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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
ご先祖様のありがたさの話
昨日というか、今朝というか、とても生々しい夢を見ました。
今は亡き父が夢に出てきて、お金をくれるのです。

父が亡くなって夢に出てきたのは初めてで、
何回かにわけてくれる、その金額もしっかり覚えていて
賭け事もしないし、宝くじも買ってないし、何だろうな~と思っていました。

今日仕事で思いがけない打診があり、一年の収入で考えたら
ちょうどその夢の回数その金額がプラスされるなというお話でした。
前例がないと言われていましたが、なかなかない良い条件の話でした。

やはりご先祖はありがたいものです。
最近は、「墓じまい」とか、色々と先祖供養を放棄するような事が
よくテレビで報道されますが、不思議で仕方ありません。

どんなパワースポットより、神社より、何より
ご先祖様を大切にして、供養すればするほど、
ダイレクトに、見返りなく自分に色々な事で返ってきます。

我が家は、祖父の時代に菩提寺と切れていたので、
その前、その間、その後と比較できるので、とてもよくわかります。

菩提寺と縁深く、熱心に供養していた時は、
蔵を2つ所有する地元でもかなり裕福な家でした。
家族親族の仲もよく、大人数で楽しそうに食事をしていたり
仲睦まじく和気藹々としていた写真が残っています。

菩提寺と切れていた数十年は、健康、金銭、人間関係
全てがそれはそれはひどいもので、思いがけない不幸が
これでもか!これでもか!と襲いかかりました。

私自身も、5回以上は入院していますし、家族はそれ以上です。
大金を失うような出来事や、金銭的な争い、仕事の問題、家族の争いや離婚、
家族皆それぞれに交通事故にあうなど、問題が次々と降りかかってきました。
祖父母や両親が、親類と土地の利権で裁判沙汰になったこともあります。
ストレスで鬱になり自殺未遂を繰り返し、その後難病になった母を、
自分もそれぞれに病気を抱える他の家族で支え、介護する時期もありました。

両親が他界したタイミングで、菩提寺と縁を結び直させていただき
一つ一つ教えてもらいながら、できる限りの供養をして
10年以上になりますが、全く違います。
地獄の状況から、普通の状況になったという感じです。

健康面、人間関係、仕事、金銭、また自分の幸福感。。。
全てが、どんどん変わってきています。

「あー幸せ。今が人生で一番幸せ~。」としみじみと言っては、
よくパートナーに爆笑されますが、
菩提寺のご住職ではない、全然違う宗派のお偉い方?にお会いした際に
「ご先祖様方に、とても護られて愛されている方ですね~。」
と言われた事がありますが、自分でも本当にそう思います。
たまに、気持ちを入れて仏壇に向かって拝んでいると
大きな愛と優しさを実感して、うれし涙が出ることがあります。

私は8代目で、お墓詣りに行くと、山奥に20基近くあるので
本当にお墓掃除は軽く2時間はかかるし、色んな虫はいるし大変ですが
お正月、お彼岸、お盆、此の世で会った事のある方の命日には
必ず、お墓に行き、全てのお墓掃除をして、お墓詣りをしています。

最初は、いっぱい蚊には刺されるわ、顔が蜘蛛の巣だらけになるわ、
転んで泥だらけになるわ、掃除しても1ヶ月後には、笹の葉だらけ、
ヒノキの枝だらけ、たまに竹が何メートルも伸びていたりして、
「マジか。何で私がこんな事しなきゃいけないんだ!!」と思っていました。

でも、掃除して、お花やお供えものを供えて、お線香の香りの中、
全体を見ると、心をうまく言葉にできませんが、きてよかったと思えるのです。

また毎日、少し早めに起きて、お仏壇のお世話をしています。
型だけでなく、感謝の気持ちで手を合わせると、最初はあくびばかり出てましたが、
最近は何ともいえないあったかいものを感じて、うれし涙が出ることもあります。

私の家はとても反応が早くわかりやすく、
家によっては何代も後に、先祖供養の影響がでるのだろうと思いますが、
せっかくご先祖様のご供養ができるのに、それを自ら手放す人を見ると、
もったいなさすぎて、本当に無知で気の毒な人と思ってしまいます。

