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色とこころの勉強を通して、わたしが思う「こころ」がテーマのブログ。
愛②の話
先日、つたない言葉で自分が思う愛の事を書きました。
愛は、外にはなく心にあるものです。
相手の愛や心は見えませんし、手に取ることもできません。
自分の愛も感じることはできても、それを頭で気づいていない事もあります。

人は自分の見たいものだけを見たいように主観的に見ています。
客観的にみようと思っても、必ず残念ながら自分の色眼鏡が入っています。

同じ出来事を一緒に体験しても、人によって違う思い出になっている事もあります。
一方はとても楽しかった、一方はとても辛かったという事もあります。

「自分さえガマンすれば丸く収まるのだ」と考える人は
なにかのきっかけで反転すると
「相手さえガマンすれば丸く収まるのに」と考えがちなのだそうです。

謙虚で辛抱強く耐える事は美徳と捉えられがちですが、
このような性質の強い人は、無意識に周りの人にもこれを要求していて、
本人は気づいていないですが、見ているととても無神経で自分勝手にうつります。

私もあまり得意ではないですが、甘えるのが苦手な人は
人という字のように、甘え甘えられて成り立つ関係がつくれず
「人に迷惑をかけない」ばかりを見つめていて
相手の想いや努力や苦労が見えなくなります。

でも人は必ず誰かにお世話になって生きているもので
迷惑をかけず生きている人はいません。
私は誰にも迷惑をかけずに生きているという人こそ
本当はとても傲慢な利己主義なのではないかと思います。

恋愛でも家族関係、仕事や友人関係、、、
色んな場面でこのことは現れます。

愛や慈愛の発露は、
相手の強さや豊かさ、または成功や美しさに対してよりも
相手の悲しみや苦しみ、または孤独や辛さなどに対して
出るものではないかと思います。

手を差し伸べられた時に拒絶するのは謙虚なのでしょうか。

反対に、自分は迷惑をかけると思っていても、
自分が頼り甘えた事で相手が喜び、
相手が自分の価値を高める場合もあります。

幼い頃から私は母に、徹底的に次の事を言われていました。
「人に迷惑をかけるな」
「自分の事は自分でする。甘えてはいけない。」
「自分がどう思うかより、他人からどう思われるかを考えろ」

私の母は晩年うつ病でした。
ALSという難病という事が分かる数年前から毎日顔を合わせる度
「死にたい、こう思うのは〇〇(私の名前)のせいだ。
産まなければ良かった。」
と毎日毎日、何年も言われていました。

私自身が母がうつ病ということを受け入れることができず
何かに憑依されているのでは、認知症なのではと
拝み手にお祓いをしてもらったり、認知症の検査を受けたりと
うつ病ということに向き合えない時期が長く続きました。

母親に存在価値を毎日否定され続けているうちに
自己肯定感が持てず、その頃は予定を埋め、動き回り、
いつも誰かに評価される事を期待していました。
今から思うと目の前にお盆を置き、承認欲求を求める乞食でした(苦笑)

そうやって逃げていた私に、とうとう向き合わざる負えない時がきて
母のうつ病を受け入れ、また自分自身の心と対峙しました。

体でも傷付いた所を修復するには、治療と時間とリハビリが必要なように
心も同じように時間と努力と繰り返しが必要です。

「自分から逃げてばかりいる人は 一人でじっとしていることができない」

先日、本を読んでいた時にこの言葉を見つけ、本当にそうだなと思いました。
逃げずに本質的な問題と向き合ってから、一人でじっとするようになりましたから、、、
また、その当時動き回っていた時は、とても多くの出会いがありましたが
一切彼氏はできず、反対にじっとしていても彼氏はできました。

逃げているときはきっと心の蓋を無意識に閉めているのでしょう。
それは怖いから。
傷付くことや、否定している自分の性質を認める事や
傷付いた心が大声で助けを呼び感情を揺さぶられる事などなど、、
人は分からない事に恐怖を覚えます。
どうなるかわからないと思って恐怖を覚えていても
意外にやってみたら大したことなかったってことは多いもんです。

大した事あっても(苦笑)向き合った後は驚くほど楽になります。

人はないもの探しが得意です。
自分の事も人と比較して、ないものばかりを探します。
それをやめて自分にあるものを探し、
毎日自分を好きになる努力をしているうちに
唯一無二の存在になり、輝きが増すのだと思います。

物でも何でも、自分が想いをかけたものはエネルギーが増すと言います。
自分自身にそれをすれば、おのずとエネルギーが増し、
それに呼応して人や物事を呼び込むだろうと思えるのです。

自分への愛がない時には、人からの愛も受け入れられないのかもしれません。

喜怒哀楽、すべては心の中にあります。
怒や哀を怖がって、喜や楽を感じられない、
また心にある愛も感じられないのは、もったいない事です。

また、人を好きになるということは、自分の心の蓋を開けて
その中にあるものを外に出し、相手に差し出す行為です。
相手も心を開かないとそれは受け取れません。
反対に相手に好きになってもらっても、同じです。

誰かを好きな時、それを伝えるかどうか悩む場面はあります。
拒否された時の恐怖や、今の良い関係さえ壊れる恐怖、
または相手が断る際の罪悪感を持たせる事への抵抗感など。

でも、誰でも自分を好きと言ってくれた人は、
受け入れる受け入れないは別として、覚えているのではないかと思います。
自分を好きになってくれた、評価してくれた特別な人として記憶に残り、
辛い事があった時や自分の価値が一切ないと思える時など
好きと言われた事実に救われるような気持ちになることもあります。

拒否されたり、もしかしたら皆に言われて恥ずかしい思いをしたり、
相手が困るのではと思っていても、伝えた方がいいと思います。
どう対応するかは人それぞれでも、
心の中では誰でも好きと言われる事は素直に嬉しく、
自分を好きになってくれた特別な人になれるのですから。
その人が傷付いた時に心の拠り所になる可能性だってあります。

本当に相手の事を好きなら、
その「好き」の贈り物は、その時にどんな対応されようとも、
きっと相手にとって人生の「宝物」になると思います。

人は自分の姿を自分で見る事はできません。
相手という鏡に映った自分を見ています。
その体験の中で、色んな自分を発見し、色んな感情を味わい
色んな想いや考えに至ります。
実際には相手を見ているようで、
相手に映った自分を見ている場合もあります。

きっと天はその時その時の自分に見合った体験を用意し
与えてくれています。
本当は潜在的には、その時に向き合えて気づく事はでき、
受け入れたり、乗り越えたりできる能力はあるのだと思います。

タイムラグがあったとしても、その時の体験を通して感じたものは
無駄な事は一つもなく、自分自身の糧になります。
深い悲しみを知った人は、深い喜びを感じる心が出来上がります。
深い苦しみを知った人は、深い慈愛を持てる人になります。

焦る事はありません。
もう行き止まりと思っていた所に、実は抜け穴があって
抜け穴を出たら、太陽が降り注ぐ広い草原があるかもしれません。

または行き止まりと思っていた場所をよく見ると、
快適で居心地のいい自分の居場所と思えるかもしれません。

終わりと思った所が、後からふりかえると始まりの時もあります。

自分の弱さを認めた時に強くなれる事や、
状況に変化がないように見えても、
自分の心が変わった時から変化は始まってることもあります。

明日新しい元号が発表されます。
明日から現実的な変化の時を迎える人もいると思います。

さあ一歩前へ。
新しい「スタート」です。

読んでいただいてありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
あなたとの出会いにありがとうございます。

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