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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
相対的なこの世と絶対的なあの世
今日は「ももちゃん」の告別式でした。
晴れ渡った空の下、旅立つ事ができてよかったと思いました。

でもコロコロとよく太った「ももちゃん」を想像していたら、
棺桶の中の「ももちゃん」はとても痩せこけていて、生命エネルギーが抜けた抜け殻に
見えました。

肉体を脱いで、次のステージに旅立ったんだな~とつくづく思い、涙が出ませんでした。

でもこの世の相対の世界から、あの世の絶対の世界に逝って、
この世の不安や恐怖などを捨てて、安心や喜びを得てる気がしました。

以前、
「人生は大変な事はある。
でも、怖いことや嫌いなこと、悪いことはない。」
という話を聴いたことを思い出しました。

その話は、

「人間は生まれて、お世話をしてもらえないと、生きていけない時間がとても長い。
誰もがスタートは一緒だが、「してもらえたら幸せ、してもらえなかったら不幸」という
快・不快を体や感覚で覚える。

母親にしてもらえたら幸せ・してもらえなかったら不幸。

そして、怒られることで恐怖を知る。
怖いことが自分に起こるということを知ってしまう。

守ってもらえると平穏。でもその守ってもらえる親から怒られる。
怒られるという不安な体験をするのだ。

成長していくと、自分でできてくることがある。
例えば、おむつから自分で用便できるようになったり、
食べさせてもらっていたことが、自分で食べることができるようになったり、
洋服を着せてもらっていた事が、自分で着替えることができるようになる。

できるようになる。できない事ができるようになる。
自分ができる幸せを感じた瞬間、もっとできるという事を知ってしまう。

そして、この世の相対の世界で、比較競争が始まり、負ける不幸を覚える。

自分の力だけではどうしようもできない恐怖や不安が訪れる。

この幼少体験があるから、誰もが誰かに与えてもらいたい。
与えてもらえる事が幸せだと思ってしまう。
そして、人と比較して、人より勝っている事を喜び、劣っている事を嘆く。
そして、自分には力がないという事を知り、相手に評価を求め、
その相手次第で一喜一憂して、恐怖や不安を自分の中で生み出す。

でも、本当は与えられる幸せよりも、与える幸せの方が絶対の幸せなのだ。

そして人生は本当は怖いことや不安なことなど何もないのだ。
ただ、その幼少期の思い込みから、そのように捉えてしまうだけなのだ。

本当は全て自分で組んだ自分の魂の為のプログラムをPLAYしているのだ。
だから、もちろん大変な事はあるが、本当は怖いことも悪いこともないのだ。
だって、自分が本当に怖いことや悪い事はプログラムに入れてないはずだから。
先の事が分からないからこそ、自分の魂を磨く事ができるし、その中での喜びも大きい。
だから、そのことを恐れる必要などないのだ。」

というような話だったと思う。

ってことは、この世のそのプログラムを終了して、ゲーム達成してあがれば、
全ては一つの絶対的な世界の、喜びや調和の世界の中に戻るって事だよね~。
ももちゃんもこちらの世界で頑張って、あの世でほっとしてるんじゃないかな~。

ももちゃん、お疲れ様でした。
ゆっくりそちらの世界でほっこりしてください。
そして、いっぱいいっぱいの優しさと思いやりをありがとう。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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