自分を木に例えるなら、ご先祖は根っこ。
根っこに栄養を与えれば与えるほど(供養をすればするほど)
木は大きく豊かになるというのに、それを放棄するなんて。

根っこが細れば、木は枯れてしまいます。

他の神仏は見返りを求めますが、見返りを求めないのはご先祖様だけ。
親が子に対してする事に見返りがないのと同じ。
でも、親でないものが、子に対してすることに見返りを求めたら・・・
それはすごい見返りを要求されますよね。

ご先祖様、大好きです。ありがとうございます。感謝しかありません。
ご先祖様方の代表で此の世にいるのが、私みたいなもんで申し訳ありませんが、
お護りいただきありがとうございます。お陰様で本当に幸せです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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言葉の話
言葉にしない段階では、気づかないことが多いものです。

言葉に出してみて、初めてわかることや、
色々話し続けていく中で、ばらばらだったものが一つにまとまったり
今まで気づかなかったことが見えることもあります。

本当に辛い事があったとき、言葉にできないことがあります。
言葉にした時には、もう出口を得ていたり、解放されていることもあります。

本を読んで、自分がもやもやしていた事が、晴れるような事や
そうなのかな~と何となく思っていたことの答えを見つけたり
行き詰っていると思っていたことに、出口を見出したり
一筋の光をみつけるようなこともあります。

また、問題が解決するわけでもないけれど
心が軽くなったり、解放されたり、安らかになったりすることもあります。

それでも、言葉にのせて伝えたつもりが、伝わっていなかったり
全く違う意味で解釈されていることもあります。

五感を、言葉にのせることの難しさもあります。
笑っている顔から、大泣きしている顔まで5個ほどの顔を並べ
今の痛さを聞いてくれる病院がありました。

感覚や感情を言葉にのせて伝えるのは難しいことです。

自分の心の内や感情や想いを、そのまま言葉にのせて
相手に伝わることは不可能なのだと思います。

それでも、相手の言葉に耳を傾け、知ろうとすることや
自分の事を相手に伝えようとする努力こそが、
とても尊い行為とも思えるのです。

近しい人には、どうしても先入観も働いて
どうせ言ってもわかんないから・・・と伝える努力を惜しんだり
聞いてもスルーされるから・・・と聞く事を避けたりすることがあります。

でも、実際に言ってみたら、相手に伝わり理解してくれることや
相手の話を聞いたら、自分の想像とかけ離れた全く予想外の事だったり、
言葉にして、初めてわかることも多いものです。

バベルの塔の話では、ノアの箱舟で生き残った人々は、神の命じを聞かず
各地に人が散ることを免れ、天まで届く塔を建設しようとして、神が降臨し
「人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。
人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう」
とコミュニケーションがとれないように、言語をわけたと言われています。

人にとって、言葉とはとても大切なコミュニケーションツールです。

その言葉が、救いともなり、暴力ともなります。
表現方法は他にもありますが、わかりやすい伝達方法であり
言葉にすることで、ダイレクトに相手に伝わることもあります。

私は個人的には言葉にのせる「想い」を重視しますが、
「言葉」は此の世でのエネルギーを強く持っています。
日本には「言霊」という言葉もあるくらいです。

どんな気持ちで、どんな言葉を話していますか。
相手の言葉を聞いていますか。

読んでいただいてありがとうございます。
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変化の話
これから、夏が過ぎ、秋にどんどん近づいていくのですが、
実りの秋を目指して、種をまいてから季節がうつりかわるように、
人も変化するものです。

今までの自分から、新しい自分へ変わっていくとき、
渦中の自分は、何が起こっているか
どんな変化の途中かを、掴めていないことがままあります。

たくさんの荷物を持っていたら、新しい扉が開けないように
何か荷物を降ろしたり、手放すことが必要なこともあります。
また、新たに受け入れることが必要なこともあります。

どちらにしても、新しい自分になっていくとき
今の自分と対峙して、今の自分を知ることが必要になり
今の自分との対話がなければ、
新しい自分への手がかりやきっかけは掴めないものです。

自分の心だから、わかっていると思っていても、
外側からの声ばかりに耳を傾けていて、
自分の心の声や、感情からの奥深くからの自分の気持ちを、
無視したり、理性というもので蓋をしてしまい
実際、自分の心や、自分を掴めていないことはよくあります。

