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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
欠けているものを見出そうの話
久しぶりに、洞察力があり聡明な友達と会って、色々と話をしました。

最近の近況報告とともに、人間関係で見えるものや
その奥に見えてくるものを、話し合ったりしていて、
こういう人って面倒で関わりあいたくないという人の傾向などを
勝手に二人で色々挙げて、その人の奥にある闇について
想像したりしておりました。

私たちの関わりあいたくない人の傾向は、
・自己評価が他人からの評価より高い人
・承認要求が強い人
・すべて他のせいにして、自分を振り返らず同じ事を繰り返す人。
・自分をあげるために、人を陥れたり、悪口を吹聴する人
・言葉巧みに、その話術を使い、人の評価を落とすような印象を植え付ける人。
・自分のために、人を利用したり使おうとする人。
・嘘を巧みに使う人

周りを見ると、結構いますし、
人のふり見てわがふり直せ!
ということわざもありますが、これらが見えるということは
自分の内側にも、少なからずある性質だということでもありますが、
これらの性質が突出して強い人はいるわけです。

その人たちの傾向は、強烈な寂しがり屋で孤独にとても弱いという
共通点があるかも!と、それが原因でそのような行動に
つながっていることもあると話していました。

誰もが、幼少期に刷り込まれた事や、両親から、または親族からとの関係で
色々な感情や価値観が生まれ、その中にはネガティブな感情もあります。

同じ親に育てられていても、全然違う傾向が出るというのは
やはりその人自身の受け取り方があると思うのです。

誰もが寂しいし、幼い頃は、両親が恋しいのは一緒だと思いますが、
親がとても構ってくれていたとしても、
人によって、すごく愛されたと満足感を得ている人もいれば
全然かまってもらえず、愛情不足と感じている人もいるのだと思います。

この愛情不足と感じている人は、大人になって、
自分への愛情をはかるために、相手に試すようなことをしたり、
誰彼かまわず、承認要求が強くなり、自分を認めてほしいと
自分ではなく、相手の視点を気にするようになったり、
相手はどうも思っていなくても、人と比較して自分をあげるために
相手を落とすようなことを、吹聴したり、悪口を言うこともあるのかなと思います。

いつも足りないと不足感があり、相手にそれを埋めてもらおうとして、
自分自身でそれは気づいて埋めることができるのに、
外にしか目を向けず、心の乞食みたいな状態になっている人もいます。

また、自己評価が周りからの評価より高い人。
まぁ文字通りだと、自分の思い通りにしたい欲求が強く
相手にそれを要求したり、期待したりして、
そうならないと、不満が増幅し、不平が出たりする人ですが、
他人は他人の人生の主人公なわけですから、
すべて自分の思い通りになどならないのが当たり前です。

何を根拠にしているのかはわかりませんが、
自分の事を相手が聞いて当たり前、
相手は自分の望む事して当たり前とでも勘違いしてるのか、
相手を責めたり、不平を言うわけです。

でもこの自己評価は、とても浅い所の評価であり、
本当の意味で自己評価ができていれば、
自分に自信があり、自分の意思を大切にして、自己肯定してるように
相手も同じように肯定し、相手の意思も大切にできるはずなので、
結局は幼い子供のような甘えと、結局は承認要求が奥にあり、
相手に認められて初めて、自分を肯定できる癖が隠れている気がします。

また、仕事や外での人間関係ではとてもいい人と言われている人が
家では、内弁慶な場合もあります。
これも甘えや、家族=自分の所有物=何してもいい
という方程式がある人もいるのだと思います。

昨今の色々な事件を見ていて、学校の教育というけれど、
やはり家庭環境でのしつけだよね~と話をしていて、
どんどん罪への刑罰を厳しくする前に、
幼少期に道徳や倫理観を学ぶようにするとか、できないのかなと話していました。

でもその親世代の方に問題があるのかな?とも思います。
私の周りにも親になっている人たちはいますが、
精神的に幼稚で、話をしていて驚く人もいますし、
周囲に流されやすい人や、子供よりも自分優先で生きている人
親というよりも自分の「女」の部分を優先していたり、
「倫理観」「道徳観」「礼節」など、見いだせない親も結構います。

その友人と、本当に不思議だよねと今日話していたのが、
共通の友達や知人の中では、
慈愛に満ち、人間的にも豊かで、いい母親になるだろうという人は
子供を欲するのにもかかわらず、子宝に恵まれず、
精神的に未熟で、エゴや依存心が強く、人間的に幼い人の方が
親になっている人が多く、なんでだろう?と話していました。

私の友人で子供を望んでいなかったのに、妊娠した時
「私はまだまだ未熟なため、学びが必要なようです。
 望んでいなかったけれど、子供を授かりました。
 それぞれに学びの場があるのでしょうが、
 私は子供とともに 成長し、親となっていくことで
 学ぶことがあるようです。」
というようなメールが来ましたが、
やはり、自分が望む望まないにかかわらず
自分の学びの場がそれぞれにあるのでしょう。

出来事はすべて自分の学びのためと視点を持たないと
せっかくに色んな出来事が、自分の経験、体験とできず、
自分の不満や苦しみの元にしかならないようにも思います。

先日「るろうに剣心」を見に行ってきたのですが、
「欠けているものが見出せぬ半端な状態では
奥義の伝授はおろか、志々雄一派に勝つ事もまず無理だろう。
百歩譲って仮に勝てたとしても、
お前の心に住み着いた人斬りには絶対に勝てん。」
というセリフがありました。

これは誰もがあてはまることだと思います。
「自分に欠けているものを見いだせぬ限り、
自分自身の闇に自分が振り回され、苦しみ、
いくら他者のせいにしても、心が晴れることもなく、
気づくまで、また同じことの繰り返しだ」

自分に起こる出来事によって、自分の欠点や性質を見つけ出し、
それを受け入れることによって、強さを持ちたいと思うのでした。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


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