FC2ブログ
色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
相田みつをさんの話
気が付けば、はや2月も中旬になりました。
節分を超えて、新たな気分で毎日を過ごしています。

先日、日曜美術館「自分のことばじぶんの書~画家で詩人・相田みつを~」
をしていました。

相田みつを美術館で生誕90年を記念した展覧会がされているそうです。

だれもが、「にんげんだもの」という言葉と、
子供が書いたようなあの字体は誰もが知っているのでは?と
思うほど有名な相田みつをさんですが、
この番組の中で、知らなかったことが多く、新たな発見も多かったです。

相田みつをさん自身、私の中では
山下清さんや棟方志功さんのような風貌をイメージしていたのですが、
とてもすらっとしていて、男前な方なんですよね~。

これは以前写真を晩年の様子を拝見して、知っていたのですが、
お若い頃も、とても素敵で、女性にもてただろうな~と思ってしまいました。

19歳の時に、地元の書家の師事し、
23歳の時に中国の古典「鄭文公碑」を写した書が紹介されるのですが、
柔らかく丸みのある書体を忠実に再現していて、
それは、晩年のあの書をイメージできないほど、
とても上手で、整然と整っている書なのです。

最高峰とされる書道展で何度も入選していたというのですが、
その書の、うまさたるや、想像だにしません。

「宿命」1951年(みつを 27歳)
「古い封建的な伝統に安易に縛られている窮屈な書の
世界に若い私の魂はたまらない息苦しさを覚える そして
この息苦しさの中に何時までも喘いでいなければならないいや喘い
でいたいのかもしれないあはれな私の宿命なのか」
という書をも残していることでうかがえるように、
とても苦しんでいたと思えます。

でも、こんな書を残すあたり、とても素直な人だと思えます。
この若さで何度も入選したら、自分はすごいと勘違いして、
そこで天狗になる人も多いでしょうが、そうならないのもすごいし
この苦しみを感じても、自分をごまかしたり、
自分の内に抑えて、ださない人も多いのでは?と思えますが、
この自分の内の苦しみを書として残すあたり、正直であり、
また、他人は関係なく、対峙しているのはいつも自分という感じさえします。

そのあとも他の新たな書家の方からの影響をうけ、
自分の書の形を模索していく姿も、紹介されていましたが、

「芸術作品が第三者をして感動せしむるためには
まず作者自身がより強き感激を持つべきが当然ではなかろうか、
その感動、感激は、
必ず現代人としての感動であり、感激である筈である」

という言葉を、自筆で残しています。
素晴らしい事だと思います。

相田みつをさんの書の中で
「人の為と書いていつわりと読むんだねえ」
って言葉を思わず、思い出しました。

その1950年代前半に残されているのが
「わたしは人間をはじめ 
生きているものしか
興味を感じない
生きているもの
それは常に死という
大前提を背負っているからだ」
という言葉です。

書が売れず、妻と子ども2人をかかえ、養うために仕事をさがし、
足利市にあるお店に、包装紙のデザインをさせてくれと飛び込み、
その包装紙の紹介もありましたが、
レイアウトや背景、書の感じ等も含め
やはり、非凡な人なんだな~と思ってしまいました。

このころは、とても苦しかったんだろうと思います。
自分の力量不足を嘆き、書家として通用するかわからない不安を綴り
「ただ一度しかない大事な「いのち」ですから、上手下手をぬきにして
ただただ自分の世界を作ってみたいと、願っているだけです。」
という言葉を、送っています。

家族がいる人からしたら、
自分勝手なわがままとも見えるかもしれませんが、
自分の「いのち」「いきる」ということに、とても真剣に対峙してますよね~。

自分ひとりで、自分の世界をつくっていく過程の中では
自分というものを知る必要があり、
その中で、見なくてはいけないものや、受け入れる事の苦しみなど
きっとたくさんあるのだろうと、勝手に想像してしまいます。

1970年代後半
「その時
自分ならば
どうする」
の書がありますが、
ずっと自分自問自答の世界に、自分を置いていたのだと思えます。

「自画像
慾張り 強がり うそつき 虚栄 コンプレックスに 自己顕示欲
そのくせ大変 気が小さい
みんなごちゃまぜ
わたしの自画像」

自分を見つめていく際に、
どうしても、自分の色んな性質に目を向け、光を当て
自分の一部と認めていく作業がありますが、
私はこの作業が大嫌いです(笑)
「いいところは自分、悪いところは自分にはない」と思いたいのです。

この書は、認めて、自分だと取り込んでいるんだな~と思えます。
相田さんは、とても人間臭く、そして子供のような素直さがある人
そんな風に思ってしまいます。

ただ、ずっと気になっていたことがあり、
この番組でスッキリしたことがありました。

自分を見つめる作業は一人ではなかなかできないし、
どうしても、自分勝手な方向へ行き、自分の枠から出れないということ、
そして、以前住職が書いた日めくりのカレンダーの言葉と
とてもリンクする言葉が、相田みつをさんに多く、気になっていたのです。

その答えが、
ボロボロになるまで愛読した道元著「正法眼蔵」
栃木県足利市 高福寺 武井哲應老師
18歳から仏教を学び、老師が開く講座に、30年以上休むことなく通ったといいます。
記録したノートも何冊も残っています。

やはり、教えを受け続けた人なんだと思いました。
「その時の出逢いが
人生を根底から変えることがある
よき出逢いを」

まさに、すべての言葉が自分の経験と心から生まれたのだと感じます。
そして純粋な心を通して、書となったとき、そこに感動が生まれるのだと、

私は全然書はわかりません。
そんな私が見ても、わかるのが
「雨の日には 雨の中に
風の日には 風の中に」 
40代、50代、60代と同じ言葉を書と残しているのですが、
それが、その時の人を映し出しているというのが
とても出ているのです。

これは完全な個人的な印象ですが、
40代は工夫をこらしているのだけれどちょっと空回り、
強いぞ~と見せたくて、返って薄れている感じ

50代は、とても固い。
自分はここを動かないぞというような、頑固な感じ

60代は、素晴らしい。ナチュラル。
67歳の書は、本当に自然の一部となったような
本当に自然体でナチュラル。
やわらかく、すべてを飲み込み、同化した感じ

人は自分の内を真剣に見つめると、
こんなにふくよかに、そして大きく、やわらかくなるんだと思いました。

何でも基本があってのことですね。
子供のような字ですが、その奥にはきっちりとした基本があり、
伝統の文字も美しく書ける技術がある。
ピカソも、若い頃に写実的な絵を残していますが、とてもうまいです。

なんでも、基本や常識をきっちりと分けまえた上で、外すということでないと
基本や常識をしらない無知な人の内面を映し出されたものには
誰も共感もできず、まして感動も感激もできないのかもしれません。

そして、2つ目は、自分の良心の目で自分を見る、
自分を俯瞰から、色んな面からみつめる事の大切さ。
相田みつをさんの書が感動を与えるのは、非凡な才能もありますが、
誰もが持っている良心や、俯瞰から見つめる視点を
思い出させてくれるからかもしれないと思いました。

とても長くなりましたが、有名ではありますが、
相田みつをさんの残された言葉はとても多くあります。
興味ある方は、その言葉を探したり、
その書を通して自分を見つめるきっかけになれば、幸いと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


スポンサーサイト
別窓 | こころ | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<生きる醍醐味?の話 | 色とこころとわたしの話 | 新たな年の節目の節分の話>>
この記事のコメント
∧top | under∨
コメントの投稿

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

∧top | under∨
| 色とこころとわたしの話 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。