夏の花が散って、実りの秋を迎え、葉が散って冬になるように、
季節のうつりかわりには、ある種の「分解」が起こります。

新しい自分になるときには、
古い自分の構造を知って、それを分解する作業が
必要な時期があると思います。

ある時は自分の価値観を壊したり、
小さい頃から自然に持たされた世界観を捨てたり、
他人の意思を自分のものとして取り込んでいるものを見直したり
古い自分をぶち壊していく作業などのそんな分解を経て、
変化をとげていくのだろうと思います。

その中で、どうしても捨てきれない想いや、
蓋をしていた自分の願いに気づいたり、
今は、過去と未来の中間地点であり、結び目ですが、
過去のこだわりや、諦めきれない想いが
未来に向かって動きだすきっかけになることもあるでしょう。

また分解の作業を懸命に励んだあと、ほっとゆるんだ時に
本当に変えなければならないことは何なのかが
あらわれてくるかもしれません。

答えを頭で考えたり、外にみつけようとしてしまいますが、
自分の答えは、自分の中にしかありませんし、
自分の幸せは、自分のこころでしか感じれないものです。

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想いの強さの話
あーあついぃぃぃ!!!
今年はリオオリンピックもあついぃぃぃ。

このオリンピック期間中にテレビで見て知ったという選手もいて、
こんな私が物申す立場ではないのは、重々わかったうえで
「感動をありがとう」です。

今回、オリンピックに関する報道を見ていた中で
「なるほどな」と思った事がありました。

一つはメダルをとった選手の中で、小学生の頃から
「オリンピックで金メダルをとる!!」と言っていた選手が多いということ。

もう一つは1964年の東京オリンピックでバレーボール女子
金メダリストの神田(旧姓:松村)好子さんが言っていた
「メダルとれたらいいな~なんて気持ちだったら絶対とれない。
想いの強い方が勝つ。」という内容のコメント。
 
リオオリンピックでも、周りがもう無理と思っても、本人が諦めず
逆転という場面もありました。
驚きとともに、想いの強さの力を感じました。

もちろん、オリンピックに出場されるアスリートは、
才能の上に、私のような凡人が想像を絶する練習の上に
その想いをのせて、舞台に立っているのだと思いますが、
「行動」「言動」「想念」この三位一体は大きいと思いました。

オリンピック選手でなくても、これは誰もに通じることだと思います。
何かのきっかけで「行動」「言動」をいくら変えても
「想念」が変わってなければ、結局変わらないという事。

ついつい、私は目に映る見えるものを重視してしまいがちになりますが、
此の世の出来事は、目には映らないものが反映されているようです。

想念という器に、どれだけの行動や言動などのプラス貯金をするか
その「因」が、「結果」としてあらわれてくる。

どの位というとその尺度を「時間」の長さに目を向けがちですが、
どの位「想い」をのせたかということも、実はとても大きいのだと思います。

「今、どのような想いで何をしているか。」
という自分の想いを意識することは、大切と思います。

お笑いタレントの厚切りジェイソンさんの「Why」ではないですが
自分に対して、「Why」の質問をどんどんしていくと
意外にすぐに答えられない事が多いものです。
それだけ、自分の想いや気持ちを掴めていないということですね。

オリンピック選手のメンタルサポートしている人が
本人に迷いが出たり、過酷な練習でつぶれてしまいそうな時には
「なぜ」「何の為」という原点を、本人に問いかけると言っていて
動機や、「願い」や「想い」の力は大きいと思いました。

試合前や試合中、独り言を言っている選手が多かったですが、
明るい方に目をむける言葉や、自分を鼓舞する言葉や
元気づけたり、勇気づける言葉を言っているそうです。
自分の想いを最高潮の状態に、セルフコントロールするんですね。

「願い」や「想い」があっても、実現しない人は多いと思いますが、
実現している人は「願い」や「想い」の強い人であることは
きっと間違いないのだろうと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
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善因善果・悪因悪果の話
最近、本の話になって、久々に本棚をゴソゴソと片付けていて、
「おー懐かしい」と思う本などが出てきた。

色の勉強などして、色々資格をとって講師やセラピーをしていた頃、
こころの勉強会を経て、人の心を見るにはまずは自分の心からと、
自分の内側を見つめていく作業をした。

