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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
小野田寛郎さんの話④
前回までにわたって、小野田さんのルバング島での戦いを書いてきました。

一緒に戦っていた小塚一等兵が銃撃戦で亡くなった事をうけ、
15年ぶりに日本政府は、小野田さんの捜索をはじめます。
捜索には親兄弟も参加しましたが、小野田さんは姿を現しませんでした。

それから10か月後、鈴木紀夫という24歳の青年が、
単身ルバング島にやってきます。
川べりにテントを張った鈴木青年の前に、小野田さんは突然姿を現します。

後にこの鈴木青年の事を、小野田さんは、
あまりにあっけらかんとして、全然悪気も悪意も感じなかったと言います。
29年間頑なに命令を守った小野田さんは、直接の上官からの命令があれば
投降する意志があることを、鈴木青年に伝えます。
この時、小野田さん52歳。

鈴木青年の案内で、昭和49年(1974年)3月9日、
元上官の谷口さんと兄が、小野田さんと会いました。
そして谷口さんの口から、「任務解除」の命令が下されたのです。

「出てきたときは処刑されるのは覚悟の上で、あの時
胸をはっているけれど、胸はって銃殺してもらうしかないんだから、
何も信用するものはない。
自分の判断だけが信用できる

谷口少佐が来たからっていって、
戦争に負けたから投降しなければいけない。
投降しなければしょうがないから、命令で投降したのであって、
そこから先はフィリピンに権限があるわけです。
銃殺刑 絞首刑と言われたらごもっともなわけで
それだけのことをしているのだから、その覚悟がないと出ていけませんよね。」

なぜ自由主義、民主主義だった小野田さんが
なぜ29年間、ジャングルの中で頑張れたのかという質問に対して、
「できるだけ忘れようとしているが、なかなかそうはいかないですね。
あれは兵隊になったから、兵隊らしくやったんだ。
変わりが早いというと、語弊があるかもしれないけど
「らしい」というのが本当だと思います。
帰ってきても前を引っ張ってて、「軍人」らしくも困りますしね。」

フィリピン政府が小野田さんを罰することはありませんでした。
ルバング島を去る前に、27年間ともに生きた小塚一等兵の碑に
別れを告げに行きます。


同年3月11日、フィリピンでの会見でこう話しています。
なぜ出ていらっしゃらなかったのかその理由は?
私は軍人として命令によって、この島に派遣されてきた者でありますから、
命令のない限りは絶対下山は許されるものではありません。」


一番つらかったことは?
「戦友を失ったことです。」

うれしかったことは?
「29年間うれしかったということは、今日の今までありません」

「日本のため」と信じ、敗戦後も戦い続けた小野田さん。
しかし小野田さんを待っていたのは、あまりにも変わった日本でした。

投降して3日後の昭和49年(1974年)3月12日、29年ぶりに小野田さんは
日本の土を踏みます。
歓迎を受け、両親も駆けつけ、兄弟皆も待っていました。
その中に島田伍長の娘がいて、「おめでとうございます」と歓迎されると
「いえ、まったく申し訳ございません。どうかあしからずご了承ください。
自分ひとりだけ戻りまして、本当に申し訳ありません。」

と深々と小野田さんは頭を下げます。

帰国しての会見で、小塚さんの死がきっかけで、下山を考えたのかの質問がとぶと、
「そんなことは、むしろ逆さの方向です。復讐心の方が多くなりました。
誰が自分の目の前で・・・27年も28年も。
「つゆより もろきに 下の身は」と申すものの
倒れた時の悔しさってありませんよ。

男の性質・・・本性と申しますか、そういう自然の感情からいえば
誰だって復讐心の方が多くなるんじゃないんですか。」
と涙をこらえながら、答えています。

30年ぶりの日本はどうだったかとインタビューで聞かれると、
「貧乏で戦争になったんだから、皆車も持ち、家も建て、
豊かになったんだから、もう勝ち負けは考えたくない。
皆豊かになったんだから、それでいいんじゃないの。」
と結局嬉しくはないけど、自分に言い聞かせていたという。

「皆は僕を気の毒がってくれますけど、僕は全然気の毒でもなんでもない。
気の毒なのは死んだ人だって。
僕はこれから働けばいいんだから、何も同情してもらうことはない。」


小野田さんは帰国すると、検査と静養を理由に3週間近く入院させられました。
ご自分で戦争後遺症と言われてましたが、巡回の看護婦さんがドアを開ける前にわかるし、
何時に寝ようが、明け方前にぱっと目が覚めると言われています。

「青春を無駄にしたとか言われました。戦争中も召集が長いから言われましたけど、
僕はそのつもりで、商社マンの時に前倒しにしてやって、それで青春は終わりです。
そのあとは兵隊一方です。

