FC2ブログ
色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
「大切なものはなんですか?」の話
人は「ないもの探し」がとても上手な生き物だと思います。

体調が悪い時には、健康があればどんなに幸せだろうと思い、
健康になれば、他に自分にないものを探します。

例えば、仕事、恋人、結婚、経済、家族etc...
そして、それを手に入れたら、また他のものがないと思い、
手に入れたものは当たり前のものとなり、足りない足りないと欲します。

その欲する事が、エネルギーになり、
明日への活力にもつながればいいですが、
ここに幸せがあるのに、それを気づけず、
不幸だと思い、あれがあると幸せとずっと探し続けるような人をみると
また、だれかに幸せを与えてもらえると信じている人をみると、
しんどそうだな~と思ってしまいます。

それだけ恵まれているのに、なぜそんなに不満ばかり?と
思うような人もいます。

でも、当たり前と思っていたものを失ったときに、
はじめて、自分がどれほど幸せだったのかを、
実感する人もいるのだろうと思います。

そう考えると、色んなものが揃っていて、
環境が整いすぎている事は、結構不幸なことかもしれません。
(それに気づける感性の不足している人にとっては・・・ですが)

あるのが当たり前で、ない状態を経験していなかったり、努力をしらない人は
その分それを手にしたことへの幸せ感がとても薄いともいえます。

元々ない状態が当たり前だった人にとっては、
何かをずっと欲しくて一生懸命それを手に入れるために努力して
手にした時の達成感と満足感は感じられませんし、
ありがたさや感謝の気持ちも持てないような気がします。

そう思うと、不幸を経験した人の方が、幸福も大きくなるのかもしれません。

最近私の周りでは、たくさんのものを持っている人ほど、
自分の足元にはありとあらゆるものが揃っているのに、
足元を見ず「足りない!足りない!」を横と比べ、上をみて
大切なものを見失い、欲しい欲しいと探し求めています。

どれだけ、経済的に裕福で、恵まれた環境の中にいても、
その人自身は、スッカスカの「乞食」のようです。

ふと足元に目をやると、そこには大切なものがあるのに・・・

久々に「NYのリハビリセンターの壁に書かれた言葉」を思い出しました。

「大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、
 慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。

 より偉大なことができるように健康を求めたのに、
 より良きことができるようにと病弱を与えられた。

 幸せになろうとして富を求めたのに、
 賢明であるようにと貧困を授かった。

 世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、
 得意にならぬようにと失敗を授かった。

 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
 あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。

 求めたものは一つとして与えられなかったが、
 願いはすべて聞きとどけられた。

 神の意にそわぬ者であるにかかわらず、
 心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。

 私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。」

素敵な言葉だと思います。

恵まれた環境や、ものがある事はいいことです。
そのことに対して、ありがたいと感謝できる感性をもって、
ないもの探しだけではなく、あるものにも目をやる事を忘れず、
地に足をつけ、自分が満たされていることに気づいて
その上で生きていきたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



ポチっとクリックありがとうございます
スポンサーサイト



別窓 | こころ | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<あー幸せだな~の話 | 色とこころとわたしの話 | 巡り合いの話>>
この記事のコメント
∧top | under∨
コメントの投稿

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

∧top | under∨
| 色とこころとわたしの話 |