その最中、色々本を読んだけど、本の内容より、
読んで自分がどう思ったかを重視するよう言われてたからか、
老いからか(苦笑)、内容覚えてない本も多い。

自分の内を見る作業・・・懐かしい。

「神は自分の中にある。自分を知ることは神を知ること。
自分を知りえた上に生きることは、神の意に沿って生きること。」

自分を知る ⇒ 今を見る事
まずは、現在の状況を把握することからはじまった。
・何がわかっているか
・何がわかっていないのか
・今の自分はどういう自分なのか
・どういう自分になればいいのか
・どこを修正すればいいのか
・何を目指すのか

「生まれる前に決めてくる学びのプログラムは、
この瞬間のありのままの感情を評価しないで受け入れることで、
今の真実を生きることができ、どんどんプログラムが外れる。」

「1の出来事で10の事をひきつけ、自分の問題ととらえ
気づき学べば、10の出来事は起こらない。」

そのために、自分の感情が動く出来事をキャッチして
そこから、自分の考え癖やパターンを見て、気づいていき
違った考えを握っていたら、「師」の人から学んで修正していく。
この作業を何度も何度も繰り返ししていった。

今でも、たまに自問自答するけど、ヒアリングしてもらうと、
想像できない切り口や視点からの質問がきたり、深めてもらい、
色んな角度から見ることができる分、気づくことも多かったな。

今までは自分はかわいそうな被害者だった事が、
丁寧に見ていくと、自分が相手に何をしたかに気づいて、
そんな嫌な自分を深く反省して、謝罪し、二度としないって決心したり・・・

責任転嫁して他人のせいにしてた事を、
自分に起こることは全て自分の問題として考えましょうとなると
正論ぶって、人の為ってええ恰好して綺麗ごと言ってたことが
ただ自分の弱さとずるさゆえの事でした~って事にもなったり・・・

認めたくない自分が、バンバン出てきて本当しんどかった。

でも、そういう自分の部分を認めて、光を当てたら、
それが反映されて、実際に状況が変わるから、びっくりした。
そのスピードが「師」曰く私はとても早かったそうで
すぐに結果が現れたから、素直にすっげーと思っていた。

本当に此の世は鏡で、自分が出したものが返ってくる法則があり
例えば、ずっと相手が悪いと責めていて、音信不通だったのに、
自分が何をしたかを見つめ、心から反省して謝罪すると
相手から「本当に今までごめんね。」ってメールがきたりした。

もう縁を切りたいと思っても、切れない相手に対して
相手にうつった自分を見尽くした時に変化が起こると言われ
焦点を、その相手のみにして見ていったら、
本当に相手から去って行ってくれた。

それでも好き嫌いが治るわけでもなく、「あの人好かん」と言っていると、
「師」が冷静に「あなたが見ている相手は、あなたをみせてくれているだけよ。
その人を焦点にあてて、今日はしていきましょう。」って言われて
その大嫌いな人との出来事をテーマにして見ていくと、気づくことがあり
「気づかせてくれてありがとう。」ということもあった。
でも嫌いなもんは嫌いだけど(笑)

全ては自分が因果応報を作っていて、因を変えないと果も変わらない
と感じざるをえない経験をさせてもらった。

「他に変えたい人がいるとしたら、それはあなたに変わって欲しいと思う
メッセージとして、天が映像を見せてくれているにすぎない。
あの人のここが困ったというのが見えたなら、
それはあなたが困ったところを、天が教えてくれているだけだ」

読んでいただいてありがとうございます。
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あなたとの出会いにありがとうございます。


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正しいときに正しい場所にいる話
「私たちは正しいときに正しい場所にいる」
オーラソーマの創始者の言葉を、今日思い出しました。

天とは素晴らしく、その人に合った課題にあう状況を与えるものであり、
出来事はただの出来事であり、どのような視点でそれをみつめ、
何に気づき、自分の内側にどのように反映させるか・・・

全ては自分の成長のために、目の前の事は起こっている
必要だから与えられていると、つくづく思いました。

以前、心の勉強をしていた時
「幸せになるために、絶対必要な条件はなんだと思う?」の答えが
「不幸を体験したことのある人」でした。

ある事を知るためには、相反する事の体験が必須なわけです。

黒田選手が座右の銘としている西郷隆盛の言葉である
「雪に耐えて梅花麗し(ゆきにたえて ばいかうるわし)」
(意味:梅の花は寒い冬を耐え忍ぶことで、春になれば一番麗しく咲くことから
苦難や試練を耐えて乗り越えれば、大きく見事な成長が待っているという例え。)
やはり人を磨くには、砥石となる出来事が必要なものなのでしょう。

