との報道がありましたが、早急な復旧を願うばかりです。

「備えあれば憂いなし」とのことわざがありますが、
これからはいつどこで起こってもおかしくないという危機感を1人1人が持ち、
備えておく事が大切な時節なのかもしれません。

ただ未来を不安に思い煩うのではなく、今自分ができる事をする!!
これは災害に対しての心構えだけではなく、生きていく上で大切な事だと思います。

未来はまだ真っ白な状態で、今の自分、今の世界が創り上げている最中で、
すべての因果はその繰り返しで、過去・現在・未来をつないでいます。

今の自分が未来を創り上げている最中なのですから、
何もせずただ未来を思い悩むだけなら、時間の無駄ですし、
今やるべき経験や努力をすることで、未来の結果につながります。

何かの試練や、壁、悩みから逃げようとしたり、避けたりしても、
RPGと一緒で、そのステージをクリアする為に、形を変え、人を変え
同じような試練や壁が、自分に訪れることになります。

そこで立ち向かわずに、思い悩み、努力や経験を放棄すると
ステージがどんどん落ちていき、それと共に運気も低下します。

友人で、20年近く働いていた職場を辞め、転職した人がいます。
その職場で働く人を知っていたので、色々話を聞いていたのですが、
自分の内側を見つめてはいるのでしょうが、理性的で分析家の気性なので、
後付けで色々な理由をつけて話してましたが、
結局はとても感情的で相手の性格が悪いというのが、転職の理由でした。

もちろん、仕事ですから、職場では
自分の感情を押し殺して仕事をこなす事も必要ですし、
人の悪口を一切口にせず、自分の仕事を不満一つ言わずこなしたり
最後まできれいに勤め上げるという行動は、美徳で素晴らしいですが、
自分自身にまで感情をごまかすのは、本当に危険ですね。

その友達を見ていると、悔しいという気を放ちながら、「私は幸せなんよ」と言い
相手への非難と嫌悪感を体全体から放出しながら、「感謝してる」と言うなど
言動と行動と思いが全くバラバラで、傍から見るととても不安定な状態に見え
自分の感情を認めないから、無意識に行動や言動などに出ていて
新しい職場でも、人間関係がうまくいってないとのことでした。

自分の内の感情、、、特に「悲しみ」「悔しさ」「辛さ」「憎しみ」などを見つめ
受け入れることは、決して楽しいことではありませんし、
特に他人をジャッジする人は、自分もジャッジするので、
自分の気に入らない自分を認めず、ないものとする傾向があります。

だから、「楽しい」「嬉しい」「気持ちいい」「いい人」「できる人」とか
自分が認めている部分だけを大切にして、そちらにしか目を向けません。
休みには、旅行、好きなアーティストのライブ、と予定ビッシリいれてますが
どれだけ楽しい経験をしても、「悲しい」+「楽しい」=0とは相殺されません。

その感情はそれはそれとして見つめて、その自分を受け入れない限り、
根本的な解決はされません。
自分の内をジャッジして、認めない感情の自分がたくさんいると
その認めない感情の自分たちが、認めてほしくてクーデターを起こします。

その友達には、前の職場を辞めて以来、新しい職場で問題が発生し
事故に遭って訴訟をされたり、家族間でのトラブルや、
自分の病気など、八方塞がりの状態で色々な出来事が起こっています。

そのような出来事が起こる1年前に会った時に、
心を湖とたとえると、傍から見ると上澄みの所はきれいな水でも
自分で認めていない「陰」の部分の泥が、たまりにたまり
ほぼあふれんばかりの状態でした。

ここまでくると気づかざるをえないから、気づく為の出来事が起こるかもと
思っていたので、トラブルの話を聞いた時もあまり驚きませんでした。

自分自身をどれだけごまかしても、必要な経験を避けても、
逃げたりごまかしたり、自分の問題を他人の問題にすりかえて納得させても、
それをクリアして、自分が気づくまで、結局同じ課題が与えられ、
「これでもか!これでもか!」と、気づくまで連打されるのだと思います。

自分は努力もしない、これがあるがままの自分だから認めろと
相手の意思を無視して自己主張ばかりすると、それはただの我儘で
「親しき仲にも礼儀あり」のように、仕事でも、家族でも、友達でも、
相手への礼儀や気遣いは必要で、その中で自分が我慢したり、
協調したり、合わせたりすることはもちろん必要です。

他人に対しては仮面をかぶり、自分を取り繕っても
自分自身はごまかさず、色んな自分を認めていくしかないんですよね。
他人は、自分の人生のただの脇役でしかなく、
自分に起こることは全て自分が引き起こしているという意識を持つと
因果関係が見えて、気づくことがあるかもしれません。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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