済んだことは済んだことなんですよ。愚痴ったってしょうがない。
愚痴れば、前に行く力が減るだけですよ。
だから、愚痴るのも、泣き言も大嫌いなんです。


戦争で30年無駄にしたって、皆気の毒がってくれるけど、
その分強くなりましたよ。

南方の自然とか、天候気象とか、生きるために得た知恵があります。
その後、米作ったり牧場つくるのに利用したんですから、
あながち全部無駄じゃない。

あとは自分がどう使うかが問題であって、
無駄だと思ったら、無駄にしてしまうでしょうね。
無駄じゃあない。
強くなったことは、本当に強くなりました。


退院後も、小野田さんの日程は日本政府によって決められていて、
小野田さんが一日も実現したかった、
島田伍長と小塚一等兵へのご遺族での謝罪が叶うまでには、
帰国して一か月近くも立っていました。

小野田さんには全国から見舞金が寄せられました。
小野田さんは、その見舞い金を靖国神社に寄付しました。
そのことを、小野田さんは非難され、攻撃されて嫌気がさします。

「生きて帰ってきたんだから、働けばいいでしょ。
一緒に戦って死んだんですもんね。

それは誰も報われてもないんですから、
生きて帰った人間が、「皆気の毒に・・・」って
僕が働いたんじゃない。同情でいただいたんだから、
それは向こう(靖国神社)に持って行くべきだって、
僕はそう思ったんですけどね、

それが軍国主義復活に加担するとか言われたら、
やっぱりそんな人間と一緒に住んでいたくないと思いますよ。」


「僕が何か言った時に、
「今の時代はこうだから、そんなことは言っちゃいけない」とか、
もう全部衝突しちゃうんですよね。

「おとなしくしろ」って。
「それじゃ30年余計な戦争をしたことを反省して、
地べたに頭つけて謝れって言うのか。」って、
だって僕が勝手に誤ったのではなく、誤らせたのは国家じゃないかという
僕に言わせれば、そんな気持ちがあるから。
何も好き好んで、戦争したわけじゃないんだから。

僕は国にも「負けた国だから」国に責任とれなんて言いたくないし、
給料払えなんて絶対言わない。戦争だから仕方ないんだ。
だからといって、なぜ僕だけ悪者にならなければいけないんだって。

「戦争が悪い」とか「兵隊が悪い」とかって、
「悪い」っていうけど皆もそう言ったじゃないか。
戦争前に何て言ったのか、新聞でも皆見てみろって。


今更なんで、それが30年続いた僕だけ、
皆から批判されなければいけないのかって、
おとなしければいいけど、負けん気が強いから喧嘩して仕事にならない。」

一番人と関係のない仕事を選び、ブラジルに永住を認めてもらい、
人里離れたまっただ中で牛を飼う仕事を決めて、
日本に帰ってわずか1年後に、ブラジル移住を決めて、日本を離れます。

「喧嘩をしたくない。
喧嘩しないのは、遠く離れることが一番いいんですよね。」
と言ってましたが、お父さんとの折り合いも悪かったことも
日本を離れる要因の一つと言っています。

ルバング島での生活についても
「奴はあんな事を言って、恰好つけて出てきたけど、
女のヒモしてたんじゃないか」
というような事も言われて、カチンときて、
全然別の場所に行って、ちゃんと食って通れば(生計を立てられれば)
「なるほど、あんな所へ行って生きとおせる力があったんだな」
と思うだろうという気持ちもあったと言います。

自己満足かもしれないけれど、
「どこにほうり出されても食っていけるよ。」
っていう証拠を示したかった
というその思いが原動力にもなり、
昭和50年(1975年)4月永住を心に決め、53歳の小野田さんは
ブラジル中西部の灼熱の原野に降りたち、
「牧場開拓」という闘いが、この時からはじまります。

いやーかっこいいですね、小野田さん。
熱い男です。
そして、律儀であり、本当に戦友だった島田伍長と小塚一等兵への思いの強さが
伝わってきます。とても愛情深い人だったのでしょう。
家族とはもともと折り合いが悪く、性質が合わないと言っていましたが、
それは時間を経て、色んな経験を経た所で、その歪みは広がり、
その小野田さんの男気というか、心意気が全然家族に、
理解してもらえない悔しさはとても大きかったんだろうと思います。

でも本当に後ろを振り返らず、なったものは仕方ないと受け入れ、
そこから先にすべてのエネルギーを向けていく所は「すごい」と思います。
そして実際に行動を起こし、口ではなく結果を見せて
うるさい奴らの雑音を鎮めようとするあたりは、かっこいいと思います。

口ばかりで全然しない人は多いですからね。
「やればできる」という人ほど、やってもできない時の壁を知りません。
一生懸命にやっても、順風満帆にすすむことはないのです。
そこで自分というものが鍛えられます。磨かれます。強くなります。
そこで踏ん張ってもう一歩と頑張れるか、やめてしまうかで
その後の結果はおおきく変わってくることも、この世では多いと思います。

小野田さんは言葉よりも、自分のこれからの行動の結果を見せつけてやろうと決めます。
かっこよすぎです。

ほんの数十年の差でも、時代の思想というものは
大きく移り変わり、自分のその生きている時の思想や考えのみが
正しい、それ以外は誤りと決めつけてしまうのは
人間の浅はかさだとも思えます。

小野田さんの話になると、とても長文になってしまうのにも関わらず、
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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