友達のお母さんが亡くなり、メールでそのことを知り、
気持ちを想像すればするほど、かける言葉が見つからず、
私が両親を亡くした時にかけられた、近所のおばあちゃんの言葉を書きました。

「何でかな~。昔からええ事の前には、辛いことがあるんじゃ。
長い事生きとるけど、やまん雨は見たことがね~で~。
辛い時は泣きゃあええ。
でも泣き止んだら、上向いとかにゃあいけん。
下向いとったら、雨の後の虹は見えんからな。」

友達の親とのお別れに接し、自分の親との別れも色々と思いだされました。

私の人生観を一変させたのは、やはり癌告知後の父のこの言葉でしょう。
「何があろうと、大したことじゃありゃせん。」
「お前がどう思うとるかしらんけど、わしの人生は面白いええ人生じゃったで。」
カラっとした笑顔で言われたこの言葉で、私の価値観は崩壊しました。

死を前に大したことじゃないと言われてしまったら、
今の自分の悩みなんて、全然大したことじゃないじゃんと思えて、
冷静に状況を見つめれるようになり
他人の評価ばかりを気にしていた自分がどうでもよくなり、
自分が悔いのない人生を送れるように、自問自答をする機会が増えました。

人の為と書いて「偽」と書くように、人のせいにせず、
自分がどう生きたいか、自分自身と真摯に向き合う事が、
少しはできるようになりました。

自分が知る自分は、パズルの数ピースしかありません。
生きるということ、そして色んな体験をするということは、
自分の内のパズルの色んなピースにどれだけ光を与え、気づく事で、
そしてそのパズルをどれだけ、創り上げれるか
また、色んな自分をどれだけ知り、認め、
受け入れるかということなのかもしれません。

自分に与えられた出来事を、人のせいにして放り出すのではなく
貪欲に、自分の為の糧にして、自分の内を豊かにしたいものです。
そして、その出来事を与えられる幸せに感謝したいものです。

最近、友達が若いのにようできた奴と思っていた人が、
立場の低い年長者に向かって、高圧的な言葉を使っていて
「あー残念、こいつもまだまだだな。若いから仕方ないかと思った。」
と思ったという話をしていました。

若い頃は、経験不足で視野が狭く無知な分、
全てがわかったような気になり、傲慢な態度をとってしまうものです。
年を重ねるということは、経験を通して自分の小ささや、愚かさ、
無知さ、未熟さに気づき、それを一つ一つ受け入れていく作業の気がします。
よくできた人こそ、謙虚なのはその作業を多くしているのかもしれません。

ちなみに、我が家の猫のあやさんは一緒に住みだして21年。
出会ったころの推定年齢=1才なので、きっと今22才で、
私の言うことはわかるし、会話もするし、喜怒哀楽が豊かな
口の悪い友達には化け猫と言われる、あやさんです。

お盆の13日から15日の間、ご先祖様ご一行に触られまくるのか
毎年あやさんは、どっと疲れて老け込むのですが、
今年は迎え火して仏壇に手を合わせていたら、後ろでえらい「わぁわぁ」と
仏壇に向かって何か言っていて(きっとおかえりのご挨拶)
いつもは仏壇の部屋でずっと寝てるのに一切入らず、
本当に珍しいのですが、お盆は私と違う部屋で寝ました。

送り火の前は、押し入れの中に隠れていたのですが、
送り火を終え、お盆提灯を消した途端「やっほーーー」と
押し入れから飛び出してきて、「やっと帰った~。」と
仏壇の部屋のど真ん中で、伸びきってくつろいでいます。(笑)

あやさん的に正しいときに正しい場所を見つけたとばかり
お盆作戦大成功と今年は元気いっぱいです。

経験から学べる知恵とは、すごいものです(笑)

読んでいただいてありがとうございます。
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人間の愚かさの話
いまさらながら「もののけ姫」を見ました。

先日、テレビでしていて、初めて最後まで見ました。
何度か見る機会はあったのですが、怖くなり、
途中までしか見ることがなかったのです。

10年近く前に行った「屋久島」を感じました。
人それぞれ、屋久島を訪れた方の感じ方はあると思いますが、
私は、屋久島は神の島であり、
人間が土足で踏み込む場所ではないと強く感じました。

