FC2ブログ
色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
年齢の話
今日は父の命日です。
平成17年に亡くなったので、来年13回忌です。

お墓参りで、般若心経を唱えていたら、生前の父の笑顔が浮かびました。
日ごろから、本当によく護り、生かしていただいていると感謝ですが、
そんな優しい笑顔をされたら、思わず涙が出てしまいました。

父は69才で此の世を去りましたが、60才で定年を迎えた後
兄の問題、母の病気などを含め、次々と出来事が起き
それ以外でも、地元の役員など色々としていく中、
父の内面がどんどん成長して、器が大きくなった気がします。

私は年齢は3つあると思っています。
①肉体年齢
②精神年齢(心)
③魂年齢

目に見えるのは①の肉体年齢だけです。
肉体の外見は、時間の経過とともに成長していくので
目に見えてその変化がわかります。

だから、心(精神年齢)も、時間の経過とともに成長していくものと
ついつい勘違いしてしまいます。

年をとって老年でも、幼児のように我儘で自己中心的な人はいますし、
親より子供の方が、物事の理を良く理解しているような親子や、
幼い子の聡明な言葉で、はっと真実に気づくこともあります。

もう一つの魂の年齢は、今までの輪廻転生を重ねた中で
魂にそれらの経験から、たくさんの気づきを得て
どれだけ悟りに近づいているかという段階の年齢です。

此の世に生まれてくる時には、すべてを忘れていますが、
実際には、真実などすべてのことを
自分の内に秘めて生まれてきていると思います。

生まれてきた理由であったり、全ての答えや、真実など
ある意味完璧な状態で、そのことを忘れているだけともいえます。
だから、本当は何が正しいかも、誰もが知っています。

その証拠に、文化も言語も違う国であっても、
同じものに感動を覚えたり、怒りを覚えたり、面白いと思ったりします。
それは後天的に色々な文化や教育をうけても、
誰もが持って生まれた「良心」や「真実」が同じということです。

大人になると、世界の理不尽さに触れ、どんどん悪さも覚えたり、
私利私欲がでたり、承認欲求がでたり、色んな誘惑があったりもします。
自分につきつけられる選択肢も、時代とともに増えていきます。

その時代の常識、自分のコミュニティの常識、友達からの視点...
恰好つけることばかりに一生懸命で、
自分の内面を見つめず、悩み苦しむことの多い人もいます。

心(精神年齢)は肉体と違い、時とともに成長はしていきません。
忘れているだけで、自分の内にすべてあることを思い出し、
自分で、その出来事から「気づき」「目覚める」ことで、成長していきます。

どれだけ仲のいい人がいても、同じようなキャラであっても、
自分という人間は一人しかいません。
その自分という人間の答えは、他人ではなく自分の内にしかありません。

コミュニティなど参加したり、SNSで知り合いを増やす事はいいですが、
そんな中でも「自分は自分」と、人生は自分1人で歩むものという意識がないと
精神年齢(心)は成長できないのかもしれません。

それがないと、もちろん魂も成長せず、
その目の前の出来事は何の意味もなくなります。
ただ恨みつらみが増幅するだけなら、成長どころか後退ですしね。

でも、肉体と違い、精神年齢(心)の成長は時間は関係ないんですよね。
もちろん、気づき⇒腑に落ち⇒目覚めるという過程では時間も必要ですが、
気づくのは一瞬ということもあります。

人生は自分を磨く「試練」はあっても、「苦労」はないのかもしれません。

徹底的に良心に沿って、私利私欲と真反対の、不器用に生ききった
そんな父の娘であることが、本当に誇りであり、感謝でいっぱいです。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。


スポンサーサイト
別窓 | わたしの話 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<自分の限界よりも、もう少し頑張ってほしい話 | 色とこころとわたしの話 | 危険な香りの話>>
この記事のコメント
∧top | under∨
コメントの投稿

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

∧top | under∨
| 色とこころとわたしの話 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。