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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
美しいものは波動をあげてくれる話
今日も寒いです。
アラジンストーブが大活躍です。

でも今年はこたつをしようかと思っています。
電気代もかなり安いと友達に聞き、やはりくつろげるというので、
猫もきっと大喜びするだろうと思い、こたつの調達を今考えています。

猫はきっとこたつから出てこなくなるのかな~。
そうなるとちょっと寂しいな~などと思っています。

最近昔の勉強の資料を引っ張り出したり、本を読んだりで
左脳の理論ばかりを刺激して、思考(マインド)を使っていたので、
何にも考えずに、ただ美しいものと触れたいと思い、
辻井伸行さんのショパンを聞きながら、
伊藤若冲と俵屋宗達の絵画集を見ようと借りてきました。

絵画はよくわかりませんが、
俵屋宗達
もっと知りたい俵屋宗達―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい俵屋宗達―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
(2008/09)
村重 寧

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尾形光琳
もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
(2008/09)
仲町 啓子

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伊藤若冲
もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 改訂版 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 改訂版 (アート・ビギナーズ・コレクション)
(2011/07/30)
佐藤 康宏

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の絵が好きです。
(図書館で借りてきたでっかい作品集ではないですが
 一応参考までにアマゾン商品を載せました)

水墨画もありますが、色のついたものの方が好きかな~。
構図にしても、色使いにしても、バランスにしても素晴らしく
高い波動の人が描いたものは、その波動が転写されていて、
時代を超えて、それを見る人に影響を与えると思います。

また俵屋宗達の描く生き物はどこかユーモラスでかわいくて、
思わず微笑んでしまいます。

私は頭をいくら使って色々と理屈や理論を吐いたり、
色々と自分の内側を見るために、ノートに書いて整理してみたり、
その作業があるからこそなのかもしれませんが、
結局は理屈では説明できない、感性や感覚で動いてしまう傾向があります。

また、失敗に対してあまり恐れない傾向があるのか、
選択で迷う事があっても、その時にしたい方を選び、
あとで「ちょっと違うな。」と思うと、すっぱりとそれを切り捨て
周りから見たら後戻りしてるように見える時もあるようですが、
元に戻って選択しなかった方をしたり、新たなものにチャレンジしてしまいます。

まっすぐに進もうが、道草しようが、早く行こうがゆっくり行こうが
行くべきところには行くのだとどこか思っている所があります。
まっすぐに行った方が早くて効率的ですが、
道草をしたらしただけ、色んな事を見たり知ることもできるので
それはそれで楽しい体験じゃん!って思ってしまいます。

時々、周りの話を聞いていて??とよくわからないことがあります。
「もうーそんなに簡単じゃなく、複雑なんよ~。」
「ここまでしたので、やめれるわけないじゃない。」
とか言われても、どこか私にはピンとこないことも多いのです。

自分の目に見えているこの世界は、自分の内の世界をただ映している
写し鏡だとすると、複雑なのは外の世界ではなく、自分の内側の世界であり、
自分の内をシンプルにすると、外の世界もシンプルに映ると思うのです。
複雑にしているのは結局自分ということですね。

また、何かに行き詰ると、最初に戻ればいいだけじゃないと思ってしまいます。
執着をする気持ちももちろんわかりますが、だって行き詰ってるんだったら、
仕方ないじゃん。一から考え直した方が早いでしょ。と思ってしまうのです。

また、自分以外の他者の人生の責任を自分が負えると思っている人がいます。
まぁ私にはいないのでその気持ちがわからないだけで、
子供に対してはその気持ちが芽生えてしまうのかもしれませんが、
でもその考えを持っている人は、裏返せば
自分の人生の責任を他者にとってもらえると思っているということですよね。

どう考えてもそれは個人の勝手ですが、
自分の人生の責任は自分でとるしかないというのが、
きっと宇宙の真理だと思います。

意識でも、無意識でも、主語を自分にしていないと、
どうしても他者に責任を押し付けたくなります。

私も無意識の中で、すごく我慢していたんだな~と気づくことが最近ありました。
すっかり相手に対して怒りとか憤りの感情が出て、
「やば~い。今気づいてよかった。
このまま我慢し続けたら相手の責任にしちゃう所だったよ~。」
と思い、自分の好きでしていると思っていたけど、
相手からの要求に自分が我慢して応じていた事に気づきました。

やはり主語は自分、そして他者を見るのではなく、他者にうつる自分を見ていく、
自分の心の声や、その時の思い、どうなりたいかという事に耳を傾ける事が
大切なんだな~と思いました。

相手の為と、自分の心を偽り我慢をしていると、きっとそのしわ寄せがどこかできます。
鬱病になる人は真面目で優しいが為、我慢を我慢と思わずに自分を苦しめてしまい、
心が悲鳴を上げてパンクするのかもしれません。

本当は皆自由なのです。
でも縛りや固定概念の枠などで、自分で自分を縛りつけてしまうのでしょう。
その縛りや枠を見つければ、とっぱらうことができますね。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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