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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
「だまされたとは、なんと恥ずかしい言葉であろう」の話
自分が相手にした事よりも、相手にされた事に、
敏感になっていて、それに照準を合わせ易いからか
記憶にも、自分がした事よりされた事が残りやすい。

だから、ある出来事があって、
被害を受けたと思っている方は覚えているけど、
それをした方は全然記憶にない事がよくある。

自分の事より、他者の方にどれだけ焦点を合わせているか・・・

毎日、色んな事件が起こり、テレビで報道される際に
その時の情報だけを伝えるのではなく、
コメンテーターという方達がズラッと並び、
専門分野でもない事柄であっても、
それぞれに自分の意見や批判などのコメントを言っている。

自分の好きなタレントさんや、好きな報道番組を見て
それぞれの意見を聞くのは、面白いけど、
自分の人生にこれをしてしまうのは、危険だと思う。

「人のふり見て我がふり直せ」
ということわざのように、他人の出来事で、
自分が体験していない事でも、その中に気づきや学びを見つけ
それを自分の人生に落とし込み、反映させるのはいいと思うけど・・・

日々、他者ばかりに焦点をあて、批評家になってジャッジばかりして、
その考えが癖になれば、自分に起こる出来事に対しても
自分がした事には目を向けず、何をされたかばかりに敏感になり
他人へ対して焦点を向けてしまうような状況になると思う。

結局は、どれだけジャッジしても、他人を変えることはできないし、
自分の前の出来事は、自分が必要としていることを、自分が引き寄せているだけで、
自分がしていることやパターンなどを観察して、その中の気づくべき事に気づくか
自分が変わるしか、目の前の状況は全然変わらないし、同じパターンが続く。

以前、私自身、お金を貸して返ってこないということがあった。
その時は、善意で貸したのに騙された!!と怒り心頭で
それも結構な額だったので、悔しくて悔しくて、
自分が情けなくて情けなくて、相手を怨む気持ちが強かった。

当時、数人にそのことを相談したのだが、1人を除いて、
訴えてでも絶対お金を奪い返さないといけないと、
色々と方法を調べてくれる人もいた。

怨みの気持ちで、自分の内側がいっぱいになって苦しい中、
ずっとそのことばかりを考えていた時、次の答えを見つけた。

「相手を怨んで、私が相手に手を下すことはないんだ。
相手は、私が報復しなくても、廻りまわって自分にかえるし、
私は、相手のお陰で、自分のこれまでの「因」の「悪」を
今「果」として受けて、これで帳消しになったんだ。」

冷静になって、お金を貸した時の自分を見つめ直した時に
善意という建前の裏に、相手に気に入られたいとか
頼まれたら断れない自分の心の弱さなどの本音を見つけた。

「だまされたとは、なんと恥ずかしい言葉であろう。伊丹万作」
この言葉が、身に染みた自分の過去の出来事だ。

相談した時、一人だけ返してもらえと言わなかった人が今でも友達だ。

「困ってる人の役立つことできたなら、それでよかったじゃない。
返せるならその人も返してるだろうけど、きっとお金ないんだよ。
もうあげたと思って、そのお金の事は忘れたらいいじゃない。
元気で仕事もあるんだし、働けばお金は入ってくるよ。」

その時は、他人事だからそんな事言えるんだっ!!って
腹立ててたけど(笑)、その通りだなと思う。

その苦しんだ末に、答えを見つけた時、天は天才だと思った。

自分の因果のテーマと、その家系、家族1人1人のテーマが
見事に合致していて、それに自分の出会う人々が絡まり
その自分、家族、家系、相手との関係の因果関係の問題に対して、
見事にお互いに影響しながら、自分のテーマと向き合うようになっており、
それに気づいたり、受けたりすることで解消できたり、成長できるよう
すごい入り組んだ、うまいプログラムが組んであると思ったのだ。

