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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
自信の話
2月も中旬を迎え、世界情勢を見ても
予想だにしない出来事が、日々起きています。

常識・・・というものが、その国、時代、人によって
本当に様々であり、権力を持つ人によっても変化する
ということを、最近は感じざるを得ません。

人は結果を追い求めますが
実際の目の前には結果はなく、
目の前にあるのは選択と、決断です。

選択の連続が人生であり、結果は後でついてくるものです。

「あの時、こちらを選んだら自分は幸せだったろう。」
「あの時違う道を選んでいたら、今うまくいってるだろう。」
という言葉を言う人がいます。

そんな時、変わらないんじゃないかといつも思います。
その人はその人であり、どんな人生を歩もうと
きっとそのセリフを言う性質は一緒で、同じことを言っている・・・
そんな気がしてしまうのです。

過去の自分は、無知だったり、拙かったりします。
でも、その時に精一杯考え、悩んで、選択したのだったら
私は肯定すべきと思うのです。

でも、自分自身と向き合わず、人と比較しての選択や、
その選択肢を放棄して、他人に依存したり任せている場合は
どうしても後悔の念が生まれるのかもしれません。

でも、誰がなんと言おうと、
それを選択して決断したのは自分自身なんですよね。

焦点が自分に向かず、他者に向いている人がいます。
自分がどう思うか  < 他者にどう思われるか
自分が何をしたいか < 他者はどうするのか
自分の良心に沿う  < 他者からどうジャッジされるか

心を病む人の中には、他人と比較する人が多いと言われます。
現在、SNSを始めとして、色々なコミュニケーションツールがあり
便利な一方、依存したり、承認欲求が高まる人もいます。

道具は道具です。
どれをどういう風に使うかは個人の責任です。

便利なようで、窮屈な世界になっているな~と感じることがあります。
自由になると、人間は不安になる生き物なのでしょうか。

「自信」とは自分を信じると書きますが、
他人との比較の上での自信であったり、
本当は劣等感からくる自己主張の場合は
いつかは打ち砕かれてしまいます。

いつも誰かに認めてもらわないと不安な状態を
生み出しかねません。

人と比較せず、自分を好きになるよう努力して
自分なりの自信を自分でみつければいいのだと思います。

反対に自分を嫌いと思っている限りは、
自信は持てないのかもしれません。

自分の心の問いかけながら、心が軽くなるような
心がすーっと気持ちよくなれるような
良い行いや、言動をするように心がけたり、

人を嫉妬したり、比較しようとする心が出たら
押し込めたり否定せず、そっとそれを受け入れ
自分の弱さや、偽りの自信を見つめるきっかけにしたり、

人それぞれの方法で、その人なりのスピードで
自信を自分の中から引っ張り出したり、育んだりして
自分の花を咲かせたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。




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モノより経験?の話
2月になりました。

1月のお正月は暖かったのに・・・さ、寒い・・・

寒いのは苦手です。
でも、その分冬は幸せを感じれる瞬間が多い。

寒い外から帰って、こたつに入った瞬間とか、
アラジンに火を灯した時の、ストーブの匂いとか、
布団に愛猫と一緒に寝る瞬間とか、
寒く固まった状態から、ほどけていく感じに幸せを感じます。

2月3日、旧正月ですね。
私は1月のお正月より、旧正月の方が、年の変わり目の感じがします。

田舎で生まれ育った私は、一年の行事(節句とか七夕とか)
旧暦で行う地域だったので、旧暦のリズムなのかもしれません。

どんな年にしたい?
今年の目標は?
という言葉が、年の初めには出ます。

実際に目標を立てると立てないでは、結果も違ってくるとも言いますが、
結果ばかりを意識しがちですが、本当はそのプロセスや
それまでの経験に大切な事が詰まっていると思います。

今日、藤村俊二さん(おひょいさん)の訃報の報道を見ていて
藤村さんの残した手書きメモの話をしていました。

「この世でいちばん愉快なことは、
 何かを持っていることではなく、
 何かを経験できる瞬間です」

いい言葉だな~と思いました。
経験とは、本当に素晴らしい贈り物だと思います。

人生に無駄なことはない。
ここにいる理由は、きっと経験すること。

他人と比較することではなく、
自分の想いに沿って、自分にとっての最高の努力をして
他人の言葉ではなく、自分の良心に耳を傾け
結果よりも、その経験を目的として見た時、
見える景色は変わってくると思います。

結果まで最短距離でたどり着きたいものですが、
紆余曲折あった方が、そのプロセスでの経験は増え
その経験を自分の腑に落とすまで意識できたら
それは自分の経験値として、素晴らしい財産になります。

後でも先でもない今に、自分を置き、
他人の評価よりも、自分の意識に目を向けた時
初めて自分の人生に立っているのかもしれません。

同じ出来事でも、人によって捉え方や見方は違います。
それは、その人の今生のテーマが違っている証であり、
またその傾向を見つめてみたら、自分の癖(考え)が見えます。

そこに自分のテーマが潜んでいることもあります。

誰でもフラットに出来事を見ることはできず、主観が入ります。
自分の色眼鏡を通してしか、此の世を見ていないのです。
だからこそ、本当の出来事は誰も見えていなくて、
自分の主観で、自分の見たいように見て、
自分が感じたいように感じて、自分勝手な意味を見つけます。

ブッダの「天上天下唯我独尊」
マザーテレサの
「結局はすべてがあなたと内なる神とのことなのです。
あなたと他の人との間であったことは一度もないのです。」

結局は、自分の人生の世界の全ては、
他人が介入しない、自分一人ということなのでしょう。

自分の問題を、相手の問題にすりかえて
責めたり、非難することは簡単ですが、
自分の事として認めていき、自分の世界の一部として
受け入れていくことは、なかなかすんなりできないものです。

現実を瞬時に受け入れ、柔軟で飄々と、
粋でおしゃれに、自分の人生を謳歌されたのが
おひょいさんだったような気がします。

藤村俊二さんのご冥福をお祈り致します。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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