FC2ブログ
色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
感情の話
誰もが「自分の世界」と「他者との世界」とを持っていると思います。
自分という人間以外は「他者」になります。

その「他者」の中で、人生の中で何人か「他者」とは言えないような
密接な存在の人と人生の中で出会います。
家族、恋人、友達、パートナー、仲間など色んな形であり、
はっきりとした形と呼べないような場合もあります。
自分と同じくらい、もしくは自分以上に大切と思える相手と出会います。
もしくは心のどこかで、そういう相手を得たいと思います。

そんな相手とのつながりは、何で生じているか。
人間の物理的な体を抜けて、結びつけるもの。
それが「感情」の力です。

この「感情」を今の時代では、否定的に扱われています。
資本主義のこの社会を生きていくには、クールで理性的である方がよく、
価値判断は、数値化され、計算され、比較され、強いものが残り、
弱いものは置いて行かれる構造になっています。
「情」などの「感情」において判断することは、否定的に扱われます。

過去の歴史を見ると、日本人は決して「感情」を否定していなかった
民族とも思えます。
私は戦国時代が好きですが、皆感情豊かで、そして自分の欲も持ち、
それに向かって全身全霊突き進むような力強さがあります。
明治維新がなりたった裏にも、日本人魂と呼ばれる国を思う強い「感情」が
民族にあったからとも思えます。

人間は単独では幸せになれない生き物だと思います。
共感する、思いを受け取る、相手と自分の境目を取り払う。
それは必要なことでもあり、怖いことでもあります。
相手に受け止められなかった時は危険だからです。

人の気持ちを受け止め、自分の気持ちを外に出す。
このことが、今の時代ではなぜこんなに難しいのでしょうか。

そんな時代だからか、「感情」を扱う力がとても弱まっていると思います。
でも感情は見ないふりをしても、湧き上がってきていますし、
自分の中に常に降り注いでいます。

ダムのように抑え込むだけ抑え込んで、臨界点に達して破綻する、
これが鬱病の正体ではないかと思います。
そしてそれを繰り返すことによって、心の病気が深刻しているのだろうと思います。

感情を「コントロールする」ことは大切です。
でもそれは、制限したり、否定したり、押さえこんだりする意味では
ないのだろうと思います。

いくら否定してもあるのですから、それは肯定した方がいいですし、
そんな感情の理由を自分で聞いてあげること、
押さえこむのではなく、をれを利用して、自分の行動の原動力にしたり、
その感情はその感情として、味わい尽くすこともできるのです。

感情は計算できません。
お金さえもらえばどんな仕事でもするかというとそうではありません。
親子でさえあれば、情愛が芽生えるかというとそうでもないのです。

自分でも思いがけない所で、感情が動いて、そこで初めて自分の気持ちを
知ることもあります。

感情を味わうことは、どんな感情であっても大切なことです。
一般に「愛」は喜びや嬉しさの象徴のようなイメージがありますが、
苦しさや悲しさ、せつなさもまぎれもない「愛」なのです。
その感情を感じるということは、自分の内の愛を実感として感じていること、
自分の「愛」を確かに感じているという証明なのだろうと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



ポチっとクリックありがとうございます
スポンサーサイト



別窓 | こころ | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<人は生きているだけでいいの話 | 色とこころとわたしの話 | 矛盾の中の真実の話>>
この記事のコメント
∧top | under∨
コメントの投稿

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

∧top | under∨
| 色とこころとわたしの話 |