相手の事は相手にまかせて、自分は自分の心を監視することが必要だ。
今の自分の心、言動、行動の結果が未来であり、、
今の出来事は、過去の自分の「因」の結果だから、
苦しむ事で帳消しにするか、それ以上の「善」で相殺するかしかない。

悪人ばかりが栄える此の世であっても、それに惑わされず
どれだけ、自分が天のプログラムに沿って、
どれだけステージをクリアできるかが
隠された自分の本当の生きる意味なのかもしれない。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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運の良い悪いの条件の話
「運」ってなんだろうと思ったりします。

私は自分では運が強いと思っていますが、
人生は山もあれば、谷もあるもので、いい時も悪い時もありました。

ただ、今までの厳しい状況の上に、どんどん自分が苦しくなり
体調も崩し、転げ落ちるように、状況も自分の心も悪くなった時を
振り返ってみたら、共通の条件があった気がします。

・過去の事をずっとひきずり、くよくよ、うじうじする
・自分を悲劇にヒロイン化して、被害者ぶって相手を恨む。
・何もせず、勝手な妄想にふけり、未来を心配して不安いっぱいになる

英語で「今」を「プレゼント (present)」と言いますが、
そういう時期って、そのプレゼントである今を全然生きず
過去や未来に心をとばしてしまい、今がカラッカラだったと思います。

友人で、真面目で頭もよく正義感が強い、面白い人なのですが、
会うといつもなぜか「残念」だな~と感じる人がいます。

想像もしないような不運に次々と遭い、
話を聞く度に、「不運」な人っているもんだと思っていたのですが
先日、不運になる共通の条件が揃っているんだと気づきました。

その人からかなりダメ出しを食らったのですが、その時のセリフが
「もうさ~、本当にバカなの?って思う位、忘れるよね~。
ひどい事された相手の事とか、嫌な思いした出来事とか、何で忘れるの?
忘れすぎだからね!!本当びっくりするわ~。

私なんて、今までの人生の出来事や、相手の事全て覚えていて
その恨みつらみも一切忘れてないし、これからも忘れない!!」

そうです。私はバカなのです(笑)
老いが止まらない(苦笑)だけかもしれませんが、
感謝するエピソードは結構覚えているのですが、嫌な事を忘れてます。
その時の恨みつらみや、羨んだ心もどこかにいっています。

その人は、頭もよく分析好きで、自分に起こった出来事に対しても
客観的に自分を俯瞰から見て色々分析していたのですが、
今起きている「果」に対しての因果関係の「因」を自分ではなく、
自分の外側に探して、結びつけてたんだな~と気づきました。

だから、同じスパイラルから全然抜けず、
その恨みつらみなどの、過去の負の想いを抱えているから
生命力も、運気も落ちているんだ~と、妙に腑に落ちたのです。

「運」ってよくわからないけど、
「運の悪い人はいつまでも過去の嫌なことを思い出し、恨んでいる人」ですね。

同じ出来事であっても、何を見て、何を感じ、何を学び
その経験をその後の人生にどう反映していくかは、人によって違います。

ただ、生きているのは「今」なわけで、
その「今」が重なり「運命」が形作られていくのであれば、
「今」の心や選択が、「運命」を変えていくのだと思います。

「明るい」運命に変えたいなら、「明るい」ものを選択して
「心」を明るくする努力を、今するしかないのかもしれませんね。

不安や心配事があるなら、それを考えないようにする「選択」
心が動かないなら、思い切り「笑ってみる」とか、
「今」目の前の事を一生懸命する・・・
そんなちょっとした「今」の選択で、変わることはあります。

私の周りの「運のいい人」と思う人は、よく笑います。
それから人の悪口を言いません!というか、
きっと他人の悪い性質にフォーカスしていません。
無意識でしょうが、明るいものや楽しい事に照準を合わせていて
先の事なんか、その時になってみんとわからんっ!と一蹴し、
その時その時にできることを精一杯しています。

まぁ、「今」をプレゼントしてもらってるだけで
「生きてるだけで儲けもの」で感謝ですからね。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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