「もののけ姫」を見て、あーそういうことだったのかと思ったのは、
私は屋久島を訪れ、家に帰った時、生きて帰れた安堵感で
大泣きしてしまったのですが、命を吸いとられるような恐怖を
屋久島に感じていたのだと痛感しました。

屋久島には1人で訪れたのですが、縄文杉にたどり着いた
その頂上付近で、真っ白な大きな猿を見たり、
その森で撮った写真には、コダマがたくさん映っていました。

木にも、神木のような気を感じ、人間がその森を伐採した跡を
同じ人間として、その所業の数々を本当に申し訳なく思い、
普通は森や自然の中に行くと気持ちいいのですが、
気持ちいいというより、ずかずかと自分が足を踏み込んだ事を恥じ
申し訳ない気持ちで、いちいち色んな木に「おことわり」をしつつ
ご挨拶を申し上げながら、登山した記憶があります。

よくパワースポットといって人気になった場所へ、
人間が押し寄せたりしますが、私は「域」というものがあると思っています。

神の「域」と、人の「域」。
人間同志でも、距離感がとても大切だったり、挨拶が必要なように、
神と人間にも、距離感が必要で、ことわりもせず
むやみに近づきすぎたりすべきものではないと感じていて、
ずかずかと踏み込むべきでない「域」があると思っています。

その「域」を超えると、波長の違いからか、
「触らぬ神にたたりなし」というように、「触る」と神の怒りにふれるからか、
「あたる」と思っていて、そのしわ寄せが必ず自分に返ってくると思います。

「屋久島」は素晴らしい神の島です。
屋久島で、民宿に泊まり、そこのおばあちゃんから
屋久島は岩でできた島であることや、腎臓を患っている人が多いこと
またガイドもつけず、登山届も出さず縄文杉まで登山した事を
こっぴどく怒られ、理由を聞くと、自殺者も多いが
事故で人知れず亡くなっている人も多いことなどを聞きました。

そのおばあちゃんも腎臓がんを患っていて、
周りも多くが透析が必要だったり、ガンを患っているとの話から
原因はよくわからないけど、水なのかな~と勝手に思い
やはり人間が住みやすい土地ではないと感じました。

人間の探究心は素晴らしいですが、敬う心はとても必要です。
日本は「八百万の神」を祀る国であり、自然の全てのものに神が宿っていて、
「岩」や「木」「滝」など自然そのものが、ご神体として神社で祀られています。
そのご神体に、登山をして杭を打ち込む「無知」で「不届者」などが
最近はいますが、とんでもない事だと思います。

「無知」や、敬う心を忘れた「自意識」や「自尊心」の強い人がする
誤った行動には、憤りとともに、本当に同じ人間として「恥」を感じます。

最近仕事をしていて、本当に仕事ができないな~と
強く感じる人の性質にも、「自意識」や「自尊心」の強さを感じます。

自分の非を認めず、自分以外の全ての事に責任転嫁して、
表面的言葉では謝っても、内では一切思っていないので、
同じミスや間違いをおこし、時に相手のせいにして、逆ギレをする。

「素直」でない人は、ある程度から伸びないと言われますが、
「素=主の糸=自分の内なる神とのつなぐ糸」
「直=まっすぐ直接つながる」
素直でない人は、やはり愚かで不幸ということなのでしょう。

此の世には「自尊心」よりも大切なものがあります。
その「自尊心」がどの部分で、そのレベルで感じるかにもよりますが、
「自分の欲求を満たしたい」
「自分の思想や、意志を通したい」
などの「自尊心」によって、戦争も起こるわけで
その結果、原爆も日本に投下されたように思います。

8月6日、広島に原爆が投下された71年後の現在も、
世界では争いが起こり、難民問題が深刻化し
テロリストにより多くの命が奪われる事件も、日々勃発しています。

人間は愚かなのでしょう。
まずは、そこを認めることから、始まるのかもしれません。

「戦う」という「本能」を人間の持つのであれば、
始まったリオ五輪や高校野球のスポーツで、満たしたいものです。

原爆の犠牲者の方々、また戦争で命を落とした全ての方々の
ご冥福を、心よりお祈り致します。

読んでいただいてありがとうございます。
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