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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
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年の変わり目の話
節分です。

私は1月1日のお正月より、節分の旧正月の方が
年が変わる気がします。

節分の日は、節分祭や、恵方巻き、豆まきなど
やはり節目の日だと感じます。

今年は暖冬と思っていたら、急にさむくなり、
インフルエンザも遅れて今流行していますが、
春夏秋冬、季節折々らしい方が、自然の感じもします。

人生には、色々な節目があります。
人によってそれは違うでしょうし、
年の変わり目や、誕生日などはただ年が新しくなるだけで
自分の変わり目と感じることはなかったり、
他の人にとっては、日常の一日でも、
自分にとって大きな節目になることもあります。

外的要因と、内的要因の大きな二つのことがありますが、
鶏が先か、卵が先かのような気もします。

ただ、外的要因があったときも、
それを自分以外の人の問題として、
自分自身を振り返らなかったら、何も気づけず、
何も変わらず、節目にもならないこともあります。

自分を見つめることは、楽しい作業ばかりではありません。
どちらかというと、受け入れられなかった傷に蓋をしているのに
蓋をとって、その痛みに対峙する必要があったり、
自分が正しいと思ってた事が、実は間違いと認める事だったり
認めたくないような色んな自分を認める行為だったりします。

そんな事などせず、批評家になり、
他人の事ばかり、批評している方がとっても楽なわけです。

でも、生きるということや、生まれてきた理由を考えると、
自分という人間は、自分1人だけで、
生まれる時も、死ぬ時も1人で、
いくら家族であろうと、恋人であろうと、友達であろうと
他者なわけであり、自分は自分しかいないわけです。

その自分を生きるということは、自分にしかできず、
ここにいる理由は、やはり自分にしかわからないことも多く、
ましてや、自分を生かすことは、自分しかできない偉業なわけです。

自分が自分になるために、目の前の体験は与えられ
その体験を通して、気づいたり、考えたりすることで
そのレベルにあった体験を、また与えられ、
自分をどのレベルに持っていくかによって、
その体験のレベルも違うような気がします。

そのレベルっていうのは、お金持ちになるとか、
えらい肩書きをもつとか、ブランドをどれだけ持つとか
此の世を去る時に、持っていけないレベルのものではなく
自分自身の内なる部分を、どれだけ豊かにするか
どれだけ、理を腑に落とせるかということだと思います。

最近、テレビの報道など見ていると
人間ではなく、畜生のような事件や、
大の大人が、年だけ重ねて、中身は子供のような
幼稚な事件などを目にします。

自分がどのように生きるかということは、
SNSでいちいちアピールして、他人からの評価を得なくても
自分というものを、世界に対して表明していることだと思います。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。



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